敵国の戦少女と終戦①
夜中、レーナの小さなうめき声で目が覚めた。隣のベッドで寝ている彼女を見ると苦しそうに額を汗で濡らしている。
心配になって彼女の肩を2、3度揺すると、レーナは勢いよく立ち上がった。心臓が高鳴っているのか両手で胸を押さえている。
「大丈夫か? 相当うなされていたみたいだが」
「ノア……ありがとう。大丈夫、怖い夢を見ただけだから」
俺は冷水で絞ったガーゼでレーナの顔の汗を拭うと、彼女はそのまま目を瞑ってされるがままになった。
「なんの夢だ?」
「昔の……戦闘の記憶。リバーブ海岸の戦い」
リバーブ海岸の戦いは、連合軍最大の反撃戦と呼ばれる上陸作戦だ。130万人近くの兵士が一斉に海岸に展開するベルツ軍の防衛戦線に攻撃を加えた戦い。この戦いで連合軍は多くの犠牲を出しながらも勝利し、ベルツ軍が守勢に立たされるきっかけとなった。
「あの戦いで、訓練のときから一緒にいた戦少女もほとんど死んじゃった。偵察任務中に対空砲が直撃してバラバラになるのは何度も見た……そのときの光景が忘れられないの」
もちろん俺もその戦いに参加した。海岸に上陸する第二波部隊として。砂浜は死んだ兵士の上にさらに人が倒れ。死体の山になっていた。海の水は血に染まりオレンジ色になっている。あの光景は一生忘れることはないだろう。
「おかしいね、毎日戦っているときはそんなこと思い出さなかったのに。こうして戦いから離れてから、夢を見るようになったの」
俺は黙って頷く。夢は記憶を整理するために見るというのは聞いたことがある。戦いから離れたいま、確かな記憶となって彼女に襲いかかっているのかもしれない。
「レーナ……実はお前に一つ言っておきたいことが……」
俺は彼女に伝えようとずっと迷っている事実があった。このタイミングが適切なような気がする。喉につっかかるなにかを飲み込み、意を決して口を開こうとしたそのときだった。
『クゥーン……』
彼女のもとに、先日この村に迷い込んできた子犬が近づいてきた。ここ数日は家の中に招き入れてミルクやパンを与えている。
「ワンちゃん! 起こしちゃったね。ごめんごめん」
レーナは動物が好きなのか、その子犬をたいそう可愛がっているようだった。両手で包み込むようにしばらくの間撫でる彼女。
「犬ってのは案外感情に敏感ってのは、本当みたいだな」
俺がその光景をみながら、話はまた今度にしよう。とあくびをしたとき、突如、その子犬がレーナの腕を飛び出し、ドアの方に向かって唸り声をあげはじめた。尻尾が上向き毛が逆立っている。まるでなにかを警戒しているようだった。
「ワンちゃん……どうしたの?」
「レーナ、静かに! なにか物音が聴こえるぞ!」
耳を済ませてみると、ぬかるんだ土を人が踏む音と話し声が確認できた。低音で抑揚のないイントネーション。これはベルツ語だ。
「まさか、こんなところに……!」
俺は急いでベッドの下に隠してあったハンドガンを手に取ると、急いで家具の裏に隠れた。
物音で分かる。彼らは一つづつ、他の家の扉を開けて中に誰かいるか確かめているようだ。まずい、他の家にいた痕跡は消したとはいえ、勘がするどい人間にはバレてしまうかもしれない。それにこの家を確かめにくるのは時間の問題だ。
どうする。奴らがこの家に入ってきたときに、言い訳することはできるのか。普通の住民を装うか? 家や身体を確認したら終わりだ。軍服や拳銃が見つかる……!
必死に頭を巡らせていると、ニーナがゆっくりと立ち上がり、ハンガーラックにかけてあった軍服を手に取った。
「ノア、落ち着いて。ここは私に任せて」
そして、彼女はそのままゆっくりと着替えはじめたのだった。
「レーナ、なにをするつもりだ?」
「ノアはここにいて。そのままベッドの下に隠れてなにも言葉を発さないでいて」
「まさかとは思うが……奴らと接触するつもりか?」
「内容までは聞き取れなかったけど、ベルツ語だった。それにあれは軍人だよ。この街に一般ベルツ市民がいるとは思えない。国外にいたベルツ市民はみんな国内に引き上げたはずだからね」
「レーナ……どうするつもりだ?」
「軍人だったらこっちも軍服を着れば会話ができる。ノア、これでも私は将校なの。いくら小娘だからって将校の話を無視するほどベルツ軍の規律は甘くない」
華奢な肉体に軍服と軍帽を纏い、ドアノブに手をかけるレーナ。彼女はこちらを一度だけ振り返り、まるで綺麗な月を見ているかのような美しい表情で微笑んだ。
「約束する。ノア、またすぐに会えるって。だから大丈夫だよ」
そう言ってレーナは扉を開けた。外の月明かりに照らされたその姿は、彼女とはじめてあったときの軍服の戦少女と同じだった。
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