112話 オラルグ渓谷

 集合場所の集落跡を出、寒風そよぐオラルグ渓谷をマーナ、アイレと共に進んでいる。


 その壮大な風景に、俺はひたすらに感動を覚えていた。


 幅は数百メートルはあろうか。窪みの中央を川が蛇のようにうねり、川を形作る岩々には、コケ群落ぐんらくが発達している。谷はさほど深く無い。渓谷を形成している岩壁には、エーデルタクト特有の巨大な木々が根付いていないお陰で、ここ低地にもよく日が届いている。日の光のおかげで、鬱蒼うっそうとした原生林の中よりも暖かいほどだ。


「うーむ…素晴らしい景観だ。こういうのを待ってたんだ」

「あんたの琴線きんせんがさっぱり分からないんだけど」


「風情を失っては、無常な世を歩けないぞ? なぁマーナ」

『くぉーん!(ちょっと何言ってるか分からないね!)』

「ほら。マーナもわかんないって」


「なぜマーナの言った事がわかる」

「こんなの私、きっとマーナも見慣れてるわ」

『わふ(だね)』

「くっ…」


 会話が成立している。


 そんな馬鹿な。


 分かってもらえずともよい。この感動は俺だけのものにしてやるさ。


 しばらく歩いていると、ゆく先に岩壁が崩れ、川が大きく広がっている空間が現れる。たまたま魔獣や魔物はいない様だが、魔素が濃く、空気も若干重く感じられる。


 突然雰囲気が変わったことに警戒し、言葉を発した。


「アイレ。ここは警戒すべきだ」


「…さすがね。確かにここは魔素も濃いし、強い魔物や魔獣が出没するエリアだったわ」


「だった? 今は違うのか?」


「五年前、ここで獣王国の女王と、それまで未知の魔獣が戦ったのよ。近隣の集落に住む人たちが、住処を放棄するほどの規模でね。その戦い以降、ここには魔物の類は近寄らなくなったの」


 あの集落跡は、その戦いの巻き添えを恐れての事だったか。崩れた岩壁に、広がった川。つまりこれは戦闘跡という事だろう。


 それにしても…


「川の流れを変えてしまう程の力がぶつかったのか。やはり女王ルイは凄まじい力を持っているようだな」


「ルイを知ってるの?」


「ギルドで存在と力の一端いったんを聞いただけだ。会った事も、ましてや姿形も知らないよ」


 女王ルイがさらわれた可能性がある事は伏せておく。生きている可能性より、死んでいる可能性、もしくは魔人と化している可能性の方が高い。この事実を、今のアイレに突きつける気にはどうしてもなれなかった。


「知ってるなら話は早いわね。魔獣は突然現れてこの周辺に被害を出し始めたの。このオラルグ渓谷って、エーデルタクトとラクリの国境でしょ? さすがに放置出来ないってなって、ラクリから討伐隊が出されたんだけど、皆やられちゃってね。やむなくルイが出たってわけ」


「この跡を見る限り、凄まじい戦いだったんだろうな…」


「ご覧の通りの規模よ。と言っても誰も近づけなかったから、戦いの詳細は誰も分かんないんだけどね。結果はルイの勝ちって事になってるわ。実際、その日から魔獣の被害は無くなったしね」


「その口ぶりだと、勝ちとは言えなかったようだな。引き分けたという事か?」


「引き分けって言っていいのか分からないけど、討伐はされてない。魔獣が大人しくなったのよ。ルイもギリギリだったらしくて、この先被害を出しそうにない魔獣に手は下さなかった、下せなかった、ってのが半々かしら」


「大人しく…か。魔獣であればこその事だな。やはり魔物とは存在が異なる」


 魔獣が大人しくなる事はあり得ない事ではない。


 多くの人々は勘違いしているが、魔獣は魔物とは違い、弱肉強食の世界に生き、そこで生き残るための生存本能を有する。相手が死ぬか、自分が死ぬまで襲い掛かってくる魔物とは、俺から言わせれば別次元の存在だ。


 極端に言ってしまえば、人間も魔獣もその根底は変わらない。生きる為に食うし、食われまいと戦う。


「やっぱり知ってるのね。魔獣は敵視する存在じゃないって」


「…ああ。多くの人は魔物と魔獣を同一視して、恐れてるけどな」


風人エルフ、いえ、亜人達は皆分かってるんだけどね。人間は―――」


「弱いからな。許してやってくれ」


「言っちゃうんだ」


「事実だからな」


「許すも何も。ジンがそうなら、他はどうだっていいわ」


「…褒められてるんだよな?」


「どうかしら」


「食えんヤツめ」


「…食べたいの?」


「そんな風に見えるか?」


「見えるよ」


「…正直な方が、事は早く運ぶと思うぞ」


「おなか減った」


「はいはい…」


「そーこなくっちゃ♪」

『わふふぅ!(アイレわかってるぅ!)』


 こいつらぁ。


 なんとなく、要望は聞いてやらない。


 収納魔法スクエアガーデンからポンポンポンと三食分適当に出し、果実を絞った飲み物も出して二人に手渡す。よほど腹が減っていたのか、夢中になって頬張ほおばっている。


「参考までに、いつからだ?」

「モグ――あっふぁ時から」


「長い道のりだったな」

「もうがけっふちよ――ゴクン」


 もぐもぐと頬張りながら、幸せそうな顔をしている。


 この感じ、マーナと変わらんな。聖獣とかじゃなくて。


 ◇


「ここは雨が多いんだけどね。苔で滑って移動が大変なんだけど、晴れてラッキーだわ」


 食事を終えた俺達二人と一匹は、安全地帯となっている戦闘跡地で休憩を取っている。


 苔むす川べりから少し離れ、日の当たる岩盤の上で寝そべっている。マーナに至っては腹を出して、仰向けで寝てしまっている。聖獣も形無しだな。


「マーナとは長いの?」


 ふと、アイレがそんなことを聞いてきた。


「いや。知り合ってからまだ二月足らずだな」

「ふーん」

「なんだ」

「別に。聖獣がこれだけ懐いてるなら、大丈夫かなって」


 話がまるで見えないな。


「…まぁいい。それで? 俺はどこへ連れていかれるんだ? まさかここが目的地じゃないだろう」


「違うわ。でもついでだし、この場所を知っておいてほしかったのは確かね」


「この戦闘跡地をか」


「そ。ルイの強さとか、人となりとかを知ってもらうには、この場所を見てもらうのが手っ取り早いと思ったのよ。まぁ、あんたはルイの事少しは知ってたみたいだけど」


「ほとんど名前くらいのもんだがな」


 アイレは少し間を置き、意を決して話し始めた。



「向かう先はホワイトリム。そこに、ルイの居場所が分かる人がいるわ」


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