2:最後の未練
白軍がそろそろ到着すると聞いて、テイトは例の門近くまで来ていた。できれば、高いところから戦況を確認したい。傍にある宿に頼んで屋上を借りた。同じことを考えている人間がいたようで、この宿の上にも、他の高層の建物の上にも、何人かがやって来ている。早めに来て良かった、とテイトは思った。自分の身長では、場所をきちんと選ばなければ何も見えなくなってしまう。
固く閉ざされた門の向こうに、黒獣はしっかりと居座っている。もう数日間、門に無意味とも思える体当たりを断続的に繰り返しているが、疲れている様子は見られない。黒い肌は思いの外滑らかで、ずんぐりとした山のような形の黒獣だ。一体目や口はどこについているのだろうか。手足のようなものも見当たらない。黒獣を近くでじっくりと見たのは初めてだが、生物の理をほとんど無視してしまっているような外見に、テイトの背は粟立った。
門は頑丈で、おそらくどれだけ努力を重ねようとも、黒獣は街には入って来れまい。しかしあそこに居座られては、移動や交易ができないので、やはり早期に討伐してもらわねばならない。
ふと、黒獣が動きを止めた。門の前を離れていく。よく見てみれば、四つの人影が丘を上がって近づいてくるのが見えた。あちらに目標を変えたのだろう。白軍の実戦部隊なのだろうが、たった四人でこの大型の黒獣に立ち向かうつもりなのか。
黒獣は巨体を重そうに引きずりつつ、ゆっくりと彼らに迫っていく。部隊が近づいて来るにつれて、その姿が明らかになる。テイトは目を見張っていた。皆、とても若い。おそらくは同い年くらいか、もしくは年下だろう。こんな年齢の人が実戦部隊員として戦っているのか。ひどく衝撃的だった。
そして彼らの戦いも、テイトを驚かせる。
最初に飛んだ矢が黒獣を射止める。それに気を取られている間に、黒獣は鋭い風の刃によって——中級攻撃呪【風切】だろう——大きく抉られた。その直後にはもう長物使いの二人が距離を詰め切っていて、それぞれが両側から槍と鉾とで攻撃を与えていく。矢と風もさらなる追撃を行って、みるみる黒獣の身体は削り取られて、結局何もできないままに霧散してしまった。
開いた口がしばらく塞がらなかった。まだ成人して間もないような人たちの集団なのに、あまりに手慣れている。
「おお……」
周囲から感嘆の声が上がり、それらはすぐに歓声に変わる。テイトも思わず拍手をしていた。
門が開いて、白軍たちが街へ迎え入れられる。ミディアのことは町長から話があるだろうが、あの集団を彼女の下へ招く前に、癒し手の腕前の確認をしておかなければならない。戦いを見る前までよりは高まった期待を胸に、テイトは宿の階段を駆け下りた。
■
「こんにちは、支部より参った実戦部隊の者です。黒獣の討伐は先程終わりましたが、今回は負傷者が出てしまったとか。到着が遅くなり申し訳ありません。よろしければ、手当を致します」
テイトが門までたどり着いたのは、ちょうど白軍の部隊が町長に挨拶をし始めたときだった。男性が二人に女性が二人。男性が剣使いと鉾使い、女性が槍使いと弓使いだ。話しているのは男性の剣使いで、彼が癒し手だ。特徴的な呪力ですぐに分かった。
息を切らしながら近づいて来たテイトに、彼はちらりと視線を遣った。それでこちらに背を向けていた町長も気づき、声を掛けてくる。
「ああ、テイト君、良かった。白軍の方々、こちらの青年はその負傷者の知り合いでして。テイト君、ちょうどミディアちゃんの話をしていてね。案内を頼めるかい?」
「構いません、が、少々お時間をいただきますね」
そう断ってから町長の隣まで進み出て、テイトは癒し手を見上げた。
「負傷者の……ミディアの話なのですが、皆を守るために【結界の呪】を無理に使って、結果両腕の筋と呪力回路を傷めています。しかし彼女は、これからも呪を使っていきたいと思うんです。ですから呪力回路も治せる、優秀な癒し手を探しています」
そうするつもりはなかったのだが、「優秀な」というところに力が籠ってしまった。テイトは話してしまってから後悔したが、目の前の青年は気分を害した風もなく、それどころか微かに笑った。
「あなたも呪使いですね。では、実際に見ていただいた方が早いと思います」
付近に来たときから、彼の呪の能力が高いだろうことは呪力感知で分かっていた。向こうもテイトが呪使いであることが分かったのだろう、そう告げてくる。どうするのかと思っていると、彼は腰につけていた小さな鞄から布のようなものを一枚取り出した。治療道具の一種と思しい。
「ちょっと、セト」
後ろから槍使いの赤髪の女性が声を掛けたが、セトと呼ばれた癒し手は意に介さない。
「血が苦手な方は、三つ数える間、顔を伏せていてください」
その声の直後、突如生まれた風の刃が彼の左手を掻き切った。
「えっ」
突然の行いに動じて、テイトも声を上げてしまう。しかし彼は顔色すら変えなかった。布を使って、血が周囲を汚さないようにする配慮までしている。すぐに、癒しの光が灯された。神僕が癒しの呪を使うときに放たれる朱色の光とは違う、空のような青い色が満ちる。最初に約束した三つ数える間のうちに、余裕をもって治療は完了した。
「どうでしょうか?」
跡形もなく傷が消え去った左手首をテイトに見せつつ、癒し手が聞いた。後ろで先程の女性が溜息をついているのもまた、聞こえてきた。
呪力操作能力、治療速度、そして呪の練度……癒し手としての能力が申し分ないのは、よく分かった。そしてもう一度呪力を読み直して、彼がどうやら誠実な人間らしいことも汲み取った。そもそも白軍に属している人間なのだから、その点については然程心配はしていなかったが。
それでも、悩んだ。もう悩む要素などないだろうと分かっていたのに、答えることに緊張した。この返事が、ミディアの運命を左右するかもしれないと思うと、頭が重くなって頷くのに苦労する。
「……ミディアを、お願いします。案内します」
どうにか声を絞り出して首を縦に振り、テイトは踵を返した。自分が癒し手であればという最後の未練を手のひらの中で握り潰しながら。
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