#6 AM12:56 落窪総合病院・C病棟
私の命は、もうすぐ尽きるのだろう。
ぼんやりとした意識の中でも、それだけは鮮明に分かる。
ベッドの上に寝かされた私の視界には、見飽きた病室の天井と息子の走一の顔が見える。心配そうな走一は、先程からずっと手を握っていて、その温もりだけを感じている。
私はこの運命を静かに受け入れていた。父親として、走一を立派に育て上げることができたというだけでも、満足していた。
……だが、じれったいほどゆっくりと秒針が進み、まだ自分が生きていることを意識すると、欲が芽生えてしまう。
思い浮かぶのは、生き別れになった娘の姿だ。彼女が中学生の時以来、一度も会っていない。
娘は、もう二十三歳になっている。私が覚えているのは、黒いセーラー服に、鴉の濡れ羽色の髪を、後ろで一つにまとめている姿だった。
酒癖の悪い妻と離婚する際に、妻を心配して、彼女の方に行った優しい娘。「お父さんも、体に気を付けて」と、別れ際に泣きそうな顔をしていた娘……彼女は今、どこで何をしているのだろうか。
そんなことを考えていると、走一が、私から顔を逸らした。病室の出入り口の方を見ているが、私は首を動かせず、音もよく聞こえない。医者か看護士が来たのだろうか。
「ちょっと待ってって」と、走一は口をそんな風に動かして、私の手を離して立ち去った。空っぽになった手、集中しても、小指一本動かせない。
しばらくして、走一ではなく、一人の女性が、私の顔を覗き込んだ。
髪型がショートカットになっていても、スーツ姿でも、一目で分かった。娘だ。
彼女を抱きしめることも、歓喜の声すら出すことのできないこの体が憎い。震える心のまま、一生懸命、彼女に手を伸ばす。
娘は、私の手を握ってくれた。ずっと外にいたのだろうか、私よりも冷たい。握りしめてくれたその手に、これまで会えなかった分の愛を送る。
私は、呼吸器の中で、娘の名を呼んだ。
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