篠塚さん
「おはよう、にゃ……、新庄? なんか疲れた顔してんな?」
「ああ、ポメ……、篠塚、ちょっと色々あってな」
いつもよりも少し遅く登校した俺は、家を出る時、眼鏡をかけた篠塚と鉢合わせをした。
なるほど、俺よりも少し遅い時間だったんだな。
「そうか、それじゃあ、私は先行くぞ」
「いや、待ってくれ。俺も一緒に行く」
「ほえ?」
篠塚は冴子さんと似たような呆けた声を出した。
やっぱり姉妹なんだな。そっくりだ。
「置いてくぞ? 早く来い」
「わ、わかったけど……、わ、私と一緒に学校へ行ったら……、お前まで」
すでに学校では俺の悪い噂があるんだ。それに篠塚と一緒にいるところなんて、大勢の生徒に見られている。
「今さらだ。……噂なんてどうだっていい。俺は……篠塚と一緒に学校へ行きたい気分なんだよ。ところで、その眼鏡は――」
「にゃん、太? ……わかった、新庄、どうなっても知らないからな」
眼鏡のことは無視されてしまったが、俺達は二人で学校へと向かった。
困惑している篠塚を無視して普通に会話をする。
昨日、あの後に起こった事も伝えた。
言葉が止まらなかった。自然体でいられた。
「そっか、新庄は一人暮らしをするんだ。羨ましいな……、最近ショッピングコートも一人でいると変な奴が話しかけてくるから困ってんだよ」
ポメ子……、いや、篠塚も自然な表情であった。今日は何故かメガネをかけていたが、眉間にシワなんて寄っていない。……もしかして、眉間にシワを寄せてたのって……見えなかっただけなのか?
怖さなんてない。とても素敵な表情であった。
「成り行きで一人暮らしが決まったが……、まだ準備が全然できていない」
今朝、お義母さんは震える手で俺にお祖父ちゃんの家の鍵と……、今まで使っていなかったお義母さんが管理していたお年玉を俺に手渡した。
『……私、子離れできてなかったのね。私もお父さんとちゃんと話して、いつかあなたと向き合うわ。いつでも帰ってきなさい。……ちゃんとご飯作るのよ? 掃除も洗濯もするのよ? 無駄使いしない……、ううん、あなたなら大丈夫ね』
お義母さんは憑き物が落ちた顔をしていた。
義妹はいつもどおりボケボケした顔で朝食を食べていた。
なんだか不思議な感覚だ。昨日の事が嘘のような穏やかな朝であった。
「引っ越し大変だな? ってか、お祖父ちゃんの家ってことは家具は揃ってんだろ? ならすぐにでも行けんな!」
家具も家電も揃っている。それに、あの家には古いパソコンもある。
それでも、足りない備品があるので今日はそれを買いに行かなければならない。
「ああ、今日の夜からお祖父ちゃんの家で暮らす。……まさかこんな事になるとは」
「あん? いいんじゃね? お互い考える時間もできるし、ほら、執筆もいくらでも――あっ」
「うん? どうした?」
「い、いや、ってことは、もうフードコートには来ないのか? 家に帰る必要も……」
「それは――」
家に帰りたくない。そういう理由でフードコートにいた。
だけど、本当はポメ子さん、篠塚と話すのが楽しかったからだ。あの時間は特別だったんだ。
ふと、登校している生徒たちの視線を感じる。
悪意……とは少し違う。好奇の視線に近いだろう。
「あれってヤンキーだろ? ……髪型と制服違くない?」
「眼鏡……、やば、かわわ」
「うん、可愛い……、可愛すぎるよ」
「笑顔だと? ぱねえっす」
「男子って噂の彼でしょ? 告白キラーの」
「ほわ〜、なんか今日はキラキラしてる!」
「負けない……ちょっと告白してくる!」
「やっぱ、噂なんて嘘っぱちだよ。あの子達が言ってたもんね!」
なんだこれは?
確かに篠塚は眼鏡だ。俺はいつも通りだ。
篠塚も周りの反応に戸惑っていた。
俺は構わず話を続ける。
「……あれだ、あのフードコートだとナンパが面倒で執筆できないだろ? 篠塚が良ければいつでも家に遊びに来るといい。もちろんフードコートにも行くぞ?」
俺は何を言っているんだ? この口が吐き出した言葉なのか?
確かに、俺が一緒にいたとしてもフードコートで篠塚に話しかけてくる輩は多かった。適当にあしらっていたけど、篠塚一人では不安である。
篠塚は素っ頓狂な声を出した。
「ふえっ!? い、家に? ……お、おい、わ、私は寂しくなんてないぞ! ……で、も、確かに最近フードコートで話しかけられるのが面倒だ。……し、執筆できる場所があると嬉しい。……ほ、本当にいいのか? 邪魔になるだろ? ってか、友達じゃないからな!」
まさか、肯定的な意見が聞けるとは思わなかった。
篠塚もあの時間を大切に思ってくれていたんだ。
遠慮しているのに、来たがっている篠塚が妙に可愛らしかった。
「ああ、俺達は友達じゃない。……だから執筆しに来いよ」
「……うん」
素直に返事をした篠塚をちゃんと見た。
確かにいつもと違った、というか、俺は篠塚の格好とかを気にしたことが無かった。
髪型が変わっていた。ボサボサの金髪を綺麗に櫛を入れていて、後ろで結わっている。……あれ? そういえば篠塚には黒い髪が一切無い? これって地毛なのか?
ぱっちりメイクをやめた顔は、ナチュナルな素顔に近い。年相応の可愛い素顔だ。
それに、制服も着崩していない。
……同じ人? って思うくらいの変わりようだ。端的に言えば美少女である。
俺が書いている小説のヒロインを超えているかも知れない。耳はないけどな。
だけど、俺にとって篠塚は篠塚、ポメ子さんであり、篠塚であり……俺――何を言っているんだ? 動揺しているのか?
……なんにせよ見た目なんて気にしない。
篠塚は嬉しそうに俺に言った。
「じゃあ、帰りに新しいショッピングセンター行って、新庄の必要なもの買おうぜ! 女子力見せてやんよ!」
「あ、ああ、女子力とは……?」
「う、うるせー! ほら行くぞ!」
他人の目が気にならなかった。
俺達はいつもみたいに二人で話しながら、朝の登校をした――
************
この時間は生徒が多い。
だから俺に話しかけているなんて思わなかった――
「ちょっと待って? 真君、なんでその人と一緒にいるの? 私……ずっと連絡待っていたんだから……」
えっと、如月さん? でいいのかな?
多分そうだ。やっぱり顔をあまり覚えていない。
汚い物を見るような目で篠塚を睨みつけていた。
「な、なんで私じゃなくて、そんな女と……。真君、あなたは騙されているの。その子は……暴力事件を起こしたり、パパ活したり……、悪い噂ばっかり。ねえ、真君に悪い噂が立っちゃうよ」
嘘告白をした如月さんは俺の中で消した。
何を言われてももう気にしない。
だって、俺は聞いたことがある。
中学の時、忘れ物を取りに教室へ戻ろうとした時の事だった。
『ていうか、如月すっげーな、マジであいつ惚れてただろ?』
『う、うん、へへ、メールも頻繁に来たしね』
『俺を信じてくれてありがとう、ってか? 大人しそうな顔して悪い女だな』
『顔だけは良かったからね。デートすっごく楽しみにしていたみたいだよ?』
『超笑えたな! きゃはっ』
『多分、もう一回イケると思うよ? 私が泣きながら「あ、あれは違うんです!」って言えば』
教室の中には入れなかった。
俺は誰を信じればいいのだろう? 友達ってなんだろう?
忘れ物なんてどうでも良くなった。
もう痛む心なんて、何も無かった。俺は誰にも気づかれずに廊下を後にした――
人の心はわからない。言葉だけでは伝わらない。
俺が何を言われても気にしない。
だけど――
「如月さん――」
如月さんは媚びた目で俺を見つめた。
許せない事があった。それは――篠塚の噂を真実だと前提で話している。
「へへ、真君、遠足一緒に行こ? 一緒に手を繋いで楽しもうよ……。私だけが真君を信じているよ」
高校に入ってから宮崎が、斉藤さんが、義妹が――みんな俺に関わろうとした。
きっと勇気を出して話かけて来たんだろう。それは心には響かなかったけど、今なら……彼女たちは真剣だった事が理解できた。
如月さんの嘘臭い態度とは大違いだ。
何か言い返そうとする篠塚をやんわりと止めた。
道の真ん中で止まっている俺達に注目する生徒たち。
俺は存外大きな声で喋っていた。
「嘘告白をして、みんなの前で俺を笑いものにした如月さん! 挙げ句、篠塚さんの悪い噂も真実のように話す如月さん! 何のようですか?」
「え、ええ……、ま、真君、ご、誤解だって!? そ、それに声が大きいよ……」
「俺が送ったメールを友達に見せて笑っていた如月さんは、なんで俺がひどい事をして振ったって事になっているんだ? あれは君が嘘告白をして笑っていただけじゃないか!」
「わ、私、う、嘘告白なんてしてない!! か、勘違いはやめて! ね、ねえ、私はあなたが悪い女に騙されそうだから助けて――」
心に蓋をしていた何かの感情を思い出してしまった。
俺の事はどうだっていい。俺が悪く言われる事によって篠塚が悪く思われるのが嫌なだけだ。それに――彼女は篠塚に悪意を向けた。
忘れていた感情を思い出す。
湧いてくる感情は――怒り。
周りの生徒たちがざわつき始めた。
「嘘告白? マジで?」
「ていうか、如月って文芸部の姫じゃん……、ありえそー」
「どうなんだろ? 告白キラーも悪い噂あるしね」
「篠塚さんの噂って嘘って聞いたよ?」
「うん、他のクラスの奴がいきなり教壇に上がって、篠塚さんと新庄の噂は嘘だ、ってすごい剣幕で喋りだして」
「うちも――」
「あ、私のところも」
俺は篠塚を守るように身体を前に出した。
強い拒絶の意思を込めて――
「俺の事はどうでもいい。篠塚は俺の――大切な――仲間だ。知りもしないくせに勝手な事ばかり言うな!!」
如月さんの顔が歪んだ。
それはあの時見た顔と一緒であった。
「は、はっ!? い、意味わかんないんだけど? わ、私が悪いの? 根暗のあんたに付き合ってあげたのに? 大体、騙された、あんたが――あっ」
思わず本音が出てしまったようだ。
生徒たちのざわめきが一層ひどくなる。
「マジで!?」
「怖っ……」
「俺……実は、如月さんから嘘告白受けた事が……」
「新庄君、ヤバ、王子だわ、これ」
「ちょっと、ごめんね〜、あらら、如月、暴走しちゃってるよ! 早く止めよう!」
「ていうか、真君、超かっこいい……。お姫様を守るナイトみたいじゃん」
「うわ、早く如月さんを隔離しましょう」
もう話すことはない。
俺は振り返って固まっている篠塚の手を取りながら言った。
意思を込めて、篠塚を見つめる。
「……信じているなんて言えない。俺はまだまだ篠塚の事を知らない。……だからこれから知ればいいんだ。……俺と一緒にいてくれないか?」
「新庄……、うぅ……は、反則だぞ!? ……わ、わかったよ。ほら、行くぞ!」
誰かの人影が見えたが、俺は篠塚しか見ていなかった。
生徒たちは大きな歓声を上げていたけど、俺には関係ない――きっと。
如月の悪態が聞こえたが、それもしばらくすると静かになった。
俺達は後ろを振り返らず再び歩き出す。
無言で歩く俺達は、流石に途中で恥ずかしくなって手を離した。
「ってか、すごく恥ずかしいから! にゃ、にゃん太、べ、別に友達じゃないからな! ……えっと、で、でも、執筆……仲間だからな……大切な……」
「ああ、ポメ子さんや。ところで俺はすごく恥ずかしい事を言ってなかったか? 一緒にいてくれって……」
「馬鹿野郎! お、思い出させんな! 教室だ。教室に行って本を読むぞ!」
「ああ、そうだな……」
ポメ子さんは俺と握っていた自分の手を見ていた。
柔らかい笑顔が、俺の心に何かが突き刺さった。
嫌な感じではない。悪い気分でもない。
不思議な感情に頭を傾げつつ、俺達は教室へと向かった。
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