07話.[まだいてくれよ]

「もう……だから言ったのに」


 ベッドの上に寝転んだままの彼に不満をぶつける。

 冬じゃないとか関係ない、雨に濡れたままならそりゃ風邪を引く。


「ふぅ……、来てくれてありがとな」

「そりゃ行くけどさ」


 俺のせいみたいなものだし。

 彼は優しいと片付けているからあれから精神は安定している。

 が、その相手が風邪を引いてしまってはどうしようもないのだ。


「文一は?」

「有田くんと勉強中」


 栗原くんに行ってと頼むべきだったか。

 彼は栗原くんが風邪を引いたときに行ったんだから違和感もない。

 ただ、俺が無理やり彼の家に行こうとしたわけじゃない。

 行くかどうか聞いたら「静が行くならいい」と断られてしまっただけで。

 とにかく、元気そうで良かった。

 明日になったら普通に登校できるレベルだったから。


「よく寝て治してね」

「まだいてくれよ、そんなに急ぐ必要はないだろ」

「あ、それならまだいようかな」


 いてどうするんだって話だけど。

 走ろうと考えていた自分の計画はまたもや駄目になった。


「もっと簡単にどういてほしいか言ってくれ」

「だ、だから……栗原くんと同じように接してほしいんだよ」


 それが無理ならもういてくれなくていい。

 ごちゃごちゃと考えて時間を無駄にするだけだから。


「静」


 ……急に呼ばれてびっくりした。

 顔を見ていたのも悪かったと思う。

 物凄く柔らかい表情で、勝手な想像だけどそう呼べることが嬉しいみたいな感じ……。

 や、わかってるよ? そんなの願望だってことは。


「ちょっとここに座ってくれ」

「う、うん――えっ?」

「文一と同じようにしてほしいんだろ?」


 そういえばこれでよく子ども扱いするなって怒られていたっけ。

 それでも彼は一切気にせずに態度を変えることもなかったと。


「あ、ほら寝ないと」

「そうだな」


 熱が出ていることはすぐにわかった。

 ちゃんと枕元に置いてあった飲み物を飲ませてから寝させる。


「俺は床に座っているから」

「おう、起きるまでいてくれ」


 今日はちゃんと連絡して、それから休憩しておく。

 特にやることはないけど、無茶しないか見張っておく義務があるから。

 彼が風邪を引いたのは自分のせいなんだからしょうがない。

 でも、雪姉を狙っていなくても雪姉とか可愛い子がいてくれた方が嬉しそうだ。

 だからって離れたりはしないけどね。


「苦しそうな寝顔……というわけでもないよね」


 自分が全然風邪を引かないから心配になる。

 ただの風邪だからって馬鹿にできることではないから。

 それにしても……自分から頼んだことなのに驚いたなあ。

 頑なに名前では呼んでくれていなかったから? それだけって感じもしないけど。


「あ、もしもし?」

「仁志君は大丈夫?」

「うん、いまは寝てるよ」


 もし彼にその気がなくても雪姉にあったら?


「雪姉、仁志くんのことどう思っているの?」

「仁志君のこと? そうね、静の同級生で友達というところかしら」

「き、気になっているとか……は?」

「気になるわね、静は仁志君が側にいてくれないと駄目だから」


 雪姉は「そうでもしていないとまた私を不安にさせそうだもの」なんて言ってくれた。

 あれは流石にやりすぎたな、連絡をちゃんとするようになったからマイナスばかりではないということをわかってほしいけど。


「今日は側にいてあげなさい」

「あ、とりあえず起きるまではこっちにいるから」

「ええ、それじゃあね」


 部屋に戻ってもまだ寝ているようで安心できた。

 約束だから同性の部屋に居残る気持ちが悪い存在というわけでもない。

 正座やあぐらをかくのは厳しいから足を伸ばさせてもらう。

 あと、寝転んでいる彼が羨ましくて上半身を倒したらかなり楽になった。

 ……栗原くんがいてくれた方が良かったかもしれない。

 ここではできないけど話し相手になってくれるし、気の利いたことをできるから。




「静、起きろ」

「えっ!?」


 飛び起きてから気づいた、自分の方が寝てしまっていたらしい。

 病人に起こされるってなにやっているんだ、本当に馬鹿みたいだ。


「ご、ごめんっ、もう帰るよっ」

「いやいい、もう遅いから泊まっていけ」

「遅いって……何時?」


 にやにやと笑みを浮かべるだけで教えてくれないから確認してみた結果、


「ま、またこんな時間……」


 この前と似たようなことになってしまって猛烈に後悔。


「お風呂に入りたいから……」

「入ればいいだろ、着替えだって貸してやるぞ」

「え……」


 数分後、永峰家のお風呂場にいた。

 正直に言って初めての利用だからかなり緊張する。

 真夜中だけど彼の両親と遭遇する可能性も0ではないし。


「……汚いけどノーパンで履くわけにもいかないから」


 長々と人の家の洗面所で葛藤してから結局履くことに。

 そうしたらなるべく静かに彼の部屋に戻って。


「悪いけど敷布団とかないんだよな」

「いいよ、制服でもかけて寝るから」


 明日も休まれたら嫌だから電気を消して寝てもらう。

 ……こちらはなんだか凄く気恥ずかしくて寝られず。

 ただ友達の服とズボンを貸してもらったというだけなのに。


「もう4回も寝返りを打ってるぞ」

「……床だから」

「そうか。ただ、ベッドは今日汗をかいているから無理だがな」

「も、元々借りる気はないけど……」


 なんなら彼が起きるまで待って帰るつもりだったんだ。

 なのに転んだせいで自分の弱い脳や心が負けた形になる。


「悪いけど我慢してくれ」

「うん……」


 だってそれが問題じゃないんだから。


「手でも握ってやろうか?」

「……怖いから寝られないわけじゃないよ」

「変に考え事をしなくていいかと思ったんだけどな」


 引っ込めようとした手を慌てて握る。

 握ってからちょっと困惑して固まってしまったけど。


「なかなか大変だな」

「嫌なら離すけど」

「いや、俺から言ったことだから満足するまで握っていればいい」


 ……いま優しくされるとやばい。

 中途半端を嫌がったのはそういうこと?

 栗原くんばかりって嫉妬していたんだろうか。


「どうした、まだ不安なのか?」

「え、なんで?」

「手が震えていたから」


 自分の体なのに自分より相手が先に気づくものなのか?

 それとも、よく見てくれているから大体でわかるのかな。


「仕方がないから両手で握っていてやるよ」


 もう駄目かもしれない。

 けど、こんなことを言ったら気持ち悪がられて終わるだけ。


「ありがとう」

「はは、どういたしまして」


 だから感謝しておくことにした。

 明日からは走ることに集中しようと決めながら。

 気づいたら朝の5時だった。

 何気に握られたままの手を見て、器用だなって考えて。

 寝ているのに力強く握られているから動くことができない。

 早く彼の服とズボンを脱いで制服に着替えようとしたのに。


「熱は……うん、大丈夫そうだ」


 おでこに手を当ててみても熱いなんてこともない。

 そもそもこの握られた手が熱すぎるなんてこともないんだから意味もないんだけど。


「……静は独り言が多いな」

「あ、ごめん」

「いや、気にしなくていい」


 解放されてほっとする。

 遭遇することがないようにと願いながら洗面所で制服に着替えさせてもらった。


「これ、どうしたらいい?」

「かごに突っ込んでおいてくれ」

「わかった」


 着替えてすぐにやって来た彼に改めてお礼を言って部屋へ~となったとき。

 別にこのまま家を出ればいいんじゃないかという疑問が頭の中に出てきた。

 彼の家に残っていても仕方がない。

 そもそも病人の部屋で寝てしまうなど馬鹿のすることだし。


「そんなところでなにしているんだ?」

「あ、もう帰るよ」

「別に同じ学校に行くんだからいいだろ? 朝飯だって作ってやるぞ?」


 ……だって自覚した以上、一緒にいるのって苦しくなるから。

 そしてこれは叶うことのない願い、だから忘れてしまいたかった。

 いや本当に優しくされたから好きになるとか単純すぎるけどさ。


「風邪が治ったようで良かったよ、泊まらせてくれてありがとう」

「そうか、それならまた後でな」

「うん、学校で」


 家に帰る気も起きなくてそのまま学校に向かった。

 流石にこの時間に開いているわけもないから途中で公園に寄ったけど。

 今日も相変わらず雨が降っている。

 合羽を着ているわけだから濡れることもないのが安心だ。

 学校が終わったら今日はすぐに走りに行ってすっきりさせると決めた。




「静、俺も行っていいか?」


 下駄箱で靴に履き替えていたら仁志くんが声をかけてきた。

 先程まで有田くんや栗原くんといたのにいつの間にか付いてきていたみたい。


「あ……前みたいに無茶しなければ」

「しない、だから家に寄っていいか?」

「うん、いいよ」


 露骨に態度に出したら逆に面倒くさいことになる。

 平静を装って対応していれば気づかれずに発散できるだろう。

 苦しくもなるけど嬉しくもあるから複雑って感じだけど。

 約束通り彼の家に寄って、彼が雨の中でも走れる装備を整えてきたのを確認して。


「荷物、俺の家に置いていくか?」

「あ、仁志くんがいいなら」

「大丈夫だ」


 走っていればとにかくすっきりするから問題はない。

 どうせ捨てられることなんかないんだから。


「今日はどれぐらい走る?」

「せっかく仁志くんがいてくれるんだから任せようかな」

「よし、それなら行こうか」


 今日は付いていくことに専念する。

 彼は運動も得意だけどどちらかと言えば勉強に集中するタイプ。

 だから離されることはないと考えていたんだけど……。

 速い、昨日風邪で1日休んでいたから発散させているのだろうか?

 でも、これまで積み上げてきたものがあるから簡単には負けられないということで、10メートル以上離されないように必死に追っていた。


「はぁ、はぁ」

「大丈夫か?」


 信号待ちの間に違いというものを見せつけられた気がした。

 毎日努力しても結局才能には勝てないのかもしれないということに。

 いやまあ、まだ全然努力が足りていないから羨む資格はない。

 けど、この先走り続けても変わることもないんじゃないかって不安がそこにあった。


「遠慮されるのが嫌なんだろ、だから合わせたりしないぞ」

「……うん、それでいいよ」


 いや、毎日続けられることも一種の才能ではないだろうか。

 例えどれだけ離されようと諦めることはしない。

 追いつけないかもしれないけど、途中で帰るのは流石にできない。

 信号が青に変わってお互いに走り出した。

 相変わらず速いけど、考える余裕がなくていい。

 ただ彼の背中を追うということに集中しておけば問題もないのだ。


「今日はこれぐらいかな」

「ふぅ、お疲れ」


 それでも彼は甘いままだった。

 いつもみたいにいい笑みを浮かべてこちらを見てきている。

 雨はいつの間にか止んでいて、フードを取って。


「走っても駄目だったか」

「どうしたの?」


 言い方的に、走りでも駄目だったかと言われているような気がした。

 実際その通りだから、そうなった場合は言い訳もできないけれど。


「静だよ、なんか悲しそうな顔をしているんだよな」

「悲しいことなんてないよ」


 寧ろ同性であろうと好きになれたのはいいことではないだろうか。

 これまでこういうことはあまりなかったから悪いことばかりでもない。


「そうか。でも、なにかあったら言えよ?」

「うん、そのときは言わせてもらうよ」


 ゆっくり歩いての帰路となった。

 下手くそだな、もっと上手く隠さないと。

 確実に迷惑をかけるだけだから、それにある程度は上手く対応できているし。


「最近、文一は有田とよくいるよな」

「友達になったんだと思うよ」


 仁志くんにはライバルだから言わないでくれと有田くんは言っていた。

 だからきっと、彼と有田くんが友達になることはないと思う。

 みんなに気さくに話しかける彼が近づいていないんだから。


「どうだった? わかりやすかったか?」

「うん、だけど仁志くんとやっていたときの方が楽しかったよ」


 単純な申し訳無さがあった。

 それに数問解いただけでできる判定されてしまったからあまり教えてもらってもいない。

 その点、彼はこっちのことをちゃんと考えていてくれたというか、すらすら解いていても「わからないところとかあるか?」と聞いてきてくれていたし。

 あ、別に有田くんが悪いわけじゃないんだけどね、俺は彼とやった方が楽しくできるというだけで。


「本当かよ」

「本当だよ」


 お世辞を言ったりはあまりしないタイプだ、信じてほしい。

 彼は「じゃあ文一的には有田が良かったのかもな」と口にした。

 そういうことではないと思う、ただ負担をあまりかけないようにしているんだろう。


「昨日、あの後すぐに寝ていたぞ」

「君の服を着ていたから気恥ずかしかっただけだよ」

「本当か? 手を握ってやったから安心できたんじゃないのか?」

「子どもじゃないよ」


 こちらとしてはそのせいで寝られなかったんだから、こんなことは言わないけど。

 寝られなかったけど今日は全然眠くならなかったな。

 走ってこの良くない気持ちを捨てるという考えが強かったからか。

 多分家に帰ったら爆睡するだろうということは容易に想像できた。


「つい調子に乗って遠くまで来たから、帰るの面倒くさいな」

「そんなことないよ、俺はこうして帰るときも好きだけど」


 距離を増やせば増やすほど、ここを走ってこられたんだっていい思いを味わえる。

 ……正直に言えば増やせば増やすほど負担も増えるんだけど、悪いことばかりでもない。

 早く梅雨が終わって7月になったらいいなと思う。


「早く7月になってほしいな」

「俺もだ、雨の中走るのは単純に危ないからな」

「あと、蒸れるからね」


 晴れてくれていればどこでも休憩できるというのが大きい。

 それにいまとなっては運動をして汗をかくのが好きになっていた。

 あとは単純にあれだ、7月になれば夏休みもすぐだから。

 まだまだ精神が子どもなのか夏休みとなるとテンションが上がってしまうのだ。


「今度は絶対に文一も連れてくるけどな」

「運動をするのが好きだから来てくれるよ」


 そうしたら1対1にならなくて好都合だった。

 走り終わった後は微妙な気分になるから是非ともそうしてほしかった。

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