繋がりは消えない


「あら、おはよう真。今日もすぐに行くの? ご飯くらい食べて行けばいいのに」


「うぅぅ……おはよう、お兄ちゃん……。寝すぎて……記憶が全然ないよ……、なんか大切な事を……」


 いつもと変わらない朝の風景。

 お義母さんは義妹を見てため息を吐いた。

 俺はいつも通りお辞儀をして、リビングを出ようとした――が、俺は足を止めてしまった。


 ――俺は未成年者だ。書籍化の件を進めるなら親の承諾が必要だ。


「あら、どうしたの?」


 年齢としては小綺麗なお義母さんが首をかしげた。

 俺が足を止めたからだ。いつもならすぐにリビングを出る。


 一瞬だけ目を瞑る。過去のお義母さんの言葉を思い出す。

『――痴漢なんて本当に……言葉も出ないわ』

『噂とか関係ないのよ。してなくても事実になっちゃう世の中なのよ』

『はぁ〜〜、お願いだから問題起こさないで。今度は暴力事件?』

『あなたは同級生を助けただけ? 証言してくれる人がいないでしょ?』

『お父さんは口を挟まないで! あなた全然子育てしてないでしょ!』

『家族に迷惑をかけないで――』


 決して悪いお義母さんではない。どこにでもいる普通のお義母さんだ。嫌なママ友と表面上付き合わなければならなくて、家事や子育てを精力的にこなす。

 全てを完璧にこなしたい。子育てを間違えたなんて……ママ友から言われたくなかったんだ。彼女のプライドが許さない。


 お義母さんの正論は人を追い詰める。心が疲弊する。逃げ場がない。本人は絶対理解出来ないかも知れないけど……、俺も、義妹も、お父さんもそれを知っている。


「……はっきり言いなさい。いつまでもウジウジしてないで」


 やはり想像がつかない。俺が小説を書いている事を、書籍化したい事を伝えたらどうなる?


「いえ、気のせいです。行ってきます」


 身体だけは大きくなっても、高校生は未成年だ。

 子供である。社会的な信用がまるでない。


 ――冴子さんに会うのは今日だ。まだ時間はある。学校で考えよう。




「お兄ちゃんーー!! いってらっしゃい!! 草餅っ!!」


 義妹がいきなり叫んだから、身体がびくっとなってしまった。

 ふわりと何かが飛んできた。それを落とさないようにキャッチした。


 いつもは一緒に行くだとか言うのに……見送るだと?


「あ、ああ、草餅? は、遥さん、行ってきます? え、ち、遅刻しないで下さい」


 義妹はパジャマ姿で、ジャムやら食いカスやらを口の周りにつけて、大口をあけた笑顔で俺を見送った。

 手をブンブンと振り回している。


 俺は気にせず玄関をドアを開けて外に出た。

 玄関のドアを突き破るような大声が聞こえてきた。


「お母さーーん!!!! お兄ちゃんが、お兄ちゃんが私の心配してくれたよーーーー!!」


 そうなのか? 思わず口に出てしまっただけだ。

 俺は義妹の事は頭から追い出して歩き始めた。最新話のプロットを考えながら……草餅に齧りついた。



 




 ******************




「というわけで、うちのクラスの問題児二人。お前ら友達になったのか?」


 帰りのHRが終わると、俺と篠塚は職員室に呼び出された。

 特に悪い事をしたわけじゃない。学校の職員室はあまり好きじゃなかった。

 中学の時に何度も呼び出されて……叱られた。


「友達じゃないです」

「ちげーよ、ったく」


 先生は俺達の反論を無視して話を進める。


「そうか、まあどうでもいい事だ。全く、頑固な奴らだな。……いいか、私は別にお前らにおとなしくしろなんて言わない。問題を起こすな、とも言わない。所詮私はただの担任だ。それでも家族以外の身近な大人だ。アドバイスくらいくれてやる」


「よくわかんねーよ。先生は何が言いたいんだ?」


 篠塚は眉をひそめた。先生の話の意図が見えないのは俺も同じである。

 先生はお茶を飲みながら話を続けた。


「……この世の中は理不尽な事が多い。学校はこの社会の縮図だ。……友達を作れとは言わん。クラスメイトと仲良くしろとは言わん。……数人でいい、いや、一人でもいい。本当に信じられる奴と出会え」


 先生は俺達を叱るために呼んだんじゃないのか? 中学の時の悪い噂を聞いて釘をさす、とか。


 俺も眉をひそめてしまった。


「先生、申し訳ないですけど、信じたら裏切られます」


「そ、そうだ。どうせ最後は裏切られる……、だったら友達なんていらねーよ」


 先生は机の上にあった飴を俺と篠崎に放り投げた。

 俺達は慌てもせずにキャッチする。


「ふふっ、懐かしいな……。そうだな。裏切られても構わない、って思える奴ができるといいな――」


 先生は穏やかな顔であった。懐かしい記憶に想いを馳せているのだろうか? 俺は先生の事を知らない。……少しだけ興味が湧いてきた。そんな顔をできる人はあまり見たことがない。


「裏切られてもいい?」


「え、意味わかんね」


 俺と篠崎はお互い顔を見合わせてしまった。


「ば、ばっか! み、見るんじゃねーよ!?」

「いやいや、ぽ、篠塚。見てないって」


 先生は話は終わったとばかりに、机の上の書類を整理し始める。


「ほら、もう用はない。さっさと出てけ。遠足、絶対来いよ。来なかったら強制的に赤点付けてやる」


 教師の顔に戻った先生は、そんなセリフを吐いて俺達を追い出した。




 **************





 俺達は職員室を出た。

 遠くから部活の声が聞こえる。放課後の雰囲気であった。


 俺達は何も言わずに顔を見合わせる。

 意味のない話……だと思えなかった。


「結局、遠足を休むなって事か? よくわからん……」


「ああ、なんだったんだろ?」


 俺もポメ子さんも先生から何かを感じ取った。それが何かよくわからない。言葉に出来ない。

 ポメ子さんは俺に何か言いたそうであった。


「なあ、にゃん――」




 ポメ子さんが言葉を切った。誰かの声が割り込んだ。


「あ、あの……、真君? そうだよね? ひ、久しぶり。ね、ねえ、私、ずっと真君と話したくて――」


 振り向くと、ポメ子さんの視線の先には、地味な女子生徒が立っていた。

 足が震えている。両手を胸に当てて悲しそうな顔をしていた。


 俺は首をかしげる。


「君は……誰?」


 全く覚えがない。記憶に無い女子生徒だ。同じクラスの女子か? いや、それなら少しでも覚えているはずだ。地味だけど、客観的にみて可愛らしい部類だろう。興味がないけど。


 女の子はショックを受けた顔をしていた。


「そ、そんな……。ねえ、意地悪しないでよ。……わ、私、如月だよ。全然変わってないのに……」


 ポメ子さんは一人でフードコートへ向かうと思ったが、廊下の壁に寄りかかっていた。

 俺は女子生徒の顔をよく見た。……如月さん、こんな顔だったっけ?

 全く覚えていない。スマホのデータを消した時、如月さんの事は全て忘れようとした。


 偽物の笑顔が顔に張り付く。


「如月さん、お久しぶりです。それでは失礼します」


「ま、真君、わ、私、嘘告白じゃなかったの! 本当に好きで告白したけど……、友達が悪ふざけして……。ねえ、私達やり直せないのかな……。私、今でも……真君の事――」


「失礼、罰ゲームでしたよね?」


「あ、うん……、で、でも」


「なら、俺達は付き合ってなかった。友達でも無かった。俺を見て笑っていたんでしょ?」


 何だ? いつもだったら流せるはずなのに、どうしても流せなかった。

 心が空虚な事には変わりない。心に何も響かない事は変わりない。


 だけど、嫌だった。

 ……ポメ子さんの目の前でこんなやり取りをするのが。


 気持ちが抑えきれなかった。流せばいいのに否定したかった。


「あ、謝ります! だから、行けなかった水族館や映画に行きませんか? お、お願いします!!」


 俺は一言だけ呟いた。


「――今さらもう遅いって……」


 端的な一言だけど、俺の今の気持ちが全て込められている。

 それでも如月さんは俺に迫って来た。


「わ、私だって嫌だったんです! でも友達付き合いもあったし……、少しは同情してくれてもいいじゃないですか! ま、真君だけじゃなくて私だって可哀想なのに……」


 あっ、この子は自分が一番大切なんだ。

 可哀想と言っている自分に酔っている――

 地味な見た目からは想像出来なかったけど、もしかしたら斉藤さんよりも宮崎よりも――義妹なんかと比較にならないほど、厄介な相手かもしれない。


「す、少しカッコよくなったからって、調子に乗らないで下さい! ひっく、ひっぐ」


 この場を早く去りたかった。如月さんは泣きながら俺に抱きついて来ようとした。絶対身体に触れたくなかった。誤解や冤罪はもうごめんだ。





「おい、そこまでだ。新庄は私と遠足の打ち合わせがある。外野は引っ込んでろ」


 ポメ子さんが身体を割って入ってくれた?


「むぎゅ……、あ、あなたなんですか! 今は私と真君が話しているんですよ!」


「あん? おかしいな? 私と新庄が話していたところに割って入ったのはお前だろ? だからお前が外野なんだ。――どけ」


 ポメ子さんは静かに、諭すように、如月さんに言い放った。


「ひ、ひえ……、や、やめて……」


 ポメ子さんはため息を吐いて肩の力を抜いた。

 いきなり俺の手を掴んだ。ジャージ越しじゃない。直接、手を掴んだ。


「新庄行くぞ」

「あ、ああ」


 如月さんを避けるように俺を引っ張って廊下を通り抜ける。

 俺達が通り過ぎると、泣き声がピタリとやんだ。チラリと後ろを振り返ると、如月さんは恐ろしい形相で篠塚を睨みつけていた。


 ポメ子さんは大股で俺の前を歩く。顔は見えないけど、首の辺りが赤くなっている。

 結局、手を繋いだまま下駄箱に着いてしまった。


 靴を取り出すためには手を離す必要がある。

 俺とポメ子さんは顔を見合わせて――手を離した。


「……お、お姉ちゃんとの約束が遅れるだろ? ったく、にゃん太がはっきりしねーからだ」


「いや、あれは話聞いてないだろ?」


「そうだな。あれはヤバい女だ」


 俺とポメ子さんは靴を履きながらも、恥ずかしさを紛らわすかのように喋り続ける。


「ほら、さっさと行くぞ」


「ああ……」


 俺は自分の手を見た。人の温かさが手に残っている。それがひどく新鮮であった。嫌じゃなかった。

 もうお互いの手は離れている。……でも、何故か今も手を繋いでいるような錯覚に陥った。


 ポメ子さんは意地悪な口調で俺に言った。


「ふふ、なんだ。手、繋いでほしいのか?」


 俺は小さく首を振った。


「大丈夫、ポメ子さんが恥ずかしがるから遠慮するよ」


「て、てめえ……」


 俺達はショッピングセンターに向かって歩き出した。

 いつもとは違う。


 二人で一緒に話をしながら歩いた――

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