視察前水晶女神像損壊事件

 先程届いたばかりの中央からの要望書に目を通して――明日の視察についての我儘としか思えない要望の数々だ――セトが思わず溜息をついたときだった。副長室の扉が数回、控えめに叩かれる。応答すれば、申し訳なさそうな顔の兵が一人、そろそろと入室してきた。


「副長、急ぎお耳に入れたいことが」


「どうした?」


「中庭で女神像が壊れてしまって」


 中庭には石造の女神像が数体、建物の壁面に埋め込まれるようにして立っている。今の支部はもう設立三百年にはなるらしく、風化して脆くなった像が欠けてしまうのは時折あることだ。


「ああ、そんなことなら気にしなくていい。ただ明日視察があるし、適当に修復してくれるか? ぱっと見た感じで分からなければそれでいいから。難しいなら事務の方に頼んでおくけど?」


「それが、副長……」


 兵は至極言いにくそうに口ごもる。その表情がたいそう暗くて、セトは軽い胸騒ぎを覚えた。


 ■


 現在、セトは中庭に立っている。いつもよりは若干しおらしいアージェ、デリヤの両名を前にして。


「明日が何の日かは流石に知ってるよな?」


 静かに切り出せば、アージェが肩を竦めて返答する。


「中央のクソ司令官が視察に来る日だな」


「ああ。そのせいで、ここのところ支部全体が大忙しなのは?」


「当然知ってるぜ。ほんとうぜぇよな、あいつら仕事増やしやがって」


 呆れ顔のアージェだが、本当に呆れ顔になりたいのはこちらの方だ。セトは頷いた。


「本当にな。この時期に仕事を増やされるのは正直うざい。同じ支部の仲間のせいでもな?」


 今、セトたち三人の前には、粉々になった水晶造りの女神像があった。そう、破壊されたのは支部に備わる古びた女神像ではなく、去年中央貴族から贈呈された女神像の方だったのだ。よりにもよって、視察を明日に控えた今日、それが壊れてしまうとは。不運にもほどがある。


「こいつが馬鹿力で僕を吹き飛ばすから」


 倉庫から支部玄関に運搬途中だったそれに、どうやらデリヤが激突したらしい。ふてくされたように言う彼に、セトはきっぱりと告げた。


「同罪だ。手合わせするなら場所を考えろよ」


 贈呈された女神像には、注意して見なければ分からないほど細かい罅がいくつか入っているのは知っていた。おそらく中央は北に因縁をつけるために、わざわざ脆い像を用意したのだ。だから犯人二人だけが悪いというわけでもないのだが、政治問題を避けるために倉庫にしまい込むなどして丁重に扱ってきたわけで、大変頭が痛む。どうしたものかと考えても、すぐには妙案は浮かばない。


「ほんっとに……明日、誰が司令官の接待をすると思ってるんだ?」


「詐欺師張りに口が上手い副長さんのことだし、どうにかするんじゃないかい?」


「どうにもできないだろ。『昨年頂いた女神像は名誉の殉死を遂げられました』と言えとでも?」


「面白そうだな」


「お前、中央だと女神像の損壊は不敬罪でティッキンケム行きなの、知らないわけないよな」


「そうだっけか」


 デリヤ、そしてアージェもさほど深刻そうに捉えていないのが、なおさらセトの頭痛に拍車をかける。しかし、いつまでも頭を抱えていても仕方がない。


「とりあえず備品損壊で処理するから、修理費立て替えと、減給五分の一を一回分。大体お前ら、人を遣わずに自分で言いに来いよ。伝令役が大分気を揉んでて可哀想だった」


「今日は文句が長いね」


 デリヤが零すが、いつもよりは控えめな不満だった。彼なりに気にしているのだろう。


「文句くらい言わせろ。ただでさえ一日じゃ終わらない仕事量を抱えてるんだよ。どうせお前らは堪えないだろ」


「そうだね」


「そうだな」


 溜息をつきたくなるような返答が二つ揃ったが、実際は堪えない人間相手の方が遠慮なく言えて、少しは気も紛れる。相手が一般兵だったなら、もう少し気を遣った言い回しをしていただろう。


 さて、どうしようか。セトが具体案を考え始めたところで、よく知る足音が近づいて来た。


「セトが副長室にいないと思えば……何これ?」


「うわっ、ユウラ」


 アージェの歓迎を受けて、ユウラは緩やかに腕を組んだ。彼女らしい呆れ顔になる。


「人の顔を見て『うわっ』とは失礼ね。で、何? 全隊配置確認、各種隊長会議出席、各視察先担当者との打ち合わせ、中央軍宿泊施設最終点検、中央軍側のめちゃくちゃな追加要求たちに対する検討と追加指示、視察対応リハーサル、支部長との最終調整……その辺の業務で今日も超過密スケジュールの副長を捕まえて、あんたたち何してんの?」


「ユウラは追い払ったんじゃなかったのかい?」


 デリヤが横目で責めるように共犯者を見たが、返事は彼からではなくユウラからになった。


「そうね、ありもしない用件で呼び出されたことで、マーイを叱ってきたところよ。あんたたちの頼みを断れなかっただけでしょうに、可哀想にね。で? あたしを追い払ってセトに何の用?」


「いや、それはよ……」


 しどろもどろに言おうとしたアージェの答えを全ては待たず、ユウラは言った。


「あたしがいなければセトに甘えられると思った? 残念ね。この件はあんたたちでどうにかしなさい。くだらないことでセトの手を焼かせないで。セトもセトね。何でもかんでも引き受けようとしてんじゃないわよ。他の仕事で手一杯なんだから、考えて。流石に今日は寝てもらうわ。抵抗するなら気絶させてでもね」


 全員に向けての弁に、誰もが押し黙る。セトは少し考えた。確かに仕事量は多い上、いつものことではあるが睡眠不足気味でもある。明日何か不手際があると大事になるから、想定外の仕事を抱えるのは避けるべきだというのは、その通りだろう。


「分かった。ならこの件はそっちでどうにかしてもらうけど、ユウラ、責任者はお前で。こっちの仕事はオレがどうにかするから、お前がそっちの処理を頼む。共有すべきことは合流後に話すから。……この二人に任せられないんだよ、分かるだろ?」


「全く……」


 指示伝達の最中ユウラは不本意そうだったが、最後の一言を加えたことで一応の納得はしたらしい。語弊を避けるため、残り二人に向けての補足も入れておく。


「一応断るけど、別にアージェとデリヤを信頼してない訳じゃないからな。ただ、対中央だとお前らは感情が先に出るから、そこが今回のことを任せられない理由だ。司令官を殴ってどうにかします、なんてことになったらまずい。だからユウラを監視役につける」


「なんだ、北は案外腰抜けなんだね」


「いずれ中央とは事を構えるにしても、今じゃない」


 今度はデリヤの不服の言が聞こえてきたが、本気ではなさそうだったので、軽く諫めるのに留めておく。


「いいから早く済ませるわよ。これを復元するか別のものを用意するか、どっちかだわ」


 ユウラの取り仕切りによって、話し合いが始まりそうだったので、セトは場を辞する言葉を述べた。


「それじゃ、任せた。後で報告だけ頼む」


 もし上手くいかなければ、もう一度訪れがあるだろう。どちらにせよユウラをつけておけば心配はなかった。仕事を増やして彼女には申し訳ないが、いくらか安心して、セトは仕事が満載の副長室へと戻って行った。


 ■


「それで、これは何」


 ユウラの目の前には件の女神像そっくりの装束を着て、同じポーズと表情をしたリイザが立っており、その隣に気まずそうなデリヤがいるという奇天烈な状況が出来上がっていた。


「……人選を間違えたんだ」


 デリヤが非を認める発言をするのは珍しい。そうする他ない、という状況ではあったが。


「結構いけそうじゃなーい? 女神像が女神様になりました作戦」


 リイザだけが乗り気で、ひたすら女神らしい慈愛に満ちた表情を維持し続けている。ユウラは思わず溜息をついた。


「幾ら中央貴族でも、流石にそこまで馬鹿じゃないわよ」


 リイザは化粧と裁縫と演技が上手い。狙った相手の好みに応じた女を目指し続けるうちに手に入れたスキルなのだそうだ。リイザは移り気だから、さぞ多くの経験を積んできたのだろう。確かに、目の前の彼女は女神像に瓜二つではある。ウィッグまで使うという徹底ぶりで、そこは評価したい。しかし、努力の方向性を間違いすぎてはいないだろうか。


「リイザはいいわ。いつものことだもの。デリヤがどうしてリイザを頼ったのかが気になるわね」


「……策がある、任せろと言うから」


「リイザを頼るのはやめなさい。上手くいかなくてあんたには良かったと思うわよ。上手くいってたなら、見返りを要求してくるから」


「見返り?」


 ユウラとデリヤの会話を聞いていたリイザが、ここで彼女らしい表情に戻って口を挟んできた。


「期間限定でもいいから、私と付き合ってくれないかなーなんて」


「ね」


「金輪際、君を頼ることはしない」


 解決からは程遠いが、デリヤの学びになったのならば全てが無駄ではなかったかもしれない。全力で前向きにそう捉えて、ユウラは次の可能性、すなわち何か包みを抱えて帰ってきたアージェに目を向けた。


 ■


「……それで、これは何」


 同じ台詞を二度言うことになるとはと思いつつ、どこかでそうなる予感を持っていたような気もした。包みの中から出て来た輝く粉末を見て、ユウラはただ困惑することしかできない。


「いやな、最初はもう一回組み立て直そうとしたんだぜ? けどよ、パズルが難しすぎてな」


「そもそも、組み直したところで罅だらけで見られたものじゃないでしょ」


「それも思ったな。で、こうしたってわけだ」


「何が『で』なのよ……」


 砕けた段階で、この水晶はどうにもならなかっただろう。だから破片が粉末になったことそのものは問題ないが、解決には少しも近づいていない。


「職人にも当たったんだぜ? けど、流石に明日までにはっつー話でな」


「そうでしょうね」


「ねーユウラ、どうするの?」


 中庭に集ったユウラ、デリヤ、リイザ、アージェの四人で難しい顔を並べることになる。やがて四対の目は、自然とある一箇所へと集っていった。支部本館二階の隅、呪部門研究室だ。


「……ねー、やっぱ先にセトに相談しない? セトから言ってもらった方が大分穏便に済むわよー、きっと」


 結局最後まで付き合うことにしたらしいリイザが、やや怯えつつ提案する。一番に首を振ったのはなんとデリヤだった。


「次に副長室に行くのは、解決したときだよ」


 デリヤのプライドの高さはいつも一貫している。中央貴族の出だというから甘く見ていたが、彼が来てから二十日あまり経ち、ユウラは少しずつ彼を見直し始めていた。


「ええ、行きましょう。研究室にね」


 ■


 アージェかデリヤか、どちらがノックをするかで少々揉めた。結局デリヤに決まって、彼が三度軽くドアを叩く。


「ちょっといいかい」


 間違いなくこの奥に目当ての人物はいるのに、返事がない。


「いつものことだから、開けて」


 後ろからユウラが指示をする。デリヤは一度振り返って渋い顔をしたが、「入るよ」と伝えて扉を開いた。


 研究室の主は、今日も今日とて書物に埋もれながら研究に没頭していた。こちらの声も音も耳に入らないくらいに。彼に頼むという解決策は誰もが思いつきながら、結局ここに来なかったのはこのためだ。呪の研究を本気でしているときのテイトはとても集中が深く、邪魔をすると大変機嫌が悪くなってしまう。


「そうか、なら紋章呪の要領で呪力を一旦封じたらいいのか? でもその場合一度呪力が途絶えてるから、開放の合図を送り直さないといけなくて……うーん」


 どうやら複雑なことを考えている途中のようだ。これは流石に出直した方がいいかもしれない。ユウラはそう考えたが、デリヤは止まらなかった。


「君、急ぎの用事なんだ」


 肩に手を置いた、その方法は正しい。テイトの集中が深いときは、身体に触れなければ相手にしてもらえないのだ。だが緊急時ならともかく、今回は理由が理由であるから、テイトが集中を遮断されて怒ったとしても、責められるべきではないように思われる。


「……何かな?」


 テイトは無気味なほど穏やかな笑顔で振り向いた。


 ■


「それで、最後に解決策を用意したのはテイトなんだけど、テイトは例の女神像の姿を知らなかったから、リイザのコスプレは使えたのよね。水呪で氷像を作ることになったけど、水晶の独特な艶は作り出せないからって、アージェが作った粉末も混ぜ込んで使うことになったわ。それで、テイトは交換条件で呪の鍛錬の相手をすることを出してきて、デリヤがその相手をしたから、一応犯人二人とリイザは役には立ったのよ」


 全てが済んだ後にユウラは副長室に戻って、会議と会議の間の短い休憩を取っていた——休憩とは名ばかりで、実際は書類に目を通す仕事をしているのだが——セトに報告を終えた。セトは途中軽く笑いながら話を聞いていたが、最後には同情するような表情になっていた。


「……デリヤは無事か?」


「呪力切れ寸前で、ふらふらしながら自室に戻ったわ。明日の役割は果たすから配置替えは不要だとセトに伝えてって」


「デリヤは確か早朝からだったけどな……まぁ、そう言うなら代役の手配はやめとくか」


「そうね」


 おそらくデリヤは意地でも穴を開けるような真似はしないだろう。ユウラもセトも、そろそろ彼の性格を理解してきた。


「とにかく、お前もお疲れユウラ。急に仕事を振って悪かった。助かったよ」


「あたしは本当に見ていただけよ。完全な修復ができなかった以上、最後はあんたの口頼りになるけど、いける?」


「触らせなければ大丈夫だろ。基本向こうに口を開かせないようこっちが喋り続けるつもりだから、多分問題ない」


 最終的な負担は結局セトが被ることになっているのが、ユウラとしては不満だったが、これよりよい解決方法は浮かばない。


「元は中央が罅だらけの像を送ってきたところに端を発してるから、アージェとデリヤも不運と言えば不運なんだよな。そこまでやったなら、処分は翻せないけど、どっかで休みでも増やして」


「だから、あんたは甘すぎるのよ。その増やした休みの穴埋め、どうせあんたがするつもりでしょ。はい却下。やらかしたことに変わりはないんだから、あの二人が頑張ることは当然でしょ」


「……正論だな」


 偶然そうなったのもあるが、全員何らかの形で解決に貢献していた。しかしユウラ自身は、監督をしていただけで特に何もできていない。そこに若干の負い目のようなものがあったが、こうして過剰労働の我らが副長の仕事量を増やさなかったことを成果としてもいいだろうか。


「それで、今から宿泊施設班との打ち合わせだけど、来られそうか?」


「ええ、いけるわ」


「頼む」


 扉に向かったセトを追いかける。何でもない一言なのだが、今掛けられた言葉が妙に嬉しくてユウラは密かに微笑んだ。頼れる人間でありたい。今度はより力になれるよう、出来ることを増やしていこうと静かに誓った。

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