129話 ラプラタ川の戦いⅠ

今話から章末まで四・一章『ドルムンド防衛戦』の人物が絡んで来ます。

四・一章を未読の読者様はご注意ください。



■ ■ ■ ■ ■ ■



隠者の目ハーミット報告します。現在イシスには多数の獣人ベスティアの捕虜がいる模様。獣人達を使い、外周に壁を建設しています」


 行軍中の司令官ヒューブレストの元に隠者からの報告が入る。今更慌てて壁を作っているのかと本来なら鼻で笑う所だが、今回はそうはいかない。労働力として使われているのは獣人だからだ。ヒューブレストは苦々しく報告を受け取った。


 続く報告で次々とジオルディーネ軍の軍容が明らかになっていく。まず特筆すべきなのは敵司令官の交代であろう。バーゼルという男から王国騎士団長ベルダインに変わっていた。ドルムンドでの敗戦の責を負っての更迭こうてつだろうとヒューブレストは予想するが、それはさておき、ベルダインが魔人となっていた事には驚きを隠せなかった。


 遠国とは言え、ヒューブレストはベルダインを知っていた。指揮官としての聞こえはあまり良くないが、いざ戦いとなると自ら先頭を駆ける猛将だと聞いている。ジオルディーネ王国はたびたび周辺諸国と小競り合いをしていたので、ベルダインの噂は自然とガーランドにまで届いていたのだ。


 剣を交えた事は無いが、猛将と聞こえた騎士が弱いわけがない。さらに魔人になった事を踏まえると、もはや帝国騎士では手の付けられない存在になっているのではないかとヒューブレストは案じている。


 今のところベルダイン以外の魔人は確認されていないが、少なくともコーデリアが相手をした魔人ニーナはいるはずである。前回のドルムンド戦同様、魔人は突然現れるのは明白で、人数や強さはもちろん、どこに現れるのかもわからない。対策が立てられない以上、最悪の状況を想定して戦わざるを得ないのである。


 次の報告で、敵イシス防衛軍は二万の大軍に膨れ上がっている事が確認される。幸い魔人兵ゾンビ兵の檻は確認されていないが、帝国軍は総勢一万五千。次は地理的不利に加え、数的不利も強いられる戦である。


 帝国軍は決戦予定地のラプラタ川に近づくにつれ、蛇行だこう行軍に入っている。接岸地点を敵に予測され、予め対策を取られないようにするためである。目標地点は先頭を行くスウィンズウェル騎士団長アスケリノと、司令官のヒューブレストしか知らない。一般兵の中に敵の内通者が居るのは明らかなので、行き先を全軍に周知するのは愚の骨頂。もちろんジオルディーネ軍にも帝国の内通者はいるので、敵の布陣は先程から筒抜けなのは言うまでもない。


 戦いは衝突前から始まっているのは時代、場所を問わず変わらない。


「司令官! アスケリノ団長より伝令です! 目標地点まで残り一キロを通過! 二時方向対岸に敵ジオルディーネ軍の布陣を確認! これより十時方向へ全速前進せり! 号令をと!」


「了解だ」


 アスケリノからの伝言を受け取り、ヒューブレストはありったけの声で全軍に命ずる。


「これより、ラプラタ川渡河作戦を決行する! 全軍十時方向へ転進! 接岸地点まで全力で駆けろっ!!」



 ――――オオオオオッ!!!



 一万五千の軍が鎧の金属音と馬蹄の音を響かせ一斉に走り出す。


 この戦いを制する側が獣王国ラクリを、ひいては亜人達の未来を決する。


「川が見えてきました! 重装歩兵隊を最前列に魔法師隊、弓隊と三列になり接岸! 敵が対岸正面に来る前に布陣を終わらせます!」


「はっ!」


 軍の先頭を行くアスケリノが声高に指示を飛ばす。先に布陣が完成した方が先手を取れる、戦の常識である。


 続いて川岸に土塁を築くため、地人ドワーフが前列に呼ばれて弓隊の後ろに続くよう指示が出される。アスケリノはヒューブレストから、地人ドワーフには事前に計画を話したところで到底覚えることは出来ないと聞いていたので、その場その場で指示を細切れに出すようにしている。あそこへ行ってくれ、次はここでこうしてくれと言った具合だ。


 予想通り、このまま行けば敵の布陣より先にこちらの布陣が完成するとアスケリノが確信した瞬間、



 ズズズズズズ



 対岸から、ドルムンドを戦った者なら誰もが知る恐怖の圧力が発せられた。


(くそっ! ベルダインと女の魔人だけじゃない!! 何体いるんだっ!)


 アスケリノの背筋が凍り付く。


 ラプラタ川の川幅は二百メートルである。当然橋も落とされており、橋か舟無くして人間に渡る事は出来ない距離。


 だが、奴等は違う。


 帝国軍の誰もが圧力の方向に目を向け、川を飛び越えてくる複数の影を目視した。


「来るぞっ、魔人だ! 作戦中止! 全軍岸から距離を取れぇっ!」


 ヒューブレストが魔人の襲来を感じ取り、全軍に一時退避の指示を出す。


(予想以上に多いっ! まずいぞ!)



 ――――蒼の巨壁ブルーガーディアン



「フロール殿! 感謝します!」


 先頭集団に居たアスケリノは隊の後退を誘導しつつ、いつの間にか冒険者達が最前列にいた事に驚き、さらに即座に対応したフロールの名を叫んだ。


地人ドワーフの皆さんは最後尾まで下がって! ここは危険です!」


「ぎゃわわわ! バケモンだぁ!」

「逃げろーっ!」

「あいつらに橋はいらねぇな!」


 魔人の襲来に気付いたのはもちろん帝国軍だけではない。冒険者も同様に反応し、『川』という水辺と最も相性の良い『水の魔女』が敵の上陸を黙って見過ごすはずが無かった。


 巨大な水壁が川の中央に現れ、川を飛び越えてくる複数の魔人の行く手を阻む。



 ボバァァァン!



 だが魔人達はことごとく水壁を破り、引き続き異様な魔力を放ち続けていた。ある者は巨大な三日月斧バルディッシュで水を、ある者は相応の魔法を放って突き破る。またある者はその拳で道を開いた。


「っち! まるで足止めにならないなんて魔人あいつら馬鹿げてるわ~。グレオール! あんたもやんなさいよ!」

「コンラッド! 届くか!?」


 フロールは自身の放った水壁を難なく突破され、いら立ち混じりに鉄の大牙アイゼンタスク魔導師マギアであるグレオールに八つ当たりする。鉄の大牙リーダーのアッガスも、メンバーの弓術士アルクスコンラッドに魔人の着地前に射かけられるかを聞いた。


 名を呼ばれた二人は、既に攻撃体勢に入っている。


フロールあなたの水壁が邪魔で撃てなかったんです! ―――地礫魔法ラピスウォラーレ!」

「届かせますよリーダー!」


 ドドドドドドドドド!

 シュバババババババ!


 グレオールの周囲に無数のつぶてが浮かび上がり、あたかもマシンガンの様に水壁を突破した魔人に襲い掛かる。同時にコンラッドが手に持つ弓から、背負っていた弦が二倍の太さの弓に持ち替え、魔人の数だけ速射を放った。


 礫と矢はことごとく命中するがその推進力を完全に殺すことは出来ず、魔人達は次々に岸に着地していった。


 舞い上がる土煙の中、立ち上がる魔人達。コンラッドから受けた矢を体から引き抜き、地面に投げ捨てる音がカラカラとあちこちから聞こえてくる。すると、土煙の中から若い男の声が聞こえて来た。


「イタタ…お腹に矢が刺さっちゃったよ…こ、この僕にっ…弓で攻撃するなんて許さないぞっ! 誰が最強の弓使いか教えてやるっ!」


 瞬間、それぞれの冒険者パーティーの探知魔法サーチ使い三人が一斉に警告を発した。



 ――――矢が降って来るぞ! 全員防御だぁっ!!


 シュパパパパパパパ!



 無数の見えない矢が空から帝国軍を襲い、岸に一番近かった隊はことごとく雨のような矢の餌食となるが、一矢の威力にそこまでの殺傷能力は無く死人は無し。


 しかし、この攻撃で兵士達に植え付けられた恐怖は拭い難いものとなってしまう。見えない矢が突然空から飽和攻撃してきたのだ。恐怖以外の何者でもないだろう。そしてその場の誰もが思うのである。無属性魔法でこれだけの数の矢を形作って放つとは、一体どれほどの魔力を持っているのかと。


 この攻撃だけで、兵達は次元の違う相手だと悟らざるを得なかった。


 前線の瞬く間の攻防を中央付近で馬上から見ていた司令官ヒューブレストは、渡河作戦の決行を断念せざるを得ない事を確信した。


「何という事だ…九体も魔人が残っていたとは…完全に想定を上回られてしまったっ…」


 うつむき悔しがるヒューブレストの手綱を持つ力に馬が動揺し、いなないた。


 先頭集団からヒューブレストの元へ駆け寄ったアスケリノも戦力差を痛感し、力無く冒険者達の伝言を伝える。


「司令官。冒険者の皆が、『下がっていてくれ』と…」

「くっ…」


 『逃げろ』とも『川を渡る準備を』とも取れる冒険者達のこの言い方に、ヒューブレストは彼らの覚悟をみる。


 本来、冒険者達に戦い抜く義務はない。『逃げろ』なら殿しんがりを務めるから先に行けという事だし、『川を渡る準備を』なら勝てるから待っておけと取れる。『下がっていろ』というのは、勝てるかどうか分からないが我々は戦う、と言う意味なのである。つまり命を懸けるという事だ。


 退くべきか、見届けるべきか。退くなら時期を見誤っては元も子もない。見届けて冒険者達が敗れた場合、魔人を相手にしながら渡河作戦を決行し、二万の敵軍を相手に戦い抜く覚悟をしなければならない。こうなれば勝ちはほぼ無いと言える状況になるのは明白である。逡巡する司令官に、ここまで静寂を保っていた人物が声を上げた。


「九体の奇襲を受けるより、よっぽどよかったでしょう」

「レ、レイムヘイト様…」

「冒険者は十二人。一人は治癒術師ヒーラーのようなので、そこにジャックさんが加わり、私が参れば実質十三対九です。何とかなる気がするでしょう? それに、魔人かれらは冒険者さえ排除すれば、帝国兵あとはどうとでもなると言わんばかりのご登場です。なんだかしゃくじゃありませんか」


 ふふっ、と笑うコーデリアはもちろん本音ではない。九体の魔人の内、他の五体とは一線を画す強大な魔力を持つ四人が存在する事を感じていた。もちろん自身に固執しているであろう魔人ニーナの存在も。


「な、なりませんっ! 奥様!」


 死地へ赴こうと馬を降りたコーデリアを、アスケリノが止める。


「私は閣下より奥方様の御身を守護するよう命じられております! どうしてもと仰るのなら私も」


 ツピュン!


 コーデリアの細剣レイピアがアスケリノの首筋に当てられる。


「今のが見えましたか?」

「っ!」

「貴方の領分は知略にあります。軍全体の事をお考えなさい。これはあるじとしての命です」

「し、しかしっ!」


 細剣を収め、アスケリノに背を向けて歩き出す。


「娘の事は頼みましたよ。アスケリノ」


「……御意っ」


 二人のやり取りを見ていたヒューブレストは固く目を瞑り、震えるアスケリノの肩をポンと叩いた。


「ご武運を…レイムヘイト様」


 涼やかに笑い、コーデリアは魔人の元へ向かっていく。


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