堂島

 雨が強い日だった。いつもは中庭で堂島とご飯を食べるけど、今日は教室でご飯を食べている。

 二人で小説の話をしたり、今度のテストについて話していた。穏やかな時間を過ごしていた。


 突然だった。

 クラスでやんちゃな冴島君が堂島の横に立つと、手に持っていたジュースを堂島の頭からぶちまけた。


「おっ、わりいな、髪がぼさぼさだったから直してやんよ」


 冴島君はそう言いながらペットボトルのキャプを締めて、片手で堂島の頭を乱暴にグシャグシャにした。

 私はとっさに声を出していた。


「ちょっと、あんた何すんのよ!!」


 クラスは笑い声に包まれていた。クラスメイトの誰もが笑っている。

 表情でわかった。みんなこれは冗談だと思っているんだ。堂島を使って、私の反応を見て楽しんでいるだけなんだ。

 押し殺したような笑み、高らかに笑う生徒、少し嫌そうに見る生徒、指を刺しながら私達を馬鹿にする生徒。

 急速に心がしぼんでしまった。怖い。そんな感情に埋め尽くされてしまった。


「はぁ、ぼっち同士がうるさいんだよ」

「そうそう、やっぱシカトは良くないよね。ちゃんといじってあげなきゃね。同じクラスメイトだしさ」

「うわ、マジでジュースかけやがった。おい、お前もやれよ」

「てか、堂島って何考えてるかわかんねえから怖えよな」

「だからいじってやってんだろ」


 クラスメイトの声が耳を通り過ぎる。私のせいだ。私のせいで堂島までいじめられちゃう。

 こんなのやられている側は冗談なんかじゃない。

 今度はシカトだけじゃない。こんな風におもちゃにされちゃうんだ。

 そう思うと足が震えてきた。だけど……。

 だけど、だけど、だけど、だけど、堂島が――


 私は震える手でポケットからハンカチを取り出す。

 そして濡れた堂島の頭を優しく拭う。

 ジュースだからベタベタする。頭を洗わないときれいにならない。こんな状況をどうしていいかわからない。堂島だって怖がって――


「だ、大丈夫だからね堂島。あっ、制服が汚れちゃう」


 堂島は拭っている私の手に触れた。何故かすごく温かく思えた。

 なんだろう、こんな状況なのに堂島の目はすごく綺麗に見えてしまった。


「氷崎、せっかくのキレイなハンカチが濡れてしまう。こんな事があろうかと俺は大きなタオルを持っている。ほら」


 堂島は鞄からタオルと取り出して自分の髪をわしゃわしゃと拭き始める。


「ところで氷崎、これは俺の髪がぼさぼさだから彼は親切心で俺の髪を綺麗にしようとしたのか? なるほど、これは髪を切る必要があるな」

「ど、堂島、あのね、これは……」


 いつもと変わらない堂島。私はそんな堂島を見ていたら恐怖心が和らいだ。


「おいおい、お前俺が話しかけてるだろ? こっち向けよ。なんだ、てめえおかしいんじゃねえか?」


 冴島くんはチャラチャラしててボクシング部に入っているからすごく怖い。だけど、そんなの関係ない。だって、堂島が――


「やめてよ! あんたがおかしいでしょ!? いきなり堂島にジュースなんてかけて……堂島は大人しい子なんだからやめて」


「あん? なんだ、お前ら付き合ってんの? ならお前にもかけてやろうか」


 教室の隅で固まっている私が元いた女子グループは冷ややかな目で私達を見ていた。

 そんなに私が悪いことをしたの? 私はただ……小説を書いていただけなのに……。


 冴島君がペットボトルの蓋を開けようと動いた時、何か風切り音が鳴った。

 堂島の身体が動いた気がした。一瞬過ぎて何が起きたかわからない。

 冴島君の手にはペットボトルが消えていた。

 代わりに堂島の手の中にペットボトルがあった。


「え? な、なんだ?」


「氷崎の髪型は素敵だ……。直す必要がない。むしろ君の髪型が乱れていないか? よし、俺が直してあげよう」


 髪をかきあげながら堂島は言葉を放つ。

 その時の堂島の声の質がいつもと違っていた。まとっている空気感が重いものであった。

 どんな時でも無機質で穏やかな口調なのに、ほんの少しだけ語気が荒かった。


 堂島の素顔がはっきりと見えた時、クラスの雰囲気が変わった。堂島の雰囲気が一変したからだ。


「はっ? て、てめえ喧嘩売って……」


「……そうだな、俺が小学校の時もこんな事があったな。……久方ぶりに思い出した。感情を消して全部忘れていたのに。自分がどんな仕打ちを受けても揺るがない。だが、俺の大切な友達に手を出したら――」



 大きな破裂音がした。

 堂島の手に収まっていたペットボトルが破裂した音であった。

 クラスメイトは何が起きたかわからなくて小さな悲鳴が生まれた。


 冴島は破裂音にびっくりしたのか、堂島の前で腰を抜かして床に尻もちを付いていた。


「……い、意味わかんねえよ。ちょ、お、お前なんなの? はっ? ペットボトルって割れるのかよ……」


「ああ、すまない。君のジュースをぶちまけてしまった。今は持ち合わせがないから今度弁償しよう。片付けは俺がしておく」



 堂島が冴島を一瞥する。それだけで冴島は震えてしまった。恐怖心を押し殺そうと自分の身体を抱きしめていた。




 堂島はため息をひとつ吐いて少し困った顔で私を見ていた。


「ひょ、氷崎、すまない。俺を見て嫌な気持ちにならなかったか? 怖がらせたくないから感情を消したはずなのに……。も、もう氷崎と関わらない方がいいのか?」


 まるで子供みたいな顔をしている堂島。

 客観的に見たら堂島は病気だと思う。だけど、私はそんな堂島が純粋で素敵な人に思えた。


「ばかっ! 何言ってんのよ! 今日はサイゲリアで勉強するんでしょ。……私はあんたと……と、友達なの。だから……ほら、風邪ひくから濡れたところ拭こ?」


「……あ、ああ。そうか、友達なんだな……。はははっ、はははっ、俺と氷崎は友達だ。よし、全力で身体を拭くぞ。まて、氷崎にもジュースがかかっているではないか? 俺のタオルを――」



 教室の空気は異質であった。

 というよりも私と堂島がこのクラスで異質な存在。

 だけど、それで構わない。だって一人じゃない。私には……大切な友達がいるんだから。








 堂島が髪を切った。

 韓流アイドルの切り抜きを手に持ち、私の行きつけの美容室で髪を切った。


「こんなに短いのは久しぶりだ。頭がすーすーする」

「はっ? あんた自分で短くしたいって言ったでしょ!? て、てか、似合ってるじゃん」

「ふむ、視界が良好で氷崎の顔がよく見える」


 私達がクラスでハブられている事実は変わらない。

 でも少しだけ変化が起きていた。

 中庭で二人でご飯を食べている時や、帰り道、数人の生徒が話しかけてくれた。


「あ、あの、WEB小説読んだよ。すごく面白かったから書籍化楽しみにしてるね……」


「え、っと、教室だと喋り掛けづらくて……、あんまり力になれないけど、小説楽しみにしてるよ」


「ど、ど、堂島くん。君は何か武術をしてるのか! 服の上からでもわかるその筋肉……」


「うわー、マジで素顔超イケメンじゃん。てか他のクラスが超噂してんじゃん」


「堂島……、この前はジュースをかけて悪かった。本当にすまない。俺が調子の乗っていた……。すまない、お願いがあるんだ。お前ボクシングできるだろ? 俺と本気でスパーリングしてくれ。頼む――」


 クラスメイトも全員が全員嫌な子ばかりではない。私もそうだけど、ただ弱くて大きな流れに逆らえないだけ。自分がハブられるのが怖い。だけど、この子たちは勇気を出して私達に話しかけてくれた。勇気を出して謝ってくれた。


『パグ子や、元気か? 最近の展開は中々スリリングで面白いぞ。俺も負けないように頑張るぞ』

『パグ子ちゃん! 今度のおでかけ楽しみだね! 食べたいものあったら行ってね!』


 お兄ちゃんとお姉ちゃんは毎日メッセージをくれる。私はそれを見るだけで心が温かい気持ちになれる。


 今日も私の隣でお弁当をもぐもぐと食べる堂島。


「むむ、俺の顔になにか付いているか? そうだ、ちさはこのおかずを食べるか?」

「ぶっ!? な、なんであんた名前で呼ぶのよ!?」

「い、いや、友達なら名前で呼んだ方がいいと……、ちさの小説に書いてあったから……」

「そ、そう。な、なら仕方ないわね。え、えっと、じゃあ、た、尊……」

「むむ、何故かこそばゆい気持ちになるぞ。……ちさ」


 突然名前で呼ばれたから驚いたけど、そう言えばお兄ちゃんたちも名前で呼び合っているからいいよね。

 いつもよりも少しだけ距離が縮んだような気がしてきた。







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