144話 彼岸花

 ドルムに続き、ソルムとゴドルフの幕切れを見ている事しか出来なかった弓術士アルクスの魔人エンリケ。


 ガタガタと震えながら膝を折っていた。


「あは…あははっ…」


 どこだ? どこで間違えた?


 過去の記憶が走馬燈の様に廻転かいてんする。


 ◇


 この子を連れて行きましょう。

 本気か、兄者。

 ええ。絶望の中でも生気を失わず良い目をしています。

 俺は面倒みねぇぞ。



 ――――スラム地獄から僕を救い出してくれた



 食べないのですか?

 肉は嫌いか。

 食べて…いいんですか?

 食わないなら俺が食うぞ。



 ――――何も無い僕にあたたかい食事をくれた



 うわーっ!

 エンリケ! 離れろっ!

 ご、ごめんなさい…

 よいのですよ。これも得難い経験となったでしょう。



 ――――危険から僕を守ってくれた



 当たった! ドルムさん!

 うむ。鍛錬を続ければいい弓術士になれる。

 喜ぶな! そんなんじゃあオークも倒せん!

 ゴドルフは厳し過ぎる…



 ――――こんなに弱い僕を根気よく育ててくれた



 や、やったっ! 今日から僕もDランクだぁっ!

 よく頑張りましたね。

 あのエンリケが中級とはなぁ…

 たいしたものだ。



 ――――頑張った時は褒めてくれた



 ははっ! 死ね死ねーっ!

 エンリケ。たとえ魔獣であろうと無闇な殺生はなりません。

 自分より弱い者に無用な力を振るうな。

 恥ずかしい真似はやめろ馬鹿者。



 ――――僕が間違えた時ちゃんと叱ってくれた



 ちくしょう! もっとちゃんとしてればっ!

 はっ、子供が気にしてんじゃねぇ。

 失敗せん人間などおらん。

 貴方はよくやっています。焦らずに行きましょう。



 ――――僕が失敗して迷惑かけても慰めてくれた



 エンリケ! その目はどうしたのです!?


 大丈夫ですよ、何ともありません!

 そんな事より僕、魔力矢を撃てるようになったんです! 

 これなら見えないし矢の数も心配しなくて済みます! 

 静寂の狩人サイレントハンターのネームにぴったりだと思いませんか!?

 もっと皆さんのお役に立てますよ!


 エン…お前…

 ……っく!



 ――――僕が勝手に新しい力を手に入れた時は何も言わずに納得してくれた



 みなさんも王様のところに行ったんですね!?

 すごいや! これでSランクも夢じゃないよ!


 確かに凄い力だ…

 ああ…


 皆よく聞きなさい


 我ら四人

 断罪の時に至らんが為

 共に冥府魔道

 修羅の道を歩まん



 ――――よく分からないけどカッコいい これで僕たちは最強だ



「なのに…なんで…最強なのになんでみんな…」


 魔人エンリケの様子がおかしい。先程から下を向き、ブツブツと独り言を話している。


「Sランクにも負けないはずなのに…」


 俺の視線を受け止めることなく、先程までの威勢は消え失せ、怯える様にブルブルと震えるその姿を見て少し腹が立った。


「貴様。一人では何も出来ないのか」


 ビクッと肩を揺らすエンリケ。俺は続ける。


「ソルムとゴドルフは魔人だが戦士だった。最初に倒れたという事は、おそらく盾術士スクードの者もそうだったんだろう」


 ドルムと戦ったアッガス、ウォーレス、フロール、ジャックの四人は心の中で頷いた。


「…もはや貴様は斬る価値もない。失せろ」


 この言葉に冒険者達は見逃すのかとざわめくが、リーダー達が『生殺与奪はジンにある』とそれを制する。アイレもため息を付きながらしぶしぶ俺の宣言を受け入れたが、仇敵きゅうてきを睨み付けたまま微動だにしていない。


「そうさ…僕らは女王にも勝ったんだ。ニーナさんに霧の中で不意に首輪をはめられた時のあのジョオウノオドロキヨウトイッタラ…イマオモイダシダダケデモ…プクク」


「何だと…?」


 意識を外し背を向けようとしかけたが、今の声高な独り言は聞き捨てならない。


 …首輪?


「ジン殿」


 心当たりがあると声を上げたのはローブ姿の魔法師の冒険者。グレオールと名乗った彼は、アッガスさんの鉄の大牙アイゼンタスクのメンバーだという。


 是非にと言うと、グレオールさんは左方で戦っていた三体の魔人の内の一人が漏らした情報を、自身の予想を踏まえながら端的に説明してくれた。


「恐らくその首輪は、魔力の発現を出来なくするものです」

「……」


 俺の無言の思考を『続けろ』と捉えたのか、グレオールさんは根拠を持って続けた。


「ジオルディーネ軍は魔人の魔力反応を隠し、奇襲する事を戦術としていました。それを可能にしていたのが、魔力を遮断する輪だったのです」


「それと同じ効果が女王にはめられた首輪にもあったかもしれない、という事ですね」


「いかにも」


 首輪と腕輪では大きさが違う。腕輪の大きさでその効果が発揮できる魔道具なら、それより大きな首輪で同様の効果を持たせるのは十分可能に思える。


 もしそうならば、女王ルイが静寂の狩人サイレントハンターに後れを取った事も納得がいくと言うもの。魔力を封じられれば、いくら力と技術、知恵を持ち合わせていたとしても、魔人の力の前では圧倒的不利と言わざるを得ない。


 しかもあの霧の中、初見なら第三者の奇襲を予見して対処する事は至難の業だ。探知魔法サーチ無しで瞬時に奇襲に対処するには、俺には迅雷なくして不可能だ。さらに魔力を遮断されては、少なくとも俺は勝てないと断言できる。


「どうやらその可能性が高い―――」


 ゴオッ!


 俺のつぶやきが契機となったかは分からないが、ここで強風が吹き荒れる。


 ルイが負けた原因がはっきりと分かり、しかも卑劣な手段と道具を使ったと知って、怒りが一気に頂点に達したアイレは細剣レイピアを抜き放っていた。


「ゆ、許せない…あの女っ!」


 聞けばルイに首輪をはめたニーナという魔人。アイレに因縁のあった魔人だったようで、中央で倒したのもその魔人だったという。何とも憎らしいヤツだったらしく、彼女の怒りが早々はやばやと頂点に達したのも仕方のない事だった。


 『獲物の横取りはしてはならない』というのは冒険者の暗黙のルールであり、アイレには関係がない。しかも仇敵とあらば、強大な殺意をエンリケに向け、斬り掛からんとする彼女を止める事など誰も出来るはずが無い。


 だが、振るわれんとする細剣レイピアを止めたのは、他でもない魔人エンリケだった。



「ナノニナンデ…ミンナ…ミンナシンジャッタンダヨォッ!」



 ―――なっ!?



 突如エンリケが叫び、掻きむしった顔からは、血の華が彼の周囲に落ち咲いた。


 引っ搔いては治り、引っ搔いては治りを繰り返す内、エンリケの周囲に血だまりが出来始め、魔人が治る際に沸き立つ白いがエンリケを包み込んだ。その声も人間特有の抑揚よくようが無くなっている。


 明らかに様子の変わったエンリケを前にし、アイレと冒険者達も警戒の色を強めた。


 魔力反応を見るため遠視魔法ディヴィジョンを展開すると、その魔力は周囲に漏れ出して漂い始めている。


 次第に身体から出ていた白いもやは黒く染まり、エンリケ自身の大きさを変えていった。



『オマエダ! オマエタチノセイダ!』



「ま、魔人兵…」


 冒険者の誰かがそうつぶやいた。大きく歪んだその身体は徐々に黒く染まり、最早人間の姿は見る影もない。


『オ゛オ゛ォォォォッ!』


 シュドドドドドドドド!


 咆哮を上げたエンリケから複数の魔力反応を察知した瞬間、全身から無数の黒い矢が全方向に放たれた。


「おわっ!」

「黒い魔力矢だと!?」

「他愛もない」


 冒険者達はそれぞれ難なく矢に対応し、ジャックも見えるならと飛来する矢を手で掴むという力技を敢行。アイレは風で吹き飛ばし、コハクも頭にマーナを乗せたままひょいひょいと避け、地面に突き刺さった黒いを突っついている。


「暴走してもやる事は同じか。それよりも…」


「アレ、ほっといても消えるわねぇ」


 フロールさんが俺の言葉を繋ぎ、皆が哀れみの目をエンリケに向けた。


 先程から黒いもや、すなわち膨大な魔力が漏れ出ている。魔力で構成される魔から魔力が失われ続けるという事は、死に向かっている事と同義。魔人から魔人兵ゾンビとなったエンリケは、既に言葉も、自分の名すら失っているだろう。


 仲間の死を受け入れられず怒りと悲しみに支配され、失意の中自我まで失った魔人の成れの果て。


「アイレ。どうする」


 同様に怒りを爆発させていたアイレに、自ら引導を渡すかを聞いておく。


「…もういいわ。あんなのかたきじゃない」


 細剣レイピアと共に怒りを収めたアイレはフイッと横を向いて、癒しをマーナとコハクに求めて抱き着いた。


 いつも通りに戻ったようで何よりだ…しかし、あれを放っておいて軍に向かわれても面倒だ。


 おもむろに収納魔法スクエアガーデンから弓矢を取り出し、矢をつがえる。


「お前さん、結構エグいな」

「相応しいだろう」

「ジン君いい性格してるぅ」

「ヤツの見えない矢に散々やられました。いい気味です」


 リーダー三人とジャックさんがそれぞれ声を上げる。


「未熟な弓術士アルクスに最期に教えてやろうと思いまして」



 ギリリリリリリ…バチッ――――



 わざわざ魔力で矢を成すなど無意味、魔力の無駄が過ぎる。実体を持たない分威力は大幅に落ちるし、魔力を感じる事が出来る相手には不可視などまるで意味がない。連射がお好みのようだったが、矢速は遅いし威力もない。本来、矢とは必中を要し、遠距離から一撃で相手を穿うがつものだ。お前は矢の真髄をまるで理解していなかった。


 残った魔力で弓と矢を強化、ついでに雷も合せてやる。


 魔人兵ゾンビとなったエンリケの腹には橙の魔力核が露出している。


 急所を一撃で射る。これが弓術士アルクス、ひいては弓手ゆんでの役割だ。


「その身に叩き込んでやる。これがオプトさん我が師から教わった、弓の一撃だ」



 シュバン!



 稲妻の尾を引く矢は発射の瞬間、衝撃波を後方へ生み出し、魔力核へ一直線に走る。



 ドンッ!



 核を矢に貫かれた事を腹の大穴に手を当てて初めて気付いたエンリケは、残りの魔力を放出するかのように断末魔を響かせる。



『ウヴァァァァン!!』



 ビリビリと空気を震わせる咆哮は、幼子の泣き声を思わせた。


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