97話 ドルムンド防衛戦Ⅳ 参謀の凶日
「報告します! 両翼共に優勢! 左翼は戦線を上つつあります!」
「了解だ」
優勢の報告を聞いても、未だ司令官のヒューブレストの目は油断なく光る。まだ戦は序盤。敵中央軍も陣を下げることなく、
左翼が敵中央軍の真横まで押し込めば、こちらの中央軍を大挙前進させる算段だが、未だ右翼には魔人の檻が二つも控えている。檻の中の戦力が測れない以上、それは戦場全体の
「ローベルト殿が次の檻を開けさせるまで動けんな…伝令!」
「はっ」
「左のアスケリノ殿に上げ過ぎるなと伝えろ。敵中央軍の遠距離攻撃が届かないギリギリに防陣を敷き、可能な限り軍に損傷を受けぬように。右翼の戦況次第で、攻めに転じる時期は追って知らせる」
「御意!」
指示を出したヒューブレストの前には、遠くを見つめて微動だにしない人物がいる。
「右翼の懸念は分かりますが、何か気になる事でも?」
「…ええ。気のせいかもしれませんが、一瞬大きな魔力の淀みを感じました」
微動だにしない人物、ティズウェル男爵夫人の魔力探知が優れている事は周知の事実。この言葉を聞いて放置するほどヒューブレストは馬鹿ではない。
「貴方の力は知っているつもりです。方向は分かりますか?」
「中央軍方面です。今は感じませんが、あれは魔獣が怒気を発っしたものに似ていました」
「なるほど、檻の方ではなく中央からですか。私も注意を払います」
「お願いするわ。気のせいであればよいのですが…」
この出来事の原因が、後に帝国軍に大きな衝撃を与えることになる。
◇ ◇ ◇ ◇
ジオルディーネ王国王都イシュドルにある国王エンス・ハーン・ジオルディーネの居城には、各方面軍からの報告が断続的に入ってくる。その全ては作戦参謀であるフルカスの元に集められた後、王に報告される。
だが、
そのような王にフルカスが報告するのは、今や戦争の大局に関わる事のみとなっている。
ドルムンド戦線、ピレウス王国戦線、エリス大公領戦線という三つの戦争を同時に行い、なおかつ魔人頼みの異常な戦争を仕掛けているのだ。王命とはいえ、開戦から今日までに至るフルカスの心労は察するに余りある。
「報告します。ミトレス方面軍、ドルムンドに駐留する帝国軍と戦闘に入りました」
「わかった。ドルムンドはミトレス連邦最後の砦だ。逐一戦況を報告するようにと司令官のバーゼルに伝えろ」
「はっ」
「報告します。
「なにっ!? 何を考えている! それでは大きな戦力低下を招くではないか!」
「はっ…なんでも『ここはお前らで十分だ』と言い残し、去ってしまったようです」
「ぐっ、なんて身勝手な! 強いばかりで
「はっ!」
大なり小なりの情報、報告処理に追われ
「だ、大参謀。ご報告が…」
「何だ!」
「エ、エーデルタクトに展開していた一個連隊が、ラクリ首都イシス本営へ撤退したとの事です」
「…は?」
「方面軍司令官兼一番隊長ディエゴ殿、同二番隊長カールグレーン殿、同じく三番隊長ベルドゥ殿が冒険者に敗れたと…」
「ふ、ふふふ。何の冗談だ? …ふざけるな! 他の二人はまだしも、魔人となったあのディエゴがそう簡単に負けるはずがない!」
「わ、我々も! 我々もそう思い何度も問いただしたのですが、あのイシス本営の慌てようはどうやら誤報や虚報の類では無いかと…」
「なっ…くそっ! 何と言う事だ!」
参謀のフルカスは戦争の専門家である。本来なら、わざわざ戦略的価値のないエーデルタクトに一個連隊、ましてや強大な力を有する魔人を三人も配置したりしない。それでもなお送り込んだのには訳があった。
理由はエーデルタクトに潜んでいるはずの
国王エンスが
エーデルタクト方面軍の撤退は、すなわち姫の奪取は叶わなくなったという事。馬鹿正直に王の耳に入れれば、好色の王が戦況を
(今戦力を余計な場所に送ってる場合ではない! イシスにはもはや魔人はおらぬし、姫もエーデルタクトに留まっている保証はどこにも無い。この件はひとまず伏せ、秘密裏に
頭を抱えるフルカスの元に、もう一つの凶報が入る。
「緊急報告! エリス大公領戦線、ほ…崩壊しました! 方面軍司令官兼一番隊長ザウアー殿、同二番隊長ブルスコロ殿の戦死を確認! 我が軍は国境付近まで撤退中との事です!」
バキッ!
フルカスの怒りの拳が指令室の机をたたき割る。フルフルと震えながら、声にならない声で報告の続きを促した。
「ひ、被害は…?」
「魔人兵全滅、騎士団および民兵の損失は無いとの事ですが…」
「無いのなら…なぜ撤退したのだっ!」
エリス大公領の兵は帝国兵とは違い、大した力は持っていない。また帝国からの援軍の報は入って来ておらず、たとえ魔人兵一千と魔人二人を失ったとしても、国境付近まで撤退するのはさすがに看過できなかった。
「そ、それが突如魔人兵が竜に襲われ、複数の冒険者が竜の混乱に乗じてザウアー殿とブルスコロ殿を討ち取ったと」
「竜? 竜だと!?」
竜と冒険者。こちらの軍のみが被害を受け、さらに竜は人間を攻撃していないとなると、その竜は使役されていたと考えるのが自然。フルカスの頭に、ある冒険者パーティーが即座に思い浮かぶ。
(まさか…あやつらがサントル大樹海から出てきたのか!? なぜこのタイミングで!!)
「その竜は聖王竜リンヴルムだ! やったのはただの冒険者ではない! Sランクの『
「マラボ地方の
フルカスは冷汗が止まらない。まさかマラボ地方の英雄がこの戦に参戦してくるとは思いもよらなかったのだ。
大陸全土を見渡してもSランク冒険者パーティーは十組といない。
しかもそのほとんどのパーティーは、ダンジョンに長期間潜っていたり、未開の地であるクテシフォン山脈やサントル大樹海といった、世界中に点在する超危険地帯の探索をしている者達がほとんどだった。新たな地の発見の為に世界中を周っている者もいる。
そういった事から、Sランク冒険者という存在は冒険者達の頂点として君臨し、引退するまで世情に関わることは滅多にない。ましてや国家間の戦争に介入するなど通常ならあり得ない事なのである。
だが報告を聞く限り、『竜の狂宴』が立ちはだかった事は状況から考えると自明の理。十年前にマラボ地方で発生した
「Sランク冒険者が敵に回った事だけは陛下にご報告せねば…エーデルタクトの件といい、冒険者を敵に回した事は間違いだったと言わざるを得ないか…」
指令室を出、鉄球を繋がれたかのような重い足取りで玉座へ向かうフルカスだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます