ツンデレ


 篠塚は泣きそうな少女の目の前に立った。

 少女は俺たちに気がついた。俺達を見て動揺しながらも睨みつけてきた。

 発した声は鼻声であった。


「……な、なによ。あんた達……ずずぅっ」


 篠塚は普段よりも優しい口調で話しかける。


「えっとね、迷子、なのかな? もしよかったら何かお手伝いできない?」


 少女の視線は篠塚を超えて――遠くにいる同い年くらいの少年少女を見ていた。

 少年少女達は……笑いながら背中を向ける歩き始めた。

 あまり好きじゃない空気感。


 少女は声を漏らした。


「あっ……」


 諦めの表情がより一層強くなる。

 少女は持っていたバッグを床にポトリと落とす。


「……なんなのよ、あんたたち。わ、私はべ、別にひ、一人じゃないわよ! か、構わないでよね! ど、同情なんてしないでよ……、ぐっ……」


 篠塚は表情を変えずに言った。


「えっと、私は篠塚あんり、こっちの彼は新庄真。今日は高校の遠足でディスティニーに来たんだ。――あなたの名前は?」


「……氷崎ひょうざきちさ。ちゅ、中学三年よ。もういいでしょ? 私の事は放っておいて、どっかでいちゃつきなさいよ」


 篠塚は腰を屈める。視線を少女と同じ目線にする。


「ねえ、置いてかれちゃったの? それとも友達と待ち合わせしてるの? 誰かと一緒に周るの? ……一人で周るつもりなの?」


「お、お姉さんには関係ねーよ! ていうか、ズケズケとツッコミすぎじゃない? わ、私は、あんな奴らどうでのいい! ……どうせ、私の事妬んでるだけよ。……全く下等な奴らが同級生でイライラするわ……、そうよ……イライラするよ……、ひっ、ぐ……」


 確かに篠塚の様子はいつもと違っていた。

 俺たちは他人に関わる事をひどく恐れる。

 なのに、篠塚はやめなかった。

 篠塚は先程のショップで購入した、うさぴょんの耳を――少女にかぶせた。


「あははっ、やっぱり氷崎さん似合っているよ! 可愛いな〜、ねっ、新庄もそう思うでしょ?」


「まあ篠塚ほどじゃないが、中々似合っている」


 泣きそうだった少女の顔が真っ赤になって、今度は俺を睨みつけた。


「う、うるせーよ! こ、こんな耳つけやがって! ば、馬鹿にしてんのかよ! て、ていうか、お前らなんだよ!? わ、私はこれから――、これから……、これから……、ひっぐ、ひぐ……、ひぐぅ……」


 少女は泣き声を漏らさないように必死で堪えていた。

 だけど、涙が頬を伝う。

 篠塚と俺は、ただ少女のそばに立っていた。言えることなんてない。同情なんてしない。

 だって、俺たちと一緒なんだろ? 


 泣けるならまだ大丈夫だ。

 ――手遅れじゃない。


 感情を無くすと涙なんて出ない。心に何も感じなくなる。

 なら、この子はまだ……。


 俺と篠塚は少女が泣き止むまでそばにいてあげた。





 篠塚は少女が泣き止むと、彼女の手を取った。

 少女は戸惑っていたけど、篠塚は構わず歩く。必然的に、手を繋いでいる俺も篠塚の隣を歩いた。

 向かった先は魔女の城の前のレストラン。

 少女は「あ、え、まって、恥ずかしって……」と言っていたが、言葉に力は無かった。



 レストランの席に座った少女は、何やら落ち着かない様子でスマホをいじっていた。


「やっぱり……、ブロックされてる……。どうせ、私なんて……。ていうか、なんで私ここにいるんだろ?」


 少女は所在無く、頭につけた耳を触っている。

 気に入ったのか? そういえば、少女のバッグについているものは――


「氷崎、でいいのか? そのバッグにつけてある、ぬいぐるみは、もしかして――」


 氷崎は身体をびくつかせた。彼女のデリケートな部分に触れたらしい。

 攻撃的な目で俺を睨む。


「う、うっせー! これは、私の……大切な使い魔なのよ! 血まみれ勇者テツロウのペットのパグ子を馬鹿にすんな……よ……、と、友達なんだよ。このリア充カップルが……」


 言葉が弱くなる。きっと自分の大切な物を否定されると思っているんだろう。

 だが、間違えは否定しないとな。

 篠塚と俺が同時に言い放った。


「カップルではない。俺はただの陰キャだ」

「ち、ちがうって! 私はただのヤンキーだよ!」


 そういう氷崎も、中学生にしては小柄だが、わんこみたいで可愛らしい感じであった。

 少々ツンツンしているので、きっとクラスメイトとの付き合いかたがわからないだけだろう……、なんて俺には言えない。言いたくもない。

 俺達は人の悪意を知っている。理不尽さを知っている。感情がもたらす怖さを知っている。一人の寂しさを……。



 篠塚がゆっくりと口を開いた。俺たちの席だけが時間が止まったようであった。


「バスの中で誰とも喋らなかったよ。いつも一人で寂しかった……」


 俺も続けて言い放つ。


「何度も謝っても、無かったことにされた。いつの間にか学校中で嫌われていた」


「発言力が強い女子に嫌われただけで、誰も話しかけてくれないの」


「痴漢の冤罪に巻き込まれた。犯罪者呼ばわりだ。庇っただけなのにな」


「好きでもない男子を奪ったって言われちゃった」


「待ち合わせの場所に行ったら不良が待ち構えていた」


 氷崎は俺達の様子に戸惑っていた。


「え、ええ、お、お姉さんたち……? 何言ってるの? わ、わけわかんないって……」


「友達に私の秘密をバラされて――クラス中の笑いものにされちゃった」


「家族の厄介者だった」


「友達なんて二度といらないと思ってた。……涙なんて出なくなった」


「誰も信じられないと思っていた。感情なんて無くしてしまった。今さらあいつらが謝っても手遅れだったんだ」



 篠塚の表情はフラットであった。

 俺も心が落ち着いている。

 篠塚と繋がっていた手を見やる。


 なぜなら――俺たちは――友達になれたんだ。

 そう思うだけで――少々こみ上げてくるものがある。



 この子に同情なんていらない。

 俺達が力になれることなんて、たかが知れている。


 だから、俺は氷崎に伝えた。


「……テツロウ、好きなんだろ? アレは素晴らしい物語だ。虐げられたテツロウが使い魔と一緒に冒険の旅に出て成長していく物語、心に響く。……他に好きな作品はないのか?」


 氷崎はポカンと口を開けていた。


「え、あ、うん……、テツロウを馬鹿にしないの? ……さ、最近だと『デスゲームから始まる異世界生活』も好きかな?」


「あーー! あれってすごく面白いよね! 氷崎さんも見てるんだ。ねえねえどのキャラが好きなの?」


「ま、まって、そ、そんな話をしたら……キモいって言われちゃう――」


「ここにはクラスメイトなんていないだろ? ただの物語が好きな高校生と中学生しかいない。ポメ子さんや、思う存分話してやれ」


「おう、任せろや! にゃん太、適当に注文しておいてね!」





 氷崎は初めは戸惑っていたけど、次第に自分の好きな漫画やアニメ、小説を語りだした。

 一度喋りだしたら止まらなかった。食事が来ても、食べながら語り続ける。

 今まで溜め込んでいたものを全て出しているのかも知れない。


 俺は彼女の境遇は知らない。

 だけど――あんな顔で一人ぼっちなんて放っておけるわけない。


 喋り続けた氷崎が突然止まった。


「あっ……、わ、私……すごく早口になってキモいよね? あ、あははっ、なんでだろ? なんでうまく行かないんだろ? 夢が叶ったのに……、なんで嫉妬されるんだろ? 調子乗っちゃったのかな? ……ふ、ふん、あんな奴ら……、今日……楽しみに……してたのに……」


 篠塚は俺を見た。

 俺はただ頷いた。


「ねえ、氷崎さん。今日は一緒に回らない? せっかくのディスティニーなんだから一人じゃ寂しいよ」


 氷崎は首を小さく横に振った。


「で、でも、お姉さんとお兄さんのデートの邪魔になっちゃうでしょ? 悪いよ。……ていうか、カフェで執筆してれば時間まですぐだよ」


 俺はため息を吐いた。

 確かにここは夢の国のようだ。数字では表せない出会いというか……、まああれか、篠塚のときもそうだったが……。


「パグ子は書籍化の事をクラスメイトに言ったのか……。それで嫉妬されて……、君はツンツンしてるから強気で返したら仲間はずれにされて――。全く現実のツンデレは難しいものだな」


「ぶっ!? な、なんで書籍化の事しってるんだよ! ていうかパグ子って!? も、もしかしてクラスメイトの兄弟とか? わ、私の事、本当は笑ってるんでしょ!」


「氷崎さん……、新庄はそんな事しない。めっ!」


「ひえ!? で、でも……」


「ああ、そうだ、ただの推測だ。どうでもいいだろ? よし、お腹も一杯になったし、ムッキーでも探しに行くか?」


「う、ううぅーーっ、パグ子言われた……」


 氷崎は、わんこみたいに篠塚の後ろの隠れてしまった。

 少し顔が赤くなっている。


「あ、新庄、パレードも忘れないよう観なきゃね! じゃあムッキー探しながらパレードね! ほら、氷崎さん」


「あ……う、うん、お姉ちゃんありがとう――」


 氷崎は篠塚が出した手を恐る恐る掴んだ。

 なんだか悪くない気分だった。


 傷なんて忘れてしまえばいい――




 そんな事を思っていると、氷崎が振り返って俺を見た。

 小さく頭を下げて囁く。



「…………あ、あんたも……あ、ありがと」



 俺は思わず笑顔で返してしまった。

 大丈夫、嘘の笑顔じゃない。


 氷崎は慌てて前を向いて、篠塚の手をしっかりと握りしめながら歩き出した。



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