嘘告白は遊びじゃない


「真、あなた大学はどうするの? 進学校に入学できたはずなのにわざわざレベルの低い高校に入って……、お金の事は心配しなくてもいいのよ」


 義妹とお義母さんがテーブルを囲んで朝食を食べている。

 義妹は寝ぼけた顔でパンをもぐもぐと齧る。


 俺はすでに制服に着替えて登校しようと思っていた。


 家族と一緒に朝食を食べることはない。

 沈黙と重苦しい空気に苛まれるだけだ。


「……いえ、前に言われた通り、卒業したら家を出ます。これ以上迷惑はかけられません」


 お義母さんはまた苦い顔をした。

 俺は今でも覚えている。

『子供二人もいたら学費も大変……、一人は問題ばかり起こすし』

『女の子に暴力を振るう子なんて、うちの子じゃありません!』

『あなた、今度は痴漢を……、ああ、なんで……もう……、早く出て行って欲しいわ』


 子供の頃に言われた事だ。

 言葉は心に刺さる。抜けない棘になって、芯から腐敗していく。


 お義母さんは苦い顔をする。


「あ、あれは叱った時のたとえよ。……あなたはうちの子なんだから、遥の手本になるようにしっかりなさい。お兄ちゃんなんだから――」


 ――お兄ちゃんなんだから。


 俺はこの言葉にどれだけ心を砕かれたのだろうか。

 ……大丈夫。今は何も感じない。


「……はい、了解しました」


 寝ぼけている義妹がパンのカスをこぼしながら呟いた。


「うー、なんか昨日の記憶が……、寝たら忘れちゃった……、うぅ、眠い。……お兄ちゃん、家を出るって……どこか旅行に行くの?」


 お義母さんが引き気味の顔をして義妹の口を拭う。

 それは子供を世話するような仕草。まるで高校生として扱っていない。


「あなたは気にしなくていいのよ。ほら、遅れるから準備しなさい」


「ふぁーい……、あ、お兄ちゃん、先行かないでね……」


 俺はカバンを持ってリビングを出た。







 登校時間は嫌いではなかった。

 大勢の生徒がいるから知り合いに会う確率が減る。喋りかけられる事もない。


 俺の周りには誰もいない。

 大勢の生徒が同じ学校を目指して歩いているのに。

 不思議な感覚に陥る時がある。

 このまま異世界に行けたら――どうなるんだろう?


 だから、俺は小説を書き始めた。


 今朝は普段よりも少しだけ気持ちが違った。

 いつもはスマホなんて見ないのに、無性に小説サイトのマイページが気になった。

 期待しているわけじゃない。好きで書いている小説だ。


 気がついたらマイページを確認している自分がいる。


 ――通知は来ない、か。


 メッセージなんてそうそう来るものじゃない。でも、昨夜のポメ子さんのメッセージが俺の心を落ち着かせてくれた。





 校門に着く時であった。

 幼馴染の宮崎静と見知らぬ女子生徒が誰かを待っていた。


 思わず足を止めたくなった。自分に言い聞かせる。

 大丈夫、何が起こってもここは大勢の人が見ている。


 視線を感じる。気が付かないふりをする。

 それがまかり通る世の中だ。このまま通り過ぎて――


「ま、待って、真! は、話がしたいの! ちゃ、ちゃんと私の気持ちと向き合って!!」


「だよね〜、えっと、真君だっけ? 私、静っちの友達の黒澤桃くろさわももって言うんだけどさ。……ていうか、あんた何笑ってんの? 静っちが真剣にあんたと向き合いたいって言ってんでしょ」


 どうやら偽物の笑顔だけでやり過ごせないようであった。

 ……登校中の生徒から好奇の視線を集めている。


 宮崎は客観的に見てモテる女の子だ。可愛いだけ、だ。


 宮崎は悲しそうな顔で俺を見つめる。きっと男子はそんな顔をされたらメロメロになってしまうんだろう。


「う、嘘告白なんて私しないよ……、ねえ、色々あったのは知ってるけどさ……、もう過去の事だから前を見よ? こ、今度私と一緒に映画でも見ようよ? きっと気分も晴れるよ」


「全く、静っちは本当にいい子だね〜、超可愛い!」


 宮崎にじゃれる黒澤。いきなり声が低くなった。


「ていうか、あんた本当に何様? マジ意味わかんないって。昔の事なんてどうでもいいじゃん! あんたが暴力振るったり、痴漢疑惑があったとしても静っちは好きって言ってくれてるんだよ? 嘘告白って……はぁ〜、頭おかしいじゃん」


「も、桃ちゃん、わ、私はいいんだよ……」


 この子の言葉が身体に入ってこない。

 何故俺は見知らぬ女子にここまで言われなければならない? 

 心に何も響かない。

 挙げ句、宮崎は俺の疑惑を否定しようともしない。


 ――好意ってなんだろう?


 嘘告白の辛さは、当事者にしかわからない。


 


 ***********




 あれは奈々子さんに出会う前であった。

 俺はおとなしく中学生活を過ごしていた。

 斉藤さんの事件が尾を引いて、誰とも話さない日々を送っていた。


 ある日、俺は女子グループから呼び出しを食らった。

 向かった先には……斉藤さん事件が起きる前に、たまに話していた女子生徒がいた。

 彼女は……確か……如月さんだ。お互い地味だから気が楽だった覚えがある。


 如月さんはどうしていいかわからない、という顔をして立っていた。

 そして深呼吸をして――俺に言った。


「……ずっと前から――好きでした。わ、私と付き合って下さい……。お、お願いします」


「え、お、俺? だ、だって、俺は……悪い噂がたくさんあって……嫌われてて……」


「……私は信じてます。お願いします、友達からでもいいので」


 如月さんは深々と頭を下げる。

 もちろんその時は彼女の事が嫌いではなかった。だから――俺は――


「……えっと、友達からか……大丈夫かも……、うん、そうだね……、俺――友達からお願いします」


 俺が返事をすると、如月さんは安堵の笑みを浮かべていた。

 きっと、告白で緊張していたんだ、と思っていた。

 全て俺が間違えていたんだ。



 俺達はメッセージで連絡を取り合ったり、隠れて一緒に帰ったり……浮かれていたんだ。

 初めてのデートの日。俺は緊張で胸がバクバクしていた。


 待ち合わせ場所に着くと――そこにはクラスの女子グループがいた。


「マジ如月有能じゃん」

「すっげ、落としやがったよ」

「きゃはは、『明日楽しみにしてるよ』って、キモ」


 その後ろに如月さんが困惑した表情で立っていた。


「あ、あの、真君……、ご、ごめんなさい」


「そうだ、言ってやれ如月」

「もう種明かししちゃうの?」


 俺はこの時理解した。俺は騙されていたんだ。如月さんの言葉でそれが決定的になった。


「ば、罰ゲームで……、こ、告白を――、で、でも、真君の事は――」


 斉藤さんの時に破壊された恋をするという心。少しだけ身体に残っていたそれが――完璧に砕け散った。


 楽しみにしてた水族館、映画もいく予定だった。中学生だから遅くまで一緒にいられないけど、一杯お話するのが本当に楽しみだった――


 ――甘い自分が許せなくなった。


 胸の奥から何かがこみ上げてきそうであった。

 それを見せたくない。


 俺は無言で彼女たちに背を向けて立ち去った。

 後ろから笑い声が聞こえる。


 大丈夫、強くなる。

 俺は歩きながらスマホを初期化した――



 **********




「真? だ、大丈夫? 顔が真っ青――」

「はぁ、静っちは優しいね〜、それに比べてこの男は――」


 きっと彼女たちにはわからないだろう。

 宮崎さんにはこの前よりもきつい言葉でわからせるしか無いか――


 そう思うと、偽物の笑顔が段々と剥がれ落ちていく。

 心が虚無になる。


「宮崎さ――」


「おいっ、てめえら邪魔だ」


 誰かが俺の声を遮った。

 聞いたことのある声だった。口調はいつもと同じなのに、強い怒気が孕んでいた。


 黒澤さんをすごい形相で睨みつけている篠塚さんが立っていた。


「ひ、ひっ、し、篠塚ちゃん!? ちょ、待って、顔怖いって……ね、ねえ、と、友達だったじゃん? な、何もしてないじゃん!?」


 温度が下がった気がした。

 篠塚さんが一段さらに低い声を出していた。


「――友達だと? ……てめえ……どの口が……、私を――」


「わ、私は篠塚ちゃんの事信じてたよ! ほら、あんなに仲良しだったじゃん! ねえ、もう不良なんてやめてよ! ――そうだ! 静ちゃんと3人で一緒に出かけよ、なんならそこの真君もさ!」


 ――しんじてた?




 その言葉が俺の心を刺激した。

 再び意識が心に持っていかれそうになる。


「え、あ、あんた、ちょ、待って……」


「……新庄、お前は引っ込んでろ」


 それでも俺は止まらない。

 俺は淡々と言い放った。




「悪い、篠塚、お前が黙ってろ。俺が話してるんだ。……宮崎、ついでに黒澤、いわれのない中傷を受けたことがあるか? 守ったはずなのに冤罪を受けたことがあるか? 大切な人からひどい言葉を受けた事があるか? 信じていた人から裏切られた事があるか? 何も知りもしないくせに訳知り顔で話すバカは誰だ? 俺の願いは一つだ。……面倒を起こしたくない。――どうぞ、お引き取り下さい」



 俺は再び張り付いた笑みを浮かべて丁寧にお辞儀をする。




「――今さら取り繕っても遅いんだ。二度と関わるな」




 泣き声が聞こえた。

 顔を上げると、大切だったはずの幼馴染の宮崎が泣きじゃくっていた。後悔の言葉を言い放っていた。そんな宮崎を慰めながら可哀想な自分を演じている黒澤。


 篠塚さんは「ふんっ」と鼻を鳴らして教室へと向かった。


 俺は泣いている幼馴染を見ても――心に何も響かなかった。






 *******************





 教室はいつもどおりだ。

 リア充たちが騒ぎ立て、俺は静かに本を読む。篠塚さんは珍しくスマホで本を読んでいた。よほど好きな作者なんだろうか? 顔が緩んでいる。


 今朝の出来事があったとしても、俺と篠塚さんは別に喋らない。

 もしも、仲良くなったとしても――裏切られるだけだから。

 だから仲良くなる必要なんてない。

 信じられるものなんて一つもない――



 篠塚さんが小さく声をこぼした。


「……うん、よしっ」


 あまり聞いたことがないような可愛らしい声で驚いた。

 なにやらメッセージを打ち込み始めた。


 俺も篠塚さんを見てたら思わず小説サイトのメッセージが気になってスマホを取り出した。

 少しくらいなら大丈夫だろう。


 ――通知はなし、か。投稿はしたけど、きっと忙しいんだろうな。感想を聞きたかったな……。


「――ん?」


 赤文字でメッセージの通知が来た!


『今朝やっと読む時間が出来ました! 最新話すっごく面白かったです♡ う、うぅ、ハートなんて使った事ないからすごく恥ずかしいけど、それだけ面白かったです! 今朝も嫌な事があったけど、先生のおかげで元気出ました! 更新頑張って下さい! ポメ子♡』



 全身の身体から力が抜けた。……良かった。楽しんでくれたんだ。

 俺も返信をしよう。……いや、直ぐに返信をしたら嫌がられるかも知れない。

 でも……この気分のまま返信したい。


 俺はお礼と今後の更新の予定を返信した。硬い文章だったかも知れないけど、これくらいが丁度良い。


 ――送信っと。


 篠塚さんから視線を感じる。珍しいな。

 メッセージを打ち終わった俺は、篠塚さんを横目で見た。


 篠塚さんはスマホを凝視していた。

 そして、眉間にシワを寄せながら俺をチラ見する。

 手は何やら動いていた。


 ――なんだ? 敬語で喋らなかったから変だと思ったのか? あ、またメッセージが来た。


『……もしかして?』 


 ――もしかして? って、一体?


 俺は首をかしげる。……スマホ……、もしかして……。

 目を見開いて篠塚さんを見つめた。

 篠塚さんのスマホカバーには、ポメラニアンのキャラクターが描かれていた。



「「――え」」



 俺たちは真顔に戻って前を向いた。



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