167話 悪夢の先触れⅠ

 その後も幾度かの見張りの交代を重ねて王都イシュドルへ向けひた走る。夜が明ける頃には森を抜け、日が高くなってきた所でボボとボビの様子を見たボブさんが脚を止めさせ、二頭の休息をはさんだ。


 夜通し駆けたボボとボビは白い息を大量に吐き出し、俺達の目にも二頭の疲労が見えている。ボブさんが餌と水をやりながら二頭の状態をくまなくチェックし、怪我や異常はなく引き続き走れることが伝えられる。


 だからと言ってすぐに発つわけにはいかない。ボボとボビの呼吸が戻り、後ろ脚の熱がある程度下がるまでここで待機となった。


 箱から降り、皆でグッと背伸びをしつつ昼食を取る事にした。今日中には王都に到着する。それはもう保証されたようなものなので、ついでにここで代金を支払う旨を伝える。ボブさんはまだ早いと最初は拒んだが、到着すればその余裕も無いかもしれないと強引に手渡した。


「…これ多すぎやしねぇか? アルバ通貨なら王都まで金貨一枚が相場だ。偉そうにするヤツにゃ前金取って途中で追金吹っ掛けるが、兄ちゃんらは違う。メシまでもらった上にこんなにもらえねぇよ」


 俺が渡したのは金袋に入っていた残りの金貨三枚。後は銀貨が少し残るくらいだ。ボブさんの言う相場の三倍だが、使うべき時に使う。それが次につながると、スルト村の万事屋の店主ニットさんからの教えだ。感謝と十分な報酬。これで店にも覚えてもらう事が出来るし、いつか思いもよらない形で返ってくるのだと。


「よいのです。正直、予想以上に役立ってもらえました。多すぎると言うなら、ボボとボビに美味いものをたんと食わせてやって下さい」


「ヒモが緩い時と固い時の差が激しいのよ…街じゃ全然買い食いもさせてもらえなかったし…ブツブツ…」


「なにか言ったか?」


「べっつにー? ボブさん貰っときなって。この人こうなったら引く事知らないから」


「わ、わかった…恩に着る…は、違うな。次また使ってくれた時にサービスさせてもらう」


「それは有り難い」


 こうして日が頂点を折り返した頃に王都へ向け再出発。ボボとボビは何があったのか、しばらくいなないていた。



◇ ◇ ◇ ◇



 王都イシュドル。


 この都は王城を中心に綺麗に円を描くように貴族街、平民街、貧民街に分かれ、城を起点に放射線状に八本の大通りが都を貫いている。大通り沿いに立つ建物は貧民街区であろうと大きく、見事な装飾が施されおり、その佇まいたるや帝都の建築物に勝るとも劣らない。


 だが貧民街区は大通りから一歩小道に入るや、その様相を大きく変える。建物はあばら屋がほとんどであり、女子供が一人で歩くには危険が過ぎる。狭く未整備の道は高い外壁のお陰で滅多に陽が当たらず、常に湿気を帯びている。そのような道に家を持たぬ犯罪者や逃亡奴隷、親を亡くした行く当てのない孤児があちこちにたむろし、今日という日を生き抜く事で精一杯の生活を続けていた。


 不衛生を極める環境は伝染病を生み、多くの者が治療を受ける事が出来ずに死んでゆく。病に罹からずとも空腹で息絶える者や、やっとの思いで得た食料目当ての略奪に合い、結果殺されてしまう者も大勢いる。


 貴族やそれに準ずる大商会、奴隷商などは平民からあらゆる手段で財を搾り取り、そのような者達に搾り取られた平民は、なんとしても貧民街スラムには堕ちまいと必死で働いた。


 光と影が色濃く現れる貴族社会の見本のような都市。それが王都イシュドルだった。


 そんな貧民街の一角のとある夜。


 ジメジメと湿気を帯びた部屋には一人の男がいる。古びたマントで全身を覆い、目深にフードをかぶったその男の元へ、粗末な服だが手入れの行き届いた剣をたずさえた者が訪れた。


 フードの男はほぼ湯と化している薄い茶をすすりながら、訪れた男の報告に耳を傾ける。


「王は降伏どころか、こっちに攻め込んでくるつもりだぜ」

「…なにがあった?」

「ああ。さっき六番街の貴族門の前で一隊が突っ込んで来やがった。こちとら手を出さずにいるってのによ」

「ただの挑発だろう。絶対に手を出してはいかんぞ。こちらから手を出した瞬間、これ見よがしに大挙して攻め込んでくる」

「それが納得できねぇ…もう数は圧倒してる。勝てばいいだけだろうが」

「最初に言っただろう。お前のようにみな元冒険者じゃないんだ。一般人が数を頼りに押し込み戦っても、国王直属の騎士団には到底敵わない。それに王を亡き者にできたとしてもその後どうする。クーデターで出来上がった国を他国に認めさせるのに何年かかると思ってるんだ」

「王族を殺せば帝国も攻める理由が無くなるだろ」

「王家を打倒したからもうこの国に関わらないでくれとでも言うつもりか? 帝国はそれを信じて派兵を止めるようなヌルい国ではない。仮に止められたとしても、国が維持できぬほどの賠償を迫られる。当然払えなければ元の木阿弥。それにお前、一生かけても払えぬ税を全国民に背負わせる気か」

「ぐっ…ならどの道もう、この国は…」

「終わりだ。どうあがいても」


 反乱民リーダーのストラードは平民である。元々冒険者だったが、若くして父が亡くなると家業を継ぎ、靴職人として生計を立てていた。だが戦争が始まると同時にこれまでに例を見ない程の高すぎる税が課され、数か月後には民の命を何とも思っていないかのような徴兵令がばらまかれた。


 職人としてそれなりの技術を有していたストラードは腕を買われて徴兵されなかったが、友人やその子供もろとも戦場へ駆り出され、その多くが帰らぬ人となった。


 彼は命からがら戻ったごく少数の者達を訪れ、生き残った喜びや、武勇をねぎらいついでに聞いてやろうと思っていたのだが、みな頑なに戦争に関しては口をつぐんだ。


 その様子に、余程凄惨な光景を目にしたものと思ったストラードは、心の傷が癒えるまで彼らに会いに行くのはよそうと決めた。


 侵略だろうが防衛だろうが、戦争は避けられない国である事は知っている。戦争をして来たからこそ、ジオルディーネ王国は大国となったのだ。


 だが、ある時から貧民街の住人がこぞって行方不明になっているという噂と、その者達をさらったのは国王軍だという話が真実味を帯び始めた時、次は平民の番だと危機を感じた。


 そして、今の王は異常だと、ストラードは家族と友人のため、そして生きるために再度剣を取った。


 反王族を掲げ、志を同じくする者達をまとめていたストラードの元へやってきたのが、二人の国王直属騎士に抱えられた元王国軍作戦参謀のフルカスだった。二人の騎士は逃げる際に受けた傷が原因で死んでしまったが、フルカスは彼に王国の現状を伝え、無謀な戦いを諫めに来たと言ったのだ。


 出会ってすぐ、なぜ自分がリーダーだと分かったのかと問うたストラードに、フルカスはこう答えた。


 『それが分からないなら、国王軍とは戦うな』と。


 この言葉で自分の知らぬ間に完全に軍に動きを知られていた事を悟り、戦慄を覚えた。それ以降、フルカスの意見を軸として反乱民を導く立場となっている。


 だが、フルカスは元々軍の参謀。仲間は絶対に彼を受け入れはしないだろうと考えたストラードは、彼の存在をほんのごく一部の者にしか知らせていなかった。


 因みに、そのごく一部の者に隠者の目ハーミットの構成員が潜んでいる事にはフルカスすら気付いていない。蛇足だが、全ては帝国の掌の上なのだ。


「王には降伏して頂き、早々に戦争を終わらさなければ王都は戦場となり、廃墟と化すだろう。王国騎士では帝国騎士に勝てないばかりか、民も大勢巻き込まれる。それだけは避けねばならない」


「あんたの命令でどんだけ人が死んだか知ってんのか。戦争指揮しといて今更いい人ぶるんじゃねぇよ。反吐が出るぜ」


「…分かってくれと言うつもりはない。ただ、今は耐えるんだ。無謀な真似だけはするな」


「ちっ」


 床に唾を吐き捨て、部屋を後にするストラード。その背を見つめるフルカスは、自身の背負う業を嫌という程知っている。


(仕える王を間違えたなどとは思わない。生涯最初で最後の負け戦。民の為にいかにして負けるか。勝つ事より難しいとは思わなかったが…戦争屋として、最後まで絵を描いてやるさ)


 ただ一つだけ、王国が帝国にかもしれない可能性がフルカスの脳裏をよぎる。


(女王ルイ。かの者が魔人となり陛下の手足となれば、手を貸す冒険者もろとも帝国軍を蹴散らす事も出来るかもしれん。だが、その未来は帝国に支配されるより遥かに暗いものとなってしまうのは間違いない)


「ストラード、真に葬るべきはメフィストなのだ…」


 一人そうつぶやくフルカス。


 魔人兵のとなった貧民街の住人達、女王ルイという王の最後の切り札、そしてそれらを生み出した魔導研究省主席研究員メフィストの存在。


 これら事実を反乱民に伝えると、間違いなく王都の全ての民は激怒し、すぐにでも王城へ攻め込んでしまうだろう。


 魔人と魔人兵については民はその存在すら知らなかった。さすがに人間を魔物に変えて戦場に送り出すなどという事は、人道に反していると軍も思ったのだろう。民に知られれば大いに反感を買う事は必至と恐れ、軍には徴兵された民を含め、厳しい箝口令かんこうれいが敷かれている。破れば、一族郎党即処刑。


 その箝口令を敷いたのも、フルカスなのだが。


「俺は地獄のどこまで堕とされるのだろうなぁ…」


 冷めた薄い茶をすすったその時、血相を変えて戻って来たストラードが勢いよく扉を開けた。


「フルカス! やばいぞ! 街の外に魔物が溢れてやがる!」


「な、なにっ!?」


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