前を向く
店を出ると、横の路地からなにやら騒いでいる声が聞こえてきた。
あんりが首をかしげる。
「あれ? なんか妹さんの声に似てない……?」
確かにこの街はうちから近い繁華街になる。
俺たちの学校の生徒がいてもおかしくない。それに義妹はカラオケが好きだ。
……確かに義妹の声に似ている。……気になる。
俺の足が勝手に路地へ向かおうとしていた。
あんりは俺を見て小さく頷く。
路地に入ると、私服の男女が会話をしていた。
男たちの背中に隠れて見えづらいが、確かに義妹と……知らない女の子がいた。
「ねえねえ、いいだろ? 俺達と一緒に歌おうぜ! ていうか、お前奈々子っしょ? ちょっと地味めになってね? まあいいか、ほら行こうぜ」
「そうそう、ちょっと一緒に歌だけだからいいじゃん。あっ、俺マジでアイドル目指してるから歌超うまいよ――」
「ひぃ……や、やめてよ…。……チャラ男は大嫌いなの」
「ばかっーー!! 奈々子の肩に触らないで! け、警察呼ぶよ!」
「あ、このカラオケスタッフが俺のダチなんだ。ルーム代安くなるからさー」
「いいじゃねえあ、奈々子、中学の時は一杯遊んだじゃねえかよ。同じ高校生同士なんだからさ」
「あばばばっ、は、話し聞いてよ……、誰か助けて……」
俺は心臓が跳ね上がった。
義妹の弱々しい声を聞くのなんて久しぶり過ぎてわからない。
いや、俺の言葉で義妹が泣いていたじゃないか。俺は見てみぬふりをしていただけだ。
背中にぽんっという柔らかい衝撃を感じた。
俺の身体が勝手に動いていた――
チャラ男に追い詰められている義妹と目が合った。
義妹の頭にはハテナマークが浮かんでいるように見えた。
「ねえねえ、聞いてる? 俺達と――」
「遥、家に帰る時間だ。迎えに来たぞ」
俺は男と義妹の間に身体を割り込ませた。
義妹は口を開けて呆けた顔をしていた。隣にいた友達も驚いた顔をしている。
「おい、お前邪魔すんじゃねえよ。俺たちが――」
俺はゆっくりと振り返って、男を見下ろした。
「……こいつは俺の妹だ。なにか文句あるのか?」
口が勝手に動く。心の中の壁が消えてなくなったことにより、自分が何をしているかわからなくなってきた。
俺は義妹から言葉の暴力を受けていた。
だが、そんなものは過去のものだ。過去を過去として、今に引きずるな――
ただの家族として、妹を心配する兄として――
「あ、あん? あ、兄貴だって? それが――」
「お、おい、待てよ……、そ、そいつ暴力事件の……。やべ、い、行こうぜ――」
男たちは青い顔をして逃げ去っていった。
スマホを手に持ったあんりが俺に駆け寄る。俺たちが無事な姿を見ると安堵の吐息を漏らした。きっと何かあったら警察に連絡しようとしたんだろう。
義妹の視線が宙をさまよっていた。俺に何か言おうとしているが、言葉にならずに「あり、あり、あり……」とずっと呟いている。
隣にいる女の子の友達は伸び放題のボサボサの髪で表情がわからなかった。
俺は意識的に考えないようにしていた。
今の俺は自分で何を言うか検討もつかない。
それに、俺と義妹は――、違う、もう関係ないなんて言えない。俺は前に進まなければ行けないんだ。過去を思い出して悔やむよりも、過去を過去のものとするために――
心が弱かった自分を否定する。
俺は真っ直ぐに義妹を見た。
「……良かった。特に何も無くて。お義母さんが心配する。そっちの友達と――」
俺は友達の顔を認識していなかった。違う、認識出来なかったんだ。過去を見ようとしていなかったんだ。
ディスティニーの時も、朝の登校の時も義妹の隣にいたこの子は――奈々子さんだったんだ。
顔はそこまで変わっていない。ただ地味な格好に変わっていた。
俺が奈々子さんを認識しようとしなかっただけだったんだ。
「……奈々子さんも暗くなる前に帰りな」
「え、あ……、あ、ありがとうございます……。え、と、は、遥? ど、どうしたらいいの?」
奈々子さんは身体をびくつかせて、義妹にすがりつく。
今はそれだけ言うのが精一杯だ。これ以上は俺もどうしていいかわからない。
嗚咽が聞こえてきた。
義妹は自分のお尻を自分で強く叩いた。ま、まて? 意味がわからないぞ……。
義妹は鼻水を垂らして、唇を噛み締めて必死で涙をこらえていた。
そ、そんなにチャラ男たちが怖かったのか?
「も、もうチャラ男は行ったから大丈夫――」
「……ううん……、ち、違うの……、お、おに……ま、真く、……えっと、け、敬語じゃなくて……、そ、それ、に、妹って……、遥って、言ってくれ、て、でも――、喜んだら、駄目で、ごめんなさい、よくわからなくて……、だから――、た、助けてくれ、て、ありがとうございましゅ……」
義妹が俺に向かって頭を下げた。隣にいる奈々子さんもそれを見て頭を下げる。複雑に入り交じる感情が制御できないのか、嗚咽だけが聞こえてきた。
奈々子さんは俺を見てビクビクしていた。そこには罪悪感と後悔を感じる。だが、今はそんな場合じゃない。
「奈々子さん、義妹……遥を頼む。駅まで後ろから見送るから――」
「へ? あ、は、はい……。は、遥ちゃん、歩ける? う、後ろから見守ってくれるって。ね、行こ?」
遥はこくんと頷いて前を向いて歩き始めた。
俺とあんりは二人を後ろから見守るように後を追った。
こここから実家まで歩いていけるし、電車でもいける。
遥たちは電車で帰るようであった。
チャラ男がどこかで待ち構えていると思ったが、そんな気配は感じなかった。
駅までの道すがら、義妹は鼻水を垂らしながら何度も後ろを振り返った。
俺と目が合うたびまた泣きそうになる。
……まあ放っておこう。いまは俺も気持ちの整理がつかない。
改札に着くと、遥は一度立ち止まった。
そして、俺たちに向かって振り返る。
相変わらず鼻水が垂れていた。なんだかそんな顔を見ると懐かしい気持ちになる。
遥は自分のハンカチで顔を拭うと、感情を押し殺した顔で俺に何かを言おうとした。――が、その前に俺が遥の言葉を遮った。
「――遥、この前は草餅ありがとう。……だが俺は草餅が好きじゃない、だから今度は違うのにしてくれ」
「えっ……」
俺は遥に向かって手を振る。
遥は自分の手を見つめていた。まるで俺に手を振るのが罪になるような表情であった。
遥の手が何度もびくついていた、最後には泣いているのか笑っているのかわからない顔で、本当に小さな小さな動作で俺に手を振った。
奈々子さんの手に引かれながら改札の奥へと消える遥。
俺が見えなくなるまで何度も振り返って手を振っていた――
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