第5話

 翌日、俺は早速行動に出た。いつもより少しだけ早く目覚めると、意気込んで廊下に出た。


「よし」


 昨晩じっくり考えた。どうすれば、マナに対する恩返しが出来るのか、と。俺は、熟考による熟考の末、一つの案を思いついたのだった。


 それは、マナの負担を軽減してあげることだった。彼女はこの宿屋に俺が住み着いてからというもの、俺の世話を毎日のように行ってくれていた。


 だから俺は、たまには自分で自分の世話をこなそうと思い至ったのだった。

 まずはこの宿屋の掃除から行おう。昨日のようにネズミに襲われたのでは堪らない。

 階段を降りて、一階のエントランスに俺は出た。


 ようし、頑張るぞ。


「おはようございます、颯太。今日は早いんですね」


 ただそんな意気込みを持った俺の腰を折るように、マナは既に行動を開始していた。手には箒が握られていて、塵を掃いていたようだ。というか、箒による掃除とか、中々アナログな方法で掃除をしているんだな。掃除機とかないのだろうか。


「何しているの?」


「掃除です」


 だろうね。見ていればわかるよ。


「毎日こんなに朝早くから?」


 一念発起したにも関わらず早速腰を折られて、堪らず俺は尋ねていた。


「いいえ、違います」


 なんだ、今日は偶然俺より早く掃除を始めただけか。マナは続けた。


「いつも一時間前には掃除を始めています。今日も同様です」


 あ、そう。

 大きなため息を吐いたら、マナは不思議そうに小首を傾げていた。


「颯太こそ、こんなに朝早くからどうしたのですか?」


「掃除をしようと思ったんだよ」


 マナの質問に答えると、彼女は一層不思議そうにしていた。


「どうしてですか? あなたの身の回りの世話はあたしの仕事です」


「いや、そんなこと決まっていないだろう」


 自発的な心がけに感心しそうになったが、怠惰に染まりそうになる自分を罰する意味でも一層強めの口調で俺は言った。

 しばらく、マナは物思いに耽るように顎に手を当てて俯いていた。


「そういうことですか」ただ、マナは何かに気付いたらしい。「昨日のようにネズミに襲われることを危惧したのですね。そのため、この宿屋を清潔にしようと思い至った。殊勝な心がけですね。感服しました。颯太」


「まあ、ネズミに襲われえることを危惧したのは確かだけど……」


 俺は口ごもった。確かにそうも思ったが、一番は君に恩返しをしたいだけなのだが。そんな俺の意図を彼女が気付くはずはなかった。何せ、俺は一言も本心を彼女に語らなかったのだから。


「殊勝な心がけに水を差すことになりとても心苦しいですが、この宿屋を清潔にしたところで、ネズミの完全な対策にはならないでしょうね。恐らく人間がいなくなった数年前からネズミの大繁殖は始まったのでしょうから」


「え、そう?」


 当初の目論見を否定されて、俺は素直に目を丸くしていた。


「はい。ただそうなると、確かにいつどこで颯太が感染症にかかる危険に見舞われるかわからないですね」


 何それ、怖い。背筋が凍った。


「わかりました。夜寝る時も含めて、なるべくあたしが颯太の傍にいるようにしましょう。あたしの目はネズミ一匹見逃しません。颯太に近づく前に殲滅してみせましょう」


「物騒な物言いだね。ただ、それは正直助かる。是非お願いします」


 思いも寄らない方向に話は進んだ。いつの間にか俺は、掃除のことも忘れて頭を下げていた。


「かしこまりました」


 そう言い、マナは掃除を再開しようとするのだった。

 毎晩の安眠の保障に安堵するのも束の間、俺は当初の自分の目的を思い出すのだった。


「マナ、掃除をするのかい」


「はい。そうです」


「俺も手伝うよ」


 当初の目的。マナの負担を減らすこと。掃除を一人で終わらせようとしていた目論見こそ果たせないが、目的は手伝いという形でも果たすことが出来る。


 そう思ってそう言ったのだが、


「いいえ、大丈夫です」


 マナに不要と言われた。


「ど、どうして。二人で掃除した方がさっさと終わるだろう」


「先ほども言ったように、颯太の世話をすることがあたしの仕事ですので」


「だから、そんなルール決まっていないだろう」


「いいえ、ロボットが人のお世話をすることは、相場で決まっています」


 俺は口論に弱かった。自らをないがしろにするような彼女の発言に腹が立ったとか。その話を覆すだけの言い訳が出てこなかったとか。とにかく色々理由はあったが、口ごもってしまったのだ。

 話はもう終わりだろと言いたげに、マナは作業に戻ろうとしていた。


「一人で掃除するより、二人でやった方が、負担が減るだろう」


 彼女の気を逸らしたくて、俺は大きめな声で言った。


「いいえ、二人でした方が結果的には負担は大きくなります」


「な、なんだって」


 ただ、その俺の話すらマナは平坦な声で否定するのだった。


「あたしは疲労を感じないロボットです。そのロボットであるあたしがしていた業務を疲労を感じる、人である颯太が引き継ぐ。結果的に、颯太に負担がかかった分、負担は大きくなります」


「俺はいいんんだよ」


「リスクもあります」


「リスク?」


「掃除中、ネズミに噛まれないとも限らないでしょう」


 俺はあざ笑うように笑った。


「いやいや、そんなことないだろう」


「ありえる話です。例えば、ソファの下を雑巾で拭いたとします。そこに偶然、ネズミが潜んでいたとします。雑巾に驚いたネズミが驚いて、あなたの手を噛む。そんなことないとは言い切れないと思います」


 まあ、確かに。人である俺はネズミに噛まれれば病気を患う危険もある。しかし、ロボットであるマナであれば、例えネズミに噛まれても問題はない。この状況を鑑みた結果、確かにこの宿屋を掃除する適任は彼女だった。


「わかりましたか。そうであれば、そこのソファで休んでいてください」


 マナは俺を、先ほどネズミがいるかもと話したソファに座るように促した。


「マナ、君は酷い奴だ」


 俺はマナに言われるままにソファの前まで歩いて、腰掛けた。そして彼女を睨みながら続けた。


「君の目はネズミ一匹見逃さない。それはいつか君が話してくれたその目にある機能、サーモセンサーのおかげだよな」


「はい。そうです」


「であるなら君は、初めからこのソファにネズミがいないことはわかっていたはずだ。俺をこのソファに座るように促したんだから、安全であるってわかっていたはずなんだ。なのに君って奴は、わざわざその安全なソファを引き合いに出して俺を黙らせた。酷い奴だよ、もう」


「言いましたよね。例えばって」


 マナの声はいつも通り平坦だったが、幾ばくか挑発的な物言いだった。


 俺はしばらく彼女を睨んでいたが、彼女はどこ吹く風で掃除を続けるのだった。エントランス内をくまなく箒で掃いていき、塵取りで細かな塵を救い上げて、ゴミ箱に捨てていた。


 マナは俺の周辺や二階まで掃除の幅を伸ばすことはなかった。彼女は俺が現れた一時間前から掃除をしていたと言っていたし、多分既にそこらへんの掃除は終わらせていたのだろう。


 従業員通路の方に、マナが近づくことはなかった。あそこの掃除は割り切っているのかなと思った。そういえば、だからこそあそこにはネズミがいたのかもしれない。


「そろそろ朝ごはんにしますか」


 掃除も一区切りついたのか、マナはそう提案してきた。


「ああ、うん」


 そういえば今日までの俺は、ずっとあの部屋でふれ腐れていた。だから、日頃彼女が提供する食事の正体を知らなかったな。


 ……ゲテモノが出てきたりしないよな。


 マナは俺の気も知らず、自動ドアの方に歩き出した。


「あ、ちょっと待ってくれ」


 俺はそんなマナを呼び止めた。


「何でしょう」


「俺も一緒に行く」


「はい。わかりました」


 特に文句も言われなかった。良かった。


 この居住区に初めて来た日のように、俺はマナの後をついて歩いた。思えばその日以来の宿屋の外の景色だった。ホログラムの空には、青い空と白い大きな入道雲が流れていた。夏を思わせる景色だった。しかし、別に汗が溢れるような暑さは感じなかった。適温といって差し支えない温度だった。

 見上げても天辺が薄っすらとしか覗けない高層ビル群を横目に、俺達は道を進んだ。舗装された三車線の道路を車が来ないことを他所に安全確認もせずに横切って、向かいの歩道にあった灰色のテナントに侵入した。中は真っ暗だった。


「ここは?」


「人間用の定食量産工場です」


 不思議な響きであった。


「ここはアナログなネズミ対策を使用していて、運よく機材が破壊されていなかったんです」


 マナは灯りを点けた。白色の壁に、緑色のゴム製のような床を俺達は歩いた。道中のエアブローは壊れていた。そんなことお構いなしに歩を進めて、最深部らしいベルトコンベアーが十列並んだ巨大な部屋にたどり着いた。


「一つだけ動かします」


 呆気に取られた俺を他所に、マナは起動をやめている機械を稼動させた。機械は縦長で、大きな穴があり、その穴の中をベルトコンベアーが通されていた。モーター駆動の静かな音が鳴った。ベルトコンベアーは動き始めこそゴムの異音を発したが、まもなくモーター音以外の音は無くなった。機械は何ら音を発していなかった。

 しばらくして、いつも食べていた加工済み食品達がお盆の上に鎮座してベルトコンベアーから流れてきた。

 マナはそのお盆の一つを手にとって、俺に手渡した。


「これ、原材料は?」


 受け取りながら、俺は尋ねた。システムがあまりに謎すぎたが、とにかく見た目は普通な定食が機械から流れてきた。多分このびっくり装置の説明は、いくら聞いても理解は出来ないだろうからやめた。ただこの食品の材料は、気にしかならないから、聞かずにはいられなかった。


「空気と水です」


「ん?」


 空気と水? そんなもので、これが作れるのか? 思わず小首を傾げていた。


「ですので、空気と水です。それでこの食品は作られています」


 どうやら理解は正しかったらしい。


「どうやって?」


「それはこの機械の成り立ちから説明しないとなりません」


 珍しくマナは億劫そうに言っていた。やはりこの機械の説明は面倒なようだ。


「ならいいや。今日まで腹を壊したこともなかったし、安全なのはわかっているし。腹も減ってるし」


 そうだ。どうでもいいじゃないか。腹も減っているしな。


 不安感は少しだけ拭われなかったが、そう結論つけて面倒事から目を逸らした。


 俺は工場内の手頃なスペースでそのご飯を食して、マナと一緒に工場を後にした。外では、先ほどと同様にホログラムの空が上映されていた。


「そういえば、俺がふて腐れていた期間、君は暇な時間はどこにいたんだい」


 外を歩きながら、俺は気になったことをマナに尋ねた。この居住区に足を踏み入れてから一週間くらい経っているが、宿屋の掃除も俺の世話も、一日の時間に換算したら数時間くらいだろう。それ以外にもマナには、たくさんの隙間時間があったはずだった。


「国防省の施設で本当に『T―二十三』に他の人間がいないのか、確認をしていました」


「なるほど」


 それであれば、いくらか時間は潰せただろう。初めにマナにこの居住区の大きさを説明してもらった。もう細かな数字は覚えていないが、とにかく巨大施設だったことだけは覚えている。その施設内をくまなく調査するのは、それなりに手間がかかるはずだ。


「それで、人はいたかい?」


「いいえ、まったくでした」


「そうか」


 やっぱり、あの映像の老人が語ったように、エゴイズムに囚われたこの居住区の人間は、皆死に絶えてしまったのだろう。


「思えばロボットが大量にショートしたことがそれの証明だったのに、我ながら無駄な行動をしてしまいました」


 マナは少しだけ悔やむように呟いていた。少しでも彼女が感情を露にするのは、随分と珍しい光景に見えた。


「そういえば、他のロボットのように、君はショートしないんだね」


「えぇ、そうですね」


「どうしてだろう?」


 不思議に思って、俺は天を仰いだ。マナは不思議そうに小首を傾げていた。


「それは颯太がいるからです」


 あ、そうか。俺も人間だったな。ロボットが尽くすべき存在とインプットされていた人間だったな。


 ……そうか。


 そんなやり取りによって、俺は気付いた。マナは人に尽くすようにインプットされたロボットなのだな、と。彼女は今日、頑なに俺からの手伝いを拒んだ。それは彼女が生まれた時に、そうするようにインプットされたロボットだからだったんだな。

 思えば初めから彼女がそういう思考だということは知っていた気がしたのだが、百聞は一見に如かずとはよく言ったものだ。こうして自らが体験したからこそ、俺は彼女の脳にインプットされたプログラムを読み解けたわけだ。


 そう気付かされて、俺はマナに視線を送っていた。同情とか寂しさとか、そういう感情を孕んだ視線だった。

 この世界に来てからというもの、俺は人には一切の同情心は芽生えなかったが、ロボットに対しては同情心とか哀れみとか、そういう心が形成されていた。

 人のエゴにより生み出されて、人のエゴにより生きて、人のエゴにより不要となれば破壊される。そんなロボット達に哀れな気持ちを抱いてしまっていた。


 そうして、彼女と過ごす内に、俺は彼女の正体を忘れてしまっていた。彼女は、ロボットなんだ。人のエゴで生み出されて、人のエゴによって生きているロボットなんだ。


 いくら顔立ちが良くても。いくら誰もが羨むスタイルを持っていても。

 マナは、ロボットなのだ。


 隣を歩く彼女の亜麻色の髪は揺れていた。人間のように揺れていた。でも、彼女はロボットなのだ。無機質なロボットなのだ。


 終末を思わせる砂漠で出会った戦車を思い出した。敵を排除するプログラムを持ち、俺に電磁砲を放ってきたあのおぞましいロボットを。

 マナは、あの戦車と同じロボットなのだ。ネズミを素手で圧死させられて、人智を超えた脚力を持っていて、平坦な口調で話すロボットなのだ。


「君は本当にロボットなのかい?」


 ただ俺は、いくら頭でそう認識したって、そうは思えなかった。マナがロボットだとは思えなかった。

 彼女はたくさんのことを知っている。確かに、人を守るというプログラムの下で行動をしているのかもしれない。


「はい。そうです」


 今だって平坦な口調で、俺に返事をしてくれた。


 でも、平坦な口調の中にも時々、ほんのたまにだけど……。俺は彼女の意思のような何かを感じていた。



 時に彼女は不思議そうに小首を傾げる。

 時に彼女は億劫そうに話す。

 時に彼女は、天使のような微笑を見せてくれる。

 時に彼女は、俺のために手をネズミの血で汚してくれる。



 彼女は本当に、ロボットなのか?

 砂漠で出会ったあの残虐非道な戦車と同じロボットなのか?

 道端でスクラップして積まれていたあの残骸と同じロボットなのか?


 いいや、違う。彼女には多分、心がある。


 人智を超えた脚力や知識を持っている。そんな鋼の肉体と人工知能を待つ彼女だけど、彼女にはそれすら超越した、プログラムを超越した何かがある。きっとその何かが俺を立ち直らせるきっかけをくれたんだ。


 俺はそう思った。


「マナ、この後は暇かい」


 だから俺は、思ったんだ――。


「はい。もう国防省に行くのも無駄ですので。時間はあります」


「ならさ、一緒にどこかに出掛けないかい」


 彼女の何かを……人に似た何かを、もっと引き出したい。

 彼女を人にしたい――。


「デートしようよ、これからさ」


 この居住区にいたようなエゴに溺れた人ではない。奥ゆかしい心を持って、湧き上がる情緒に涙して、他人と強調して生きていける人。そんな人に、彼女になって欲しい。


 マナは、


「命令とあれば従います。どこに行きましょう」


 一先ず、俺の誘いを了承してくれた。

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