第24話 名前
「それっ!」
「ボウルに卵を叩きつけんな! 卵を割るってそういう事じゃねぇから!!」
「ちょっと熱そうね。これで冷ましましょ」
「油の温度を水で下げるな! 油がはねまくってるだろうが!!」
「火力全開よ!」
「丸焦げじゃねぇか! 手早くやらないと火事になるぞ!?」
「"
「ギフト使うな!!」
はぁ……はぁ……。マジでなんなのこいつ? まるで成長しないんだけど。昨日は初日って事で大目に見たが、二日目にもなって卵も割れないのはやばいだろ。ってか、普通にこの年で卵を割れないのは人としてやばいだろ。
「もう……ガミガミうっさい! 集中できないから上手くいかないのよ! 出来たら呼ぶからあっち行ってて!」
「出来たら呼ぶって……」
「いいから!」
夕暮に凄まれてすごすごと退散する。まったく……ああいう気が強い女子は性に合わん。やっぱり清楚で穏やかで包容力のある女性が一番だ。北原みたいな感じの。
「随分と仲良くなったみたいじゃねぇか」
煙草を吹かしながらおじさんが俺に笑いかけてくる。
「……どう見たらそう見えるのさ。むしろ悪化してるように思えるって」
「そうか? 俺には彼女のピリピリが大分和らいでるように見えるけどな」
「あっ、私もそう思った! 付きっきりで教えてくれてるから少しは心を開いたんじゃないかなー?」
結衣さんまで……。俺には全然そうは思えないけど。
横目で夕暮の様子を窺ってみる。今はオーブントースターに悪戦苦闘していた。いやいや、パン入れてつまみ捻るだけだろうが。幼稚園児でも出来るっての。
「おじさん……あいつに調理場は無理なんじゃないかな?」
「あー……それは何となく肌で感じてた。とりあえず颯がもう少し教えてダメだったら、ウェイターメインにしてみるか」
「もう少し、ね……」
俺は小さくため息を吐く。教えるって何を教えてやればいいんだ? ゆで卵を電子レンジで作ろうとする、野菜を洗剤で洗おうとする、米を研いでくれって頼んだら包丁の砥石を持ち出す。はっきり言って料理をする以前の問題だっつーの。生まれてから一度も料理したことない奴でも、もうちょっとましだと思う。
「氷室!」
夕暮の教育プランに頭を悩ませていたら、後ろから元気のいい声で名前を呼ばれた。
「ん?」
「どうした?」
その声に俺とおじさんが同時に反応する。あ、そっか。俺もおじさんも氷室だったわ。
「あ、いえ……変態の方の氷室で……!!」
いや、おかしいだろその返し。
「ふっ……男はみな変態さ」
その返しも大概だな、おい。
「そうだよねー。廉也さんも颯君も氷室だからややこしいよねー」
ややこしい……のか? 結衣さんには名前で呼ばれるから考えた事なかった。唸り声を上げながら難しい顔をしていた結衣さんが、突然ポンっと手を打った。
「そうだ凪ちゃん! 二人の事は名前で呼びなよ!」
「え?」
「え?」
今度は俺と夕暮が同時に反応する番だった。
「そりゃいいな! 名前で呼んでくれればどっちが呼ばれたかすぐにわかる!」
「でしょー? それに、私達は名前で呼び合ってるのに、凪ちゃんだけ仲間外れっていうのは何となく嫌でしょ? ね! 凪ちゃん!」
「え、えーっと……」
夕暮がかなり困っている。俺が名前で呼べって言ったら軽く突っぱねていただろうけど、結衣さんに言われたら断りづらい。しかも、仲間外れにしたくないっていう結衣さんの思いやりにより、もはや夕暮に選択肢はなかった。
「……わかりました。これからは廉也さんと…………颯と呼ばせていただきます」
ものすごい
「……いいわよね?」
そんなに鋭い目で言われたら嫌だなんて言えるわけねぇだろ。
「あぁ。別に夕暮が」
「颯君?」
「…………凪がそう呼ぶって言うなら俺は構わないぜ」
ですよね。当然俺も名前で呼ばないといけませんよね。小学生ならいざ知らず、高校にもなって異性を名前で呼ぶのはかなり照れくさいんですが。
「……ところで、俺も名前で呼んでいいっすか?」
「……構わないわ」
全然構わないって顔してないけど。こんなにも嫌悪感丸出しの人見た事ないって。
「うんうん、これで解決だ♪」
気まずい空気を作り出した元凶は満足げに何度も頷くと仕事に戻っていった。いつの間にやらおじさんも料理作りに専念している。
「……学校では絶対に呼ばないでよね」
「……お互いにな」
多感な高校生、俺達が名前で呼び合ってるって知られたら確実に面倒くさい事になる。特に御巫辺りが騒ぎ立てるだろう。まじ
「で? なんの用だったんだ?」
「出来たら呼ぶって言ったでしょ? だからひむ……は、颯を呼んだのよ」
「お、おう」
こりゃ慣れるのにかなり時間がかかりそうだな。言う側も言われる側も。
「とりあえず食べて感想ちょうだい」
そう言って少し焦げたトーストが乗った皿を俺に突き出してきた。それを受け取り、じっくり観察してから夕な……凪に尋ねる。
「……これは?」
「見てわからないの? シュガートーストよ!」
ほぉ……このパンの上にあるパンと同じくらいの厚さの白い層は砂糖って事か。糖尿病待ったなしだな、これ。
「トースターで少し焼きすぎちゃったから見た目はあれだけど、味は保証するわ!」
「味は保証……味見は?」
「してないわ」
ですよね。なんでそんなどや顔で言い切れるのかよくわからんけど。
俺はもう一度シュガートーストらしき物体に目を落とした。まぁ、めちゃくちゃ甘いだろうけど、食べられなくはないだろ。べっこう飴みたいなもんだ。それにこんだけ期待に満ちた目を向けられたら食べないわけにはいかない。覚悟を決めて一口。
ぱくっ。
口の中でゆっくりと
「どう? 美味しい?」
俺の感想が気になるのか、ぐいぐいとこっちに顔を寄せてくる。半径一メートルはどうした。つーか、あんまり顔を近づけんな。性格は最悪だけど、顔だけは可愛いんだから照れるだろうが。
……いやそんな事よりも、だ。
「……なんだよ、やればできるじゃねぇか。中々美味いぞ」
「本当!?」
一瞬ぱぁっと笑顔が広がったが、すぐに腕を組みながらツンとした顔を横に向ける。
「と、当然でしょ! あたしが作ったんだから美味しいに決まってるわ!」
顔は不機嫌だけど、声はどことなく嬉しそう。言えねぇ。口角が上がりそうになるのを必死に堪えているこいつには言えねぇ。凪が作ったものはシュガートーストじゃなくてソルトトーストであるという事を。そして、俺は今すぐにトイレに行きたいという事を。
「おじさん……ちょっと三番行ってくる」
「ん? おう、わかった」
これ以上は無理だ。恐らく凪が初めて一人で作ったであろう料理を
結局、俺がトイレから出てこれたのは、凪がバイトから上がった夜の部になってからだった。
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