第6話
高層ビル群の郊外を抜けた先には、色とりどりの住宅街が並んでいた。舗装された道路をマナと並走しながら歩いた。人がいないのだから当然だったのだが、この住宅街はそれはもう静かだった。聞こえる音は、俺のスニーカーの足音と、彼女の革靴のカツカツという甲高い足音だけだった。
住宅街にはポツポツと車が止まっていた。俺が知るような四輪駆動とは似ても似つかない車だった。マナに聞けば、リニアモーターカーのように電磁力で稼動する車らしい。彼女がかつて見た景色では、この車は所狭しと道路を走り回っていたらしい。今やそんな光景、二度と拝めないのだなと思うと少しだけ寂しかった。
「そういえば、デートと言ったものの、どこを目指して俺達は歩いているの?」
かれこれ三十分超はこうして歩いている。デートに彼女を誘った俺だったが、この土地の地理感が軽薄な俺は、どこに向かうか、何をするかを全て彼女に託すのだった。思い立ったがなんとやらとは言うものの、思い立ったくせに全てを彼女に委ねる俺はろくでなしであった。
しかし弁明もあった。
マナは、デート地を考えてくれという俺の依頼を一切断らなかったのだ。二つ返事で了承して、寡黙に歩き出したのだった。
ただこうして目的地もわからず歩くというのは、恐ろしい。先日と違い命の保障があるからか、幾ばくかの恐怖が胸を過ぎっていた。
「遊園地です」
マナはそんな俺の胸中を察するかのように、快活そうなデートスポットを提案するのだった。
「おお、遊園地」
思わず感嘆の声を上げていた。技術の発展したこの世界の遊園地とは、とても楽しそうである。
「はい。おおよそ後三十分歩いた先に、その遊園地は見えてきます。かつて人がいた頃はそれはもう大繁盛していたと聞きます。デートスポットとしても有名だったと聞いたので、今回そこに向かおうと考えました」
「そっか」
遊園地をデートスポットにするとは、この世界の住人も根っこの部分は元いた世界の人間と変わらないらしい。
「俺、ジェットコースターに乗りたいな」
この世界に来てから陰鬱気味だった気持ちが、少しだけワクワクしてきていた。歩調を少しだけ早めて、俺は言った。
「ジェットコースターですか。数あるアトラクションの中でも、かつてからとても人気だったと聞いています。特に男子のリピーターが多かったそうですね」
「そうだろう、そうだろう。君も一緒に乗ろうよ、マナ」
「颯太がそう望むのであれば、承知しました」
平坦な口調で、マナが言った。自発的に望んで欲しいものだが、まあいいか。
住宅街をしばらく歩いたら、雑木林が目の前に飛び込んだ。マナ曰く、遊園地は結構な敷地面積を誇っていたそうで、その施設が外から丸見えだと張りぼて感が出ると、かつての人間が指摘して、この林が埋められたらしい。色々とこの世界の人間には文句は尽きないのだが、これに関しては納得できた。遊園地は夢の国でないといけないよな。
「そろそろ着きます」
マナは言った。雑木林の一箇所が開けていた。恐らくあそこが入り口なのだろう。
「ようし。マナ、競争しよう」
すっかりと高潮した俺は、そんな提案をして走り出した。スキップ程度の速さで走っていたら、隣を風が吹き抜けた。マナは競争しようという俺の願いに、容赦なく応じてくれていた。本当、容赦がないね、君。
「遅かったですね」
「悪かったね」
文句を言ってしまった。俺は首を横に振った。いかんいかん。文句を言うために、俺は彼女をデートに誘ったのではない。そう、今日俺はマナと楽しむために、彼女をデートに誘ったのだ。そしてそんな願いを持つ俺に、マナは遊園地を提案してくれたのだ。ここは楽しまなければなるまい。
そう思った俺だったが、眼前に聳えた遊園地を見て、少しだけ呆気に取られていた。雰囲気のあるレンガ調の道に建物は、これから俺達が遊園地に向かうのだということを認識させてくれた。ただ、深い没入感は得られなかった。レンガの隙間から生えた苔が、ここが長らく管理メンテナンスされていないことの証明だったからだ。
「凄いね」
「そうですね。この遊園地の入園者数は、かつては世界でも指折りだったそうです。それは長年の経営陣の努力の賜物だと人々から賞賛されたものだったそうですが、そういったことを颯太も感じたのですね」
いや、まったく感じてない。これじゃただの廃墟だよ、と思っていた。まあ、否定もしづらくて何も言わなかったが。
「行きましょう」
マナの言葉に返事もせず、俺達は入り口ゲートに向けて歩き出した。
入り口ゲートにはまもなくたどり着いた。稜線状の白色の屋根は、ところどころに破れたような穴が開いていた。
嫌な予感を感じたものの、文句も言えずに遊園地内部に俺達は足を踏み入れた。アスファルトの道が劣化して、ひびが入っていた。
間違いない。これは廃墟だ。元いた世界でもよくあった。経営難になった遊園地の経営者が遊園地を捨てて、そこが廃墟になったことが。管理する立場のロボットがショートして、ここは過程こそ違えど、まさしくその遊園地の廃墟と同じように廃れたのだろう。
「素晴らしいですね」
平坦に言うマナに、俺は苦笑しか出来なかった。まあ、歴史的建造物に観光に来たと思えば、ギリギリセーフかな。
「さあ、どこから回りますか?」
「そ、そうだなあ」
どこからと言われても。俺は言葉に困った。確かに、見晴らしの良い遊園地内には、観覧車だったりジェットコースターのレーンだったり、お城だったり建物が点在しているのが見て取れる。だけど、汚れだったり劣化だったりが、遠目からでも目視出来る始末であった。
「どうかしましたか? アトラクションに乗りに来たのでしょう」
「そ、そうでしたね」
「颯太、先ほどジェットコースターに乗りたいと言っていましたね」
「えっ?」
声が裏返っていた。いやいや、怖すぎるんだけど。
「行きましょう」
断ろうとするものの、珍しく押しの強いマナに何も言うことが出来ず、俺は北西に位置しているジェットコースターの前まで連れてこられていた。
遠目から見ても劣化著しいと思っていたが、ここから見たら余計それを認識させられた。
「このジェットコースターは、白亜紀の恐竜をコンセプトにして作られたコースターだそうです。調教されたプテラノドンと共に空を飛び回る感覚を味わえるそうです」
つまり、プテラノドンに乗ったまま息絶えるということか。俺は顔面を真っ青にしていた。
「さ、行きましょう」
「ちょ、ちょっと……」
文句も言えず、階段を昇らされて、目の前に座席が拝めた。座席も接合部が錆びているのがわかった。階段を昇って荒れていた息が途端に冷えた。ついでに、顔の熱も引いていった。
本当に乗るの? そんな視線をマナに寄越した。この時の俺は、完全にビビッていた。戦車に対面した時以来の命の危険を感じていた。
そんな俺の気を知ってか知らずか。
マナは、
「では、少々お待ちください」
俺を置いてレーンに降りて、隣接された階段を昇っていった。俺はただ、呆気に取られていた。
しばらくして、マナは帰還した。
「メンテナンスは必須ですね」
「そうだろうね」
間近で見ないとわからなかったかな?
「接合部に亀裂。柱の劣化。その他座席にも劣化が確認出来ました」
うん。そうだろうね。遠目でもわかったよ。
「ただ、パーツの交換をすれば再度使用出来るようになるでしょう。おおよそ三万分で再運行可能と判断します」
「そうか。たったの三万分か」
え、三万?
「それって、一日二日の話じゃないよね?」
「八日ですね」
「長いね」
「そうでしょうか?」
そうです。それだけあったら、元いた世界の遊園地で百回はジェットコースターに乗れるね。
俺は大きなため息を吐いていた。
「ジェットコースターは止めようか。仮に直ったとしても、正直怖くて乗れないや」
「颯太は絶叫系の乗り物が苦手だったのですか?」
それだと俺が見栄を張って、道中でジェットコースターに乗りたいと言ったみたいに聞こえるな。ロボットの彼女にすれば、検査結果に問題がなければ問題なしと判断出来るのだろう。だけど俺は、この惨状を見た手前、仮に復旧しても大丈夫だとはすぐには決断出来なかった。
「でしたら、観覧車はどうでしょう?」
マナは遠くに見える観覧車を指差していた。
俺は苦笑した。無茶だと思っていた。だって、こっちも大概だが、あの観覧車も大概ボロボロだったから。
きっと観覧車の天辺からの景色は絶景だろう。ただそれが最後の景色になるのは勘弁願いたい。
「観覧車も怖いから止めよう」
「観覧車も怖いとは、颯太は怖がりなんですね。もしかして、高所恐怖症でしたでしょうか?」
最早俺は苦笑しか出来なかった。多分あれに乗ったら、本当に高所恐怖症になりかねない。そう思っていた。
「と、とりあえず少し散歩しませんか?」
気付けば敬語でマナに言っていた。
「わかりました。そうしましょう」
マナの返事に再び苦笑して、俺達は階段を降りた。ところどころひび割れたアスファルトを歩きながら、俺達は古びたアトラクションを見て回った。
廃れているものの、眼前の建物の傾向から、園内のアトラクションは決まったテーマに沿ったエリア毎に別れているらしい。
ジェットコースターのあったエリアは元いた世界で言うところの白亜紀、所謂恐竜闊歩していた時代をテーマにしたエリア。
そして今歩いているエリアは、古びた洋館とかカボチャの顔とか、そういう不気味な建物が多かった。恐らくホラーをテーマにしたエリアだろう。
それにしても、管理者のいなくなったこの遊園地に、このホラーエリアの景観は調和していた。管理者不在のせいなのか、元々恐怖を駆り立てるために暗めに設計したのか、建物の古びた様相は、より一層俺におどろおどろしい恐怖にも似た感情を駆り立てた。もし夜に道に迷って、ここに訪れていたら、きっと俺は腰を抜かしていただろう。弁明するが、俺は怖い系は苦手ではないからな。つまり、景観が悪い。
「颯太、アトラクションには乗らないのですか?」
いつしかすっかり観光地に訪れた気持ちを俺が抱えていると、マナからそう聞かれた。俺は目を細めていた。ついに来たか。覚悟は中々決まらなかった。
「散歩しているだけでも楽しいじゃないか」
一先ずそうジャブを打った。
「そうでしょうか。遊園地とは、アトラクションを楽しむ施設だと聞いています」
しかし、カウンターを食らった。
俺は苦笑した。廃墟となったここの遊園地のアトラクションに乗るのは、命がいくつあっても足らない、とは言えなかった。だって、こちらから誘った手前があるんだもの。
そうして言い訳や話を逸らす方法を模索していると、気付いた。
「そういえばマナ、君はさっきから遊園地の話を語るとき、伝聞された話ばかり話してくれるね」
彼女がどう思って話したかはいざ知らず、ここまで彼女が語ってくれた遊園地の歴史とか客層とかは、全部語尾に『だと聞いています』が付いていた。つまるところ、彼女はさっきから誰かに聞いてインプットした話を、俺にアウトプットしているだけなのだ。何故だろう?
俺は聞いてから、この質問の理由に気付いた。
「はい。それはあたしが遊園地に来たことがないからです」
しまった。思わずそう思った。これまで作っていた苦笑も、強風により剝がされたポスターのようにどこか遠くに消え失せた。
「そうか」
寂しそうな声で、俺は言った。
「はい」
「じゃあ、いざ来てみてどう思った?」
侘しい感情を抱く内に、俺は気付いたらそう聞いていた。
「廃墟だな、と思いました」
それは俺と認識合っていたんだな。俺は口角を吊り上げた。
「それは、ここがもう廃れてしまったからだよ。この居住区に人がいなくなってしまって、遊園地を管理する人がいなくなってしまったからだ」
「この遊園地を管理していたのはロボットと聞きます。まあ、どちらにせよ同じですね。ロボットもいなくなってしまったのですから。それにしても、そうですか。
ここも廃れてしまったのですね」
マナの声は、いつもの平坦な口調と違い、少しだけ寂しそうな声だった。
彼女は俺と違い、この地で生まれた。任務にて長らくここから離れていたそうだが、帰ってきて見てみたらこの地の人は滅び、たくさんいた同志であるロボットも後追いしていた。
マナにしてみれば、かつて栄えたこの居住区の衰退は悲しいものでも何ら不思議ではない。だから彼女が、悲しい感情を貼り付けているように見えたのだろう。
「どうしてここを目的地にしたの?」
「この居住区のおすすめデートスポットと聞いて、真っ先にここを思い出したからです」
「それ以外の他意はなかったの?」
「すみません。例えば、どんな他意でしょう」
「そりゃ、一回は遊園地に行ってみたいからこの機会に行こう、とか」
少しだけ気恥ずかしさを感じながら、俺は答えた。
「なかったです」
即答だった。俺の胸中に、侘しさにも似た感情が広がっていた。
「ですが、興味がなかったわけではないと思います」
「え?」
俺は驚きながら唸った。
「初めに、人様を誘うのに個人的な感情を含めてはいけないと思ったんです。あくまであたしがするべきことは、颯太が楽しめる目的地を設定することだと思ったので」
マナは言った。
俺は思った。それは間違っている。だって俺は、君とデートをしたかったのだから。君が楽しめないデートなど、デートではない。
「その時に一番に浮かんだのが、話した通りここだったのです。この居住区には人が楽しめるスポットがたくさんあります。勿論、行ったことがない場所も多いですが、ここ以外のスポットを知らないわけではなかったんです。でも、その中で真っ先にここが浮かんだのですから、それは他のスポットよりもここに興味があったからだったんだろう、と。そう思ったんです」
「そっか」
真っ先にここが浮かんだから、ここに興味があったかも、か。マナの深層心理はわからない。でも、そう思ってここに俺を連れてきてくれたのなら、少しだけ嬉しい。だって、少しでも興味のあった場所に、俺を連れていってみたいと思ったってことなんだから。それだけ考えてくれた上で、俺は彼女と今、ここにいることになるのだから。
「どこのアトラクションに乗ろうか」
はあぁ。
そうなれば、いくら怖くてもアトラクションに乗らない選択肢なんて出せないじゃないか。彼女が興味のあったこの遊園地での記憶が味気ないものになるなんて、その方が俺にとっては辛い。
多分、死ぬよりも。
「いいんですか?」
「うん」
俺は微笑んだ。
「ただ、あまり危なくないやつで」
ただし、苦笑しながらそう伝えた。
「そうですね。でしたら、あれなんてどうでしょう」
しばらくアトラクションを物色して、マナが指差したのはコーヒーカップだった。他のアトラクションに比べて、このアトラクションの劣化は目視で見てみて、他の崩壊寸前のアトラクションとは違い、マシな部類に見えた。何よりも、コーヒーカップは回るだけ。つまり、死の危険を孕んでいない。うん。なんて素晴らしいアトラクションなんだ。
すぐに、マナはアトラクションの状態を確認した。
「どうだい」
俺が尋ねると、
「そうですね。多少の劣化はありますね」
マナは答えた。
「ただ、パーツ交換などは不要でしょう。百二十百分くらいのメンテナンスで復旧できそうです」
「どっかのアトラクションの待ち時間と変わらなさそうだね」
苦笑して、俺は答えた。
そういえば、元いた世界の遊園地では長時間のアトラクション待ちの時間が原因でカップルが別れるだなんて話もあるらしい。なんでも、待ち時間に話す内容が枯渇するそうだ。
初めての彼女が出来た日を想像して、確かにそんなことになりそう、とかつての俺は思ったものだ。
ただ、不思議なことに今、アトラクションの修理に励むマナを無言で眺めている俺は、この状況に気まずさとかは一切感じていなかった。
マナと一緒にコーヒーカップで回れる。そのことへの楽しみと、マナの鋼以外の心に少しだけ触れられた喜びで、この時の俺は少しだけ舞い上がっていたんだろうと、後になって思った。
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