イラストレーターとして


「なるほど、ミケ三郎はそのような心境だったんだな。半分は理解出来ていたが深いところはわからなかった。なるほど興味深いな……。なら13話の67行目の心境はどうなのだ?」


「ああ、それはまだ人を信じようとしていたミケ三郎が騙されて奴隷として――」


 初めは敬語で喋っていたが、水戸部先生が俺に普段どおりの口調で喋れと言ってきた。そんな事を言われて戸惑ってしまったが、小説の話に集中していると段々と気にしなくなってきた。

 このやり取りをもう数十回続けている。

 俺の小説を暗記している水戸部先生。俺はそれが嬉しくて食い入るように水戸部先生の質問に答える。


 ハム美はすでに編集に連れてかれてこの場にいない。

 ソファーにいるのは俺と水戸部先生だけだ。俺たちは小説の話でヒートアップしている。


「ふむふむふむ……、ところでヒロインであるポメラニアンの獣人のアンが段々と魅力的なキャラに成長した。多分87話辺りから変わってきたと思う」


 ……俺があんりと出会った頃だ。

 裏切られて、誰も信じられない俺があんりとフードコートで時間を過ごす。

 あの時から俺に変化が起きたんだ。


 脳裏にあんりとの思い出が駆け巡る。それは俺にとって大切な記憶。


「……素敵な人と出会ったんだよ。俺は一度死んだ心が取り戻せたんだ」


 水戸部先生からの返答が無い。

 彼は俺をじっと見つめていた。さ、流石に男性でもこんなにイケメンに見つめられると少し恥ずかしいぞ……。


「……十分まってくれないか? 少し描きたくなってきた」


 水戸部先生はカバンからおもむろに鉛筆とスケッチブックを取り出して絵を描き始めた。

 そして、俺のスマホがブルブルと震え……、あっ!? 冴子さん……、そ、そうだ、面談の時間が……。


「み、水戸部先生……、あれだ、面談の時間が過ぎていたぞ。早く編集部に行かないと」


「…………」


 水戸部先生は集中しているのか俺の声が届いていない。

 俺はため息を吐きながら冴子さんの電話を出た……。




 冴子さんに事情を話すと、冴子さんはロビーへすっとんで来た。

 いつもほんわかしている顔なのに……眉間にシワをよせてお怒りのご様子だ。

 冴子さんの隣には少しケバケバした女性と、これまた制服を着た女の子がいた。


「隼人君! こんなところで描いちゃ駄目だよ! ほら、編集部に行こ!」


 制服の女の子の言葉によって水戸部先生は満面の笑みで立ち上がる。


「おお、楓! つい描きたくなってな。よし、編集部へ行こう」




 *********





「あ、は、はじめまして、か、神楽坂楓です。えっと、私は漫画の原作者で、こっちの彼、水戸部隼人君が漫画を描いています」


「は、はい、俺はミケ三郎の作者のにゃん太……新庄真と申します」


 ペコペコと頭を下げ合う俺と神楽坂先生。なんだろう、彼女を見ているととてもほんわかした気持ちになる。

 とても優しそうな人だ。

 水戸部先生は編集部の客間に着くなり、神楽坂先生の隣で絵の続きを描き始めた。

 距離感が半端なく近い……。見てて少し恥ずかしい。神楽坂先生は顔を赤くしているけど嬉しそうであった。


「はーっ、またイチャイチャして……羨ま……。ご、ごほん! で、冴子、この子が『ミケ三郎』の原作者? まったく遅刻しちゃって。だから学生は嫌なのよ〜。あっ、うちの先生は別よ。プロで売れっ子だから特別よ!」


 水戸部先生たちの担当編集の女性の言葉によって冴子さんの眉間のシワが更に深くなる。

 後ろから黒いオーラ見える気がする……。冴子さんの口から呪詛のようなものが漏れ出した。


「……ちっ、だからモテないのよ」


「ん? なに? 何か言った? まいっか! てかさ、本当はイラストレーターの依頼は全部断ってんのよ。神楽坂先生が楓ちゃんと仕事が出来ないならやりたくないって言ってね。まあ、可愛い後輩である冴子のお願いだったから面談をセッティングしてあげたのよ〜」


「……そうですね、先輩。にゃん太先生が希望の絵師さんを見つけられるなら人格が破綻している平塚先輩にいくらでも頭を下げられますよ。……後輩のツテで合コンは楽しみですか?」


「は、はっ? な、何言ってんのよ!? わ、私はモテモテで……」


「平塚女史、少し黙っててくれ。キンキン声がうるさい。平塚女史はあまり見栄を張らないほうがいいと思うぞ。この前も合コンで散々な目にあったと言って泣いていたではないか」


「う、うぅぅ、あれは……。だって、私だけのけものにされて二次会にも呼ばれなくて……、うぅぅぅぅ」


「平塚先輩、あとで愚痴聞いてあげますから、今は仕事中だから泣かないでね。はぁ……」




 冴子さんが俺に近寄って小声で耳打ちしてきた。……あんりと同じ匂いがするから少し恥ずかしい。


「平塚先輩は仕事はできるけど人間性が凄くあれで……ごめんね。――あっ、水戸部先生が描き終わったみたいだよ」


 水戸部先生は満足気にスケッチブックを俺に手渡した。


「やはり作者から話を聞くとイメージがどんどん湧いてくる。まだまだ聞き足りない足りないくらいだ。さあにゃん太君、俺の絵を見てどう思った?」



 ひと目見て描かれている場面がわかった。

 そこに描かれていたのは何故かあんりに似ているミケ三郎のヒロインのアンであった。

 

 ――ミケ三郎に引きつった笑顔を向けているアン。

 

 全身に鳥肌が立った。絵がうまいというレベルではない。ここまで感情に訴えかける絵を観たのは始めてだ。

 これは98話でアンが初めてミケ三郎に感情を見せたシーンだ。心が壊れていたアンが初めて笑顔を向けた場面……。


 なんだこれは? この絵はおかしいだろ? なぜこんなにもイメージ通りなんだ? 

 なんだよ、本当にこれは……。


「……これ、は、アンだ」


 言葉がうまく伝えられない。目頭が熱くなる。自分の子供のような作品が絵をして描かれる。大切なヒロインが精一杯の努力をして笑顔を向けている。


 あんりと出会った時の記憶が鮮明に頭に浮かぶ。

 傷ついた少女と拗らせた俺。

 小説だけが俺たちを繋いでいた。

 まだ出会って数ヶ月。それなのに俺の心の大半を埋め尽くしている。

 自分では気が付かないうちに、あんりの事を思いながら小説を書いていたら作品に影響していたんだろうな。


 水戸部先生は俺を何も言わずにずっと俺を見つめていた。

 俺は何か喋らなければいけないと思っているのに、心がぐちゃぐちゃで言葉が出ない。



「……よし、楓、俺はこの小説の漫画を描いていいか? 俺たちの漫画の幅が広がりそうな気がする」


「うん、もちろんだよ。私達が学ぶことはまだまだたくさんあるもん。それに私もにゃん太先生のお話が気になってたもん。へへ、同じランカーさんだしね!」


「そうと決まれば……、にゃん太君、これからよろしく頼む。イラストレーターという仕事は慣れていないが全力を尽くすことを約束する。俺はこの挿絵を100枚ほど描いていいのか? ……とりあえずにゃん太君が落ち着くまでしばらく待つか」


 俺はまだ言葉を発する事が出来なかった。

 俺の心の中があんりで埋め尽くされていた。

 かろうじて俺は目頭を抑えて頷く事が出来た……。





 **************





 一人で会社を出ると、どっと疲れが出た。

 あの後、落ち着いた俺は水戸部先生からずっと質問攻めにあった。非常に楽しい時間ではあったが、濃密過ぎて頭がショートしそうであった。あの人は頭が良すぎる。132話ある俺の小説の一字一句全て記憶している。本人いわく見たものは全て記憶できると言っていた……。


 打ち合わせは水戸部先生が突然立ち上がって終わった。

『今日は学校の林間学校の買い物を楓とする予定だ。あとは俺たちのアトリエで描く。にゃん太君、また連絡する』そう言って編集部を出ていった。


 変わった人だが、頭も良くて絵も凄くて非常に心強い。

 ……それにしても林間学校か。

 うちの学校もあるんだよな。8月の初めだったな。

 学校の旅行はあまりいい思い出がないから気にしないようにしていた。

 だけど、今は違う。俺の隣にはあんりがいる。


「……もう少ししたらあんりに会える。少しどこかで休むか」


 あんりと会えると思うと疲れなんて消えてなくなる。

 ……まったく、俺はこんなに寂しがりだったのか。


 あんりとの約束の時間まで数時間あった。

 俺は街を歩きながら少し昔の事を思い出していた――

 今ならきっと過去と向き合えるはずだ……。






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