父さん
「うんうん、友達同士じゃれつくのはそれくらいにして、お姉ちゃんの話を聞こか?」
「お、お姉ちゃん!? 友達じゃないよ!」
「冴子さん、違います……」
気配を全く感じられなかった。
冴子さんがひどく疲れ切った顔をして俺達のテーブルの前に立っていた。
ドシンと空いている椅子に座った。
「お、お姉ちゃん、顔色悪いけど大丈夫か? あれか、また締め切りが……」
「うん……、あはは、大丈夫。だって納得の行く作品にしたかったから」
ポメ子さんのジュースをクイッと飲み干して、俺の方に向き直った。
「で、どうなの? にゃん太先生は締め切り守ってくれるの!!」
「お、お姉ちゃん、話が違ってるって――」
冴子さんの口調はおかしくなっているけど、真剣な眼差しであった。
俺はそれに答えなければいけない。
俺は深呼吸をしてから……冴子さんに言った。
「――冴子さん、父さんもこの場に呼んでいいですか?」
「ほえ? お父さん? 別にいいけど、むしろ説明の手間が省けてラッキー?」
俺はスマホを操作した。
***********
俺は今朝の登校中に、父さんに連絡しようと、草餅を齧りながら考えていた。
書籍化したい、と思う反面、家族にどう話していいかわからなかった
だって、俺は家族の厄介物だ。これ以上、手間をかけさせては……。もしかしたらお義母さんは小説を書くこと自体、禁止するかも知れない。義妹は再び俺の事を馬鹿にするかも知れない。
俺はもう誰も信じられないんだ。
高校になってから、宮崎も、斉藤さんも、義妹も、俺に謝ろうとした。俺からしたら突然すり寄って来たように見える。
もしかしたら、彼女たちも心で葛藤していたのかも知れない。
そんな彼女たちを見ても――心に何も感じない。感情を顕にして俺にぶつけても無意味であった。
そんな俺が書籍を出していいのか?
考え過ぎたら、訳がわからなくなった。
義妹がくれた草餅は全部食べ切った。
……草餅は好きじゃない。子供の頃、義妹が草餅が大嫌いだったから、俺は草餅を好きなふりをして食べてあげただけだ。
……なんで、俺の好きなものを覚えているんだ?
お前は俺の事を散々罵っただろ? なんで今さらお兄ちゃんなんて言うんだ?
昔はお兄ちゃんと呼ばれると義妹を守ってあげなきゃって思ったのに……、お兄ちゃんと呼ばれても、何も心に残らない。
宮崎はなんで今さら昔みたいな顔をして、普通に話しかけて来るんだ? 懐かしいのに心が空虚なんだ。子供の頃からずっと一緒で、お調子者の俺の後を引っ付いて歩いてきて……。昔と全然変わっていないのに、心に何も感じない。
斉藤さんは同じクラスだから、気にしなくても目に付いてしまう。
なんで苦しそうな顔をしているんだ? なんで俺に気を使おうとするんだ?
一緒に本を読む時間が好きだった。優しい彼女と一緒にいると事件を忘れられた。
昔と変わらない優しい目で俺を見守っても――心に何も響かない。
三人とも、好きじゃない。嫌いでもない。
憎んでいるわけじゃない。
これ以上、間違えたくない。
俺の今の人格を作ったのは彼女たちのせいじゃない。俺がうまく立ち回れなくて、世の中の悪意に飲まれただけだ。
俺に今さら関わっても――俺はもう、誰も信じられないんだ。
何を言われても心に何も感じないんだ。
もう手遅れだったんだ、俺は――壊れているんだ。
そう思っていた俺は、ポメ子さんと出会った。
話すつもりもなかったのに、仲良くするつりも無かったのに、ポメ子さんといる時間が日常になっていた。忘れていた感情を何度も思い出しそうになった。
楽しいという感情を思い出した。
嬉しいという感情を思い出した。
ポメ子さんは……篠塚は、不思議な人だ。
俺と同じで、人から裏切られたのに、優しい心の持ち主だ。
もしも、俺が中学時代に篠塚と出会えたら?
もしも、俺が篠塚と友達だったら?
もしも、俺がこの先も篠塚に裏切られなかったら?
こんな事を考えても――もう遅い。
俺は――篠塚と――今、この時、仲良くなってしまったんだから――
何故か勇気が湧いてきた。
壊れているなんて決めつけるな。俺は前に進む。
俺はスマホを取り出した。
久しぶりに父さんと電話で喋った。
初めはうまく喋れなかった。
朝の出勤前で忙しいはずなのに、父さんは黙って聞いてくれた。
昔みたいに拒絶されたらどうしようと思った。
勝手な事をするな、と言われたらどうしようと思った。
過去の言葉が俺の中で棘として刺さっている。
黙っていた父さんは最後に俺に言った。
『俺も話を一緒に聞く。巷では出版詐欺もあるんだ。……いいか、お前はまだ子供だから保護者が必要だ。……それまでは』
『父さん? ……ありがとうございます』
『まだ敬語なのか……、すまん、俺のせいか。……真、どんな形にせよ、お前は人に認められたんだ。だから――それを誇れ。お前は自慢の息子だよ。――おめでとう』
俺は返事もできずに電話を切った。
心は空虚なはずなのに――忘れていた感情が暴れそうであった。
子供の頃、幼馴染の事があって以来、父さんと俺は距離があった。転勤するときも、何も喋りもしなかった。
信じられないはずなのに。心に何も響かないと思ったのに。
心が苦しくてたまらなかった。
どうしていいかわからなかった。
だから、俺は――小説を書きたくなった――
*********
俺がスマホを会議モードにすると、冴子さんは姿勢を正す。
さっきまでの姿とは大違いである。篠塚を大人にしたらこんな感じなんだろう。
とても美人さんであった。
父さんが画面に現れる。
心の奥では、この時間に来てくれないと思っていた。裏切られると思っていた。
だけど、父さんは現れてくれた。
たったそれだけの事なのに、俺は心の中で安堵した。
父さんと冴子さんは二言三言挨拶をする。
冴子さんは父さんに書籍化について話し始めた。
不思議な気分だ。
敬語を使って、丁寧な対応をする冴子さんと父さん。
異世界に来た気分であった。
あらかた説明を終えた冴子さんは俺に聞く。
「新庄さんに改めてお聞きします。――書籍化を……あなたの書いた物語を世の中に広めたいです。それが私の仕事。本を作り、笑顔を作る。――あなたが必要です」
俺は目を閉じた。
ずっと悩んでいた。どうしていいかわからなかった。
ポメ子さんとのメッセージのやり取りが頭に浮かぶ。
目を開けると、ポメ子さんが心配そうに俺を見ていた。
彼女は書籍化をしている。それでも今は連載をしていない。
「……にゃん太が書籍化したら、私も……また……頑張って……」
ポメ子さんは小さな声で自分に言い聞かせていた。
その姿がひどく俺の心を揺さぶる。応援したくなった。
俺の答えは初めから決まってた。あの書籍化メッセージが来たときからずっと心を押し殺していた。
「――はい、書籍化……したいです。俺、自分勝手な事言ってるけど、家族に迷惑かけるかも知れないけど……、書籍化したいです! お願いします! 俺の本を作って下さい!!」
こんなにも自分から何かを願ったのは初めてだ。
心の底からの叫び。俺の本心。
こみ上げてくるものを抑えようともしなかった。
俺は感情に身を任せ泣き崩れた。
「――――――――――お願いしま……」
心の中で篠塚に感謝を伝える。
――ありがとう。本当にありがとう。君に会えていなかったら――君のメッセージが無かったら……。
背中に温かい何かが触れた。
そこからじんわりと広がる。
優しさに包み込まれた気分であった。
涙が止まらなくなった。辛い涙じゃない。悲しい気持ちじゃない。
「――おめでとう」
その一言が止めだった。
嗚咽を抑えきれない俺は――嬉しくて――泣きじゃくった
その後、父さんと冴子さんは書籍化作業の事務的な手続きについて少し話し、この話し合いは終わった。
父さんは電話越しに「真、おめでとう」とだけ言って、通話を切った。
……今度会いに行った方がいいかな。
そんな事を思っていた。普段の俺からは考えられない思考である。
「ふう〜、しっかりした親御さんでよかった……。すっごく緊張しちゃったよ。だって、お父さん、すごくかっこいいんだもん! ……えっと、詳しい話はまた今度にするね? あっ、たこ焼き買っておいたから食べて! あとは若い二人で……」
いつの間にか、背中の重みが消えていた。……それでも温かさが残っている。
冴子さんはたこ焼きをテーブルに置いてフラフラと席を立った。
「今日は酒がきっと酒がうまいわ……」
残された俺とポメ子さんは……何事もなかったかのように、たこ焼きを食べながらずっと小説の話をした。
*************
次の日、学校に行くと、いつもどおり篠塚が席に座っていた。
だが、いつもよりも眉間のシワが深い。
俺が教室に入ると、クラスメイトの温度が下がった気がした。
既視感を感じる。いつもつきまとっていた空気感。
俺は気にせず席に座った。
もう、俺は自分の意思を貫く。噂なんて気にしない、鋼の意思で打ち砕く。
教室の隅で、斉藤さんと宮崎、それに義妹までもがそこにいた。
無いやら青い顔をしながら小声で話していたけど興味も無い。
俺は席に座ってスマホをみようとした。
クラスメイトの小さな呟きを拾う。
「……あいつらヤバいな」
「本当かしら?」
「でも、同中の奴が言ってたんだろ?」
「おとなしそうな見た目してるのに……」
やはりそうか、俺の悪い噂が流れ始めたのか。
……篠塚も知っていたくらいだ。誰かが知っていてもおかしくない。
俺と篠塚が顔を見合わせた。
お互い信じていた人に裏切られた人間。
こんな状況は慣れている。しかし、噂の伝達速度と悪意の強さがいつも以上の空気を感じる。作為的な何かを感じる。違和感を感じる。
「あっ、新庄君〜! 昨日はお話してくれてありがとう。……やっぱり、私、新庄君に振られたのは納得いかないよ。だって、私の言葉を信じてくれなかったのに……、グスン。あの頃は一杯お話したのに、お出かけも楽しみにしてたのに……」
半泣きの如月が教室の入り口で大きな声を放った。
クラスは騒然とした。
「あの子可哀想……」
「あれが捨てられた女の子?」
「如月さんだっけ? すごくいい子だよね?」
「し、新庄氏……貴様……」
俺はスマホをしまって、言葉を発しようとした。
面倒事はごめんだ。これ以上、俺に悪い噂があると――篠塚まで迷惑がかかる。――俺は何を考えているんだ? 篠崎は関係ない。俺と友達でも何でも――
「如月さん、君は俺に嘘告白を――」
「やめて!! そんな嘘つかないで! わ、私の事なんて遊びだったんでしょ! ……絶対より戻すよ」
如月は俺の言葉を遮って、喚きながら教室を出ていった。
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