ふとした瞬間に思い出す過去
パンケーキの余韻に浸りながら俺たち三人は街歩きを再開した。
表通りから裏路地を入り、猫雑貨専門店に向かった。俺は女子の勢いに圧倒されてばかりであった。
パンケーキを食べた時から、何故か義妹の事が頭に浮かぶ。
あいつは甘いモノが好きだ。和菓子は好きじゃない。あいつがパンケーキを食べたらきっと喜ぶと思ってしまった。
そんな事を考える自分に驚きを隠せない。
俺はあの日の――あんりに抱きしめられた夜、何かが抜け落ちた感覚に囚われた。
それが今なら過去の事だとわかっている。
猫雑貨専門店であんりはパグ子に猫耳を付けて遊んでいた。
そんなやり取りを見ているだけで心が癒やされる気分だ。
癒やされるか……。自分の感情が穏やかになっていく。それがこのデートで確信に変わっていく。
い、いや、違う、これはデートじゃない……。そ、それにパグ子も合流したし……。
俺の視線に気がついたのか、猫耳を付けたあんりが首を傾げながら俺に言った。
「真君? なんかお父さんみたいな顔になってるよ? ……へへ、どうかな、似合ってるかな?」
俺はあんりが可愛すぎて顔をまともに見れなかった。……妙に意識をしてしまう。
平静を装って俺はあんりに告げる。
「……に、似合ってるぞ」
「あ、新庄お兄ちゃん照れてるー! あんりお姉ちゃんが可愛いんだ!」
「ば、馬鹿! そ、そんな事は……、無くはないが……。その、あれだ、パグ子も似合ってるぞ」
俺は照れ隠しでパグ子の頭をポンポンした。パグ子は笑いながら俺の腕を引っ張る。
そして、俺の頭に隠しもっていた猫耳をかぶせた――
そのまま腕を押されて、俺は自然とあんりとの物理的な距離が縮まる。
俺とあんりは顔を見合わせた。
「はい、シャッターチャンス! 動かないでね! はい、チーズ!」
お互い顔が真っ赤であった。距離がすごく近い。……あの夜、抱きしめられた時よりも距離は遠いのに、心の距離はすごく近くに感じられた――
「へへ、超ナイスな写真撮れちゃった! 後で送るね! ふふっ、こうしてのんびり街歩きしているとディスティニーランドを思い出すね――」
猫屋さんを出た俺達は、再び三人で手を繋いで街を歩く。
まるで本当の兄妹みたいだ。
ディスティニーランドで初めて会った時のパグ子とは表情が全く違う。
あの時のパグ子は心を閉じようとしていた。
――本当に良かった。まだ手遅れじゃなかった。それに、あの堂島って男が友達になってくれてよかった。
あいつの事はまだよくわからないけど、悪い雰囲気はなかった。むしろ俺たちと似た匂いを感じる。……きっと不器用な男なんだろう。
俺はパグ子に尋ねてみた。
「パグ子や、堂島君は随分とパグ子と仲がいいが、どんな人なんだ?」
「そうだよ、ちさちゃんの大切なお友達の事を教えてほしいな」
パグ子は少し照れながら鼻をかく。
「え、えっとね、す、少し変わった人だけど……、うん、なんか普通じゃない。……純粋というか、なんというか……言葉では表せないけど、一緒にいて落ち着くんだ」
「そうだな、明らかに中学生に見えなかったぞ。……あいつもクラスで一人ぼっちだったのか?」
パグ子は何かの記憶を思い出すように空を仰ぐ。その口元は緩やかな笑みであった。
「……うん、一人ぼっちというよりも、孤高だったね。空気も読まないし、クラスメイトに冷たい言葉も言っちゃうし、怖いって思っている同級生も多かったんだ。でもね、二人で色々経験して、前に進んでいるって実感できるんだ。――あ、こんな事件があってね……」
パグ子は、堂島のせいで色々なトラブルに巻き込まれたらしい。
堂島は純粋過ぎる精神と自身のスペックの高さがアンバランスだ。それが、普通のクラスメイトにとって強烈な毒を与える事があるらしい。
そんな毒をパグ子が中和して、他のクラスメイトとの仲を取り持ったりしているうちに、クラス全体が段々と仲と良くなっていった。
ディスティニーの時に、パグ子を置いていったクラスメイトも堂島に翻弄されて、今ではすっかり大人しくなったみたいだ。
「――そっか、ちさちゃんは堂島君の事が大切なんだね! すごく伝わってくるよ……。うん、ちさちゃんは前に進んでいるね……、だってすごく可愛くなったもん!」
「え、あははっ、そ、そんな事ないよ……。まだまだ尊の事はわからない事多いし……。あっ―――」
「ん? 名前で呼んでいるのか? ま、まあいいだろう。――パグ子、良かったな。これで書籍化やテストも集中してできるな」
「うんっ……、でもね――」
パグ子は俺達から手を離して、一歩前に出て振り返った。
「篠塚お姉ちゃん、新庄お兄ちゃん……、今日は私はここまで、後は二人でデートしてね! ――私、二人に出会えて本当に感謝してるんだ……、ありがとう――じゃあ、また連絡してね!!」
パグ子の表情は清々しい笑顔であった。本心からの感謝の気持ちが伝わってくる。
まるで次は俺達の番だ、と言っているような気がしてきた。
とても魅力的な少女がそこにいた。
パグ子は俺たちに手を振りながら駅に向かって走り出した。転ばないか心配であった。
だけど、転んでも大丈夫だ。転んでも支えてくれる人がいる。あいつは俺たちが思っている以上に――心が強くなったんだ……。
「行っちゃったね。……ちさちゃん、可愛かったね」
「ああ、良い友達に出会えたんだな」
俺とあんりはパグ子が走り去った道を見ていた。
夕暮れに近づき、空が赤く染まっている。
どちらからともなく、俺達は手を繋ぐ。お互いの存在を確認しているようであった。
あんりが俺の手を引っ張りながら歩き始めた。
何故か緊張してきた。……手に汗をかいてないか心配になってきた。
**************
誰かとカラオケに行くなんて初めてであった。
いつも祖父の家で二人っきりなのに、場所が違うだけで気持ちも変わる。
俺たちは若干緊張気味になりながら、交互に歌を歌った。
数曲歌うと緊張も解けて、思いの外カラオケというものを楽しむ事ができた。
あんりも朝から動いていたから流石に疲れたのか、オレンジジュースを飲み干してソファーに深く座り直した。俺もジュースを手にとってマイクをテーブルの上に置く。
「えへへ、友達とカラオケなんて初めてだからすごく嬉しい……」
「そうだな、俺もカラオケなんて誰とも――」
――あの時の記憶が少しだけ蘇ってしまった。
奈々子さんに誘われてカラオケに行ったら、そこにはチャラい男子生徒しかいなかった。
俺はあの時、俺のバッグを奪い取ろうとしたチャラ男を突き飛ばして、すごい形相で睨みつけたんだ。バッグを奪おうとするチャラ男の手を何度も振り払う。
今度は大丈夫、と思った友達に裏切られた俺は……、自暴自棄になっていたんだ。
チャラ男たちは反抗した俺に驚いていた。敵意と怯えが見え隠れしていた。
あんりが心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「真君、大丈夫? 調子悪いの?」
「い、いや、大丈夫だ。カラオケで少し嫌な過去を思い出して――」
「――あっ、うん……」
あんりは無言で俺を見守ってくれた。
俺は深呼吸をした。
あんりに抱きしめられたあの日が蘇る。あの時、俺は確かに自分は癒やされたと思った。
過去に向き合えたと思っていた。
あんりと手を繋ぐと心が落ち着く。過去の事を忘れられる。
だが、ふとした瞬間、思い出してしまうんだ――
教室で遠巻きに俺を見守っている斉藤さんは少し寂しそうであった。
幼馴染である宮崎が俺の言葉で泣いている姿を思い出すと、胸がざわついた。
俺が冷たくしても話しかけてくる義妹の事が元気でいるか気になってしまう。
なんでこんな楽しい時間にそんな事を思い出してしまう?
俺は過去を乗り越えて、あんりによって癒やされて――
――あんりは俺に過去の事を話してくれた。……俺はいままであんりに自分の過去の事を話したことがない。
……今なら過去と向き合える気がした。この一日で俺は実感したんだ。
あんりとずっと一緒にいたい。そのためにも壊れたままじゃいけないんだ。
俺はあんりを見つめた。
あんりの握りしめる手の力が強くなる。
「あんり、俺の……昔の事を聞いてもらえるか? ……あんまり気持ちのいい話じゃないし、せっかくのデートの最後に……こんな話は……」
「真君、この前言ったでしょ……。私が真君を癒やすって……。だから、全部受け止めるよ。真君、前に進もう――」
あんりは身体を広げて、俺を包み込むように抱きしめた――
――ああ、もう、あんりには敵わないな……。
あんりは言葉を紡ぐ。
「――真君、どんな事があっても私はずっと隣にいる。……願望じゃない、同情じゃない、慰めなんかじゃない。――だって、真君は私の大切な――友達だから」
俺はこの時、本当に理解した。
――俺はあんりによって心の壁をいつの間にか壊されてたんだ。
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