第18話 バイト先での日常

 精神統一。そして、頭の中でイメージ。常に先を見越して精細な動きを心掛ける。そのまま自然に逆らう事無く、流れるような所作で、思い描いていた自分のイメージと現実を重ね合わせれば……。


「……できた。『青のり香る魅惑のオムそば・デラックスボリュームVer.』」


「すごーい! めちゃくちゃ手際よかったよ、はやて君!」


「ほう……これは中々……」


 俺の作った『青のり香る魅惑の(以下略)』を見て、春山はるやま結衣さんが手を叩き、俺の叔父である氷室ひむろ廉也れんやが自分の顎を撫でながら喉をうならせる。そして、二人は同時にスプーンで『青のり香る(以下略)』を口に運んだ。


「……どう?」


「…………」


「…………」


 結衣さんもおじさんも無言で味を確かめている。この瞬間が一番緊張するわ。だけど、これさえ合格点をもらえれば、この店にある全ての表メニューは作れるって事になる。

 ドキドキしながら待っていると、結衣さんが珍しく真剣な顔を俺に向けた。あれ? もしかして失敗した?


「颯君」


「は、はひぃ!」


「……最高だよ、これ」


 グッと決め顔で親指を上げる結衣さん。マジで心臓に悪い。


「うん、これならお店で出しても問題ないな」


「まじかよおじさん!」


 歓喜の声を上げる俺に、おじさんは笑いながら頷いた。いやぁ、この一ヶ月間頑張った甲斐があるってもんだ! 自分でもわかるくらい上達してったからな! ……学校でもこれくらいの成長を見せてくれたら母さん嬉しいんだけど。


「このクオリティをあの速度で作れるんなら、ディナータイムを一人で任せても心配なさそうだ」


「え……それは勘弁してください」


 おじさんが経営するカフェバルCieLシエルは何気に人気店。昼間もさることながら、夜なんて比喩でもなんでもなく戦争だ。敵陣へ単身切り込む度胸はない。


「おいおい、そんな弱気じゃ困るぞ? 数日後には大型連休が待ってるんだからな」


「え? ゴールデンウィークに何かあたっけ?」


 イベントやるって言ってたかな? 全然記憶にないんだけど。


「ハロウィンやクリスマスじゃないから変わったことは何もやらんよ。いつも通り店を開けるだけだ」


「だったらなんで……」


 俺の言葉の途中で結衣さんがガシッと俺の肩を掴んだ。なぜか、その目は微かにうるんでいる。


「颯君……まだ、連休の恐ろしさを体験したことがないのね。可哀想に……」


「は?」


「なんでも、連休は予定がないからってかなり入ってくれるみたいだぞ?」


「うぅ!!」


 口元に手を当てて涙を流す結衣さん。マジで置かれている状況が把握できない。


「颯……お前休日のこの店の忙しさは経験したことあるよな?」


 おじさんが煙草に火をつけながら俺に聞いてきた。


「そりゃあるよ。二、三回だけだけどバイトに入ったことあるしね。……尋常じゃなく疲れたけど」


 思い出すだけでもふらつきそうになる。ひっきりなしに入る注文、途切れることのない客足、洗い物により永遠に空くことのないシンク。まさに地獄絵図ってやつだ。


「まぁ、控えめに言ってあれの三倍くらい客が入るかな?」


「…………え?」


 苦い思い出も今となっては笑い話、的な感じで休日の事を思い出していた俺の脳みそが凍り付く。休日の三倍? もはやそれは超常現象に近いものではなかろうか。


「去年は結衣と二人で回したんだが、結構きつかったなぁ……」


「……流石の私も死を覚悟したわ。途中から記憶が一切ないもの」


 なん……だと……? 戦場ディナータイムはおろか、休日すら笑みを絶やさず余裕の表情で仕事をこなしているあの結衣さんが死を覚悟した、だと……!? ちょっと待て、冷静になれ俺。歴戦のグラディエーターですら死にかけるそのいくさに、貴様のようなひよっこが立てると思っているのか? 答えは『いな』だ。よってここは戦略的撤退を行う。


「あの……」


「だが、今年は大丈夫だ! なんたって颯っていう巨大な戦力がいるんだからな!」


 適当な理由をつけて断ろうとした俺の背中を、おじさんが笑いながらバンバンと叩いた。


「そうね! 颯君がいるなら百人力ね!」


 そして、結衣さんが追い打ちをかけてくる。どうやら退路はロケランか何かで吹き飛ばされたようだ。くそったれ。


「ガンバリマス」


「期待してるよー!」


 美人な結衣さんの必殺ウインク。普段は効果抜群なのだが、今日は不思議と何も感じない。


「とは言え、去年の反省を生かして颯以外にも新戦力を確保してるんだな、これが」


「新戦力?」


「あぁ。この前面接に来てくれたよな?」


「来た来たー! 颯君、期待していいぞー? めちゃくちゃ可愛い女の子だったから!」


 めちゃくちゃ可愛い? え? 時代来た? ……いや待て、落ち着け颯。ぬか喜びシステムが発動する危険性を考慮に入れろ。なぜなら政治家の「善処します」と女子の「可愛い」ほどあてにならない物はないのだから。


「お前の考えている事なんて手に取るようにわかるぞ?」


 とんとん、と灰皿に煙草の灰を落としながらおじさんがニヤリと笑う。そして、ゆっくりと俺の耳元に顔を寄せてきた。


「だが、安心しろ颯。相手はお前と同い年で、とびっきりの美少女だ」


「……その情報に嘘偽りはないよね?」


「信用していい。お前のやる気を出させるためだとしてもこの嘘はつけない。……同じ男としてな」


 ダンディなおじさんの必殺ウインク。普段は軽く流しているのに、今日はやたらと胸に熱いものがこみあげてきた。


「連休、バイト入ってくれるか?」


「イエッサー! わが命に代えても!」


 差し出されたおじさんの手を力強く握り返す。皇聖学園に入ってからロマンスの欠片も見当たらなかったっていうのに、こんな所に落ちていたのか俺のラブストーリー。あの学校にはまるで期待できないので、俺はバイト先で愛の芽を育んでいきたいと思う。


「連休初日からいきなりシフトに入るっていうのは流石に可哀想って事で、明日から来るように言っておいたんだが、お前はどうする?」


「当然! バイトの先輩として顔合わせは必須でしょ!!」


「ならお世話係は颯に任せるとするか!」

 

 おじさん……あなたが神ですか? こうなったら先輩としてあんな事やこんな事を優しく手取り足取り教えてやらなければ! いやらしい気持ちなど微塵もない。もしいやらしく聞こえたのであれば、それは心が汚れている証拠だ。


「……なんだかんだ言って颯君も男の子なのねぇ」


 盛り上がっている俺達を、カウンターに頬杖をついて見ていた結衣さんが苦笑いしながら小さい声で呟いた。

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