第23話 世話係

 すこぶる足取りが重い。昨日はカフェバルCielシエルへと向かう道をあんなにもドキドキしながら歩いたっていうのに、今日はまるで正反対の気持ちだ。ドキドキはしている。でも、それは処刑台に向かう受刑者と似ている。約束された刑を前に、俺は深々とため息をつきながら店の扉を開けた。


「おはようございます……」


「颯君おはよう! おやおやー元気がないぞ? そんなんじゃ夜の荒波は乗り切れないぞー? 今日も張り切っていこう!」


 店に入るや否や、結衣さんが素敵な笑顔で出迎えてくれる。いつもの俺ならにやけ面の一つでも出そうだが、今回は無理だ。その結衣さんの後ろにあるカウンターから禍々しい怨念を感じてしまうのだから。


「……おはようございます」


「……おはようございます」


 カウンターに近寄り、おじさんと夕暮に挨拶をする。夕暮は切れ長の目をさらに吊り上げてこちらを見てきたが、おじさん達の手前、蚊の鳴くような声で挨拶を返してくれた。


「来たな颯。さっさと裏行って着替えてこい」


「はい」


 夕暮から逃げるようにそそくさと男子更衣室へと向かう。やばい、想像していた以上にやばい。息苦しすぎて溺れてんのかと思ったわ。え? これからずっとこんな気持ちでバイトせなあかんの? 無理無理無理ぃ! 流石にどげんかせんといかん!


「よっしゃ! 一緒にバイトがんばろ……がんばりましょう」


 いい案が思いつかず、とりあえず結衣さんみたいにハイテンションで明るく絡めば誤魔化せるだろ、とか思ったんだけど、夕暮の目を見て心折れたわ。あの目は確実に五、六人はってるね。


「うっし、じゃあ夕暮さんも着替えておいで」


「わかりました」


 おじさんから制服を受け取ると、俺を無視してスタスタと女子更衣室へと入っていった。すれ違いざまに一睨みする事は忘れずに。辛い。


「いやー、まさか夕暮さんが颯と同じクラスだったとは驚きだ! ……ところで、お前あの子に何をしたんだ?」


「……お願いだから聞かないで」


「相当やらかさないと女の子はあんな風には怒らないよー? 颯君、やっちまったね♪」


 お客さんが飲み終えたコーヒーカップをシンクに置きながら、結衣さんがVサインを向けてくる。あれは不幸な事故なんだ、と声を大にして言いたい。だけど、詳しく話したらおじさんも結衣さんも俺が悪いって言うんだろうなぁ。


「着替えてきました」


 そんな話をしている間に、夕暮が制服に着替えて戻ってきた。俺は一瞬彼女に視線を向け、すぐに逸らす。……どうして逸らしたのかって?


「わぁ! 凪ちゃん可愛い!! すごい似合ってるよぉ!!」


「あ、ありがとうございます」


 結衣さんが満面の笑みで褒めると、夕暮は顔を赤くしてちょこんと頭を下げる。白を基調に青のラインが入ったワンピースに腰掛のエプロンをしている夕暮がマジで似合ってる。そこいらのメイド喫茶の子が裸足で逃げ出すくらい可愛いな、おい。結衣さんも同じ格好をしているんだけど、やっぱり同級生だからなのか何となく感じ方が違う。

 だからこそ目を逸らしたのだ。そんな夕暮に見惚れたりしたら、どんな罵詈雑言が飛んでくるかわからない。


「うんうん。思った通り、その制服は若い子に映えるねぇ」


「……どういう意味、廉さん?」


 腕を組んで満足そうにうなずいていたおじさんに、結衣さんが氷の微笑みを向ける。あれ? 雪国?


「と、当然結衣は言わずもがなで素敵だよ!」


「ふふ♪ ありがとう♪」


 一瞬でこの場を凍てつく空間にした氷の女王が、おじさんの言葉で機嫌を直し、春が訪れる。笑ってるのにあの迫力、流石は結衣さん。


「よし。じゃあさっそく夕暮さんには少しずつ仕事を覚えていってもらおうかな」


「はい」


「という事で、世話係の颯。簡単な料理から教えてやってくれ」


「「え?」」


 見事に俺と夕暮の声がはもる。いやいやいや……え?


「ん? 前に世話係を頼むって話したよな?」


 いや、確かにされたけども! 絶対無理でしょ!? だって隣でゴーヤを丸かじりしたみたいな顔してるもん!!


「あー、店のオーダーは気にしなくていいぞ。颯が夕暮さんに教えている時は俺が全部引き受けるから」


「あ、いや、ちょっとま」


「結衣。注文は全部俺に回せな」


「りょーかい♪」


 結衣さんに助けを求めようとするも、鼻歌歌いながら注文取りに行っちゃった。まじ? まじで俺が夕暮の世話するの?


「…………」


「…………」


 何とも重くるしい沈黙。どうやって声をかけようか迷っていると、夕暮がこれ見よがしにため息を吐いた。


「……半径一メートル以内に近づかずに教えてよね」


「それは大分無理があるかと……わかりました」


 既に一メートル以内の距離にいる気がするけど、あんな怖い顔で睨まれたら首を縦に振らざるを得ない。


「よろしくお願いします」


「え? あ、あぁ。じゃあ一番簡単なサンドウィッチから始めようか」


 そっけなくだけど頭を下げてきた事に戸惑いつつも、俺はぎくしゃくしながらトマトとレタス食パン、それにベーコンを取り出した。


「まずは定番のBLTサンドから。一回俺が作ってみるから見てて」


「……あんたに指示されると無性に腹が立つけど、仕方ないわね」


 夕暮はむくれっつらになりながらも、ポケットからメモ帳とペンを取り出す。意外とまじめだな、こいつ。こりゃ、学校でのいざこざは抜きにして俺もちゃんと教えてやらないと。


「ベーコンは一度火を通さなきゃいけないから、先にフライパンにかけとく」


「ふむふむ」


「で、野菜を切って、それをベーコンと一緒にバターを塗ったパンに挟んで完成」


「早いわっ!!」 


 俺がBLTサンドを完成させると、夕暮がくわっと目を見開かせた。


「早すぎるのよっ!! いつトマトが輪切りにしたのっ!? パンの耳を切ったのはいつ!? バターはいつ塗ったの!? いつの間にベーコンが焼けてたのよ!?」


「あっ、ごめん。いつものペースでやっちゃった」


 このペースでやらないと夜は死ねるから体に染みついちまってた。夕暮に教えるならもう少しゆっくりじゃないとな。


「一つ一つ教えていくか。最初はトマトの切り方から」


「もう……今度こそ頼むわよ?」


「はいはい。じゃあゆっくりやるからよく見てて」


 トントントン……。まな板で小気味いいリズムを刻んでいく。うーん、野菜を切る時のこの音はいつ聞いてもいいねぇ。少し離れたところから俺の手元を覗き込んでいた夕暮が目を丸くする。


「コツとしては摩擦を利用して切ることだな。無理に押したらトマトが潰れちまう」


「あんた……料理上手なのね。変態のくせに」


「変態は関係ねぇだろ。ってか、変態じゃねぇ」


「何言ってるのよ。れっきとした変態よ」


 冷たく言い放つと夕暮はツンっとそっぽを向く。ぐっ……ここで言い返しても藪蛇やぶへびなのは目に見えている。それに、事故とはいえ変態と言われても仕方がない事はしてるんだ。グッと堪えて大人になれ俺。


「じゃあ次は夕暮がやってみろ。トマトくらい切れるだろ?」


「あたしの事馬鹿にしてる?」


 俺がまな板に包丁を置いて下がると、夕暮がジト目を向けてきた。そして、包丁を手に取り、トマトを持ったところで、もう一度俺に視線を向けてくる。


「……近づかないでよ?」


「わーってるよ」


 包丁使ってる時に近づいて刺されたらたまったもんじゃねぇっての。


「えっと……まずは包丁を構えて……」


 夕暮さん? どうして包丁を天高く掲げているの? 伝説の剣気取りなの?


「指を切らないようにトマトはまな板の上に置いて……」


 トマトを指で押さえないの? 丸い部分を下に向けてるから、まな板の上でトマトがぐわんぐわん揺れてるけど大丈夫? 大丈夫じゃないよねそれ?


「そして……余計なストレスを与えないよう、急所を一発で仕留める!!」


 それ魚の活け締めだからっ!! トマトの急所ってどこだよっ!?


 容赦なく振り下ろされた包丁はトマトのつるん、とした所にクリーンヒット。そのまま勢いよく跳ねたトマトは何の迷いもなく一直線に俺の顔へと飛んできた。


 べしゃっ!!


「あ……ご、ごめんなさい」


「……気にすんな」


 夕暮ってもっとつんけんした奴かと思ったけど、割と素直に謝れるのな。それが知れただけでも、顔からトマト汁を垂らした価値があったわ。うん。


 とりあえず、包丁の使い方から教えるか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る