第14話
電車は暗闇に包まれたトンネルを抜けると、工場地帯に抜けた。向かいの窓からは高速道路と並走している景色が拝めた。その高速道路に、空港へと向かう標識が見えた。海辺の地域ということもあって、この辺には国際空港があったのだ。
「楽しみだねえ」
もうまもなく着く目的地への思いを馳せているように、蘭子はウキウキしながら微笑んでいた。
今日俺達は、海岸沿いにある我が国でも屈指の有名遊園地に向かっていた。工場地帯に景色が終わると、まもなくその遊園地が見えてくる。海へと繋がる大きな川を越えると、思わず見上げてしまう観覧車を通り過ぎて、遊園地最寄の駅にたどり着いた。
ホームへ降りると、遊園地のBGMが発車メロディーとして流れていた。心なしか、乗車客も他の駅と比べて多い気がした。
蘭子と手を繋いで改札を出た。少しだけ気恥ずかしさもあったが、それ以上に幸せな気持ちが胸に溢れた。
それからはしばらく駅の外を歩いた。
夢の国に訪れたと錯覚するようなBGMを聞きながら、俺達は遊園地へと足を踏み入れた。
喧騒とする遊園地内で、蘭子は飛び跳ねるようにしながらはしゃいでいた。はしゃぐあまり、隣を歩く客にぶつかりそうになり平謝りをしたのはご愛嬌。
「どこから回ろうか」
俺は言った。
この遊園地は総計七のエリアに別れており、各エリアではそれぞれ決まったテーマに沿ったアトラクションが作られていた。そろそろ俺達は、入り口付近にあるお土産屋などのあるショッピングエリアを出ようとしていた。至るところにある洋風建築物は、欧米諸国に旅行したことがない俺でも、リアリティを感じる外装になっていた。
「あたし、ジェットコースターに乗りたい」
蘭子が言った。
「おっ、いいねえ」
「颯太もジェットコースター好きなんだ」
「まあね」
絶叫系の乗り物は、嫌いではない。人目も憚らずに大声を上げられる環境だなんて、とても素晴らしいじゃないか。乗り終わった後の爽快感も心地よいしな。
『ジェットコースターですか。数あるアトラクションの中でも、かつてからとても人気だったと聞いています。特に男子のリピーターが多かったそうですね』
そんな蘭子の提案を快く受け入れて、ジェットコースターのあるエリアへ向けて歩いている最中、俺の脳裏で誰かの声が響いた。
女性のような声だった。聞き覚えのない声だった。でも、覚えのある声だった。
遊園地のBGMが交じり合い、不協和音となって俺の脳裏で響いていた。不快感に襲われて、俺は頭を抑えていた。
「だ、大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ。大丈夫」
冷や汗を額に滴らせながら、俺は苦笑気味に蘭子を制した。しばらくすると、発作にも似た不快感は収まった。
もう大丈夫であることを蘭子に告げて、俺達はジェットコースターのあるエリアへと向かった。この遊園地には述べ三つの遊園地があるが、俺達は話し合いの末、近未来をテーマにしたエリアにあるジェットコースターに乗るべく歩を進めた。
エリアに向かう最中は、先ほどのような発作を再び起こすようなことはなかった。多分、蘭子と共に歩いている今の状況が、俺は嬉しかったのだと思う。そしてそれ以上に、見に覚えのない人の声などに振り回されるほど、俺の情緒は不安定なのではなかったのだと思った。
近未来らしい稜線形の外装の建物が目の前に広がりだした。先ほどのエリアとは打って変わって、流れるBGMも少しだけパンクっぽかった。
それからもう少しだけ歩くと、お目当てのジェットコースターの施設が飛び込んだ。ここのジェットコースターは屋内にあった。
「うわあ」
思わず声を上げてしまった。ジェットコースターへの乗車待ちの客が、長蛇の列を成していた。
「並ぶ?」
「勿論」
蘭子は、俺の問いかけに微笑んで頷いた。とても楽しそうだった。
俺達は長蛇の列の最後尾を目指して歩いた。最後尾には、スタッフが看板を持って待機していた。そのスタッフの持つ看板曰く、乗車待ちは百二十分とのことだった。
「長いね」
「そうかな」
そうだろう。
率直にそう思った俺に対して、
『そうでしょうか?』
蘭子だけでなく、脳裏に響く声も否定してきた。先ほど聞こえた女性の声だった。俺は再び、不快感に冷や汗をかいていた。
『接合部に亀裂。柱の劣化。その他座席にも劣化が確認出来ました』
脳裏で誰かが言った。
「そんなの、乗りたくないな」
俺は苦笑しながら呟いた。
「颯太、ジェットコースター苦手なの? 凄い汗だけど」
蘭子の心配げな声が遠くで聞こえた。
『颯太は怖がりなんですね』
再び、脳裏で誰かが言った。ずっとずっと、同じ声の女性が、俺に話しかけていた。不快感が津波のように矢継ぎ早に押し寄せた。一体、この声の主は誰なんだ。そんな疑問が浮かんでは消えていった。
不快感を覚えるあまり、俺はついに苛立ちを抱き始めていた。唇を噛み締めて、頭痛が酷い頭を抑えて、悶えていた。ふらつく足をあてもなく動かしていた。
蘭子の心配げな声が遠くで何度も聞こえていた。
『颯太、アトラクションには乗らないのですか?』
だけど俺は、その蘭子の声すら今や聞き漏らしていた。ただずっと、俺に苛立ちを与えるこの声の主への怒りを感じていた。
――誰なんだ?
思わず、頭の中で叫んだ。視界がグルグルと回っていた。今すぐに地べたに腰を下ろして、休息を取りたかった。吐き気のようなものを感じていた。
脳裏で、誰かは俺にずっと話しかけ続けていた。だから余計に不快感を抱いてしまっていた。
――お前は、誰なんだ?
『遊園地とは、アトラクションを楽しむ施設だと聞いています』
――今俺を苦しめる、お前は誰なんだ?
……そういえば。
この声の主は、まるで遊園地に来たことがないように、遊園地のことになると伝聞された話をする。
『はい』
声の主は、再び俺の疑問に答えてくれるらしい。
『それはあたしが遊園地に来たことがないからです』
止め処なく溢れていた不快感が、途端に止んだ。この声の主のことはわからない。いいや、知らないと言ったほうが正しいかもしれない。俺は彼女のことを何も知らないのだ。
しらばくして思った。そんな何も知らない彼女に、何故俺は苦しまされていたのだろう。こんな夢が溢れた遊園地で。チクショウ。俺を苦しませるにしても、どうせならもっと別の場所でやってくれよ。
この声の主には、この遊園地が一体どんな風に見えているというのだ。
『廃墟だな、と思いました』
まるで俺の疑問を解消してくれるかのように、声の主は平坦な口調で言った。
廃墟?
ここが廃墟? こんなにも夢がいっぱい詰まったこの遊園地が、廃墟? そんなはずないではないか。
『ここも廃れてしまったのですね』
少しだけ寂しそうな声が響いた。それは、この遊園地が本当に廃墟だと思ってしまうほど、儚げな声だった。
突如、俺の視界が揺れた。まるで蜃気楼でも見ているかのように、幻のような光景が眼前に溢れた。
俺の両目に映っていた景色は……。
ひびが入った劣化したアスファルト。
破れたような穴のある稜線状の白色の屋根。
遠目から見ても塗装が剥げていたり、錆びが見受けられるジェットコースターのレーン。
ボルトの錆びが顕著な座席。
そして、亜麻色の髪を揺らす女性。
君は一体、誰なんだ?
「颯太っ」
そんな幻想的な幻覚から、俺は唐突に目を覚ました。蘭子だった。涙目の蘭子が、俺を揺らしていた。
蘭子だけではなかった。周囲も何だか騒がしかった。
「どうかした?」
けだるい頭を抑えながら、俺は尋ねた。
「どうかしたじゃないよ。颯太、突然倒れたんだよ」
「倒れた?」
周囲を見れば、野次馬の隙間から救護班らしきスタッフが姿を現すところだった。どうやら俺は、蘭子の言うとおり、本当にこの場で倒れていたらしい。
「ごめん。もう大丈夫だよ」
俺は蘭子に謝罪をしながら、いつの間にか横たわっていた体を起こした。
「何言っているのよ。安静にしてて。そんな颯太を見て楽しめるわけないじゃん」
ごもっともであった。
結局その後は、酷い有様であった。どれだけ蘭子やスタッフに体が問題ないとアピールをしても、彼らが再び俺を遊園地の敷地内に跨がせてくれることはなかった。そのまま俺は家へと強制帰還となり、電車の中では蘭子にひたすらに心配されながら過ごす羽目になるのだった。
折角の遊園地デートだったのに、申し訳ないことをしてしまった。家に帰り落ち着いた頃に、俺は蘭子に対して罪悪感を抱いていた。
ただそれも、部屋の灯りを消して、ベッドに横たわっているとすぐに忘れてしまった。
再び俺は、幻覚を見たのだった。
カーテンの隙間から漏れる月夜に照らされる女性の姿だった。その女性は、見覚えのない部屋の中で椅子に腰掛けていて、机に大量に積まれた小説を読んでいた。多分、このまま一晩中読んでいるのだろう。そう思うくらい、本を読むのに熱中していた。
『少し話し相手になってくれないかい』
聞き覚えのある優しい声だった。
その声は、俺の声だった。
『はい。わかりました』
何が何だかわからなかった。
『颯太、どうして黙っているのですか』
俺は、多分この女性のことを知らない。何も知らない。
『いや、こうして考えると、何を話したらいいかわからなくってさ』
ならば、今俺の声で優しくあの女性に話しかけるモノは誰なんだ。
わからない。もう、何もわからない。
これは夢なのか。幻覚なのか。はたまたリアルなのか。
それももう何もわからない。ただわかっていることは、俺は俺の知らない何かを忘れているということだけだった。その忘れていることのせいで、俺はこの世界に生きる際に不快感を覚えて、ついには今日倒れる失態すら犯してしまった。
それだけしか、もう俺にはわからなかった。これ以上何かを知ろうとするのは、怖かった。足が震えるくらい、怖かった。それがどうしてかも、俺はわからなかった。ただ俺は、いつか飯塚が俺を評したように、卑怯者なんだと思った。理由はない。直感的にそう思った。ただそれだけだった。
『あたしは何のために生まれてきたのでしょうか』
困惑する俺に向かって、平坦な口調で女性は言っていた。
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