24

逃げるように体育館を出ると、教室に行くことなく、屋上に戻ってきてしまった。何をするでもなく、大の字に寝転がってみた。無限に広がる大空の端々から、紅色が顔を出している。もう日が暮れるな、なんて当たり前の事を漠然と思う。湊さんと演奏している間、時が止まって欲しいと思った。永遠にああ

していたいと思った。

でも、きっともう二度とあんな瞬間訪れないんだろうな。醜態を晒して、また隣に立ちたいってのは傲慢もいいところだ。寝言は程々にして、今日の晩御飯の献立でも考えよう。

そう思って上半身を起こすと、突然後ろから声をかけられた。

「ねぇ、私の眼鏡どこかな」

反射的に振り返ると、やっぱり湊さんがいた。合わせる顔なんかないと、そう思っていたから、会うと逃げ出したくなるかと思ったけれど、単純な私は嬉しくなってしまった。会いに来てくれた、それだけで馬鹿みたいに喜んでしまう。つくづく、現金なものだ、と我ながら思う。

「ぶ、舞台袖の机の所に置いときました。あ、あの」

「また戻らなきゃかー。エルちゃんついてきてくれないかな」

「……えっと、いいですけど」

あまりにも湊さんが何も無かったように接するので、普通に受け答えてしまう。傲慢がどうとか言っていた私は、平然と湊さんの横を歩きはじめる。

「気になっていたんですけど、エルちゃんってなんですか」

沈黙のままではなんなので、素朴な質問を投げかけてみる。

「だってイニシャルLっぽいじゃない」

自信満々に答えた湊さんの瞳は、何故だか一寸の疑いもなくて、私は吹き出してしまった。

「全然かすりもしてないですよ。あっ、でも、姉のイニシャルはLかも」

「お姉さんいるのね。いいな」

「そんないいものじゃないですけど」

何気ないような普通の会話をしていた。まるで友達みたいで、確かに満たされていくのを感じた。

「さてはお姉さんに虐げられてるクチだな」

「んー。虐げられてるとか、コミュニケーションがまず無いんですよね。姉は、『自分は自分がやるべき事だけをやるから、お前は自分のやるべき事を自分で見つけて実行しろ』って人なんですよ。私が至らないと、癇癪起こすんです」

「ふーむ」

湊さんは、無関心とも、噛み砕いてるとも取れる相槌をしながら、廊下の窓の先を見ていた。見えるのは、校庭で各々部活をする生徒たちだった。

「優しいんだね、エルちゃんは」

うんうん、と頷きながら「優しいよ」ともう一度言う。

「いいものじゃないと思うのに、見捨てないんでしょ。兄弟ってさ、同じ遺伝子を持ってるだけで、一緒にいるのが義務ではないじゃない。それなのに、離れないのは優しいよ」

「…それは、お互いにとってお互いしかいないからですよ」

両親のこと、言いかけて躊躇った。出会って日の浅い湊さんに語るには、少しデリケートな気がした。

いや、お姉ちゃんの事といい今更か。

迷ったけれど、話そうと思った。

「両親いないんです、うち。存命らしいけど、訳あって離れて暮らしていて。姉も養親も何も教えてくれなくて、心許ない人生なんです。だから、姉だけが肉親で家族で」

あと、それから。

先が続かなかった。何も出てこなかった。

それ以上でも以下でもなくて、姉はどうしようもないくらい姉だった。親の役割を担っていたところは見たことない。友達みたいに寄り添って優しくされた覚えもない。

じゃあなんで、私は傍に居ることを選んだんだろう。

家族、だから。

家族ってなんだ。

自分の思い通りにならないとひっぱたくのが家族。

好きにさせてと迷惑をかけるのが家族。

あれ、なんで、私。


「ごめん、地雷踏んじゃったかな」

ぐるぐる巡る思考回路は、湊さんの一言で安全地帯に着地した。パンドラの箱の蓋がズレたような、危ない感情の瀬戸際にいたようだ。そんな事ないです、と慌てて否定しながらも心の中では自分もそんな気がしていた。

「体育館、着いちゃったね。もう少し話してたいから、話しながら眼鏡探そう」

探すもなにも、私は眼鏡の場所を知っている。あぁでも、きっと湊さんもわかってる。これは、そういうことなんだろう。

バスケ部が練習をしている横をぬけて、ステージに駆け寄る。ステージに上がるための階段に腰をかけて、また会話を再開する。

自分のこと、お姉ちゃんのこと、友達のこと、話していると止まらなくて、湊さんは一生懸命聞いてくれるからそれがたまらなく嬉しくて、幸福だった。

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