林間学校


「おい、新庄、お前皮むくのうめえじゃねえかよ。うちの班のカレーは任せたぜ。俺はちょっと隣の班に行ってくるぜ」


 榊原竜二。クラスの中心人物である彼は、率先して俺をいじめてくる。本人はいじめと認識していない。花澤が「だからいじられるのよ――」と言っていたように、本当に冗談だと思っているんだろう。



「新庄、そっち剥けたら肉炒めて。キモいけど今日は敬語だから許してあげる」


「そうだね美樹ちゃん! 今日は天気もいいし、昼間は超楽しかったしね! ガチで新庄って有能じゃん! ……てか調子乗らないでよ?」


 花澤は虎ノ門美樹と話しながらも視線は榊原竜二を見ている。

 あの種類の視線は見覚えがある。あれは淡い恋心を抱いているんだろう。

 まあ、俺にはどうでもいい事だ。


「……はい、しっかり料理します」


「……あ、あはは、私もなんか手伝うっての」


「いや、また食材をロスにされても困るので……」


「う、うん、それじゃあ竜二と話してるね」


 料理をしてる時は何も考えなくて済む。俺は料理が好きだ。頭が空っぽになれる。

 小説を読む事も大好きだ。あの時間だけは俺は孤独感を感じない。

 早く料理を作ってご飯を食べたいて寝たい。

 この後、キャンプファイアーと出し物がある。……大丈夫、耐えればすぐに終わるはずだ。


 それにしても変な状況だ。

 この班は、男子が俺と榊原、女子が花澤と虎ノ門の四人グループ。

 もちろん寝る時は女子と男子は別れて寝る。

 この施設には大きな建物があって、大部屋で男子は固まって就寝する。

 女子は女子で別の建物で就寝する。お互い夜に行き来するのは不可能だ。……多分。


 この三人の周りにはいつもクラスメイトがいる。

 クラスの中心人物だ。正直俺はその中に入りたくなかった。今日は昼間のオリエンテーリング中にいじ……められる事はなかったが、普段はこの三人が中心に俺をいじめている……。


 俺が悪いことをしたから、俺をいじめてもいい。

 わからない。そんな拗らせた正義感がどんな意味があるんだろうか?


「お、お兄ちゃん、あ、あの、食器はここでいいのかな?」


 いきなりお兄ちゃんと言われて義妹かと思ってしまった。……義妹も違う班でこの林間学校にいる。そんな事を言ったら斉藤さんも宮﨑も如月、奈々子さんもいるんだ。

 俺はなるべく彼女たちを視界に入れないように努力していた。努力のかいもあってだんだんと顔を忘れてきた。


 この林間学校の一環として、子供たちを引率する力を養う目的もある。

 元々提携しているのか、どのような取り決めをしたのかわからないが、俺たち中学生以外に小学校も同じタイミングで林間学校に来ている。


「あ、あの……」

「ああ、すみません。あそこのテーブルに置いてください」


 この子はうちの班が引率している小学生の一人。本当はあと三人いるはずだけど……。

 榊原の方から大きな笑い声が聞こえてきた。そこには俺たちが引率している残りの女子小学生たちもいた。どうやら榊原になついているようでいつも榊原につきまとっている。


 女の子はなぜかため息を吐いていた。

 この子は榊原の周りにいる派手な子たちに比べたら随分と落ち着いている子だ。

 笑顔を見せたこともない。

 さっきから俺とこの子しか働いていない。虎ノ門は俺を見張っているだけだ。……いや、失敗されるよりましだ。


 どうでもいいことだ。早く料理を終わらせよう。

 女の子が食器を並び終えて戻ってきた。俺の前で無言で佇む。


「サラダの準備をするからこの見本のお皿みたいにカットした野菜を並べてください」


「うん……」


 子供は苦手だ。何を考えているかわからない。……いや、子供だけじゃない。俺は多分人と接するのが苦手なんだ。

 余計な事をしなければいい。そうすれば何も起こらない。


「うわぁ、新庄ってキモいくせに超料理できるじゃん。なにこれお店みたいな盛り付けじゃん! てかあんた少しは笑いなさいって! 今日はせっかく話してあげてんだからさ」


「……花澤さん。あと二十分したらカレーができるので待ってて下さい」


「あ、そ。てかさ、あんたってマジで斉藤に痴漢したわけ? あと、あのぶりっ子女の宮沢を泣かしたりさ。奈々子の件はあいつの自業自得よね〜」


 花澤の言葉からは悪意を感じられなかった。だけど、俺にとって悪意としか感じられない。

 俺は何度も否定した。誰も聞いてくれない。面白がって噂の尾ひれを付けるだけであった。


「いやさ、マジで心配してんのよ。あんたクラスでいじられてんでしょ? ぶっちゃけあれってあんたにも悪いところあるしさ。ちゃんと否定した方がいいわよ」


 歯を強く食いしばって耐えた。胸の奥が嫌な気持ちで一杯になる。

 落ち着くんだ。俺は大丈夫だ。

 そうだ、俺が全部悪いんだ。だから、俺に関わらないで欲しい。

 この感情を言葉に出しちゃいけない。また何か起こるかも知れない。

 だったら、俺は――


「……はい、これから気をつけます」

「なにその返事……超ウケるんだけど……」


 花澤からほんの少しだけ感じる同情心と罪悪感。そんなものは俺にとって必要ない。

 俺は誰も信じなければいいんだ。







 食事も終わり、俺は一人で後片付けをしている。この量は別に苦にならない。

 榊原と花澤、虎ノ門の三人は小学生たちと話している。

 おとなしい子が花澤に捕まっていた。


「美佐ちゃんだっけ? ていうか超可愛いじゃん? 化粧したらやばいって!」

「バカッ! 子供に化粧させんじゃねえよ! てかお前よりも美人だよな」

「あ、あの片付けを……」

「あん? 今日はあいつがやってくれるから構わえねよ。罰ゲームで負けたんだよ」

「私もこんな妹ほしかったな〜」


 洗い物を片付けながら様子を見ていると、なにやら空気感がおかしかった。

 おとなしい子は居心地悪そうにしている。そして、少し離れたところにいる他の女子小学生たちからは不満気な空気を感じる。


「美佐〜、ちょっとこっちで作戦会議ね〜」


 つり目の気が強そうな女子小学生、きっと彼女がこの班のリーダーなんだろう。

 その子がおとなしい子を呼んだ。


 榊原たちはおとなしい子を離して自分たちで歓談を続けている。

 俺は少しだけ小学生たちの事が気になった。


 視線を小学生たちに向けると、リーダー格の女の子がおとなしい子の腕を……つねっていた。

 言葉までは聞こえない。だけど嫌な空気感しかない。

 おとなしい子はただ何度も頷いて……空虚な目で遠くを見ていた。







 キャンプファイアーを囲んでダンスを踊る。

 そんなくだらない事をしなければならない。

 周りの生徒は女子生徒と手を繋いで踊れると言ってはしゃいでいる。恥ずかしがっている生徒もいた。


 俺は一人だ。ダンスの列に入っているが、みんな俺を避けている。

 俺は踊っているフリをしているだけだ。ただ手を上に上げて歩いている。誰も俺の手を繋ごうとしない。


「あっ……」


 下を見ていた俺が顔を上げた。そこには……随分と垢抜けた斉藤さんと目があった。

 斉藤さんは少し気まずそうな顔をして俺から顔をそらした。


「みゆ、あんた危ないって。ほら、こっちの列に入りなって、田代君があんたの事探してたよ」

「う、うん! そ、そうするね! へへ……」


 何かをごまかすような笑みが気持ち悪い。斉藤さんは友達に連れらてどこかへ言ってしまった。

 俺は吐き気に襲われた。気を抜くな。同じ学校なんだから出会うこともある。俺には関係ない人だ。それでも図書室での記憶が蘇る。

 あんなに楽しそうに話していたのに。あんなに仲が良かったのに……。


 心の奥から何かが溢れそうだった。だけど、俺はそれを無視する。胸が痛くなんてならない。だって、俺は一人でいいんだ。誰とも関わらなければいい。きっと時間が解決してくれる。全てを忘れることができる。


「あっ、新庄じゃん! てかマジで暗い顔してんな! さては誰も手を繋いでくれなかったんじゃね? ったく仕方ないわね」


 斉藤さんの後ろにいたのは花澤であった。

 花澤は俺の手を取った。


 なんでこいつは笑っているんだ? なんでこいつの手は温かいんだ? なんでこいつは俺に話しかけてくるんだ? お前は俺に何をしたか忘れたのか? 

 こいつは……俺を陥れようとしているのか?


 心が急速に冷え込んだ。自分の中ではっきりと壁を感じることができる。それは絶対に崩せない壁。まるで鋼で出来ているような強固さ。

 俺には誰にも負けない鋼の意志が必要だったんだ。


 俺は偽物の笑顔で花澤をやり過ごす。


「おっ、いい笑顔じゃん! そうそう、そんな感じで今日で竜二たちとも仲よくなりなって!」


「……そうですね」


「……あんたさ、この前の休みの時にさ、私のお姉ちゃんがナンパで困っている時助けたんでしょ? お姉ちゃんがお礼言いたいって。それにさ、あんたクラスの雑用とか頼まれても嫌な顔せず引き受けてくれるじゃん。本当はマジでいいやつなんじゃない? てか、斉藤の件も冤罪って言ってる奴らもいるし」


 ダンスの曲が止まった。俺の動きも止まる。

 やはり誰とも関わらなければよかった。どうやって俺を調べたかわからないけど、花澤が俺と関わろうとするきっかけを作ってしまった。


「へへ、私さ、クラスで結構イケてるじゃん。だから、あんたがいじられるのが嫌だったら竜二に言っておくからさ! だから友達になろうよ!」


 雑用を引き受ける? お姉ちゃんを助けた? 本当はいい人? 

 嫌な気持ちがこみ上げてくる。だけど、俺は鋼の意志でそれを抑え込む。


「……いえ、全部オレが悪いから」


「え? ど、どうしたの? ほら、あっちでみんなでジュース飲もうよ!」


 花澤の視線の先には榊原を取り囲むクラスメイトがいた。

 俺たちを怪訝な顔で見ている。視線が嫌だ。俺を見ないで欲しい。


「……今更そんな事言われても困るだけです。いじめは自分で解決します」


 俺は空虚な目で遠くを見つめながら、クラスメイトとは反対方向へと歩き出した。


「え、あ、ちょ、ちょっと……、もう……、ガキじゃないんだから拗ねてないでよね。ったく、あっ、竜二いまいくよ!!」


 同情心といら立ちが入り交じる声であった。花澤は俺を置いて走り去る。


 俺はこの時、本当の意味で一人ぼっちになった。

 だけど、これは俺が選んだ道だ。

 この先信じられる人なんて現れるはずない。


 俺は小説を読むために誰もいない調理スペースへと向かった。






 誰にいないと思っていた調理スペースには先客がいた。

 俺の班が面倒を見ていたおとなしい女の子がチョコンと座ってスマホをすごい速さで打ち込んでいた。

 女の子は俺に気がつくと身体をビクッとさせて立ち去ろうとした。


「大丈夫です。俺はここで小説を読もうと思っただけです。俺が違うところに行きます」


「あっ、小説……。お、お兄ちゃんも小説を読むの?」


 立ち去ろうとした女の子の足が止まった。


「ええ、『テツロウ』の最新話を読んでいないので……」

「テツロウ!? あ、あの……わ、私もテツロウが好きで……、小説が大好きで……」


 俺と少女の間にはなんとも言えない空気が流れる。

 大丈夫、この子は俺と関わり合いがない。


「あれは素晴らしい作品ですね。あんな風に強い主人公になれたら――。ところで何かメッセージを打っている途中だったんじゃないですか? 邪魔だったら……」


「う、ううん、全然邪魔じゃないよ。え、っと……、あの、メッセージ打つ相手なんていないし……。え、えっと、お兄ちゃんは違う学校だからいいかな……。わ、私、テツロウみたいな小説を書きたくて……、自分の作品を書いていたんだ」


 小説を書く? なんだと? 今まで自分で書くという選択肢が一切頭に浮かばなかった。


「すごいな……。小説って書けるんだな」

「ううん、全然凄くないよ。だって……それしか楽しい事ないもん」


 少女は空虚な目で、騒いでいる女子小学生の集団を見ていた。


「はぁ、大人になったらいじめなんてなくなるのかな……。で、でもね、私は小説があるから我慢できるもん」


 大人になったらいじめがなくなる、か。本当にそうだろうか? 中学生でも高校生でも社会人でもいじめはある。

 それでもこの子は俺よりも強く見えた。


「……小説って俺でも書けるのかな」

「え、わ、わかんないけどきっと書けるよ。あっ、わ、私の作品見てみる? へへ、ランキング一位になったから嬉しくて」

「よくわからないが、ランキング一位はすごいだろ。……おめでとう」

「あ、ありがとう。……へへ、なんだろう、凄く、嬉しい。誰かに褒められるなんて久しぶりで……。あっ、お兄ちゃんも本が好きなら小説書こうよ! ウェブ更新のやり方教えるからさ!」

「あ、ああ、俺でもで、できるかな?  ……いや、やってみよう」

「うん!」



 ……

 …………

 ………………


 俺たちが話していたのは時間にして数十分だろうか。

 小説の話だと何も考えずに言葉が出てくる。こんな穏やかな時間は久しぶりであった。

 楽しい時間は必ず終わる。俺も彼女も同級生が騒いでいる方を見ている。

 そろそろ戻らなければ色々と問題が起こる。


「……お兄ちゃん、私行くね。あのね、今日は林間学校休まなくて良かったよ。……えっと、わ、私が仲間ハズレにされている事は内緒にして欲しいな」


 気持ちが痛いほどわかる。先生は信用出来ない。いじめがひどくなるだけだ。

 俺にはどうしようも……出来ないのか……。


「ああ、わかってる、俺も同じだからな。……よし、いつか俺が小説を書けたら読んでくれ。絶対書いてみせる。君は俺の師匠だな」


「へへへ、うん、楽しみにしてるね。……お兄ちゃん、今日は本当にありがとう。……よしっ」


 俺たち深呼吸をしてから立ち上がる。そうしないと心が負けてしまうからだ。

 重い足取りだけど、何か光が見えた気がしてきた。


 小説を書く。

 生まれて始めて胸が高鳴ったような気がした――




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