05

 もう夬ではない夬に。声をかけようと、思った。


 中庭を歩く。


 かいだった、誰か。

 この前と同じ場所に。病院の中庭のベンチに。座っている。


「あの」


「はい」


 声をかけたけど。どうしていいか、わからなかった。


「あっ。目の下のくま。薄くなってますね」


「え?」


「この前も、ここで会いましたよね。目の下のくまがすごくて、覚えていたんです」


「わかるん、ですか?」


「ええ。まあ。すごい大きなくまでしたし」


 夬。表情の変化を理解できている。


「隣、よろしいですか?」


「ええ。どうぞ」


 隣に。座った。


「僕のこと。ご存じ、ですよね」


 どう答えたらいいか、わからない。


「僕。夬って名前らしいんですけど。記憶なくて」


「ええ。わかってます」


 絞り出した答えは。自分への回答でしかなかった。


「そんな悲しい顔をされると、なんか、うらやましいなって思います」


「うらやましい?」


「ええ。きっと、あなたと、僕の前の夬は、とても深い仲だったんだなあ、って」


「夬」


「ごめんなさい。記憶、ないんです。そんな切ない顔をされても、僕には、どうしようもないです」


「いいえ。違うんです」


 夬。


「彼は。あなたの前の夬は。表情を、理解できなかったんです。相貌認識に不具合があって。人が悲しんでるとか、目の下にくまがあるとか、そういうのが。わからなくて」


 自分でも、どう伝えればいいのか、わからない。


「あいつは。人の喜んだり悲しんだりする顔を、見たいって。それが、見られたら楽しいだろうなって。そう言ってて。死ぬ前も、無理してドラマ観賞しようって言ってて。表情が分からないから、ドラマなんて見ても退屈だろうに。それでも、あいつは」


 涙を。こらえた。


「あなたは、人の表情を読み取れる。それだけで、なんか、うれしくて。すいません。初対面なのに」


「いいえ。そんなことは」


 遠くから。誰か来る。


「あっ。やばい。隠れないと」


 夬。眉をひそめる。


「あのかた。ご存じ、ですか?」


「冷加です。あなたの前の、恋人です」


「やっぱりかあ。なんか、押しが強くて。どうしようかって思ってて」


「きらい、ですか?」


「いえ。そういうわけでは。ただ、なんというか、強すぎる意志みたいなのを感じて、ちょっと苦手です」


 気になることがあった。


「彼女といると、身体が火照ったり、してませんか?」


「なぜそれを」


 夬。驚いた顔。


「やっぱりか。あいつ。やることやったな」


 そして、それは上手くいった。


「彼女といると、なんか、身体がおかしいんです。なんか、こう、芯のところが熱くなって。不思議な感じで」


「身体が、彼女を求めているんだと思いますよ」


「身体が?」


「冷加。ここだよ」


 立ち上がって、彼女を呼ぶ。


「ちょっと。なんてことを」


「俺の名前は。抻毅です。どうぞよろしく。夬さん」


 こちらに気付いた冷加が、走ってくるのが見える。

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