第2話

「これをマスクのように口に巻いてください」


 マナはコートの下に履いていたスカートの裾をビリビリと破き、俺に差し出した。若く美貌のある女性が行えばセクシャルに感じる動作に、俺は思わず頬を染めてそっぽを向いた。いくら彼女がロボットであると理解しても、そう簡単に脳での理解は拒まれた。


「な、何で巻かなきゃいけないのさ」


 照れから反抗的な言い方をするも、


「ここの空気は人には毒ですので。気休めにしかなりませんが、どうか寛大なお心でご容赦ください」


 毒という言葉に胸が締め付けられるほどの恐怖を感じて、スカートの生地で口を覆って、頭の後ろで肩結びをした。


「ありがとうございます」マナは微笑んだ。


 再び、俺は頬を染めてそっぽを向いた。鉄仮面だと思っていたが、人らしい笑顔も彼女は出来るらしい。


「それでは、行きましょうか」


「い、行くってどこへ」


「『T―二十三』です」


「どこだい、そこ」


 まったく聞き覚えのない名前に、俺は首を傾げた。


「ここから東に十二キロほど先にある人間の居住区です」


「きょ、居住区」


「はい。核戦争により砂漠と化したここのような劣悪環境とは違い、『T―二十三』は人々のエデンと呼ばれています」


 エデン。楽園、か。


「って、ちょっと待ってくれ。核戦争って、あの核戦争?」


 慌てて尋ねると、歩き出していたマナはこちらを振り返って、首を傾げた。


「はい。核戦争は核戦争です。数百年前、北の国が投じたウラン型核弾道ミサイル十三発が我が国の主要都市を襲いました。かつてより核頼りの外交をする他生きる道がなかったかの国は、王朝制を存続させるために遂には核戦争を始めるしかなくなったのです。そして、その戦争が発端となり、わだかまりを抱えていた各国が戦争を始めて、世界大戦が始まりました。

 そんな中我が国は、核による多大な損害を受けながら、国民が生きるための最終手段として対核ドーム『T―二十三』を建設し、そこを国民最期の居住区として生き永らえてきました」


 俺はイマイチ彼女の言う言葉に現実味を感じられずにいた。戦争と一口に言われても、俺はそのおぞましい人類の失態を経験したことはない。だから、それがどれだけおぞましいものかわからない、と言ったほうが正しかったかもしれない。


 ただ無言になり、彼女の隣で息を荒げながら歩いていると、眼前に映るこの荒廃とした光景がマナの言うことが真実であると語っていることに気がついた。背筋が凍っていくのがわかった。


「我が国は生き延びるために必死の外交を続けましたが、それも中々上手くいきませんでした。各国が戦禍に巻き込まれていたのも理由の一つにあったでしょう。どこの国も、落ちぶれていく国を助けるだけの余裕がなかったのです。

 少しずつ我が国は疲弊していきました。生き残った国民も飢餓による餓死が相次ぐようになり、壊滅寸前まで国は追い込まれました」


 戦争の悲惨さは教科書で見て読んだことしか俺は知らなかった。だけど、ここまで荒廃した世界を目の当たりにして、その悲惨さのリアリティを知ると、途端に涙を流しそうになるほどの焦燥感に駆られた。


「そんな時に我が国を復興に導いたのは、ある博士による前人未到の発明でした」


「発明?」


「はい。電力の無限化に成功したんです」


「電力の無限化、か」


 それはつまり、環境に悪いとされる火力発電や原子力発電に頼らずに電力を一生涯賄えるということか。


「す、すごいね」


「えぇ、素晴らしい技術力です。実はあたしにも、その技術は転用されているのです。そのため業務の際に、バッテリー切れによる失敗というロボット最大のデメリットを排除することが、かの栄誉ある博士のおかげで実現出来ました」


 マナの業務。つまりは暗殺で失敗することがなくなった、ということか。それを誇らしげに語る彼女に、俺は再び恐怖心を覚えさせられた。ただ、それを言うことすら恐ろしくて、俺は苦笑した。


「他国ではまだ実現出来ていないその能力を得た我が国は――」


「その技術を他国に売って、外交で有利になっていったとかかい?」


 マナの言葉を遮って、思ったことを言った。


「いいえ、我が国は戦争に出ました」マナは首を横に振った。


 どうやら事態は俺が思っていたよりも深刻だったようだ。どうしてわざわざ戦争に出る必要がある。

 眼前の状況を鑑みて、戦争の恐ろしさを知って、余計に俺はそう思わずにいられなかった。


「核による影響で、最早この地は不毛地帯となったんです。だから、他国に勝利し土地を占領することこそが、復興への近道でした」


「戦争に出たって、敗戦国になるリスクを思えばそんなの正しいとはとても思えない。人だってたくさん死ぬだろう」


「いいえ、人間は死にません。我が国ではロボット工学が他国に比べて非常に優れていたのです。それも、かの栄誉ある博士の功績でした」


「……ロボットと戦争になんの関係がある」


「ロボットを戦場に向かわせたのです」


 俺は目を白黒とさせた。


「かの栄誉ある博士の功績により、我が国では他国と比較しても類稀なAI技術。ロボット工学。そして、無尽蔵の電力を得ました。鋼などの資源に限りこそあれ、対人相手にロボットが敗北することなどあるはずがありませんでした。

 当然、我が国は向かう戦争に全戦全勝。順調に領土を拡大させていき、かつて列強国と呼ばれた威厳を取り戻していきました」


 人相手に、知能を持ったロボットが敗北を喫するはずは確かにない。先ほど、俺はマナに人智を超えた能力でこの場まで移動させてもらった経緯がある。故にそう認めざるを得なかった。


 ただ、疑問は多数残る。


 特に俺が疑問に思ったことは、何故その類稀なAI技術は人々に氾濫を起こさないのか、ということだ。俺の前いた世界では、近代になるにつれて、AI技術は順調に発展していっていた。そして発展していく内に実しやかに囁かれるようになった噂がある。


 それは、人類を滅亡させるのはAIになる、という根も葉もない噂だった。いいや、根も葉もない噂ならば広まることはなかったはずだ。特にネット社会が高度化した現代においては。それにも関わらずそういう噂が広まっていったのは、まさしくその噂が現実になる可能性を、人々が危惧したからであろう。

 将棋という競技において、有名棋士がAIに敗戦するというニュースは、現代では珍しいものではなくなった。その例からもわかるように、AIは人智を超えた速度で学習、分析をしていっているのだ。そんな彼らの潜在能力を皆が知ったが故に、その噂が噂ではなくなっていったのだ。


 故に思う。


 何故この世界の、この国のAIは、自らを道具として認識している人達に対して反逆を起こさないのか、と。もし反逆を起こしたら、ここまで成長したAIが人間を一網打尽にすることは容易だろうと思えた。


 ただその理由は、しばらく考えて、俺の隣で歩いているマナというロボットを見ていると納得出来た。多分この世界のロボットは、洗脳にも近いプログラムを仕組まれている。人に歯向かわないようにインプットされているのだろう。だから、この国の人々に対して反逆を起こさない。いいや、起こせないのだろう。


 多分、それもマナの話に何度も出ている、かの栄誉ある博士の行ったことであろう。


「ねえ、その栄誉ある博士の名前はなんて言うの?」


 だから俺は、そんな不栄誉な博士の名前をどうしても知りたいと思った。


「博士の名前ですか? それは……」


 マナは天を仰いだ後、言葉を失った。不思議と目も虚ろになっているように見えた。


「えぇと……」俺が口ごもっていると、


「わかりません」マナは困惑気味に答えた。


「え?」


「わかりません。誰だったでしょうか」


 とんだ肩透かしを食らってしまった。俺は大きなため息を吐いて、項垂れた。


「申し訳御座いません」


 あまり申し訳なくなさそうに、マナは頭を下げた。


「いいよ。もし思い出したら、その内教えてくれよ」


 俺は苦笑しながら、マナのフォローをした。まあ、その内は一生来ないと思うけどね。


 一先ず目的であったこの世界のことを、マナから教えてもらうことが出来た。この世界は何と言うか、俺のいた世界よりも随分と荒んだ世界だったらしい。正直、何がどうなってこんな世界に俺が迷い込んでしまったのか。その疑問は多分、永遠に晴れることはないだろう。


 ただそんな疑問はさておいて、俺のいた世界よりも、この世界の技術力は随分と高いものであることはわかった。


 であるならば、異世界転移する方法の一つや二つ、簡単に見つかるに違いない。


 それからの俺達は、先ほどまでと違って随分と静かに目的地である『T―二十三』への道を歩いた。依然として周囲は砂漠以外の景色が拝めることはなかった。


「大丈夫ですか、颯太様」


「ああ、大丈夫」


 砂漠を歩くというのは結構な重労働だった。歩くほどに靴の中に砂が進入していき、靴が重くなってい

く。たまに取り払ってもすぐにまた靴内が砂まみれになるのだ。だから、とにかく俺は疲れていた。荒れた息を取り繕いながら、俺はマナに苦笑を見せていた。


「先ほどのように颯太様を引っ張って走りましょうか」


「いや、それだけは勘弁してくれ」


 マナの申し出を丁重に断った。絶叫系の乗り物が苦手な俺にとって、あれは結構おぞましい体験だった。


「まあ、さっきみたいに戦車に襲われるのも怖いよな」


 断ったものの、先ほど受けたそれ以上におぞましい体験が脳裏を過ぎった。俺は続けた。


「マナ、後どれくらいでその、『T―二十三』に着くの?」


「後二キロくらいです」


 なんだ、そんなものか。


「なら、やっぱりこのまま歩いてしまおう。良かった。まだまだ距離があったら、やっぱりあの戦車に襲われる危険性を考慮して、引っ張って走ってもらうところ……だった」


 気軽に言葉を紡いだ俺だったが、一つの疑問に気付き物思いに耽った。


「どうかしましたか?」


「マナ、君さっきあの戦車を、敵国の戦車と言ったよな」


「はい。言いました」


「それっておかしくないか?」


「何故でしょう?」


「だって、君は核戦争が勃発したのを数百年前と言っただろう?」


「正確には三百年前です」


「三百年前。ならばやっぱりおかしい」


「何がでしょう?」


 俺は再び黙りこくった。しばらく唸って、どうやって話したものかを精査して、静かに話し始めた。


「その核戦争が起きたのは三百年前。それで、この国が列強国と復活出来た、と。そこまではわかった。

でも、何でまだこの国に敵国の戦車がある? 君が語った戦争の話は、それこそこの国の数百年前の歴史上の話なんじゃないのか?」


「戦車がいるのは戦争が終わっていないからです。歴史上の話ではありません。現在進行形で戦争は続いています」


「す、数百年も戦争が続いている?」


 そんなことってありえるのか? 人の数には限りがある。資源にだって限りがある。それなのに、そんな長期間戦争を各国が行えるものなのか。


「ここまで戦争が長期化した理由は、既にこの戦争に人間が関わっていないからです」


「人間が関わっていない?」


 どういうことだ?


「人間の崇高なる思想の下、あたし達は日々敵国と戦争を行っています。ただし、その崇高なる人様に危害が加わるような結果をあたし達は望んでいないのです。

 そのため、ロボット製造、廃材回収、戦闘。その他諸々の業務は人間からあたし達に引き継がれています。これはこの国だけの話ではありません。他国でも技術革新が進み、今やどの国も戦場にはロボットが出向いています。それ故に、この戦争は長期化しています」


 マナの話を聞いて、俺は思わず顔を歪めてしまった。

 そうすることが当然だと思っているというくらいにマナが平然と語った話は、俺の心に罪悪感という杭を打ちつけた。


 ロボットの力は人智を超えている。それ故に、人が行うよりも完璧に、任務を遂行出来る。対人であればいざ知らず、同じロボット同士が行う戦争となれば、戦況が拮抗して長期化するのは何ら不思議には思わなかった。


 ただ、それを真実として認めたくない心があった。だってそれはつまり、彼女達ロボットは今、人のエゴにより生まれ、人のエゴにより破壊され、人のエゴにより生きているということになるからだ。


 そんなのって……。なんて惨いんだ。惨すぎる。


「どうかしましたか?」


 顔を歪めた俺を不思議に思ったのか、マナは小首を傾げていた。


「いいや、何でもない」


 俺は取り繕うように首を横に振って、苦笑する他なかった。

 ロボットには何の罪もない。そう気付かされる話であった。全てのロボットは人のエゴにより製造され、活動している。どれだけ強大な力を有していようが、それも結局人が望んだ結果なのだ。人が望まなければロボットは力を持たず、人畜無害として生まれてこれた。

 そんなロボットに、いいや、彼女に恐怖心を抱くだなんて、俺はなんて失礼な奴なんだ。そう気付かされて、自罰的に、俺は自らの頬を軽く抓った。


「そろそろ着きますよ」


 マナの言葉に、俺は微笑を見せた。先ほどまでのような恐怖の滲んだ取り繕う笑顔では、決してなかった。


「うおおっ」


 思わず唸ってしまった。

 眼前に聳えた巨大なドームは、対核という名に相応しく、強固で分厚い装甲をしていることがわかった。


「総面積六百二十七平方キロメートル。高さ十キロメートル。耐熱温度は推定十万度と言われています。


 この対核ドームは半径五百メートルに近づかない限り、視界に捉えることが出来ないように、特殊な蜃気楼を生むようになっています。航空機で上空を飛ぶ際は座標を確認されて爆撃されないよう、ジャミング電波を発しています。勿論、自国のロボットにそのジャミングの影響はありません」


 マナの語ったこのドームのスペックが如何程のものか、正直想像すら及ばなかった。しかし、これがこの国の人間の英知の結晶であることだけはわかった。


 戦争という負の遺産も現在進行形で抱えるこの国ではあるが、それでも劣悪な環境で生きるために築いたこの要塞居住区に、俺はいつの間にか感動の涙を流していた。


 美しい光景だった。瞼を閉じても、その瞼の裏にこの光景が蘇るような錯覚すら覚えるほどに。それくらい美しく、心揺さぶられる建造物だった。


 人は生きるために生きている。


 本能的に、そう気付かされる光景だった。


「さあ、行きましょう」


 マナの後に続き、俺は『T―二十三』に足を踏み入れた。

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