第六章 ラクリ解放編
128話 帝国始祖の教え
玉座は玉座でも、こちらは帝都アルバニアの皇城であるクルドヘイム城。
日々公務に追われる皇帝ウィンザルフだが、今は
「報告します。エリス大公、ジオルディーネ王からの停戦要求を承諾した模様です。すでに両軍兵を引き始めております」
「うむ」
(やはりあの腰抜け公に攻め上がるなどという気概は無いか)
「ピレウス王へ親書を」
「はっ」
「戦線維持に感謝申し上げる。これより貴国の勇猛さを拝見したく存ずる、とな。軍総司令にもその旨伝えろ」
「御意」
ウィンザルフはこれまでドルムンドへの援軍をさせぬ為に、ジオルディーネ軍を引き付けるよう叔父であるピレウス王に頼んでいたのだが、ここで一転、好きにしてくれとの要旨の文書を送った。
なぜなら報告にあったように、エリス大公領を攻めていたジオルディーネ軍が自由になったからである。この軍を放っておけば、確実に帝国軍の次の目標であるラクリの首都イシスへの援軍になる。これを少しでも削ぐためには、ピレウス王国軍に戦線を上げさせて、ジオルディーネ軍の脅威と成ってもらわなければならない。
サーバルカンド王国が落ちた今、ピレウス王国とジオルディーネ王国は隣国となっており、ジオルディーネ王国への牙は、帝国より遥かにピレウス王国の方が届きやすいのだ。ピレウス王国の牙が迫れば、ジオルディーネ王国はそちらに意識を向けざるを得なくなる。そうなれば、エリス大公領を離れた敵軍を引き付けてくれるであろうと、ウィンザルフを含め帝国軍本営はそう睨んだのである。
(叔父上の事だ。領内の敵掃討では収まるまい。旧サーバルカンドへ押し進め、最低でも一群は欲しがるはずだ。何なら旧サーバルカンド領は全て叔父上にやっても良い)
ピレウス王も愚鈍ではない。ウィンザルフに利用されている事は分かっているだろう。だが、今はまず領地を守り、その後さらに敵の領土を一気に奪う方が重要である。この千載一遇のチャンスを逃す事などありえない。
現に後日、ピレウス王国は旧サーバルカンド王国領をことごとく飲み込み、その版図を大きく拡大する事に成功している。
「
玉座の真横にスッと現れるのは、帝国のスパイ機関の構成員。
「申せ」
「はっ。現在ジオルディーネ王国内は民の反乱の兆しが出ております。続いて王国内に五つ目の拠点構築に成功。加えて王城内に一名潜入に成功いたしました。隠者は引き続き女王ルイの行方を追っておりますが、未だ発見に至っておりません」
「女王の生死確認と、生きていた場合の救出は最優先事項だ。目星もつかんか」
「はっ…王城内の隠者の報告では今のところ…ですが、一人女王に繋がる可能性のある人物を追っております。魔導研究省主席研究員メフィストと言う男です」
「…その者、パルテールに心当たりがあるか聞いておけ」
「直ちに」
「貴族共の離間工作はイシスの戦況次第で大きな効果が出るはずだ。国王直轄領の民への扇動も怠るな」
「御意」
拝命し、スッと闇に消えてゆく
「報告します!」
次にやってきたのはアルバニア騎士団員。その報告の要諦はエーデルタクトのリュディアをミトレス東部本営とすべく、先発隊三千が進軍を開始したとの報告である。後日、本隊五千も出陣となる予定であることが伝えられた。
「司令官は誰だ」
「はっ、ペトラ騎士団長ヴィスコンティ殿であります!」
「ふむ。引き続き軍総司令と緊密に連絡を取り、ぬかるなと伝えておけ」
「はっ!」
(カーライルの飛矢に竜の飛矢か…見事届いて見せろ)
ふーっ、と息を吐き天井を見上げるウィンザルフ。帝国軍とジオルディーネ軍は数日後にはイシスでぶつかる。敵の参謀が馬鹿でなければ、そこには魔人が総力を挙げて待ち受けているはずである。報告からも軍神ただ一人を除いて、帝国兵は魔人には勝てないという事はウィンザルフの耳にも入っている。
ウィンザルフは改めて思う。この度のジオルディーネ王国の侵攻は、戦力的に決して無謀なものでは無かったという事だ。コーデリア・レイムヘイトと冒険者が居なければ、今頃帝国は大いに蹂躙されていたに違いないのだ。『魔人』いう敵の切り札を事前に把握できなかった事は
同盟さえ結んでいれば、ジオルディーネ王国の動きをもっと早くに察知し、魔人の存在にも早々に気付けたかもしれないのだ。
(この俺とした事が、亜人を大事とするあまり失政となったか…秘史によらば亜人はディオス・アルバートと共に帝国の祖に等しき存在である。その末裔を侵略せしめ滅ぼそうなどとは…ジオルディーネ王家は必ずや根絶やしにしてくれる)
ウィンザルフは表向き亜人を従えようとする言動を周囲に取っているが、その実は少し違う。亜人を想い、亜人を守る為に動いているのである。
これは歴代アルバート帝国皇帝にのみ代々受け継がれている教えで、約三百五十年前に帝国の前身にあたるアルバート王国を建国した始祖ディオス・アルバートから続くものである。
『隣人たる亜人を大事にせよ』
これが代々受け継がれてきた教えであり、その時代の皇帝により『大事にせよ』の解釈は大きく変わる。例えば軍事同盟を結んだり、太い交易のパイプを作ろうとしたりといった具合だ。大戦乱期には、亜人の持つ時代遅れの文化や風習は一切考慮せず、亜人の国を帝国に吸収し、徹底的に亜人を敵国から遠ざけようとした皇帝もいた。
現皇帝のウィンザルフは父である先帝に
ジオルディーネ王国のラクリ侵攻を発端とするミトレス戦役の開戦時に、帝国側から援軍の申し出をしなかったのも、ウィンザルフはなるべく亜人だけで国を守らせたかったという心理に基づくものだ。援軍を送るということ自体が過度な干渉に当たると、当時はそう判断した。
ウィンザルフは揺れ動く時勢に対し、先祖の教えと現実を天秤にかけ、両者のバランスを取るべく、ミトレス連邦に関わる政局に対してはこれまで非常に繊細な判断を下していたのである。
その結果が、女王ルイは
ピシッ バチチッ!
無意識に発現した雷魔法がウィンザルフを包み込む。その様子を見ていた側付きは生きた心地はしなかったであろう。
怒れる雷帝は、鬼のような形相で引き続き玉座にある。
◇ ◇ ◇ ◇
雪山を下り、コハクが女王ルイのいる場所を指し示した方角は南。
その直線上にはラクリの首都イシス、樹人国ピクリア、さらにその先にはジオルディーネ王国の王都イシュドルがある。分かるのは方角だけであり、距離は分からないとコハクは言う。
しかし、その情報だけで女王が捕まっているのは一点に絞られるというものだ。王都イシュドルで間違いないだろう。ピクリアは論外として、イシスは今帝国軍の侵攻を受けようとしている。そんなところに敵が女王を置いておくはずが無い。
ならば早々に王都イシュドルに向かうべきなのだが、俺は躊躇っていた。なぜなら向かう直線上で帝国軍とジオルディーネ軍の会敵地点があると読んでいるからである。ドルムンドからイシスへ向かうには、その少し手前にあるラプラタ川を渡らなければならない。俺がジオルディーネ軍なら、橋を落とし、帝国軍の渡河を防ぐべく川の対岸に布陣する。これだけで帝国軍は圧倒的に不利に陥るからだ。
「ギルドからの知らせでは南部二戦線は膠着、ジオルディーネは戦力の多くをイシス防衛に回すだろう」
「
「不利な地形に魔人の存在。先のドルムンド戦でも二体の魔人が確認された」
「一人はウギョウ…だったのよね?」
「心苦しい限りだ」
クリスさんの手紙には魔人ウギョウの存在が書かれており、その者は冒険者達に倒されたと記されていた。アイレにその事を安易に伝えてしまった俺は酷く後悔した。そのウギョウとは獣人国の幹部であり、さらに彼女と共に
そんな戦士が魔人にされてしまったのは、さすがにショックが大きかったのだろう。しばらく放心していた彼女だったが、間もなく立ち直って前を向いて歩き出してくれた。その出来事があったのが昨日の事なのだ。
「んーん。教えてくれてよかったわ。私はもう大丈夫。戦いに勝って、ルイを助けて、仇を取るだけ」
少し先を歩きながらそう言った彼女の瞳には、きっと翠緑の魔力が揺らめいているのだと思う。
気の利いた言葉も慰めの言葉も言えずに、『そうだな』と短く返事をした。
戦士として戦場に出た以上、ウギョウにも死ぬ覚悟はあったはずである。そして戦いの中で命を散らしたのなら同情などしない。むしろ
こんな悲しい戦士は、もう生まれてはならない。
その為にも、魔人を作り出す元凶は排除せねばならないのだ。
「イシス攻めにも魔人が出てくるのは必至だが、帝国軍には魔人を倒せる冒険者が居る」
「問題は魔人の数って事よね?」
「ああ。予想だが、敵は総力戦に近い戦力でイシスを守っているはずだ。しかも有利な地形でな。だがなるべく早く女王を救うには、この戦には介入すべきじゃない」
「行きましょ」
「…いいのか?」
「帝国が負けたら元も子も無いもの。魔人の数だけでも見ておくべきだわ」
「そうだな…そうしよう」
このままの進路を取っていれば、恐らく会敵ポイントを逃す事は無いだろう。さらに言えば、帝国軍の進軍の時期とも重なる。
俺達はアイレの提案通り、激戦が予想される場所へ歩みを進めた。
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