74話 魔人


 ゴゴゴゴゴゴゴ――――


「あれが報告にあった檻かいな」


 獣人ベスティア族の女王ルイは敵軍の先頭を行く檻を見て、ため息混じりに自身の側近に尋ねた。


「はい、ここまで近づいてくると何とも不気味な気配が致しますね」


「どうでもいいけどさー、俺たちゃ勝手にやらせてもらうぜ! 早くやりてー!」


「これだから竜人イグニスは…何が起こるか分からないわ。勝手な行動は慎んで」


「はっ! 風人エルフの分際で指図してんじゃねぇ! 怖えーならさっさと帰んな!」


「…斬り刻んであげましょうか?」


 そう言って互いに睨み合うのは竜人イグニス一の傍若ことガリュウと、風人エルフ族長の娘のアイレ。二人はミトレス連邦会議で顔を合わせるたびに喧嘩を繰り返す間柄で、その度に互いの族長にたしなめられてる。


 だが今日に限っては二人を止めるのは獣人ベスティアの女王ルイの役目。パンパンと手を叩き二人に割って入る。


「はいはいお二人さん。仲ええのは分かりましたから、今日はあっちに集中してな?」


「「 仲良く(ねぇ)(ない)!! 」」


 今ルイ達は獣王国ラクリ南部、樹人ドリアードの国ピクリアとの国境地帯にいる。二ヶ月程前に、ジオルディーネ軍の先遣隊五百人を迎え撃った地点である。


 その戦いはアイレは見学にまわりつつも、ルイとその側近のたった三人で勝利したが、今回は違った。獣人族ベスティアの一千人の戦士に加え、ドラゴニアからガリュウを筆頭に竜人族イグニス百人、エーデルタクトからアイレを筆頭に風人エルフ族百人の戦に長けた者が集結していた。


 対するはジオルディーネ軍二万。だがその行軍の先頭を行くのは布を被された巨大な五つの檻。この正体が結局は分からずじまいのまま、亜人達は不気味さを感じながらも敵と対峙しようとしていた。


 不安な様子を見せることなく亜人軍の先頭に立つ女王ルイは、続けて感謝を二人に告げる。


「ありがとうなぁ二人共、わざわざ来てくれはって嬉しいわぁ」


「けっ! ピレウスの野郎共の相手も飽きたから、こっちに来ただけだっつーの!」


「もうそれは無しよ。ラクリが無くなったら私達も困るんだから。ねぇコハク?」


「…うん」


 純白の装いに、短めに切り揃えた髪に鈴をつけた少女が一人立っている。目は前髪で覆われ、うつむき加減にルイのかたわらに立ってる彼女は、雪人ニクスの長で名はコハク。アイレに名を呼ばれて小さく返事をした彼女は、この戦いの行く末を見届ける為にこの戦場へ来ていた。


「だーっ! 相変わらず何考えてるかわっからねぇな、白いのは! なんでこんなのが族長なんだよ! 他にいねぇのか!?」


「あんたちょっと黙りなさいよ」


「コハクんとこはしゃあないの。もういっぺん言うとくけど、コハクは戦ったらあかんよ? もしもの時は一人でも逃げなあかんで?」


「…るい」


「ウチは大丈夫や。危のうなったら逃げるさかいに」


「…うん」


 ◇


 目の前まで迫り来たジオルディーネ軍に対し、ルイは声を上げる。


「そこで止まりぃや、蛮兵ばんぺい共! 死にとう無かったら引き返せや!」


 この声でジオルディーネ軍は全軍停止し、指揮官らしき者が大声で口上を述べる。


「獣王国ラクリ女王ルイおよび配下の全亜人に告げる! 今すぐ全員降伏し、我ら偉大なる覇王エンス・ハーン・ジオルディーネ陛下の手足となれ! さもなくば我らジオルディーネの精鋭が、貴様らに苦痛にまみれた死をまき散らすであろう!」


「なーにが覇王だ。ばっかじゃねぇの? ぶっ殺してやる!」


「言い方は馬鹿っぽいけど、言いたい事には同意よ」


「誰が馬鹿だ!!」


 こんな状況でもガリュウとアイレは言い合っている。今回は珍しくアイレから突っかけた所を見ると、アイレも今の相手の口上には腹を立てている様子だった。


「欲しいんは土地やのぉて亜人ウチらって事やね。奴隷にでもしたいんやろか?」


「ですね。西大陸の国々で奴隷制度を設けているのはジオルディーネとサーバルカンド、あとは南のマラボ地方だけですから」


「そうなると獣王国ここ落ちたらピクリア以外も全部危ないなぁ。特に水人アクリア雪人ニクスは戦闘に向いてへんから逃げるしかあらへん」


「ええ。恐らく捕えられれば抵抗する者は殺し、それ以外はなぐさみ物にするつもりでしょう」


 ルイは無茶苦茶な要求に呆れつつも、逆に相手の自信を警戒している。先日五百人対三人で何もできずに半数を失った軍が四十倍の二万になった所で、四百倍の千二百人いるこちらに勝てるわけがない。


 相手に切り札があるとしたら、先頭を行く五つの檻。未だに正体が分からないが、分からないからと言って退く訳にはいかない。この後ろには戦えない多くの獣人ベスティア達がいるのだから。


「…ほな、戦闘開始といきましょか。みんな準備はええでっか?」


 ―――いつでも!!


 ルイは常につむっている目を見開き、瞳に白黄はくおうの魔力を湛えながら高らかに宣言する。


「ジオルディーネの蛮兵に告ぐ! ここで終わったれや! 全軍戦闘形態!」


 ピシッ、バチッ、バチッバチバチバチチチチチ!


 そう叫んだルイの身体が変容する。穏やかだった目は吊り上がり、顔には赤い線が髭の様に八本並ぶ。瞳を覆っていた白黄の魔力は全身におよび雷に変わり、髪は逆立ち、一本だった尾はゾワゾワと増え九本へ。


 今代亜人最強と言われる九尾大弧きゅうびたいこルイの戦闘形態である。


 ビュゴォォォォ!


 アイレも愛用の細剣レイピアを抜き、瞳に翠緑すいりょくの魔力を湛えながら全身を風で覆う。その力は竜巻そのもの。父であり族長をも超えるその戦闘力は、この戦に参戦した百人の同族を束ねる風人エルフの最高戦力である。


 ゴオォォォーッ!


 そんな二人を横目に竜人イグニスの傍若武人ガリュウが発奮はっぷんしない訳が無い。手足は徐々に竜のそれに代わり、逆立つ赤い髪の先端に炎がちらつく。皮膚には鱗の様な紋様が浮かび上がり、彼の周囲はボンボンと炎が時折燃え上る。見開く瞳には真紅の魔力が宿っていた。


 配下の亜人達千二百人も、二万の軍勢を迎え撃つにふさわしい戦闘力を有する。ルイの側近である獅子の獣人アギョウと狛犬の獣人ウギョウの二人を筆頭に、皆それぞれのおさに続いて戦闘形態に入る。


 ◇


 遠目から見ても明らかに存在感が増した獣人達を見て、ジオルディーネ軍は皆狼狽する。自分たちは今からと戦わなければならない。だが恐怖から逃げる者はいない。逃げれば即、処刑もしくは本国へ送還され奴隷にされてしまうのだから。


 兵の動揺を見て最初に口上を述べた軍長のバーゼルは、自軍に向かい声を上げる。


「皆恐れる必要はない! 所詮は人間まがいの獣共だ! 我々には陛下よりたまわりし兵器がある!」


 ―――おおおおおっ!


「第二までの檻を解放せよ!」


 バーゼルの声と共に二つの檻の布が取られ、中があらわになる。そして檻が開かれ、中からゾロゾロと出て来たのは人間だった。


 だが、それを見て亜人達は動揺を隠せなかった。


「な、なにあれ…? 黒い…人間?」

「に、見えるな」

「………」


 亜人を率いるルイは、あれが何なのかを見定めるのに全神経を集中する。先制で攻撃を仕掛けるべきか否か。


 ボロ布を着ている者、全裸の者も含めた生気の無い人の形をしたが目の前に放たれる。体中真黒な者や一部が黒い者それぞれだが、まるで何かを探している様だった。何かは時折うめき声を発しながら、その場で彷徨さまよっている。


 亜人達が不気味なその存在を正確に理解できずにいると、時折『外だぁぁ』『ひゃほーい』『ギャハハハ! 早く殺らせろぉ』と言った人語も聞こえてきた。


「気持ちわるっ! 何なのあれ!」

「知るか! 長い事ピレウスの連中とやってたがあれは見た事ねぇ!」


 そしてルイは不気味な存在の身体に、ある物が埋まっている事に気が付く。


「な…な、なんちゅう事しよんねん!」


 いきなり大声を上げたルイに周囲は驚く。


「なんだよ急に!」

「何かわかったの!?」

「ルイ様、何かお分かりで?」


 側に控えていた獅子の獣人アギョウが落ち着いた声で、わなわなと震えるルイに問いかける。


「全員聞きや! は魔力核を埋められた人間や!」


 なっ!?


「でももう人間やない! どう見ても魔物化してしもうとる! サーバルカンドが早々に落ちたんもアレが原因や!」


「そんな事が出来るなんて聞いたこと無いっ!」


 ルイの言葉とアイレの悲鳴のような声が木霊し、今度は亜人軍に動揺が走った。


 ゴゥンゴゥンゴゥン


 亜人軍の動揺をよそに檻の扉は閉じられ、二つの檻から計二千体の黒い人間が解放される。それを確認したジオルディーネ軍長のバーゼルが声を上げた。


「ゆけ! 魔人兵よ! 獲物は目の前の獣共だっ!」


 獲物という言葉を聞いて、魔人と呼ばれた黒い人間は曲がらぬはずの角度でグリン、と亜人軍の方に首をまわす。


「ま、魔人…」


 ルイがそうつぶやいた瞬間、二千体の魔人兵が黒いうねりとなって一斉に亜人軍に向かって走り出す。


「っつ! 全員ビビりな! 相手はいつもたたこぉとる魔物や! ウチに続かんかい!」


 ルイの気合の一言で動揺から覚醒した亜人達は、女王を先頭に黒いうねりに突撃する。


 後の人類史に『ラクリの日』と呼ばれる、魔人対亜人の、史上最悪の凄惨な戦いの火蓋が切って落とされた。

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