第3話
「もうマスクを外しても大丈夫ですよ」
暗い通路を歩きながら、マナは言った。
対核ドーム『T―二十三』の門を潜ってどれくらいの時間が経過しただろう。俺達は今、マナ曰く居住区に繋がる連絡通路を歩いていた。通路、と言われたものの、こうして歩いていると道路の方がイメージとしては近かった。舗装されて線が引かれており、その線はどう見ても物資を運搬するような車両の規格に合わせて線引きされていた。しかし不思議なことに、通路を歩く最中、トラックのような車両とすれ違うことは一度たりともなかった。
「運搬車とかは通らないの?」
彼女のスカートの裾で出来ていたマスクを外して、俺は尋ねた。
「いいえ、いつもはもっと頻繁に通っていました。この居住区に住む人達の連絡を受けて、ロボットの運送する運搬車が物資を積んで行き来しています」
そうであろう。でも、何故だか今はその車が一台も見当たらない。
薄暗い通路で、オレンジ色のランプが天井付近で俺達を照らしていた。怪しいランプに照らされて、マナの顔がぼんやりと覗けた。彼女もまた、今の俺同様、少しだけだか眉をしかめているように見えた。
「不思議ですが、まもなく出口です。通路を抜けたら理由もわかるでしょう」
コツコツと靴の鳴る音が壁に反響して通路に広がっていった。前方から眩いばかりの光が拝めた。
俺はその光が眩しくて目を細めながら、目的地へ向けて歩を進めた。
そして、連絡通路を抜けた。
「うわあ」
思わず感嘆の声をあげてしまった。
外は一面砂漠だけが広がり、大気汚染を感じさせる悪臭、暗雲が広がっていたというのに、『T―二十三』で俺が初めて見た光景はそれらとはまるで別物だった。建造物内だと言うのに、空には青い空と白く大きな入道雲が広がっていた。天にも届きそうな高さの高層ビルが遠くに聳えていた。一般家庭の住むような家屋が立ち並んでいた。向こうには人工芝の敷かれた公園もあった。
外の薄暗く終末感漂う空間とここは、最早別世界と呼ぶに相応しかった。それくらい、ここと外が同じ世界にあると思えないくらい、これらの景色は異様だった。
公園に設置された噴水から水が溢れ流れていた。この景色だけを見ていれば、外であんなに凄惨な争いが起きていることなど想像しようもなかった。
「行きましょう」
感動とも哀れとも分からない複雑な感情を抱いていた俺を他所に、マナは平坦な声で先に進むことを宣言した。
「待ってくれ」
小走りに、俺は彼女に続いた。
「あれは何なんだ?」
歩きながら、俺は天を指差した。外の世界では拝めなかった青空と雲の正体を尋ねていた。
「ホログラムです」
「ホログラム、か……」
考えてみれば当然か。本来の雲はあんなにもどす黒く暗雲立ち込めていたのだから。居住区内に本当の太陽があるはずなどなかった。
「ここはエデンなので。外のようなどす黒い雲を映すわけにもいかなかったのです。人は美しい空に心を奪われるものです。ですので、昼には青空を。夜には光り輝く星が溢れた夜空を写すようにプログラムされています」
「なるほどね」
これも結局、人のエゴか。空をあんなに汚したのは、恐らく戦争を働いた人間達だというのに、臭いものに蓋をするように、人々はそれから目を逸らして、こんな映像に現を抜かしているのか。
再び俺は、複雑な感情を抱いていた。頭に血が昇りそうになるのを抑えながら、この感情の原因を紐解くと、恐らくこれが怒りの感情に近いことに気がついた。
「そういえば、電柱とかはないのかい」
「景観が損なわれるので、地面に埋めています」
俺のいた世界の地方の観光都市とかで、景観を損なわないために電柱を地下に埋めたところがあると聞いたことがあったが、この居住区は所詮人の生活空間にも関わらず、景観を重視するのか。正直、違和感を覚えずにいられなかった。
それからも俺は、マナの隣を歩きながら、この街を見て気になった光景を質問して回った。マナはロボットということもあり博識で、俺の疑問には大抵答えてくれるのだった。
ただ、ある時俺がポツリと漏らした質問とも疑問とも分からない曖昧な質問だけは、彼女も言葉を濁したのだった。
それは、
「それにしても、静かな街だな」
という俺の言葉だった。
『T―二十三』にマナと共に足を踏み入れてどれくらい歩いただろうか。この間に俺達は、生活観溢れる家屋や高層ビル、更には公園、プール、その他色んな道楽施設を回りながら、彼女の言う目的地に向かっていたのだが、その間巡った施設のどこにも人気は一切なかった。これだけの施設を誇る居住区なのに、それはあまりにも不自然だった。
「わかりません」
マナは平坦な声で言った。
「マナ、君が最後にここを訪れたのはいつだったんだ?」
彼女はここを人々のエデンと言った。それは恐らく、彼女はそう思った、もしくはそう誰かから教えられる程度にはこの居住区に人がいたからなのだろう。ただ、ここまで一切人気を感じないとその言葉に疑問を抱かずにはいられなかった。
「そうですね。五十年前くらいでしょうか」
「そ、そんな前なの?」
思わず声を荒げてしまった。ある栄誉ある博士の功績で、彼女は体内で無限の電力を賄えている。そうは言っても、彼女は随分と長くこの世で生きているんだな。彼女が人の寿命と比較しても莫大な時間を過ごしていることを知り、俺は大層驚いた。
「その時は確かに、この辺りにもたくさんの人が住んでいました。毎日、プールや公園、アミューズメント施設などでとても楽しそうに過ごしていました」
「そういえば、この居住区で人は仕事とかには付いていたの?」
「まさか。人様の手を煩わせるはずがないではないですか。どの施設でもロボットが管理していましたよ。でも、確かにそれもおかしいですね。その時にいたロボット達は、今どこにいるのでしょうか」
「そうだね」
そう言いながら、俺は三度複雑な感情を抱えた。
この世界の人間は、この居住区に入ってからは自堕落に己の気の向くままの時間を送っていたということなのか。かつては自らが行っていた仕事を全てをロボットに任せて。
俺達の世界でも似たような話はあった。ガラパコス携帯電話がスマートフォンへと移り変わったように、人間は自らが楽をする方向に傾倒していくきらいがあった。俺も、正直に言えばそうだった。如何に楽を出来るようにするか。如何に手軽に出来るようにするか。そういった観点から、人々の技術革新は促されてきた。
ただその観点の行き着く先。それを俺は今、マナから伝聞していた。
背筋が凍っていっているのがわかった。全てをこなしてくれる人が傍にいる状況は、とても気楽なものであろうが、苦を一切感じない人生を送る人は、果たして人と呼べるのだろうか。
俺は思わず物思いに耽ってしまっていた。この世界に来てからというもの、そういう機会がとても多かった。それだけ自らの状況とここに住む人間の状況を重ねて、自己投影して見たもの一つ一つ、感じたもの一つ一つに疑問を抱いている。何故か。多分、戒めるために。
同じ失敗を繰り返さないように、戒めるために。
「あれ」
しばらく物思いに耽って歩いていたら、隣を歩いていたマナの姿がないことに気が付いた。見ればマナは、随分と後方で立ち止まっていた。
「どうしたの、マナ」
慌てて駆け寄るも、マナは俺に返事を寄越さなかった。
しばらくして、
「随分遠くですが、向こうから匂いが漂っています」
「に、匂い?」
言われて鼻を嗅いでみるも、俺にはさっぱりわからなかった。
「人間ではわかりません。あたしの鼻は人間の五十倍は利きます。暗殺する場において、周囲で何か異変がないかを常に察知出来るようにそうなっています」
暗殺のため、と言われて、俺は顔を曇らせた。そうだ。そうだった。彼女は、暗殺用ロボットだったのだ。
「匂いって、どんな匂いだい」
「オイルの匂いです。潤滑油の類でしょう」
「潤滑油、か」
潤滑油で真っ先に思いつくのは、機械類だった。俺は続けた。
「そこにロボットがいるのかい」
「恐らくそうだと思われます。行きましょう」
そう言うとマナは、俺の手を引っ張って全速力で走った。
拒否する間もない行動に、俺はいつかの時みたく全身で風を浴びながら成されるがままになっていた。
しばらくその状態が続いて、風がゆっくりと和らいでいった。
「こ、これは……」
目を開ける前に、マナの声が聞こえた。いつもの平坦な声とは違って、困惑している声に聞こえた。
俺は目を開けた。マナを見つけて、彼女が見ている方を眺めた。そして、思わず顔を歪めていた。
鈍い鉄製の腕、足、顔。ホイール。様々なパーツが積み重なっていた。廃材ではなかった。人型の体躯をしているロボットが天辺付近で仰向けにスクラップしていた。
目の前に広がっていた光景は、まさしくロボットの墓場だった。それらのロボットは全て活動を停止していて、まるで人間の死体を積み重ねた光景に、俺は見えていた。正直、グロテスクだった。
「どうしてこんな……」
こんなことに?
俺は疑問こそ抱くも、足を動かすことは出来なかった。恐れて、足が竦んでいたのだった。
マナは無言でロボット達に近寄った。手頃なロボットの頭部を、持ち前の怪力で割って見せた。
俺は目をあんぐりと開けた。突然、どうしてそんな狂気に走ったのか、とか、華奢な見た目な彼女にあんな怪力が隠されていたのか、とか、とにかく色んなことに一度に驚いていた。
マナはロボットの割った頭部から、緑色の集積回路を取り出していた。
彼女の行動理由を理解して、俺は安堵のため息を吐いていた。
「ショートしていますね」ポツリと、マナは呟いた。
「ショート、か。どうして?」
しばらくして、マナは首を横に振った。
「わかりません」
「そうか」
この世界に来てまだ数時間。色々マナに教えてもらいながらここまで来た。しかし、それにも関わらず、随分と分からないことが増えてしまった。今更ロボットの墓場の理由が分からないことくらいで、俺はうろたえることはなかった。
疑問は積もっていくばかりだが、気を取り直して俺達は、再び歩を進めるのだった。
「そういえば、君がどこに行くつもりか、俺聞いてなかった」
ふと、歩き出した拍子に思い出した。
「はい。国防省の施設です。あたしは現在、国防省に在籍しています。そのため、今回の任務の報告を兼ねて足を運んでいます」
暗殺の任務報告を兼ねて、か。であればマナは、その報告が終わったらまた新たな任務を授けられて、誰かの命を奪う生活に戻るのだろう。
「この辺の人が一体どこに行ったのかは疑問ですが、恐らくあそこならば誰かいるでしょう」
「そっか」
俺は簡素な返事をして、それっきり無言になって物思いに耽るのだった。思わず物思いに耽りたくなるくらい、この世界に来てからというもの、疑問が矢継ぎ早に浮かんでいくのだ。うろたえることはしないのだが、疑問の整理くらいしたかった。
いや、整理というには随分と衝動的な感情だった。
かの栄誉ある博士の名前は。
どうしてここに人がいないのか。
あのロボットの墓場は何なのか。
俺は、元の世界に戻れるのか。
そんな疑問と……不安が、浮かんでは消えていった。ただ黙って歩いていると、不安が増幅し続ける風船のように膨らんでいくのがわかった。そして不意に、心臓をナイフで刺されたような衝撃にも似た恐怖が俺を襲った。
俺は元の世界に戻れるのか。
俺はあの戦車に殺されることはないのか。
俺は元の世界に戻れるまで、生きていけようか。
ホログラムにより映し出された青空が、血に染まったような鮮明な赤へと変わっていった。夕暮れだった。カラスは鳴いていない。映像に映し出された空は俺の知るものなのに、ここは俺の知っている世界ではなかった。
怖かった。叫びたいくらい、怖かった。
「颯太様は……」
そんな俺の胸中を知ってか知らずか、マナは俺に話しかけてきた。
「どうしてあたしに付いて来るのでしょうか」
電流が走るような衝撃を覚えた。この世界において、俺の唯一の拠り所である彼女からの拒絶的な一言だった。
「ごめん」
謝る他なかった。
「いえ、問題があるわけではないのです」
そんな俺に、マナは平坦な口調でフォローをした。
「ただ、あなたもお忙しい身でしょうから、あたし程度の存在に構っている時間も惜しいのではと思っただけです」
「何を言うか。今の俺にとって、頼りになるのは君以外いないんだよ」
俺は声を震わせながら否定した。
「そう言ってもらえて嬉しいです。ありがとうございます」
マナは平坦な口調でお礼を述べた。
それからしばらく、俺達は再び黙りこくった。
「そういえば俺の名前、何で知っているの?」
ふと気付いた。そういえば俺は、彼女に俺の名前を一度も打ち明けてはいなかった。なのに彼女は、いつの間にか俺の名前を呼んでいたのだ。
「何でと言われましても。どうしてでしょう」
「そっか」
彼女、意外と抜けている部分もあるのだろうか。かの博士の名前といい、時たまわからないことがある。
「まあ、とりあえず様は取ってよ。なんだかむず痒いから」
「そうですか。では、颯太さん?」
「さんも止めてよ。呼び捨てでいい」
「颯太」
「うん。それで呼んでよ。学校の友達も、俺のことは皆そう呼ぶからさ」
「学校の友達、ですか。ここに住んでいるんですか?」
「住んでないよ」俺は苦笑して続けた。「そうだな。君はさっき、俺がどうして君に付いていくのか尋ねてきたけど。俺が君に付いていくのは、俺がその友達のいるところに戻りたいからなんだよ。頼れる人が君しかいない状況だからさ、君に付いていけば、何かヒントを掴めるんじゃないかって思っているんだ」
「そうでしたか。そこへは、電車や飛行機を使ってもいけない場所なんですか?」
「行けない。中々に難題なんだよ」
そう、俺の置かれた状況は、解決する手立てが俺なんかでは思いつかない状況だった。だから俺は、不安に駆られたんだ。
「申し訳御座いません。そのような状況でしたら、あたしでもどうにか出来るかは判断しかねます」
「わかってる。でも、探せばどこかにそれを解決することが出来る人がいるかもしれないだろう?」
そうだ。初めからそのつもりだったじゃないか。彼女に付いていくのは、俺が元の世界に戻る方法を知る人を探すため。この技術革新の起きた世界に生きる人ならば、どこかにそれを知る人がいて何ら不思議じゃない。
不安に駆られる必要なんてない。絶対にいる。だから、見つかるまで探せばいいんだ。
マナのおかげだ。
口に出したからこそ、迷った心を再度正しい方向へ正せた。
「ありがとう」
だから俺は、マナにお礼を述べた。
「何がでしょう?」
「聞かないでよ。とにかく、ありがとう」
照れくさくなって、俺は苦笑していた。
それから俺達は、再び歩いた。
目覚めてからずっと歩いてばかりだ。足はすっかり棒のようになっていた。それでも、希望を見出すために、俺はマナの隣を歩き続けた。
赤かった空は、暗くなっていた。暗くなったタイミングで、見計らったように街灯が灯った。足元をしっかりと照らす、力強い光だった。
「ここです」
それからしばらくして、ようやく俺達は目的の国防省施設にたどり着いた。街並みはすっかりと高層ビル群に移ろいでいて、この施設も例に漏れずに高く聳える高層ビルだった。ビル内の部屋に、灯りが灯っている様子はなかった。
「行きましょう」
「うん」
一抹の不安を抱えたものの、マナに続いてビル内部に足を踏み入れた。
ビル内部の廊下は、心もとない非常灯が足元を照らしているだけだった。
「節電対策かな」
気を紛らわせて茶化すも、
「そんなもの必要ありません。無限の電力があるのですから」
と正論を返された。
マナは暗くても視界が不明瞭になることはないそうで、躊躇いなく歩いていった。俺はといえば、彼女に手を繋いでもらいながら歩を進めた。
「階段です。お気をつけてください」
マナの言うとおり、俺は階段の気をつけながら昇っていった。一段一段確かめるように昇っていき、暗闇のせいでどれだけ昇ったかわからなくなった頃、マナが再び廊下を歩き出した。
廊下を数メートル歩いて、彼女は大扉を開けた。
俺の視界に、久しぶりに眩い人工光が飛び込んだ。眩しくて目を細めた。少しずつその眩さに慣れた頃、俺は唸った。
「ここは?」
「『T―二十三』内部の監視カメラの様子をここでモニタリングしているんです」
「そっか」
国防省だもんな。国民の安全を守るため、こういう施設があっても不思議ではないか。
と、ここまで聞いて、俺は首を傾げた。
「ちょっと待ってくれ。君はここに任務の報告に来たんだろう。どうしてモニタリング室になんか立ち寄ったんだ」
言い終えて、先ほど抱いた一抹の不安が膨れ上がっていっていることがわかった。
ここにたどり着くまで、俺は随分とたくさん、マナに質問を繰り返して、その度に答えをもらってきていた。ためになることもたくさんあったし、やるせない気持ち、怒りを抱えることもあった。だけど一貫して思っていた。俺はマナに質問をしたことを後悔したことは一度もなかったのだ。
でも、今初めて俺は、自分が衝動に駆られて質問をしてしまったことを後悔していた。
「それは、この施設に一切の人気を感じなかったためです」
視界が暗くなっていくのがわかった。棒になっていた足に、力がなくなっていくのがわかった。
この施設にも誰もいないのか。
ここまで数時間、俺達はこの居住区を歩いてきた。その時にも、道楽施設にだって、家屋にだって、誰もいやしなかった。
どうして。
どうして、どこにも誰もいない?
どうして、どうしてなんだ。
俺の疑問は解消された。
いつの間にかマナは、俺を他所にモニターを操作していたようだ。
居住区のどこかを写していたモニターの映像が差し変わった。
「このモニター映像は一日おきのサーバーに保管されます。そのサーバー内のデータを今漁ったのですが、一つだけあまりにも容量が小さいデータがあったので、不審に思い開きました。二十年前の映像です」
マナは平坦な口調でそう説明した。
映像が始まった。
『この映像を見つけた者へ』
映像に映る老人は、生気のない顔をしていた。老人は続けた。
『この映像を見つけた者は、我が国のロボットか……もしくは他国の勢力か。それはわかりません。ですがこれだけは言わせてください。
申し訳ありませんでした。
私達は胡坐をかいてしまった。人は苦楽を感じ、成長する生き物だ。だが私達は、自らの生活を豊かにすることを、苦を排除し楽を味わうことと勘違いしてしまった。その結果、卓越したロボット工学に胡坐をかき、いつしか堕落してしまった。楽をするため、苦を感じないために、ロボットを働かせ続けた。
その結果、この居住区の人達は人ではなくなった。快楽主義者だけになったんです。自堕落した生活の中で、最上なる快楽を求めて、自殺コミュニティなる団体が生まれました。特に快楽に飢えた若者がその団体に入団し、命を捨てるニュースが後を絶たなくなってしまった。
今やこの居住区の自殺率は七十五パーセントを越えました。若者が死に逝き、生き残った老人達も寿命で死んでいく。そうしてこの居住区に残った住人は、現時点で私を含めてたった五人になりました。皆、九十を超えています。恐らく、もう数年でこの居住区の人間は滅びます。
外では、私達の先祖が起こした戦争により、未だ戦禍の渦が犇いていることを、時たま耳にします。ですが我々は……特に死んで逝った若人達は、戦争に加入しなくなったばかりに、外でそんな戦争が起きていることすら浮世離れした話だと思いこんでいました。
先日、私は初めて居住区の外に出ました。地獄絵図でした。足が震えて、初めて罪悪感という感情が胸を掠めました。
そして、この映像を残す決心がつきました。
先祖の犯した過ちと。
その先祖の犯した過ちを忘れ、快楽に溺れた愚かな私達に対する贖罪のために。
申し訳ありませんでした。
死後、私達には罰が待っていることでしょう。私達は、少なくとも世界の真実を知ろうと思います。そしてこれから逝く私達だけでも、これからどんな罰だって受けるつもりです。
だから……。
だからどうか。
許してください』
映像は途絶えた。
手が震えていた。
気が狂いそうだった。
ふざけるな。
そう叫びたかった。
「スクラップしたロボットの謎が解けました」
マナの言葉は、耳に入ってこなかった。
「ロボット達のプログラムの根底は、人間に尽くすようにインプットされています。ですが、その尽くす対象の人間がこの居住区からいなくなってしまった。だからロボットは、エラーを起こして回路がショートした。結果、あの残骸が生まれたのでしょう」
今やロボットのスクラップ理由など、どうでも良かった。
身勝手なことをしやがって。
あの老人にそう罵ってやりたかった。
何かが変わることはないとわかっているのに、そう罵って、蹴飛ばしてやりたかった。
怒りの感情はしばらく続いた。しかし冷静になるにつれて、そもそも自分が当事者じゃなかったことを思い出して、沸々とした感情こそあるものの落ち着けた。
そうだ。落ち着け。俺は彼らに怒るためにここに来たんじゃない。
俺がここに来たのは……。
俺がここに来た理由。それを思い出した途端、血の気が一気に引いていった。手の感覚はなくなっていた。目で確認するまで、自分が今手を閉じていることに気がつかなかった。
「颯太、大丈夫ですか?」
マナがこちらに気付いて駆け寄っていた。
俺は、涙を流していた。
俺がここに来た理由。それは、俺がこの世界にいる誰かに元の世界に戻る方法を教えてもらうため。
でも、この世界に……いいや、この居住区にはもう、誰もいない。俺が元の世界に帰るための方法を知る可能性のあった人は、誰もいないのだ。
「父さん。母さん」
涙は止まらなかった。マナがいくら背中を摩ってくれても、溢れる涙は滝のようになだれ続けた。
帰りたい。
元の世界に。父と、母の元に。
帰りたい。
でも、帰れない。帰る術がわからない。
胸に襲っていた不安の風船が、ついに破裂した。それを継起に、俺はマナの目も憚らずに慟哭を上げた。
ただいくら慟哭を上げても、俺が救われる術が見つかるわけではなかった。
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