第12話 アルバイト

 あれから何度か挑戦してみたけど、結局屋上に辿り着く事は出来なかった。登れて三階まで。それ以上は上を目指すのがきついっていうより、落ちた時の恐怖がどうしようもなくて進めないって感じだ。多分、屋上まで行けた奴らは恐怖心ってネジが外れているんだと思う。

 基礎訓練の授業で皇聖学園一日目が終了となった。五限で終わりとか他の高校と比べて明らかに短い。なんでも、ギフテッドは自己の鍛錬が大事だから自由時間が多いんだとさ。その分、一つ一つの授業の内容が濃いんだって。そりゃ初日からがっつり授業するわけだ。


 教室まで戻るのが面倒くさいからって実習棟の前で帰りのホームルームを行う我らが担任。物臭ここに極まれり。大した連絡事項もなくそのまま解散となったので、俺は沈んだ気分を引きずって自分の部屋へと戻る。

 最終的に屋上まで行けなかったのは俺と北原と御巫を含めて七人。つまり、クラスの過半数以上がクリアしたって事だ。勉強だけじゃなくこっちでもついていける気がしないなんて、先が思いやられるってレベルじゃねぇよ、本当。

 脱力した様に椅子に座ると、哀れな姿で床に転がっている目覚まし時計が目に入った。さらに落ち込む気分。


「自己鍛錬ねぇ……やるべきなのは分かってるんだけど……」


 どうにも気が乗らない。学園備え付けのジムとか行って、更に格の違いを見せつけられようものなら、もう立ち直れる気がしねぇよ。今日は心のケアに努めさせてください。


「……そういえばいつでも来いって言ってたな」


 気分転換になる事は何かないか考えていたら、ふとこの街に住むおじさんの言葉を思い出した。俺がこの学園に入学するって報告をしたら、自分がやってる店へアルバイトに来なって言ってくれたんだよな。新しい目覚まし時計も買わなきゃいけないし、ちょっと顔出してみようかな?

 そうと決まれば善は急げだ。手早く私服に着替え、学園の校門へと向かう。守衛室にいたのは昨日も会ったゴリゴリマッチョなおじさん。早速、俺は帰りのホームルームで配られた学生証をおじさんに見せる。


「すいません、外出したいんですけど」


「そこの電子板に学生証をかざせばいい」


 ん? あぁ、これか。電車の改札みたいだな。


「門限は零時までだからそれまでには帰ってくるようにな」


 ゲートをくぐった俺に守衛のおじさんが声をかけてくる。ここからおじさんの所までは歩いてそこまでかからないから、門限を過ぎることはないだろ。

 学園を離れ、のんびり歩きながらおじさんの店を目指す。やっぱり東都はすげぇな。The・都会って雰囲気がするわ。車はビュンビュン走ってるし、超高層ビルがあちらこちらに並んでる。俺が住んでいる町とは大違いだな。……まぁ、あそこはあそこでちょっと特殊な環境ではあったけど。

 東都の街並みを眺めながら歩く事二十分。立派なビルに挟まれる形でこじんまりとした一軒家いっけんや風味の店が見えてきた。いつ来ても場違い感が拭えないな、ここは。


 カランカラーン。


 ガラス張りのドアを開くと、小気味いい鐘の音が店内に響き渡る。


「いらっしゃ……あら!」


 三角巾を頭に付けた女性が営業スマイルを向けて来たが、俺の顔を見ると少し驚いたように口元に手を当てた。


「こんちは、結衣ゆいさん」


「やだ! はやて君じゃない! 久しぶり!」


 結衣さんが嬉しそうに笑いながら抱き付いてきた。お、おっふ……子供の頃は何とも思わなかったけど、この歳になると結衣さんの豊満な胸が体に当たってめっちゃテンパる。


「おっ、颯。早速来たのか」


 身動き取れずにドギマギしている俺に、誰かが店の奥から声をかけてきた。そっちに目を向けると、ちょび髭を生やした男性がニコニコ笑いながら俺を見ていた。この物腰柔らかそうな人が俺の父親の弟であり、俺のおじさんでもある氷室ひむろ廉也れんやさんだ。


「お、おじさん。こんにちは」


「おい、結衣。颯が困ってるだろ? そろそろ放してやれって」


「はーい」


 結衣さんは舌をペロッと出すと、腕の中から俺を解放してくれた。ほっ……結衣さんは美人だから刺激が強すぎるぜ、まったく。


「コーヒーとサンドイッチが出来たから、こいつを運んでくれ」


「わかりました! 颯君、ゆっくりしていってね!」


 おじさんからカップとお皿を受け取ると、俺にウインクをしてから結衣さんはお客さんの所へ歩いていった。


「……結構人が入ってるんだね」


 周りを見回しつつ、おじさんに声をかける。それなりに広い店内にはランチタイムも終わってるっていうのに、そこそこ人が座っていた。


「都会の喧騒けんそうに嫌気がさした奴は、こういう質素な店を求めるもんなんだよ。だが、今は空いている方だ。夜はまさに戦場だぞ?」


「ここはカフェとバルを兼ねてるもんね」


 カフェバルCieLシエル。おじさんの経営するお店の名前だ。これでも、雑誌とかで取り上げられたりしたこともある人気のお店らしい。


「だから、お前にアルバイトを頼んだんだろ。どうだ? やってくれるか?」


「そのつもりで来たんだよ。見知らぬ街の見知らぬ店で働くより、おじさんの所で働いた方がいいからね」


「よく言った! それでこそ男だ!」


 おじさんが笑いながらわしゃわしゃと俺の髪を撫でる。なんとなく子供に戻ったようで嬉しいような気恥ずかしいような気持ちだ。


「さて、じゃあ早速仕込みから教えるか。包丁を持ったことないお坊ちゃんってわけじゃないだろ?」


「仕事の関係で父さんと母さんがほとんど家にいないでしょ? だから、俺が妹の御飯とか作ってたから、多少は扱えるよ」


「そういやすばる兄さんがそんなこと言ってたな。って事は、涼風すずかは今家で独りぼっちなのか?」


「ううん。相変わらず父さんは忙しいみたいだけど、俺の入学をきっかけに母さんは早く家に帰るようにしているみたい」


「そうか。それなら安心だな」


 そう言うと、おじさんは冷蔵庫からキャベツを取り出し、俺によく研がれた包丁を渡してきた。


「このキャベツを千切りにしてみな」


「うん、わかった」


 言われた通り、キャベツを千切りにする。夕飯のメニューで野菜に困った時に、よくキャベツの千切りを添えて誤魔化してたからな。これくらいはお手のもんだ。


「へー! 意外と手つきいいじゃん!」


「あぁ。これは思わぬ拾い物をしたな」


 配膳から戻ってきた結衣さんが俺の手元を見て、少し驚いた声を上げる。おじさんの反応も上々みたいだ。


「だが、それだとピーク時には間に合わんな。ちょっと貸してみ」


 まじか。自分でも早く切れる方だと思ってたんだけど、これでも遅いのか。


「野菜っていうのはこうやって切るんだよ」


 俺から包丁を受け取ると、おじさんはキャベツに包丁を入れた……と、思ったら千切りが出来上がっていた。え? 手品?


「そんでもってこれがうちの自慢のカツサンドだ」


 棚から鍋を取り出し、火をつけながら油を注ぐ。油の温度がいい具合に上がるまでの間に、豚肉を少し叩いて塩コショウをふり、いつの間にやら溶かれていた卵にくぐらせ、小麦粉とパン粉をつけた。そのまま油の中へと投入。きつね色になるまで揚げ、竹串で焼け具合を確認すると、油をきってまな板の上に置いた。今のが俺のまばたきを二回で行われた工程だ。そして、最後にもう一度瞬きをすると、あら不思議、カツサンドの出来上がり。え? 魔法?


「最低でもこれくらいの速さで出来るようにならないとな」


「いやいやいや、速すぎるでしょ?」


「何言ってるのよ! 廉さんが本気出したらこんなもんじゃないわよ?」


 今ので本気じゃねぇのかよ! 確実におじさん、ギフテッドだろ!!


「ほれ、食ってみろ」


 差し出されたカツサンドを頬張る。うん、カツがサックサクでめちゃくちゃ美味しいです。


「これからみっちり鍛えていくからよろしくな」


「頑張ってね! 颯君!」


「ははは……」


 まっすぐな瞳で応援してくる結衣さんに、俺は乾いた笑みで応えることしかできない。身内の店だから楽にバイトができると思ったのに……学園でもバイト先でも鍛錬に身をついやさないといけないってわけか。とほほ……。

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