03話.[強く感じていた]

 地獄の勉強祭りと運動祭りが始まった。

 けれど、結局はいつも通りだから特に変わりもなく。

 彼らは決して鬼というわけでもないからこちらの限界がくれば流石にやめてくれるしね。


「あっ――」


 走っている途中に考え事をしてはいけない。

 無様に地面にスライディングしてから思った。


「大丈夫かっ?」

「うん、ありがとう」


 差し出してくれた手を握らせてもらって立たせてもらう。

 このように心配してくれるから鬼ではないことがわかっていい。


「あ、ちょっと待ってろ」

「大丈夫だよ、走ろう」

「血が出てるんだよ」

「いいって、後で適当に洗うから」


 勝手に走り出す。

 自業自得なんだから気にしなくていい。

 それより途中で足を止めることになってしまった方が嫌だった。

 だってあともう少しで7キロを休憩なしで走れるところだったんだ。


「ゴール――あれ?」


 栗原くんがいなかった。

 後は帰るだけだから引き返して走っていく。


「あ、ここにいたんだ」

「静……」


 珍しい、それこそ彼が気にせずに走れと言いそうだったのに。


「帰ろうよ」

「おう……」


 別に彼のせいというわけでもないのに気にしているのかな?

 それとも、急に我に返って「俺、なにやっているんだろう……」となった?

 実際、そういう可能性はありそうだ。

 大して仲良くもない人間を見てやらなければならないという状況なんだから。


「……無理させすぎてたか?」

「いや、考え事をしながら走っていたら転んじゃっただけだよ」


 それも罰として距離を増やしてあったんだから甘い。

 いやあ、それでも彼の雰囲気が変わるということもなく。

 あっという間に荷物を置いてある公園まで戻ってきてしまった。


「気にしなくて大丈夫だって」

「とりあえず……顔、洗えよ」

「あ、そうだね」


 水がちょっと冷えているのと単純に染みて痛かった。

 くそぉ、どうしたら暗いままの彼を普通に戻せるのか。


「文一っ、細かいことを気にするな!」

「ふぁ、ふぁにしゅるんだよ!」

「はははっ、面白い顔っ」


 かなりの音が響いたからどれぐらいの衝撃だったかは考えたくはない。

 だけどいつも通りに戻ってくれた気がしたから挟むのをやめる。


「帰ろうよ」

「……なにが面白い顔だ」

「冗談だよ、冗談」


 別にちょっと擦り傷ができたぐらいなのに深く考えすぎ。

 これぐらいの怪我、小学生の頃にはたくさんしてきた。

 もし小学生時代の自分に会ったら腰を抜かすだろうね、いまの彼なら。


「し、静」

「うん?」

「……無理そうなら無理だとちゃんと言ってくれって言っただろ?」

「それはこっちのセリフだよ、何故なら俺はちゃんと走りきったからね」


 明日こそは1度も足を止めずに7キロ走り切る。

 そしていつかは彼や永峰くんを驚かせられればいいと考えていた。


「動かないなら持ち上げちゃうよ?」


 あれからプランクだって継続しているし本当に強くなった気がする。

 彼ぐらいなら家まで持ち上げつつ帰るのは余裕だ。

 無言は肯定の証ということで持ち上げて帰ることに。


「……お前、子ども扱いしているだろ」

「今日は途中で止めちゃったから気になってね」

「別に怪我とかそういうことじゃない、また悪い癖が出たのかと……」

「大丈夫だよ、俺に合わせて距離だって調整してくれてるじゃん」


 分かれ道まで来たら彼を下ろして別れた。

 引きずってくれなければいいなと考えつつ帰路に就いたのだった。




「南波、額のとこ怪我しているのか?」

「うん、昨日転んじゃって」


 ご飯を食べていたら永峰くんが急に聞いてきた。

 これまで会話をしていたのにいま気づいたのはちょっとあれだ。

 きっとなんにも興味がないんだろうな。

 やっぱり友達と言うより、困っていそうだったから放っておけなかっただけなのでは?

 そう考えるとなんだか寂しい、その可能性が高いのが悲しい。

 名前呼びだってしてくれてないしなあ……。


「気をつけろよ、特に顔とかは残って後悔するぞ」

「うん、気をつけるよ」


 いいや、さっさと残りを食べ終えて散歩でもしよう。

 まだ行けていないところもあるだろうし、楽しめるかもしれないし。

 それに教室が息苦しいと感じるのはあのときだけじゃないんだ。

 誰かと気まずい感じになっていなくてもそう。


「ごちそうさまでした」


 お弁当箱を片付けて教室を出る。

 まだ時間は結構あるからのんびりでいい。

 最近は鍛えているのもあってすぐに動いても痛くなったりもしない。


「図書室か」


 2年生なのに1度も利用したことがなかったから入ってみる。

 うん、特に変わらない、中学と同じような雰囲気だった。

 受付には恐らく先輩の男の人。

 自分以外にも数人がこの空間を利用している。

 特に読みたい本というのもないから適当に見て、退出。


「あ、ここにいたのか」

「ん? あ、栗原くん」


 わざわざ反対側の校舎まで探しに来てくれたらしい。

 だからっていちいち「○○に行ってくるね」なんて言われたくないだろう。

 そこまで仲良くない、それにどうでもいい情報だから。


「せめて言ってから行けよ」

「必要ないかなって、これは適当に動きたかっただけだし」


 あのとき永峰くんがああいう反応を見せたのは図星だったからだ。

 一緒にいるけど友達ではない人間なんていっぱいいる。

 話をしていても1対1では話さないままとかもあるだろう。

 マイナスな思考をしているわけではなく、これは普通の思考だった。


「まだどこかに行くのか?」

「うん、なんか教室に居辛くて」


 苛められているわけではないからメンタルが弱いのかも。

 標準的に客観視できてしまうというか、そうなると駄目というか。

 ただただ相手が優しいだけなんだなって、雪姉とかにだって思うぐらいだし。


「栗原くんみたいに体を動かしている方が好きなんだよ、だからまた後でね」


 ひとりは嫌なはずなのにひとりでいると凄く落ち着く。

 放った言葉に反応がないと安心する。

 相手のことを考えずに自分勝手に自由に発言できるということに。

 いまならここが男子校で良かったと言える。

 女の子がいると醜い争いなんかを目にすることになりそうだし。


「待てよ、戻るとは言ってないだろ」

「じゃあ栗原くんも歩く?」

「おう、歩く」


 でも、彼といるとどうせなら走りたくなってくるな。

 どんどんと自分にはできなかったことをできるようになって嬉しくなっている。

 それは紛れもなく彼らがいてくれたからだけど、自分も確かに頑張った。

 だから言われなくても勉強も運動もひとりでやっている。

 寝られないときは夜中に走ったりしているし、たまに朝早く起きてしまったときなんかは永峰くんが作ってくれたプリントをやっているし。

 本当にいい人たちが側にいてくれていると強く感じていた。


「……怪我、大丈夫か?」

「うん、これぐらいなんてことはないよ」


 別に顔に傷ができようがなんにも変わらない。

 というか、同情を引くためにしているようで嫌だった。

 もちろんそんなことはないけど、他人はそう思うかもしれないし。


「悪い……」

「だから栗原くんが悪いわけじゃないって」


 勝手に転んで他人のせいにする人間がいたら屑だ。

 そりゃ、相手がぶつかってきて怪我をしたのなら……故意ならやめてほしいけど。


「俺が無理して付き合わせ――」

「もう言わないでね、次に言ったら怒るから」


 勝手に罪悪感を抱いてマイナスな雰囲気を出すのは自分勝手だ。

 いいんだ、俺は男だからこれぐらいで影響を受けたりはしない。

 相手が女の子じゃなくて、野郎で良かったーって考えておけばいい。

 いや違う、そもそも彼は関与していないんだから笑っておけばいい。


「せっかくのお昼休みなんだから楽しく過ごそうよ」

「……わかった」


 そんなに引きずるとは思わなかったな。

 たかだか少し切って血が出ただけなのに。

 意外と弱いところがあるんだな、まあ、みんながみんな強いわけじゃないか。


「……そういえばなんで呼び方を戻したんだ?」

「あれは気にしないでくれって言いたかっただけだから」

「そうか」


 名字でも名前でも結局ニ文字だから手間は変わらないでしょというだけ。

 冷静に考えて自分に呼ばれたくないだろうなと思ってしまったのもある。

 これもネガティブな思考ではなく、客観視してみた結果だ。

 相手がどう感じでどう動くかを自分なりに想像して行動している。


「静、今日って暇か?」

「暇じゃないよ、今日こそちゃんと最後まで7キロ走らなきゃ」

「そういえばそうだな、俺も走らないと」


 運動が大好きなのかこれだけで暗い雰囲気はどこかに飛んでくれた。

 ああ、教室に居辛かったのは彼がいたからか。

 今日は全然来なかったのも影響していたのかもしれない。

 じゃあこれは良かったよね、だから午後の授業は楽しく受けられたし。


「はい、もう終わりだよ」


 勉強タイムも軽くやり終え。

 7キロも自分のペースで走り切ることができた。


「速くなったな」

「ありがとう」


 ちなみに、永峰くんが走りに付き合ってくれたのはあのときの1回だけ。

 いまは今度ある中間テストのために頑張っているみたいだ。

 今度こそ1位を取ってやると口にしたときの永峰くんは凄く格好いい顔をしていた。


「そろそろいいかもな、終わりで」

「自分でやっているのもあるからね、今日までありがとう」


 きっかけをくれたのは彼だから感謝している。

 でも……んー、なんか凄く複雑そうな顔で見られている自分がいた。


「帰ろうか」

「だな」


 それでも表には出さずに終わらせた。

 別に一緒にいることをやめるわけではないから問題はないはずだった。




 翌日、栗原くんが学校を休んだ。

 先生から聞いた情報だと風邪を引いたみたいだけど……。


「南波、見舞いに行くか?」

「永峰くんが行くならやめておこうかな、あんまり大勢で行っても困るだろうし」

「わかった、それなら俺が放課後に行ってくるわ」

「うん、よろしくね」


 このタイミングだから気になってしまう。

 昨日は自分と一緒に走りきってくれていたし熱が出ていた感じもしなかったのにな。

 あの浮かべていた複雑そうな顔はそういうことだったのだろうか?

 まあとりあえずこのクラスで1番仲のいい永峰くんが行けば大丈夫だろう。

 というか単純に、いまは彼には会いづらかったのだ。

 そういうこともあって放課後の勉強会はなくなった。

 それでも早く帰っても意味はないから2時間ぐらい残ってからランニングを開始して。


「あれ、距離がわからなくなったぞ……」


 多分、7キロ以上は走っている気がする。

 前のあれを活かして無心で走っていたからうん、多分そうだ。

 だけど暗いし、荷物は公園に置きっぱなしだからよくわからない。

 ここら辺もあんまり来たことがない場所だから……うーん。


「まあいいや、同じ街なんだし帰れる帰れる」


 明日は休日なんだし仮に遅くなっても問題はない。

 問題があるとすればあそこに荷物を置いてあることか。

 見つからない場所に置いてあるけど、誰も来ないなんて言えないしなあ。

 ゴミと判断されたら捨てられてしまう可能性もあるから早く回収しないと。

 けど、どうせならもっと長距離を走ってみたい。

 なんでもそうだけど明日休日ならって考えて動いていた。


「げっ……もう21時じゃん……」


 学校で2時間も時間を使うんじゃなかった。

 しかもまだ帰っているわけでもない、だから慌てて引き返すことに。

 せめて連絡をしてから走るべきだったなと後悔する。


「あ……」


 あと行きは気づかなかったけど足の裏が痛い。

 それどころかかなり疲弊していることにも気づいて微妙な気持ちになって。

 それでも前に進むことはやめなかった、早く帰らないと両親も雪姉も心配する。

 それとも……本当は逃げたかったのだろうか。

 あの表情の意味を知りたくなくてこんなところまで来ていた?

 いや違う、走るのが好きになったんだ、そうでもなければ20キロも走らない。


「ふぅ、着いた……」


 鞄のところに行こうとしたら人がいることに気づいて心臓が飛び跳ねた。

 心臓に悪い、しかも相手が永峰くんとか友達だったら尚更のこと。


「ど、どうしたの?」

「どうしたのじゃない、いま何時なのかわかっているのか?」

「えっと……22時50分ぐらい?」

「0時34分だ」


 えぇ……時間かかりすぎ……。

 そうか、帰りのことをなにも考えていなかったからか。

 しかも痛くならないような走り方をしていたせいで尋常じゃなく遅くなったのか。


「ははは……ちょっと遠くまで行ったら21時で慌てて帰ろうとしたんだけどさ……」

「南波の母さん父さん、それと雪さんが心配していたぞ」

「携帯もいつもの癖で置いて行っちゃったんだよね、しかも連絡もしないでさ」


 帰ったら謝らないと。

 自分の逃げたかったかもしれない気持ちとは別だ。

 心配をかけてはならない、迷惑をかけてはならないのだ。


「あ、それより永峰くんは何時からここに?」

「20時だ、雪さんから連絡がきてからだな」

「え、それはごめん……」


 いつも走るときはここに荷物を置くって彼も知っていたからな。

 それにしても、別に外で待つ必要もないと思うけど。

 いまは寒い季節というわけではない、それどころかちょっと暑いぐらい。

 だからって長時間待つのは違う、いないということで帰っておくべきだったんだ。


「栗原くんはどうだった?」

「元気そうだった、来週には登校できるって」

「そっか、それなら良かった」


 靴と靴下を脱いで足裏を洗う。


「痛っ……わあ、凄えー」


 マメが潰れていたり、指の爪は内出血が起きていたり。

 なんなら指の側面は擦れたからなのか傷ができているし。


「見てよこれ、靴下が血だらけなんだけど」


 走り方が下手くそなんだろうか?

 それとも靴が合っていないとか?

 これまででもマメができていたのはわかっていたけどさ。


「ま、早く帰って安心させてやれ」

「あ、うん、気をつけてね」

「おう」


 怒鳴られると思っていたから意外だった。

 もしかしたらその価値すらない馬鹿者だと思われたのかもしれないけど。

 とりあえず靴下は適当に袋に突っ込んでから鞄にしまって家に帰ることに。

 ……家の方は当たり前のように怒鳴られたし、雪姉には頬を叩かれた。

 けれど泣かせてしまったことの方がいまの俺には凄く痛かった。

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