奈々子3
久しぶりに嫌がらせにあった。
最近はずっと遥ちゃんと一緒にいたから何事も無く過ごせていた。
だから油断していた。いきなり水をかけられた。
靴が投げ捨てられていた。
大丈夫、私には鉄の意思があるんだもん。それに遥ちゃんがいる。
だから、こんな嫌がらせにあっても大丈夫。多分、そのうち飽きて終わると思う。
遥ちゃん、悩んでいたな――
新庄君が篠塚さんと仲良くなる事で、段々と柔らかい雰囲気に変わっていった。
今までも目も合わせてくれなかった新庄君が遥ちゃんの事を名前で呼んであげた。
カラオケでは遥ちゃんを守ってあげた。
遥ちゃんは昔の罪悪感、自分は関わらないと言った事や、私の誤解をどうにか解こうと頭を悩ませていた時だったから、新庄君とどう接していいか分からない様子。
遥ちゃんは馬鹿で大雑把で何も考えてない風に見えて何も考えてないけど……、本当はすごく優しくて繊細なんだよ。
だから、遥ちゃんだけは新庄君と仲良くしてほしい。
私の目の前には新庄君がいる。
絶対この兄妹はおかしいよ……。なんでこんなにも私の心に踏み込んでくるの。
新庄君のたった一言で私は壊れそうになった。『――これを使え』
そう言ってタオルを私に押し付けようとする。
私の鉄の意思が壊れそうになった。
頭の中で新庄君と過ごした中学時代が駆け巡った。
なんてことはない日常会話。なんてことのない挨拶。なんてことにないやり取り……。
――わたしは、打算抜きで……新庄君と過ごす時間を楽しんでいたんだ。
氷のような目つきの新庄君が、困った顔をしながら段々と柔らかな表情へと変わる。
私は……それを見るのが、好きだったんだ。
なんだって今になって……。
ううん、あの時も自分の心に気がついていた。でも、見栄ばかり張っていたあの時の私は見ないふりをしていた。
ハンカチでは拭ききれなかった制服が冷たい――
靴の中に砂が入っていて気持ち悪い――
汚い格好を新庄君に見られているのが恥ずかしい――
だけど、そんな事よりも、何よりも、新庄君の心を壊してしまった自分が許せない。
だから口が勝手に動いていた。
「――――――」
支離滅裂で何を言っているのか自分でもわからない。
ただ自分から嫌われれば何もかもうまく行くと思ったんだ。
新庄君はタオルを持ったまま静かに聞いているだけだった。
いつしか私は肩で息をしていた。
これで、終わり。もう私は関わらない。
そう思って新庄君に背を向けてこの場を立ち去ろうとした、が――
新庄君の声が私の心に突き刺さった――
「――――カラオケ、誘ってくれて嬉しかった。……来れなかった理由なんて今更どうでもいい。奈々子さんは遥の大切な友達だ。――遥と仲良くしてくれ」
背中にふわりとした感触があった。新庄君が私にタオルをかけてくれたんだ。
それが私の鉄の意思を粉々に破壊した―――
涙で霞んで前が見えない……。
「ひっぐ、ひぐ……、う、ぅぅ、ぅうぅ……」
感情が心をかき乱す。鉄の意思で固めた心が壊されていく。
なんで私がいじめられるの? なんで新庄君と仲良くできなかったの? なんでこの兄妹はこんなにも私の心に踏み込んでくるの?
私は――、私は――
聞き慣れた声と一緒にドタバタと足音が聞こえきた。
「奈々子ーーっ!! ああん、もう、馬鹿っ!! 一人で放課後うろちょろしちゃ駄目っていったじゃん!? 拭かなきゃ、拭かなきゃ……、ありゃりゃ、靴も一回脱いで……」
飛んできた遥が私の身体や髪をタオルでゴシゴシと拭いてくれる。
痛いけど、ちょっと苦しいけど、心地よかった。
まるで私の心の澱までぬぐいとってくれているような気がするから――
************
何故こんな状況になったんだろう。
俺は奈々子さんに裏切られたと思っていた。
だが、奈々子さんの反応を見て――それは違うのではないか、と思い始めた。
あんりと遥と合流した俺たちは中庭ベンチで日向ぼっこをしている。
夏のような日差しが心地よい。
奈々子さんの濡れていた制服も乾き始めていた。
あんりが奈々子さんの髪を梳かしている。その横では遥が奈々子さんの手をずっと握りしめながらとりとめもない話を続けていた。
「すごく髪綺麗だな……、ちゃんと整えたらすごく綺麗になるぞ」
「う、うん……、あ、ありがとう。……そ、その、あ、あんまり見られると、恥ずかしい……」
「何言ってんのよ、奈々子! あんた本当は超可愛いんだから自信持ちなって! 明日からちゃんとセットしてきなよ!」
「……遥ちゃん……、私……」
「あん? ちょうどいい機会だから、おにい……、にちゃんと事実を話してあげて!」
「で、でも、それは私の主観だから……、新庄君を傷つけた事実は変わらないよ」
あんりが俺に向かって微笑む。まるで聞いてあげて、と言っているような気がした。
俺はベンチから立ち上がって伸びをする。
そして、奈々子さんに向き合った。
「――正直に話してくれ。それがどんな事であろうと俺はもう大丈夫だ」
************
「――――なるほど、状況は理解した」
俺があっさりそう言うと、奈々子さんは驚いた顔をしていた。
「えっ……、ほ、本当に信じてくれるの……。だ、だって、わ、私がちゃんとカラオケに行ければ……、それに知り合いなんて呼ばなければ……」
「違う、そうじゃない。もうそれは終わった事なんだ。……奈々子さんは全部正直に話してくれた。いまさら過去のことなんてどうでもいいはずなのに向き合ってくれた。それだけで十分信じられる」
奈々子さんは中学時代の時の事を全部話してくれた。
打算で俺に近づいたこと。カラオケで本当に楽しんでもらいたかった事。
……奈々子さんに起きた事件。
まさか、あんなに明るかった奈々子さんがいじめを受けていたなんて。
俺は全く気が付かなかった。
泣き晴らした奈々子さんはなぜか穏やかな顔をしている。
そうだ、こんな感じで微笑む子であった。
記憶を封じ込めて忘れていた。
俺の横にいるあんりが険しい顔をしていた。
自分の中学時代を思い出しのかも知れない。
あんりは悔しそうに呟く。
「……本当に群れる奴らは卑怯だよな。ったく、やってらんねーぜ。おい、真、お前はどうしたいんだ?」
女子同士の問題に首を突っ込むのは非常に繊細だ。
俺が奈々子の事をいじめている女子に何か言っても、余計悪化させるだけだ。
だから、
「……俺はどうも出来ない。――ただ」
全員が俺に顔を向ける。
俺は自分の気持ちを言うだけだ。
「まあ、あれだ、中学の時みたいな明るい奈々子さんを見たいだけだ」
奈々子さんの顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。
遥はなんだか嬉しそうに奈々子さんの手を握る。
俺はベンチから立ち上がってあんりの腕を取った。
あんりも立ち上がる。これ以上は俺の出番じゃない。
俺は遥を見た。遥は今度は俺の視線から逃げなかった。
他人が環境を変えるんじゃない。
大切な人から影響を受けて、自分が変わるんだ。
遥は自分の顔をバーンッと叩く。
……い、いや、それは流石に痛いだろ。
「うっしゃ! 奈々子、気合入れていこうよ! もうすぐ球技大会だし、そこで活躍してクラスメイトと仲良くなろうよ! さっそく今から練習だよ!」
「え、ま、まって、わ、私、新作の乙女ゲー。――うわわっ」
遥は奈々子の手を引いて体育館に向かって走って行った。
奈々子は戸惑いながらも俺たちに軽く会釈をして去っていった。その顔はなんだかスッキリしたものであった。
残された俺達は少し呆然する。。
自然と俺とあんりが寄り添う。
「……きっと大丈夫だよね」
「ああ、遥は馬鹿だからな」
いつもと少しニュアンスが違う馬鹿。
「真君だって大馬鹿だもんね。こんなヤンキーでこじらせちゃった私に構って……、えへへ」
「……いまさらだ」
あんりの言うとおり、きっと奈々子さんは大丈夫だろう。
あとは遥に任せよう。
なんだか胸につかえていたものが軽くなった気がした。
俺たちは祖父の家を目指して歩き始めた。
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