地雷
扉を閉めた後、俺はほんの少しだけ後悔した。
――流す事が出来なかった。
適当に返事をしていれば良かったのに余計な一言を言ってしまった。
後悔しても仕方ない。
「あんた、そこどきな――」
目の前に篠塚さんがいた。道を塞いでいる俺を睨んでいるような目つき。
だけど、俺にはわかる。彼女は睨んでいるわけではない。お願いしているだけだ。
「失礼……」
俺が脇によけると、篠塚さんは教室へと入っていった。
きっと忘れ物でもしたんだろう。
俺は斉藤さんが出てくる前に視聴覚室へと向かった。
昼休みは自分の机で昼食を食べながら本を読む。
斉藤さんの事を気に病んでいても仕方ない。忘れよう。
本を読んでいると話しかけてくる生徒はほとんどいない。
クラスの喧騒が好きじゃない、本当は屋上とかで食べたいけど立ち入り禁止だから仕方ない。
それでも、他のクラスへ遊びに行く生徒や中庭に移動する生徒が多いから、意外と教室の生徒の数は少ない。
相変わらず俺と篠塚さんの周りだけ静かであった。
斉藤さんは落ち込んでいる雰囲気だったから、リア充友達がしきりに慰めていた。
どうやら斉藤さんが俺の事を言い触らした様子は無い。
だが、さっきからリア充男子から視線を感じる。
俺の知っている種類の視線だ。疑惑と歪んだ正義感……それと嫉妬?
――寝てやり過ごそう。
本を閉じて寝ようとした時、名前も知らないクラスメイトの女子が俺に近づいてきた。
「ね、ねえ、新庄君。わ、私も一緒にご飯食べていいかな? あっ、もう食べ終わっちゃったんだ。なら、お話しよ!」
これも地雷の一種だ。仲良くなろうとして、最後に落とす。
中学の時にもあった。
あれは寒い冬の日であった。
一人でいる俺に話しかけてくる女子生徒……名字は忘れた、自分のことを奈々子と言っていた。斉藤さんの件があって、俺は周りから嫌われていて、心を閉ざしていた。
その奈々子さんは休み時間のたびに俺のところへやってくる。
周りの生徒はみんなその子を止めた。――お前も襲われる、痴漢される、騙される、暴力を振るわれる。
だけど、名字も忘れた奈々子さんはニコニコしながら俺に関わろうとする。
俺はいつの間にか、明るくて屈託のない彼女に自分の境遇を少しずつ話していた。
……好きになるとかではない。そんな感情はあの時抜け落ちた。ただ孤独が辛かっただけなのかも知れない。
ある日カラオケに誘われた。
俺は躊躇した。密室で男女が二人。また悪い噂が出てしまう。
彼女は友達を連れて行くと言った。
俺はもしかしたら普通の生活に戻れるのかも知れないと思ってしまった。
そう、甘かったんだ。心を緩めちゃ駄目だったんだ。
「お前が奈々子にちょっかいかけてる奴? 陰キャじゃん? きもっ」
「奈々子? マジで来るかと思ったのかよ?」
「ていうか、とりあえずカバンの中の出せよ。俺達が遊んでやんよ!」
なるほど、俺は何度も裏切られる。
指定されたカラオケボックスに行ったら、チャラい男たちがいた。他校の生徒だろうか?
チャラ男の一人がスマホで誰かと電話していた。
彼はスマホをスピーカーモードにした。
『あっ、新庄君も聞いてる? 私行けなくなっちゃって……、もし良かったらみんなと遊んでね! みんな良い人だから!』
聞き慣れた彼女の声であった。
なるほど、遊んで、か……。
チャラ男たちの笑い声がカラオケボックスに響く。
同じ間違いを犯す自分が嫌になる。
どうやって逃げ出したか今でも覚えていない。また家族に迷惑をかけてしまったという思いがあった。義妹に馬鹿にされると思った。
涙なんて出て来ない。代わりに、斉藤さんの時に出来た頭の古傷がズキズキと痛んだ覚えがあった。
「ね、ねえ、新庄君? 遠い目してるけど大丈夫?」
大丈夫だ。問題ない。俺はあの頃と違う。
偽物の笑みを浮かべて俺は告げる。
「気を使ってくれてありがとうございます。でも、読みかけの本が――」
「ええー、今閉じようとしてたでしょ? ねえ、話そうよ!」
彼女からは善意しか感じない。これに身を委ねてはいけない。後悔する羽目になる。
しかし、存外押しの強い子であった。名前も知らないのに。
ちらりと隣の席の篠塚さんを見る。
――俺も問題を起こさない程度に嫌われた方がいいのか?
篠塚さんは眉間にシワを寄せて迷惑そうな顔をしていた。
怖そうに見えるけど、そういう顔なんだろう。
俺は言葉を勝手に紡いでいた。
「篠塚さん、こっちは読み終わったからその本貸して下さい」
「え? し、篠塚さん?」
どうしてこんな事言ったかわからない。だけど、彼女も平穏な時間が欲しいはずだ。
「……………………ちっ、ほらよ」
篠塚さんは凄まじく嫌そうな顔をしながら俺に本を渡してくれた。
私を巻き込むな、という雰囲気が伝わる。
投げつけるでも無く、丁寧に本を扱う。
俺も自分の本を篠塚さんに渡した。
「……ありがとうございます」
俺たちはそれっきり黙って本を読み始めた。
誰もが篠塚さんに関わろうとしない。嫌われているからだ。悪い噂がたくさんある。
どれも真実なんてわからないのにみんな噂だけで人を判断する。
そんな人は近寄らないで欲しい。
名前も知らないクラスメイトの女子は、俺と篠塚さんの顔を何度も見て、友達のところへ帰ろうとした。
今思うと、俺は彼女を無視してどこかへ立ち去ればよかったのかも知れない。
自分の行動がわからなかった。
名前も知らない彼女が去ると、俺と篠塚さんは無言で本を交換した。
*************
「みゆ〜、機嫌直してカラオケ行こうよ〜」
「そうだよ、みゆちゃん! 俺がおごってあげるからさ!」
「なんかあったら俺達にすぐ言いな? 友達だから守ってあげるぜ!」
「う、うん、そうだね、みんな! カラオケ行こっ!」
リア充グループはいつも姦しい。見えないマウントの取り合いをしているように見えるけど。
――早く帰ろう。誰かに絡まれるのは面倒だ。今日は小説の更新をしなきゃ。今日の夜には更新するって近況ボードに書いたし。
聞き慣れた声が聞こえてきた。
できるなら無視をしたかった。
「お、お兄ちゃん!! 一緒に帰ろっ! ほ、ほら、お母さんに頼まれた買い物が多いから持って欲しいの!」
仮にも家族だからそんな事出来ない。また家族に迷惑をかける。
義妹の遥が教室へやってきた。
こんな事は初めてである。
だが、家の用事ならば……仕方ない。
「わかりました。買い物リストを下さい。買っておくので、遥さんは先に帰って下さい」
「え、あ、うぅ……、リ、リストは……、失くしちゃったから……遥の頭の中にあるの! うん、だから一緒に行こ!」
疑問に思うのも時間の無駄だ。早く終わらせよう。
「……了解しました」
俺は席を立つ。
男子からの視線が痛い。どうやら見てくれの良い義妹と一緒に出かけるのを嫉妬しているみたいだ。
非常に面倒である。
いつからだろうか? 成長期で背が伸びて、家族に迷惑をかけないようにするために、清潔感を心がけて、真面目に学校生活を送る。趣味の小説を空いた時間に書く。俺はそれだけしかしてない。
その頃から、面倒な嘘告白や地雷が増えた。そして、今もそうだ。
男子の嫌な視線が刺さる。
俺は偽物の笑顔を彼らに向けると、視線の圧は弱くなる。
そう、流すことが大事なんだ。
俺達は学校を出た。
俺は義妹の数歩後ろを歩く。
『犯罪者と並んで歩くと遥まで悪い子だと思われちゃう。離れてよ!』
『痴漢は汚いから近づかないで!』
『変質者と同じ屋根の下なんて……、遥、可哀想……』
義妹と距離を取らないと俺がお義母さんに怒られた。
義妹も癇癪を起こすように暴れた。
「ね、ねえ、な、並んで歩いてもいいでしょ? な、なんでそんなに離れるの?」
だからこの距離が最適だと認識している。
義妹が足を止めると、俺も止まる。
義妹が俺に近づこうとすると、俺も離れる。
「……やっぱムカつく」
「すみません、お義母さんに怒られるので」
お義母さんの名前を出すと、義妹は苦い顔をして再び歩き始めた。お義母さんとそっくりな顔であった。
「ね、ねえ、私も一つ持つよ。お、重たいでしょ?」
俺は義妹から聞いた買い物リストを頭の中に入れて、義妹とは別行動でスーパーを駆け回った。買い物はすぐに終わった。
義妹は唖然とした顔をしていたが、俺の買い物はいつもこんなものだ。
「大丈夫です。遥さんに荷物を持たせると怒られるので――」
「あ、う、うん……、じゃあ行こ」
俺と義妹は再び距離を取ってスーパーを出た。
その距離感が俺にとって心を落ち着かせるものであった。
「うわぁ……、ヤンキーが歩いてるよ。……怖」
買い物袋をぶら下げた制服姿の篠塚さんが前から歩いて来た。
珍しくスマホを片手に嬉しそうである。
「ねちゃっとした笑いが怖……、あれ? うちの制服?」
篠塚さんと俺の目が合った。睨みつけるような視線。……近眼なのかいつもどおり眉間にシワが寄っている。
俺は普段通り偽物の笑みを浮かべようとした――
が、出来なかった。
理由はわからない。
真顔になってしまう。隠したくなかったのか?
――俺達はただ通り過ぎた。
挨拶も何もない。視線を交わしただけ。
適切な距離感だ。
「ね、ね、お兄ちゃん、うちの学校だよ? あ、噂のヤンキー女子だ! すごい目つきだったね! ていうか、ヤンキーって……ダサ」
「…………」
「え、何? 聞こえないって! もっと近づいてよ!」
義妹の言葉がひどく耳障りだった。
公園を通り過ぎた。
「ねえねえ、お兄ちゃん! 懐かしい公園だよ! ほら、一杯遊んだじゃん!」
「……帰りましょう」
「えー、ほら、昔みたいに遊ぼうよ!」
義妹は公園へと入っていった。
俺はため息を吐いて後に続く。
「わわ、懐かし〜、ここでお兄ちゃんと一緒に砂のお城作ったね!」
「そうですね」
――記憶にはある。だが、思い出では無い。
買い物袋が腕に食い込んで痛い。早く帰りたい。小説の更新をしたい。待ってる人がいるんだ。
義妹は突然おとなしくなった。
「ねえ、おにいちゃん……。なんでだろ? 遥とお兄ちゃんが仲良くなくなったのって……」
「…………え」
思わず声が出てしまった。それくらい衝撃だったのかも知れない。
「だってさ、昔からお兄ちゃんは静ちゃんにべったりで、全然、遥の事かまってくれなくてさ……、そりゃ子供の頃は意地悪したくなっちゃったけど……」
そうか、善悪の意識の違いか。
噂を信じて俺にひどく当たる。親に嘘の報告をする。
自分の行動が人を傷つけると思っていなかったんだ。
義妹はブランコに乗って喋り続けた。
「だって、かまってくれなかったお兄ちゃんも悪いんだよ? へへ、でもね、今ならわかるんだ。お兄ちゃんの噂は間違っていたの。……こんなにかっこいいお兄ちゃんがあんな事するわけないよ! 私だけが信じてたよ!!」
義妹はブランコから飛び降りた。
ブランコがキイキイ音と立てて揺れる。
俺はそれを見続けた。
心を落ち着ける。俺は間違わない。
偽物の笑顔が浮かび上がる。
家族に強い言葉を言う権利は俺に無い。
それでも俺は――
「――申し訳ありません……、今さらお兄ちゃんと呼ばないで下さい。過去の出来事が消えることなんて無いです。……遥さん、帰りましょう」
義妹はキョトンとした顔をしていた。
どうやら俺の言葉が伝わらなかったらしい。
本心で過去の言動を忘れているのか?
「え、うん……、うん? ど、どういう事? ね、ねえお兄ちゃん? えっと、真君? まいっか、帰ろ!」
ある意味流す事ができたんだろう。
家族と問題が起きたら面倒なだけだ。
「すみません、冷凍物が溶けるので先に帰ります。ゆっくり帰って下さい」
「え、お、おにいちゃん!?」
俺は走り出した。腕に袋が食い込む。それでも構わない。
息が切れるまで俺は走り続けた。
物理的な苦しみの方が遥かに心地よかった。
******************
心が乱れて執筆が中々思うように進まなかった。
通知欄にメッセージが来ていた。
――メッセージがあります。
名前:ポメ子
件名:応援です!
『今日の更新だけが生きがいです! 超楽しみにしてます! へへ、私って学校で根暗だから先生の話だけが救いです……。頑張って下さい!』
そのメッセージを見た時、俺は――執筆を再開することが出来た。
心がフラットの状態になることができた。
ポメ子さん、ありがとう――
そして、夜遅く、義妹の部屋から泣き叫び声が聞こえてきた。
「ええーー!!! あ、あれってそういう意味!? な、なんで……お、おに……ぐしゅ……お……」
俺はなんとかその日のうちに投稿することが出来た。
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