#10 PM7:20 落窪駅埼京線ホーム
いつもは通り過ぎている駅で、電車が突然止まった。トラブルがあったと、車内アナウンスで説明され、ホームへ出るように指示される。
初めて降りた駅のホームは、電車を待っていた人たちの顔で埋め尽くされていた。ひそひそと交わされる声で、人身事故が起きたことを知る。
胸の中に、血のようにどろりとした液体が広がる感覚がする。事故だったのだろうか、自殺だったのだろうかと、分かったとしても仕方のないことを考える。
ふと、一人の男性と目が合った。二十代くらいのその人は、喪服のスーツを着ていて、この中では唯一の無表情だった。背筋がぞくっとして、思わず目を逸らす。
死んだのは、私の方だったかもしれない。
そんな言葉が胸に浮かび、それを振り払うように早足でホームを横切った。
駅から出たら直面する広場で深呼吸する。知らない町の風景と空気は、気持ちをそぞろにさせるのかもしれない。
どこへ行こうかなと左を見た瞬間、見覚えのある男性が花壇に座っていた。あの人は誰だっけと考える間もなく、名前を呼んでいた。
「尾道君?」
こちらを向いた、高校時代の同級生だった尾道君が、気まずそうな顔をした。その左頬が赤く腫れていて、手を当てている。
「え、大丈夫?」
「あ、うん、坂下さん、お久しぶり」
無理に笑おうとする尾道君のことが心配になり、私はすぐそばの自販機でお茶のペットボトルを買い、自分のハンカチと共に彼へ手渡した。
「これで冷やしてて」
「ありがとう」
深々と申し訳なさそうに頭を下げた尾道君は、早速ハンカチとペットボトルを腫れた頬に当てる。
理由を聞いていいのかと悩んでいると、沈黙に耐え切れなかったのか、彼の方から口を開いた。
「実は、フラれちゃって……」
尾道君は、出かける前に掃除する癖のせいで彼女にフラれたという話をした。
それを聞きながら、彼は真面目なのに、いつも遅刻ギリギリで教室に来ていたことを思い出していた。ただ、私はそれとは別のことを話していた。
「それで嫌いになるって、手厳しい彼女さんだね」
「いや、しょうがないよ、三回目で、前にも約束したのに」
「でも私、元彼に五時間遅刻されたことあるよ。それも謝られなかったんだから」
「え? 五時間?」
「別の人だけど、十六股かけられたことあるし」
「十六股?」
「あと、一番新しい彼氏は、私の財布からお金を抜いていて、計三十万盗られていたんだよ」
「三十万?」
「比べるのは悪いけれど、尾道君は全然普通の人だよ。自信持っていいくらい」
「……坂下さん、壮絶な恋愛をしていたんだね……」
ずっと数字を鸚鵡返ししていた尾道君が、呆れたというよりも感動した様子でそう言った。
彼のこの反応を見ると、私の恋愛遍歴も、それほど悪くないような気がしてくる。
「尾道君、この後空いてる?」
「うん。デートが無くなったからなぁ」
「私も電車のトラブルで足止めしていたんだよね。ちょっと呑まない?」
「いいよ」
尾道君が弾む声で頷いてくれた。
元気になってくれてよかったと思いながら、私たちは同じタイミングで立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます