#7 PM8:02 緑石通り・東向け


「モテたい」


 助手席の笹丘が、唐突にそう呟いた。

 面倒なので、運転に集中しようと思ったが、「俺の生活には愛がない!」と大袈裟に嘆いていて、うるさい。


「なあ、半谷はんがや、お前は羨ましくないか?」

「何が?」

四ヶ峰よがみねのことだよ。あいつは俺たちがこうして働いている間も、家でイチャイチャと……」


 笹丘は、先週籍を入れた同僚の名前を挙げて、盛大に舌打ちをする。


「帰る瞬間のあいつ、見たか? 『ウチでこれが待っていますから』って、小指を立ててたんだよ」

「俺は、正直、そのジェスチャーは古いなぁと思ってたけれど」


 本当にこいつは同い年か? と疑っている俺の横で、笹丘は嫉妬の炎を燃やしていたらしい。

 しかし、うざったいくらいにラブラブアピールをする新婚を見てると、独身・恋人なしの自分が寂しく感じる気持ちは分かる。その分、笹丘の「モテたい」発言には、違和感があった。


「けど、お前はパートナーが欲しいんだろ? モテモテになりたいというのは、ちょっと方向が違くないか?」

「分かってないなぁ、半谷君は。要は、母数と確率の問題なんだよ」

「はあ」


 まるで、落ちこぼれに勉強を教える数学教師のような口調で首を振った笹丘に、俺は気のない返事をすることしかできない。

 この時間帯には珍しく、ここの通りは混んでいた。事故や工事ではないようだが、今日は下の方で何かあったっけなと、全然別のことを考える。


「いいか、俺のことを好きだと言ってくれる人が三人いるのと、十人以上いるの、どちらの方に俺の運命の相手がいると思う? それに十人以上の方が、よりいい相手と巡り合えるのかもしれない」

「つまり、選りすぐりたいわけか」

「その言い方はちょっと悪いけど、まあ、そんな感じだな」

「で、モテるために、何をするんだ? 合コン?」


 自分で言うのはあれだが、俺たちの仕事のことを話すと、ある程度は食い付かれる。もちろん、そこからどう転がっていくのかは、言った本人の腕次第なのだが。

 だが、笹丘はやれやれという風に首を振った。


「そんな浅はかなことは考えない。俺は、ヒーローになるんだ」

「はあ」


 こいつ、こんなに幼稚な奴だったけ? と、ブレーキを踏みながら思う。

 何か悩んでいるのなら、遠回しに聞き出してみようかと考えている俺をよそに、笹丘は力強く自分の考えを演説する。


「悪人を捕まえるとか、そんな大それたことでなくてもいい。横断歩道を渡れないちびっこを誘導するとか、道に迷った外国人を案内するとか。そういうことの積み重ねが大事だ。そのために、常日頃から、周りに気を配っておかないと。例えば、隣の車で、誘拐事件が……」


 ふいに、笹丘の言葉が途切れた。丁度、車が止まったタイミングだったので、俺も左を見た。

 そこには、白い軽自動車があった。運転席に座っているのは女性のようで、助手席の方を向いている。髪を振り乱しながら、右手を振り上げている――その向こう、小さな子供の足が、バタバタと暴れていた。


 一瞬、先程までの馬鹿話が嘘のように、車内は静まり返った。

 まだ、見えた光景の処理がつかない俺に対して、笹丘の行動は早かった。エアコンの下にあるスピーカーマイクを手に取り、外へと呼びかけた。


『左の車、寄せてください』


 振り返った運転席の女性は色を失っていて、僅かに見えた小学校低学年くらいの少女は、涙で濡れた頬のまま、ぽかんとこちらを見ていた。







































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