6:どこでだって
夜更けに目が覚めた。階下が騒がしいから、という原因にはすぐに気づいた。何か嫌な胸騒ぎがしたので、セトはベッド脇の小棚に仕舞ってある護身用のナイフを取り出した。懐に入れて、忍び足で部屋を後にする。こういうときの自分の勘を、信頼していた。
宿の二階廊下の端には階段があって、そこからロビーが見える造りになっている。姿勢を低くして、見咎められないようにしながら階下の様子を伺った。異変が起こっているのは、黒づくめの男の集団がノタナを取り囲んでいるという光景からすぐさま分かった。
「ここにはもういないって言っているだろう。さっさと帰りな」
「いいや、いるのは分かっているんだ。大事にしたくなければ連れてくるんだな。他に客だっているだろう?」
「いないものをどう連れて来いって―—うっ」
ノタナの声が途切れると同時に、鈍い音がする。男の背で見えにくかったが、殴られたようだ。
大体の状況はもう認識できていた。一番利口な選択は、ここで踵を返して部屋に戻り、二階から脱出することだというのも分かっていた。しかしそれが、どうしてもできなかった。
「早くしろ」
そう言いながら男はもう一度拳を振り上げる。何を思ったのか、セトは気づけば階段を降り始めていた。
「探しもの、ここにあるんじゃないか?」
声を掛けてやると、男たちの視線が一度に集まった。ようやくノタナの顔が見える。唇の端を切ったか、血を流していた。だからこんなガキを拾ってもいいことがないって言ったのに。
「何をやってるんだいセト! 早く逃げな!」
「ノタナさんから離れろ」
ノタナの声は聞かない振りをして、セトは静かに言った。男たちは馬鹿にしたように笑う。
「要求できる立場か? 大人しく下りて来な、ガキ」
「そっちこそ、立場、分かってる?」
既に服の中のナイフを逆手に握っていた。セトはそれを取り出すや否や、自身の太腿に深く突き立てる。血はみるみる溢れ出すと、すぐに床まで達して階段を滴り落ちていく。不思議と痛みはそう感じない。ノタナの悲鳴が耳を
「このままだと、死体に、なるけど。歩けないから、運んで……もらいたいんだよな。だけど、オレを運ぶ一人以外は、宿から……出ろ。死体が欲しいなら、オレが死んでからでも……いいけど?」
セトの言を受けて、男たちは忙しく意見を交わし合った。ノタナが血相を変えて近づいて来ようとするが、それを男の一人が阻んで、こちらを見上げて言ってくる。
「宿から離れたら治せ。いいな?」
「最初から、そのつもり」
「この女はここに縛りつけておく。それ以上危害は加えん」
「追いかけられても……困るし、それでいいよ」
男は持っていた縄で、手際よくノタナをカウンター傍に括りつけた。他の人間はセトが求めた通りに宿から出ていく。残された男が一人、セトの元にやってきて軽く身体を担ぎ上げた。容易く運ばれていく。
点々と残る自分の血の軌跡が、とても目を引いた。それを見ていて思う。皆が欲しがるこの癒しの力がある限り、真っ当な生き方はできないのだろう。ただ、この力があれば殺されることがないのも確かだった。だから、どこでだって生きていける。
顔を上げると、猿轡を嚙まされて何も喋れないらしいノタナと視線がかち合った。目が潤んでいたから、笑って、手を振ってみせる。お人よしのあの人をこれ以上不幸にさせる前にこうなって良かったのかもしれない。
ドアに吊られたベルが鳴る音で、宿の扉が開いたのを知る。少しだけ名残惜しかったから、セトはもう一度宿の中に目を向けた。ちょうどノタナの目から涙がこぼれる瞬間だった。
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