奈々子
「ふぅ、遥さん、今日はありがとう。おかげでバレーの感覚が少しだけわかったよ」
少し汗ばんだあんりが遥にお礼を言う。
遥はそんな言葉に戸惑っていた。
「ううぅ、そ、そんな、わ、私なんて役に立ってないよ……」
手に持ったバレーボールを見つめながら気まずそうに目をそらす遥。
遥の中では俺には想像がつかない感情が渦巻いているのだろうか。
俺を馬鹿にしていた遥からは想像もつかない。
あんりが遥に近づく。それだけで遥は身体をびくつかせていた。
「……真君、ちょっと校門の前で待っててね。もう少しだけ遥さんにバレーのコツを教わってから行くよ。そんなに時間かからないから!」
「へ?」
遥は素っ頓狂な声を出していた。
……あんりの好きにさせよう。
「わかった。何かあったらすぐに連絡してくれ。飛んでいくから」
「えへへ、うん! またね!」
「あ、ば、ばいばい……」
俺は二人に手を振って、校門に向かって歩き始めた。
下校中の生徒はほとんどいなかった。グラウンドから部活をしている生徒の掛け声が聞こえてくる。
学校は不思議な空間だ。
見ず知らずの生徒が狭い教室に押し込まれて、みんな顔色を伺いながら過ごしている。
空気を読まないと仲間はずれにされて、共通の敵がいると団結力が強くなる。
俺にとってあんりに出会うまでの学校はただの地獄であった。
もしもあの時、あんりと出会わなければ? 俺はどんな人生を送っていたんだろうか?
書籍化を断念していたのだろうか? 誰も信じられないまま過ごしていたのだろうか?
俺は誰も信じてくれないから諦めていた。
そう、諦めていたんだ。何も行動を起こそうとしなかった。言い訳しても無駄だと思っていたんだ。
友達なんていらない。
そんな俺が奇跡的にあんりと出会えた。
初めはお互い信じられなかった。だけど、寂れたショッピングセンターで話すうちに、いつしか俺の心が開いていった。
一人じゃない時間が楽しいと思えたんだ。
「……あれは」
一人で校門の前で待っていると、下を向きながら歩いている奈々子さんの姿が見えた。
肩を落として……何故か制服が水で濡れているように見えた。
靴は履いておらず……上履きを履いてトボトボと歩いている。
泣いているのか? 何かを探しているのか?
奈々子さんは周りの視線を探らせている。
奈々子さんの視線は昇降口の横にある草むらで止まった。
ゆっくりとした動作で、身体が汚れるのも気にせず……、草むらをかき分けていた。
そして、ボロボロになった自分の靴を見て咽び泣きながら……靴を履き替えてた……。
……俺には関係ない。俺たちはそういう関係なはずであった。
だけど、何故か心がざわつく。関わらなくてもいいはずなのに、俺は勝手に足が動いていた。
奈々子さんは俺にとって嫌な過去の思い出させる存在である。
斉藤さんの事件が会って以来、誰も信じることが出来なかった中学時代。
そんな俺に話しかけてきた奈々子さん。如月さんから受けた傷が少しずつ忘れそうになった頃に起きた事件。
俺あの時、俺は完全に誰も信じられないと思った決定的な事件。
俺はカラオケに呼び出されて以来、奈々子さんと話すことはなかった。
数回話しかけられたが、俺が言葉を発することはなかった。
中学時代の奈々子さんは明るくて気さくで誰とでも友達になれる子であった。
俺にとっての奈々子さんの印象はそこで止まっている。
まさか奈々子さんがあんなに地味で暗い子に変わっているとは思わなかった。
遥と一緒にいることさえ気が付かなかった。
……なんで奈々子さんはカラオケに来なかったんだ? ……あの時の俺は、ただ騙されたと思っていた。もしかしたら、何か理由があったのか?
俺は歩きながら考える。
心の奥で『やめろ』『傷つくだけだ』という声が聞こえる。
あれはただの悪意だ。俺の反応を面白がっただけの行為だ。中学生の悪ふざけだ。
だけど俺の足は止まらない。――大丈夫だ。それが悪意だったとしても、もう俺の隣には大切な人がいるんだ。過去の事実に立ち向かえるんだ。
咽び泣く奈々子さんの前に俺は立った。
奈々子さんは人影に気がついて視線を上げる。
化粧もして無くて、ボサボサの髪、それに卑屈な目つきが印象的だ。ボロボロの靴は泥だらけで……、それを見ると俺の心が無性にざわつく。
「……え? な、なんで? え、や、やだ、わ、わたし、見られちゃった……」
奈々子さんは俺を見て取り乱していた。
そして、自分の姿を見られている事に恥じている様子だ。
義妹の遥の時と一緒であった。何故か俺は言葉が勝手に出ていた。
「……風邪を引いてしまう。これを使え」
何故か言葉が強くなってしまう。今の俺の複雑な感情を表しているみたいだ。
俺は自分のカバンに入っていたタオルを奈々子さんの前に出した。
奈々子さんは怯えているだけで、それを取ろうとしない。
俺は強引にタオルと奈々子さんに渡した。
「拭かないと俺が困る。だから拭いてくれ」
奈々子さんはタオルを見つめて……笑っていた。面白おかしくて笑っているわけではない。自分を笑っているんだ。
「あ、あはは……、み、惨めだもんね。し、仕方ないよ。わ、私、きもいし、誰も信じてくれないもんね……」
信じてくれない? 一体彼女に何があったんだ? だが、そんな事よりも本当に風邪を引いてしまう。
「早く――」
「私、新庄君の事馬鹿にしてた。痴漢疑惑や嘘告白があって、一人で殻にこもっていた新庄君を馬鹿にしてたんだ。見てるとイライラしてたの。言い訳の一つでもすればいいのに、さも自分が悪いっていう顔をして達観している新庄君をみて」
くぐもった声で奈々子さんは突然喋り始めた。
奈々子さんの言っていることが中学の時のことだとわかった。
俺はあっけにとられて何も言えなかった。
「そ、それで、少し意地悪しようと、カラオケに誘って……、馬鹿な新庄君はのこのこカラオケに来て、それで私に騙されて……、うぅ、それで、だから……、とにかく私は新庄君を傷つけようとしたの。だから全部私が悪いの……」
違和感に気がついた。疑問が頭に浮かんだ。
なんで奈々子さんは自分が悪役になろうとしているんだ?
「だ、だから……、わ、私の事を恨んでいいから……」
続く言葉は全く予想していなかったものだ。
「――は、遥と、仲良くしてあげて……」
なんでこんなにも痛々しく見えるんだろう。
その言葉が本心から発していると感じる事ができた。
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