バレーとは
球技大会は来週の金曜日にある。
普段ならそんなに気にするようなイベントではない。……だが、今回の球技大会は何かが変わるきっかけになるかも知れない。
……もしも試合に出たとしても、きっと良い経験になるだろう。
というかそう思わないと乗り越えられないような気がしてきた。
俺とあんりは、どぎまぎしている遥に連れられて体育館に来ている。
テスト明けだから部活は再開されている。
広い体育館にはバレー部やバスケ部が熱心に練習をしていた。
「え、えっと、ま、まずはバレーを見てもらうのが一番いいよ、と思います」
遥の変な敬語を聞きながら、俺達はバレー部を見学する。
バレー部員はバレーボールを巧みに操り、コートの中を駆け回っている。
……以外とネットが高いな。
「バ、バレーはローテーションでどんどん位置が変わるの、です。ル、ルールは……」
「遥さん、ルールは一応本で覚えているから大丈夫だぞ。……でも、こんなに激しいんだな」
「ひゃい!? え、えっとね、球技大会はもっとゆるい感じだと思うよ、です。じょ、女子はガチ勢が男子に比べたら少ないし……、それに、ネットももう少し低くなると思う、ます」
俺は見ていられなくなり、口を挟んだ。
「遥、変な敬語はやめよう。……まあ俺も変な敬語を使っていたが、遥が無理して使うことない。普通にしていろ」
「う、うん、が、頑張ってみる……」
俺たちが体育館の隅でそんな事を話していたら、上級生のバレー部員がこちらに向かってきた。短髪の女子生徒は爽やかな笑顔で遥にハイタッチをする。……こ、これはリア充の雰囲気が……。
「おーい、遥ちゃん! なになに、今日はうちの練習手伝ってくれるの?」
「センパイ、こんちわっす! えっと、きょ、今日は色々お世話になった人にバレーの説明をしてるっす。……あ、あの体育館の端っこ借りてもいいっすか?」
「うーん、そうね、遥ちゃんならいっか。なら一回だけ練習付き合ってよ? 遥ちゃんレベルのスパイクを打てる子がいないからさ」
「は、はい、す、少しだけなら……」
遥は俺たちの顔をちらりと見た。俺とあんりは、行ってこい、と頷く。
とりあえず遥の練習? が終わるまで待つことにした。
遥は制服姿だけど、下にはスパッツを履いているようであった。
なんと、そのまま練習に参加しようとしていた。
体育館にいる男子の視線が遥に集中しているのがわかる。
俺は遥が制服姿でコートに行く前に呼び止めた。
「……は、遥。その姿でバレーをするのか? その、と、飛んだらスカートが……」
「え、で、でも下はスパッツだし……」
「駄目だ。ちゃんと体操服に着替えろ。ほら、男子生徒が野獣みたいな目みてるだろ? ……遥は天然で見た目だけは可愛らしいから隙をみせるな」
「ほ、ほえ!? お、おに……、う、うん、ちょ、ちょっと着替えてくる」
遥は体操服を持って走って更衣室へと向かった。ものの一分で着替えて出てきた。
俺は胸をなで下ろす。なにやら男子生徒から厳しい視線を感じた。
「――俺は遥の兄だ」
俺はそういいながら周囲を冷たい目で見据えた。
兄という言葉が効いたのか、視線は消えてなくなった。
練習に参加した遥は驚くべき身体能力を見せた。
バレー部員に匹敵……いや、素人目に見ても先程声をかけてくれたバレー部部長に引けを取らない。
小さな身体がぴょんぴょん飛び跳ねる。力強いサーブがコートに突き刺さる。
ブロックを突き破りながらアタックが面白いように決まる。
……な、なんだこいつの身体能力は? ……学校ではほとんど関わりがなかったから、こんな遥を知らなかった。
俺は、全然遥の事を知らなかったんだな。
過去の出来事が頭に駆け巡る。だけど、楽しそうにバレーをしている遥を見たら、そんな事は霞んできた。
あんりが隣でぼそっと呟いた。
「……う、うぅ、遥さん、すごく可愛い。……真君と一緒に住んでいたなんて……羨ましい……」
口を尖らせているあんりが可愛かったから、俺はその呟きを聞き流すことにした。
「――っと、こんな感じだよ。バレーって難しいんだよね」
息も切れていない遥が少し照れくさそうに戻ってきた。
手にはボールを持っている。そのボールをあんりにふんわりと投げてきた。
「うわわぁっ!?」
あんりは驚きながらもそれをキャッチする。
「し、篠塚さん、まずは頭の上で手のひらで三角を作ってトスの練習するよ。あっ、じ、時間大丈夫?」
今日はテスト明けだからまだ時間はある。あんりはボールを見つめながら頷いた。
「う、うん、お願い」
だが、俺はここでまた男子の視線を感じた。さっきの遥の比ではない。
制服姿のあんり、体操服は持ってきてない。そんなあんりがスカートでバレーをしたら……。
俺は思わずあんりの腕を引いた。
「あ、あんり、だ、誰も見ていない校舎裏で練習しよう。ここだと部活動の邪魔になる――」
「あ、そうだな。遥さん、校舎裏に行こ」
なにやら今度はバレー部女子から視線を感じた。
ニヤニヤと俺を見ている。嫌な笑い方じゃないから気にしなかったが、何故だ?
俺は気にせずあんりの腕を引いて、体育館から出るのであった。
うん、やっぱり誰もいない所の方が落ち着く。
俺はあんりと遥が練習している所を見ながらそう思った。
ボールを返す度にあんりのスカートがゆらゆらと揺れるが鋼の意思でそちらには目を向けないようにする。
あんりは背が高い。遥が投げるボールをキレイなトスで返す。
初めはあらぬ方向に行っていたが、何回か繰り返すうちにうまくできるようになった。
……運動音痴とは? もしかして、体育の授業に真面目に参加しなかっただけで、身体能力は高いのでは?
そのうち遥はあんりにレシーブを教える。あんりの腕が少し赤くなる。
俺はそれを見ると、大丈夫か心配になってしまった。
「そ、そろそろ練習はいいんじゃないか? あんりの腕も赤くなってきたし……」
俺の不安を悟らせないように口を挟む。
少し汗ばんだあんりの声は弾んでいた。ヤンキー口調なんてすっかり忘れている。
「大丈夫だよ、真君! へへ、なんか面白いよ! 球技って全然したことないから新鮮だよ!」
「そ、そうか……、な、ならいいが、怪我には気をつけるんだ」
俺たち作家は手が命だ。もしもあんりが怪我をしたら……
そんな事を考えるだけで俺の中で不穏な空気が漏れ出す――
「お、おに、だ、大丈夫だよ。ボールに慣れてもらうために軽い練習だから……」
俺は頷いて一歩引いた。心を落ち着けるためにスマホでメールチェックをする。
あっ、そうだ、今のうち冴子さんの校正を少しだけ見ておくか。
俺は冴子さんから送られた原稿ファイルを開いた――
思わず声を漏れてしまった。
「な、なんだと……、こ、これは……」
俺はその場で膝を付いてしまった。WEB版から自分なりに改稿と加筆をして冴子さんに送った。修正箇所は少ないだろうと思っていた。
だが――
「あれ? 真君どうしたの?」
「おに……、だ、大丈夫?」
俺の様子がおかしいのに気がついたのか、二人は練習を中断して俺に駆け寄った。
「だ、大丈夫……ではない。いや、大丈夫だ。ああ、これは試練だ。問題ない、これを乗り越えて……」
俺はあんりにスマホを見せる。スマホには修正箇所で真っ赤に染まった原稿が写し出されていた。
あんりは頭をかいて俺に言う。
「あー、そ、それは仕方ないよ。……わ、私の初稿よりも全然少ないって。ね、多分どの先生もみんなそんな感じだよ?」
あんりが俺の背中をさすって慰めてくれる。
そうか、これが普通なんだな。……俺は甘く見ていた。スムーズに出版できると思っていた。それに修正箇所を見ると、冴子さんの力量が伺える。文句のつけようがない修正だ。
遥がオロオロしながら、座り込んだ俺を覗き込む。
「お、おに……、だ、大丈夫? お、お腹痛いなら保健室へ……、あっ、胃薬あるよ! あわわ、あわわ、ど、どうしよう、おに、ちゃんが死んじゃう……」
そ、そんなに顔色が悪く見えるのか……。
俺は遥に心配かけないように、遥の肩を軽く叩いて立ち上がった。
「大丈夫だ。ちょっと想定外の事があっただけだ。……あれだ、遥はお父さんとおかあさんから聞いてると思うが、今度出版する小説の修正があって……」
「あっ、そ、そう言えばお母さんが言ってたけど、遥、誰かに言いそうになっちゃうから忘れていたよ!? ……えっと、うん、ちゃ、ちゃんと出版するまで忘れるね!」
遥はパンッと自分のお尻を叩いた……。小気味よい音が校舎裏に響く。
そ、それで忘れられるのか? こ、こいつは一体……。びょ、病気なのか? 病院に行かせた方がいいのか? むしろ俺よりも遥の方が心配になってきた。
あんりと俺が顔を見合わせる。あんりが何故か笑いをこらえていた。
俺もなんだか笑いたくなる気分だ。
「ふえ? な、なんで笑ってるの? えっと、うん、楽しそうだからいっか! えへへ、お兄ちゃんが笑っているよ……、えへへ、ひぐ……、お兄ちゃん……ひぐ……」
何故か遥は泣きながら笑っていた。
自分の感情の処理がわからないのだろう。
そう言えば、お兄ちゃんって呼ばれるのは久しぶりだな。
そんな事を考えながら、俺は遥の泣き笑いを見ていた。
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