【Ⅱ】ユウラ

1:奪われた宝物

 ユウラへ


 お父さんとお母さんがそろってこんなことになってしまって、本当にごめんなさい。あなたたちに病気をうつさずに済んだことだけが、唯一の救いでした。そっちで、元気にやっていますか。気疲れはしていませんか。


 ユウラ、あなたにとても酷なことを伝えます。私たちは両方とも、このまま、あなたたちに会えなくなってしまうと思います。病気は悪化の一方で、回復の兆しがありません。こうして筆を執ることも、もう難しくなってきました。あなたたちを置いて逝くことになる私とお父さんを、許してください。最期の別れすら直接できない私たちを、許してください。


 まだ子どものあなたに、こんなことを頼むのは本当に申し訳ないのだけど、どうかユイカを守ってあげてね。ユイカが、ユウラにとってたった一人の家族になります。ユイカにとっても、あなたが最後の家族です。二人で支え合って、助け合って、仲良く生きていってほしいと願っています。きっと、ユウラなら大丈夫ね。


 本当は、分かっているわ。ユウラはとてもしっかりしているけど、それは我慢強さや辛抱強さからくるもので、本当はあなただってもっと甘えたかっただろうし、我儘も言ってみたかったでしょう。でもユウラは、身体の弱い妹のために、自分のことは全部後回しにしていつも頑張ってくれた。私たちはそれを知っていたのに、あなたを甘えさせてあげられないままになってしまって、とてもとても後悔しています。ごめんね、ユウラ。その上、またこうしてあなたを頼ろうとしています。どうしようもない親だけど、そうすることしかできません。やっぱりあなたは頼りがいのある出来た娘だから、こんなに大変なことを頼んでしまうのだと思います。ごめんなさい、ユウラ。私たち夫婦は、最期まであなたに頼りきりになってしまうわね。でも、あなたが私たちの娘として生まれてきてくれて本当によかったと心から思っています。あなたにだから、頼めるの。


 これから先、姉妹二人きりでは生きていけません。南地区の町プイナに、私の妹が嫁いでいます。家に残っているお金を、ユウラ、あなたに託すから、二人で町から町へ馬車を乗り継いでそこに向かってください。絶対に馬車で移動するようにしてね。歩いて移動するのは、黒獣がたくさんいるので、とても危険です。私の妹、つまりユウラの叔母さんには、事の次第を手紙にして伝えておきます。叔母さんは信頼できる人だから、安心して身を寄せてね。必ず、可愛がってくれると思います。でももし何か困ったことがあったら、町の白軍を頼るのよ。我慢はしなくていいからね。


 ユウラ。この手紙が、最期の別れになってしまうと思います。私もお父さんも、あなたとユイカを深く愛しているわ。あなたたちは、私たちのとっておきの宝物。どうかどうか、幸せに生きていってね。私たちは、たとえ死んでしまっても、あなたたちのことをずっと見守っています。いつまでも、あなたたちの幸福を祈っています。


 私たちの娘として生まれてきてくれて、ありがとう。こんな別れ方をしなければならないのは、とても悲しくはあるけれど、お父さんとお母さんはとても幸せでした。それは、あなたたちに出会えたからよ。ユウラ、ユイカ、あなたたちは私たちの大事な、そして最高の娘。大好きよ。




「一昨日、お父さんが、そして昨日お母さんが、それぞれ息を引き取られたようだ」


 別室に一人で呼び出されたときから、用件は悟っていたのだと思う。予想通りの内容でも、実感は湧いてこなかった。身体と心が分離しているようだ。耳では確かに音を拾っているけれど、心のうちまで言葉が染み込んでこない。


「大丈夫か?」


 トレア村郊外に建てられた隔離施設の白軍や医師たちは、皆、親切だった。今、あたしに伝えがたい事実を知らせてくれたこの人も、例に漏れずそうらしい。涙ひとつ流せないでいるあたしが、きっと放心状態にでもなっているんじゃないかと思って、こう聞いてくれたのだろう。


 でも、あたしは本当に大丈夫だった。そもそも、覚悟ならとうの昔に決めていた。両親が疫病にかかったことが分かって、あたしとユイカがここに連れてこられたその日、ユイカが眠ってしまってから、夜通し、もう一生分泣いた。泣いても何も変わらないことを、既に思い知っていた。だから、泣いていたって仕方がない。


「大丈夫です」


「しかし……君は、妹と二人きりになってしまったんだろう。これからどうするんだ」


「両親からお金は預かっています。南に親戚がいるので、馬車を乗り継いでそこに向かおうと思います」


「あてがあるのは良かったが……」


 白軍は、平然としているあたしに戸惑っているようだった。おそらく、悲報と一緒にたくさんの励ましの言葉を用意してきてくれていたのだろう。ありがたいとは思うし、優しい人だとも思うが、あたしには必要のないことだとも思う。あたしは、ユイカを守るために、強くあらなければならない。


「お気遣い、ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから。あたしもユイカも観察期間は終わっていると思うので、明日にでも発とうと思います。まずはエルティに行けばいいですよね?」


「ああ、エルティ行きの馬車が出ているアマラの町までは、俺たち白軍が連れて行こう。それくらいはさせてほしい」


「分かりました。それじゃあ、お願いします」


 頭を下げて立ち上がり、部屋を後にする。扉を閉めてしまってから、一つ息をついた。大丈夫、大丈夫だった。やることは分かっているし、怖くはない。あの子にどう伝えようかと考えながら、あたしは来た道を戻った。




 北地方のほぼ中心に位置する町アマラは、交通中継地として栄えていると、以前村の学舎で教えられた。確かに人通りは多いし、建物も多い。村からあまり出たことがなかったあたしには、店一つとっても目新しく、洒落て感じられた。


「お姉ちゃん、すごい。見たことないお花が、あんなにたくさん!」


 両親のことは、まだユイカには伝えていなかった。ユイカは身体が弱い。聞けば、より体調を崩しやすくなってしまう気がした。親戚の家について、落ち着いてから伝えることに決めていた。何も知らないユイカは、無邪気だ。指さしたところには大きな花屋があって、色とりどりの花が並んでいる。雪深い村に住んでいたあたしたちには、名前すら分からない花がたくさんあった。ユイカがはしゃぐのも、無理はない。


「買っていく?」


「え、いいの?」


「お金はたくさん預かっているから」


「じゃあ、ちょっとだけ選んでいい?」


「いいわよ。好きなだけ、買って大丈夫」


「やったあ!」


 ユイカの明るさを見ていると、励まされる思いだった。この子のために頑張ろうという思いが強くなる。ユイカが傍にいる限り、何が起こっても立っていられる気がした。あたしは、ユイカの最後の家族だ。あたしがこの子を守り続けなくちゃならない。こうして、この子がずっと笑っていられるように。




 大きな町を歩くのは初めてだった。もらった地図には細い路地までは描かれておらず、おそらくそのせいで角の数を数え間違ってしまった。しばらくそれに気づかず歩き回ったものだから、完全に道に迷ってしまった。


「暗いね」


 不安が伝染したか、ユイカは心細そうな声で言い、空いている方の手で——片手にはさっき花屋で買った花の籠を提げている——あたしの手をつかんでくる。確かに、今いる場所は建物に囲まれているせいで暗く、掃除も行き届いていないようで薄汚いところだった。


「大丈夫よ、お姉ちゃんがついてる」


 ユイカの手をぎゅっと握って、あたしは顔を上げた。ここまで歩いて迷い込んだのだから、必ず戻れるはずだ。まずは真っ直ぐにばかり進んでみようと決めて、歩き出す。行き止まりになったら、そのとき考え直せばいい。


「疲れてきたら、言うのよ。背負ってあげるから」


「うん。今は大丈夫だよ」


「いい子ね」


 頭を撫でれば、ユイカは照れたように笑った。あたしも笑い返して、また正面に目を戻す。大丈夫、落ち着いて。心の中で自分に言い聞かせながら、一歩ずつ進んだ。




 随分と迷ってしまったが、歩き続ければ何とかなるもので、やがて大通りらしい道が進行方向に現れた。


「ユイカ、もうすぐよ。ほら、あそこ」


 示すと、ユイカはふわりと笑う。暗くない道が見えて安心したようだ。


「うん、よかったぁ」


 疲れてきてはいたのだろう、足取りは重い。それでもまだ頑張ろうとしている妹が健気で、だからこそ背負うとは言わないことにする。ここでそう言えば、傷つけてしまう気がした。


 光の差すところまで、あと十歩足らず。にこにこしているユイカにつられるように、あたしもつい笑う。宿に着いたら、きっと美味しい食事を食べられるはず——


「あっ」


 そのとき、急に繋いでいた手に負荷がかかった。ユイカの短い声に驚いて、振り返る。手を引くようにして先を歩いていたから、その瞬間まで、あたしは事態に気づけなかった。


「放して、いや! お姉ちゃん!」


 ユイカが、見知らぬ男に、抱え上げられている。それを目にした途端、かっと頭に血が上った。


「やめて! 何してるの、妹を放してっ!」


 男の太い手を妹から振りほどこうとするが、どんなに力を込めてもびくともしない。


「汚い手でユイカに触らないで!」


 怒りのままに、腕に爪を立てる。そのまま怪我をさせてやろうと思った。が。立てた爪を動かしたちょうどそのとき、頬に何かが強くぶつかってきて、気づけば身体が地面に投げ出されていた。殴られた、ようだ。目がくらんで、身体が起こせない。


「お姉ちゃん! お姉ちゃ、んぅ」


 ユイカの叫びは、途中でかき消される。男の片腕が、ユイカの口を塞いでいる。

 だから、その手で、触るな。腹が煮えそうだ。


「おいおい、手荒な真似はするなよ」


「お貴族様がご所望なのは、髪の色が薄い方だ。こっちは別にいいだろ。邪魔だ」


「容赦ないねえ。相手はかわいい女の子なのに」


 男は三人組だった。貴族がユイカを連れて行こうとしている? そんなこと、許せるわけがない。


「ユイカを返して!」


 どうにか立ち上がりながら——ひどくよろけているけれど——懐から、両親に託された短刀を取り出した。何が何でも、たとえば相手を殺すことになったって、ユイカを取り戻さなくてはならない。覚悟を決めて、短刀を逆手に握り、駆け出した。


「勇ましいお姉ちゃんだ」


 腹立たしいほど余裕に満ちた声が降ってきて、直後、あたしは蹴り飛ばされていた。短刀が手から離れて、背中から墜落する。蹴られた腹部を、思わず抱えた。痛い。息が、できない。


 ユイカの泣き声が聞こえる。立たなくては、助けなくては。心では強くそう思うのに、ちっとも足は動かない。


「やめて……連れて、行かないで……」


 こう言うことしかできない自分が、悔しくて悔しくてどうしようもなかった。力を振り絞っても、出来たことと言えば這いずるくらいだ。やっとのことで届いた男の足にしがみつく。もう一度蹴り飛ばされて、それでおしまいだった。ユイカの泣き声が、遠くなる。嫌だ、行かないで。お願い。


「殺しとくか?」


「やめておけ。ここは北の管轄だぞ? 失踪ならともかく、殺しとなるとしつこい」


「了解了解」


 ユイカが、ユイカが。追わなくては、守らなくては。どうして立てないの。這いずっても、泣き声も、ぼやけた姿も、遠くなる一方だ。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん」


「ユイ、カ……あっ」


 もう一度、どうにか立ち上がろうと腕をついたところで、頭に重い衝撃があった。視界の中央に何とか見えていたユイカの赤髪が、黒に塗りつぶされる。お願い、やめて、やめて。最後の最後まで一心に祈っても願っても、何の力にもなり得なかった。


 そうしてあたしは、何もかもを失った。

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