ギャル


「ここか……、大きいな」


「うわぁ〜、スーツ姿の人ばっかりだね〜」


 俺とあんりは大きなビルの前に立っていた。

 ここはKADOWAという大手出版社である。冴子さんとの打ち合わせがここで行われる予定だ。


 今日は学校が休みの日だから、俺とあんりは私服でオフィス街を歩いた。

 オフィス街なんて降りたことが無かった。街に妙な緊張感がある。


「う、受付で名前言うんだっけ? うぅ、なんか私が緊張してきたよ……」


「ポメ子さんや、出版社行ったことあるんだろ? 俺よりも経験者じゃないか」


「で、でも、担当者がお姉ちゃんだよ? それに……真君が心配で」


「安心しろ。変な事はしない。……冴子さんも仕事は真面目だろ? ……きっと大丈夫だ。――ほら、行こう」


 俺はあんりと繋がっている手を引く。

 ……俺たちはいつの間にか自然と手を繋ぐようになっていた。昔から馴染んでいるような感覚に陥る。すごく自然体で、まるで自分の身体の一部みたいだ。

 恥ずかしさなんて一切ない。


 俺たちは大きなビルの中へ入っていった。





 受付のお姉さんに名前を言うと、電話で冴子さんを呼び出してくれた。

 程なくして、冴子さんは受付へとやってきた。


 パリッとしたスーツ姿とは裏腹に、髪はボサボサでほぼノーメイクである。

 目にはクマが出来ていて、せっかくの美人が台無しだ。


「お、お姉ちゃん大丈夫……」

「お、おはようございます、冴子さん……」


「……おはよう。ふわぁ、こんなに早いの久しぶりでごめんね……。よしっ! それじゃあ行こうか! 我が編集部へ! ……って、あんた達いつまで手を繋いでるのよ!? もう、こんなところでもいちゃいちゃしてないでよ……、全く眩しいったらあらしないわよ。――で、もう付き合ってるの?」


「つ、付き合ってないよ! お姉ちゃんの馬鹿!」「お、俺たちはそんな関係じゃないです」


 冴子さんは手をひらひらさせて、軽く鼻で笑い飛ばした。


「ふっ、青いわね。若いって素敵だわ。……マジで付き合ってなくてその距離感、やばば……。はぁ〜、馬鹿な事言ってないで早く行くわよ!」


 俺とあんりは顔を見合わせる。

 なんだかおかしくて笑ってしまった。冴子さんは本当にマイペースだ。


 のたのたと歩く冴子さんの後を付いて行った。




「はーい、ここが編集部です〜、今は時間が早いから全然人がいないけどね」


 編集部はそこかしこに、ラノベや漫画のポスターが貼ってあった。誰もが知ってる有名な作品であったり、これから出版される作品であったり――

 こんな場所に入る事なんて人生で一度もない。当たり前だけど、ワクワクしてきた。


「ふふ、真君嬉しそうだね? 私も初めて編集部に行った時はワクワクしたよ」


「ああ、これは――凄いな。夢が詰まっている……」


 冴子さんは編集部にあるホワイトボードにチェックを入れていた。


「はいはい、私達はそんな夢を読者に広げるのが仕事だからね。じゃあ新しい夢を作るために打ち合わせしよっか! こっちの打ち合わせ室に来て」


 編集部の一角にある小部屋を指差した。


「あー、あんりちゃんは隣の打ち合わせ室で待っててね。一応機密事項だからさ。ごめんね〜。そこにある好きな小説持ってっていいからね?」


「うん、もちろんだよ! ……真君、頑張ってね!」


「ああ、行ってくる、あんり」


「……けっ、新婚さんかよ。三十分で終わるからそんなに見つめ合わないでよ!? な、なんか私が悪者みたいじゃん! ほら、にゃん太先生行くわよ!」


 俺は冴子さんに打ち合わせ室へ押し込まれた。

 あんりは手を振って見送ってくれた。





 打ち合わせ自体は難しい事は無かった。

 出版の条件と、印税率や契約書の文面の確認、好みの絵師さんを聞かれたり、一冊でどこまでWEB版の部分を使うか。

 メールベースで聞いた話の再確認が多かった。


「いやね、ちゃんとした初回の打ち合わせだから、正直顔合わせに近いんだよ? もちろんこれから改稿してもらうし、ピックアップした絵師さんを選んでもらうし、色々忙しくなると思うからね? あっ、学校の勉強はちゃんとやってね……。絶対赤点取らないで……、昔それで苦情が……。にゃん太先生は学校の勉強は大丈夫?」


「はい、勉強は毎日してます。一人の時間が多かったので勉強ばかりしてました……、多分高校三年まではテスト勉強しなくても大丈夫です」


 俺は出されたお茶を口に含んだ。初めての打ち合わせに緊張しているのだろう。


「はっ? マジ? ていうか、どこのラノベの主人公だよ!? ま、まあそれなら安心ね。はぁ……、ていうか、にゃん太先生、なんか感じ変わったよね? 暗い雰囲気がなくなったというか……、キラキラしてるというか……、さては――あんりに惚れたな?」


「ぶっ!?」


「ちょ、汚いって!? わ、私の一張羅が……」


 お、思わずお茶を吹き出してしまった……。冴子さんが変な事を言うからだ。

 全く……。


「ふふ、でも良い反応ありがと! まっ、にゃん太先生だったらうちの大事なあんりちゃんは任せられるしね! ……泣かせたら殺すよ?」


「さ、冴子さん、キャラ違ってきてますよ……。それに、俺とあんりは友達で――」


「みなまで言うな。――秘密にしといてやろう。ふふ、色々楽しみだな〜」


「は、話聞いてないな、この人……」


「あっ、そうだ! 昨日の短編読んだよ! 珍しく現実恋愛だったね? っていうか、あれって……君たちの事じゃん! まんまあんりちゃんとにゃん太先生がいたよ! 読んでてこっちが恥ずかしくなったよ! 顔真っ赤になっちゃったよ!? ……まあ、あんりちゃんは気がついてなかったしね……。私に『お姉ちゃんっ! にゃん太が新作ラブコメ書いたよ! 読むとホワホワした気持ちになれるよ! 凄いよこれ!!』って私に言ってきたけど、わたしゃ、そんな君らを見て甘々で砂糖を吐きそうだわ!?」


「な、なんかすいません……。そっか、読んでくれたんだ」


「おいっ!? 空気甘くなってるって! はぁ……、なんか疲れた……」


 冴子さんはこれで話は終わりとばかりに、席を立った。


「じゃあ、打ち合わせはこれで終わり! この後デートするんでしょ? 学生らしく楽しんで来てね!」


「デ、デートじゃないです……。冴子さんも仕事頑張って下さい……」


 俺がそういった瞬間、冴子さんは真剣な顔になった。



「……大人の世界の事は私に任せて。絶対あなた達を守ってあげるから。――幸せになってね」



 俺に背を向けながら扉を開けた。

 なんだか冴子さんがすごく大人の女性に見えてしまった。








「……なんじゃこりゃ?」


 扉から出た冴子さんが呟く。

 そこには、制服姿の美少女がいた。年は俺たちを同じくらい。……なんだろう、今どき珍しいほどのギャルファッションであった。

 こんがりと健康的な日焼けをしてて、シャツの胸元のボタンを開けている。

 スカートは短いが、スパッツがはみ出ているから目のやり場に困らない……だろう。


 そんなギャルと対峙しているあんり?

 な、何してるんだ?


「ちょっと、ポメ子さん!! なんであの小説の続きを書かないの? わ、私は……あなたに勝つために頑張ったじゃん!!」


「う、うるせーよ! わ、私だって書きたかったけど……色々あったんだよ!」


 あっ、ヤンキー言葉になってる……。ヤンキーとギャルが組み合わさった……。

 少女の後ろにいた小柄で小太りな男性が冴子さんに目配せをしていた。

 冴子さんは首を振る。


「はぁ……、うるさい子だから、わざわざ時間ずらしたのにね……。あんりちゃん? なんで部屋から出てんの?」


「えっと、いきなり神埼さんと担当の人が入ってきて……」


「はぁ〜〜〜〜、にゃん太先生!」


 俺? なんで俺がここで呼ばれる?


 冴子さんはねっとりとした笑顔で俺を見た。


「大人の事情からは守るけど……、あとは若いもの同士でよろしく!! おいっ、大田君! お前は説教だよ!!」


「ひぃぃ!? し、篠塚さんすみません! ど、どうしても神埼さんが――」


「馬鹿ちん! 売れっ子だからってわがままし放題にしてんじゃないわよ!」


 俺はあんりと神埼と呼ばれた少女を見た。

 二人とも興奮してるけど――なんだろう、神埼さんから寂しそうな雰囲気を感じられる。


 俺はぎゃーぎゃー騒いでる大人たちを無視して、あんりに近づく。

 神崎さんがそれを目ざとく指摘する。


「ちょっとあなたなんなの!? ポメ子先生と距離近くない? ず、ずるいじゃん! 私だってスリスリしたいんだから!」


「うっせーよ! にゃん太の事悪く言うな!」


「あー、二人ともちょっと静かになってね。……ええと、はじめまして、にゃん太と申します。今度この出版社からラノベを出す新人作家です。――あんりは――ポメ子さんは俺の大切な友達です」


 神崎さんは友達という言葉にショックを受けている様子であった。


「ポ、ポメ子さんに――友達? え、と、男の子の友達? ――うぐぐっ、いい気になるなよ! 無名の新人作家っ! 私の方がポメ子さんと先に出会ったんだからな! 」


 ――神埼……聞いたことがあるペンネームであった。

 編集部に貼られているポスターにはデカデカと『神埼ハム美先生! アニメ化おめでとう!』と書かれている。


「あっ、もしかして……、勇者テツロウの神埼先生ですか!? あんり、あんり! 神埼先生だぞ! ほら、あんりの大好きなテツロウの作者だぞ!!」


 柄にもなく興奮してしまった。

 あんりは気まずそうな顔をしてそっぽを向いてしまう。

 あれ? まずかったのか?


 神埼先生は――


「ポ、ポメ子先生……、見ててくれたんだ……。えへへ……嬉しいな……」


 なんだ、やっぱり普通の女の子じゃないか。笑顔が素敵で年相応だし。

 神埼先生がキリッとした顔になって、俺に言った。


「よし、お前見どころがあるじゃん! 私の――仲間にしてやるわ! 光栄に思いなさい!」


「ばかー!! にゃん太君は私と一緒にデートするの! もう、相変わらず自分勝手なんだから……。あっ、デ、デートじゃないよ? これからパンケーキ食べてカラオケいくだけだから!」


 冴子さんが思わず口を挟む。


「いや、あんりちゃん、それはデートっていうから……」


 神埼先生はその場で膝から崩れ落ちた。小声で『デート……、デート? デートって友達とするの……、ぼっちには難しいよ……』と呟いていた――


「あんり?」


「あ、う、うん。あのね、前の出版社で知り合った作家さんなんだけど……、私が書けなくなってから会ってなくて……。ちょっと面倒くさいけど、悪い子じゃないよ? 色々お世話になったけど、すごく有名人になっちゃったし……気まずくて……」


 俺は崩れ落ちている神埼さんに声をかけようとしたら、スマホから着信が来た。


 ――こんな時に誰だ?

 パグ子からである。反射的に電話に出てしまった。


「――パグ子か? すまない、今ちょっと取り込み中でな」


『これは失礼……、俺はちさの……氷崎さんの友達の堂島と申します。後でお時間頂け――』


 電話越しからパグ子の声が聞こえた。


『馬鹿ーー! あんた何電話してんのよ!? きょ、今日は勉強するって言ったじゃん!』


『――何を言っている。さっきからスマホをいじって集中力を欠いていたではないか? それならいっそ気になる事から片付け――』


 スマホを持つ手に力が入った――


「お、おい? お前がパグ子の友達か? いいだろう、一度会いたいと思ってたところだ。パグ子っ! 勉強なんて積み重ねだ! 後で死ぬ気で教えてやるからこっちに来い!」


『なるほど、中々話がわかる御仁である。ふむ、しかし俺が教えた方が効率が良い。身体能力よりも勉強とハッキングが得意である。――今からだと……、ところでパグ子とは? もしかしてちさの事なのか? ……存外悪くない。俺もパグ子と呼ぼっ――』


『馬鹿ー! な、な、何勝手に決めてんのよ、堂島ぁぁぁ!!!』


 通話がプツリと切れた――

 崩れ落ちた神埼の前であたふたしているあんりと目があった。

 ……どうしてこんなカオスになった? 


「ま、真君? 何があったの? パグ子ちゃんどうしたの?」


「……男を連れてくる、らしい……、ふふ……俺よりも効率がいいだと? 俺が見定めてやる……」


「真君が変だよ……、あわわ、どうしよう――」


 大騒ぎでわけがわからないけど……、何故か楽しくなってきた。

 昔の俺なら考えられない。

 こんな状況なんて起こりうる事なんてなかった。

 ドタバタしているけど、心が踊っている俺がいる。


 俺はあんりに声をかけた。


「よし、あんり、とりあえずみんなで外にでて一旦状況を把握しよう」


「う、うん、神埼さんも立てる? お外行くよ? ヤンキー言葉使ってごめんね」


「う、うん……、私も興奮してごめん……、会えて嬉しくて……」


 冴子さんはエナジードリンクを持ちながら手をひらひらさせて俺たちに言った。


「はーい、いってらっしゃーい! ちゃんと夜までには帰ってくるんだよ〜」


 俺たちは神埼さんを連れて編集部を後にした……。


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