3:今更の後悔

 夜の北は冷える。ここへ来てまだ十数日、どれだけここに居ることになるかは分からないが、慣れるのにはもうしばらくの時間を要しそうだ。デリヤは上着の襟を寄せた。月が昇ってから大分時間が経つが、今のところ動きはない。人通りはとうの昔になくなって、少し前まではたくさんの家から漏れていた光も、今は片手の指で数えられるほどになった。ただ待っているだけなのは退屈で、しかしいつ敵が来るのか分からないため気を抜くことは出来ない。まだ何もしていないのに、予想以上に体力を使っている。


 デリヤに割り当てられた区画は、北東住宅街の端、大通り付近だった。住宅街は奥に入れば入るほど入り組んで複雑になる。不慣れなことを気遣っての割り当てだろうが、余計なお世話だ。支部に入れば、もっと様々な経験が積めると思っていた。今度こそと意気込んだのに、このまま何も起こらなければまた期待外れになる。デリヤは溜めた息を零した。何もかも、思い通りにはならない。焦りと苛立いらだちだけが募っていく。


 そのとき、ふいに、かすかな金属音がした。呼吸を飲み込む。首をそっと動かして、デリヤは建物の陰から背後をうかがった。突き当たりに立っていた兵が倒れている。その周辺だけ、異常に濃い闇が確認できた。


「闇呪?」


 呟いて、確信する。きっとそうだ。途端心音が速まる。ようやく、と思う。デリヤが剣柄に手を延ばしながら目を凝らせば、倒れた兵の付近に人影を見つけた。闇に紛れるように、黒い衣を頭から被っている。闇呪を使ったことから考えて、おそらく黒の使徒なのだろう。ならば、容赦も手加減も必要はない。迷わず切り捨てて構わないはずだ。


 しかし、今すぐに殺してしまうわけにはかない。敵の根城を突き止めなければ。どうするか。子供が捕まってからでは都合が悪い。今の間に捕らえて、脅して居場所を吐かせる、それが一番だろう。


 音を立てないように気をつけながら、デリヤは剣を抜いた。細い月が放つかすかな光を帯びて、刃は冴え冴えと輝く。主であるデリヤの高揚とわずかばかりの緊張に呼応するように。求めていたものを見出したような思いに、胸が満たされる。ずいぶん久しぶりの感覚だった。


「何をしているんだい?」


 柵をよじ登ろうとしていた後姿に向かって、デリヤは問うた。足音と気配を殺して近づく術は、書物から自分で学んでいた。そのまま喉元に剣を突きつけることもできたのだが、デリヤが望んでいるのは実戦経験だ。それに、後ろから襲い掛かるなどという卑怯な真似はしたくない。


「支部の兵か」


 くぐもった声がした。男の声だ。かけていた足を下ろして、デリヤに向き直る。黒いマントの端から、長い剣が覗いていた。


「そこの家、確か十一の子どもがいたね。男児だ。その年頃の子どもばかり集めて、一体何を企んでいるのかな」


「知りたいか? その前に、若いな。おまえはいくつだ」


「生憎、十六だよ。どうして年に拘る?」


「少し育ちすぎているが、即戦力と考えれば許容範囲か。女みたいな顔をしているが、男でいいのか」


「失礼だね。僕は男だ。それから、僕を捕らえようって話なら諦めた方がいい」


 足を引いて、デリヤは身構えた。黒衣の男も、フードを落として剣を手に取る。構えを見定める。なるほど、確かにどこかで訓練を受けているのであろう構え方だ。願ってもない。相手も同じことを考えていたらしく、髭面はにやりと笑んだ。


「かなり出来そうだな。こいつはいい。北には若くて腕の立つ者が多いと聞いていたが、お前の他にも同じ年頃の者はいるのか」


「副長さんは僕と同い年らしいね。女だけど一つ下にも一人いる。他にも探せばいると思うけれど、今は自分の心配をするべきだよ」


 男は答えず、笑みを深くして剣先を揺らした。来る。始めは上から下へ一振り。攻撃を空振った後も隙を作らない。しかし振りそのものは大きく、幼い頃から何度も手合わせをした師には到底及ばない。二撃目を両手で握った剣で弾き返して、空いた懐に入り込む。勝負はすぐに決した。


「昨日誘拐した子どもたちの居場所を教えてくれるかい? そうしたら殺さないよ」


 男は驚いたらしかった。首筋にぴたりと添えられた剣を見ると、剣腕を下ろして肩を竦めた。


「その年でその腕か。白の使徒も侮れんな」


「やっぱり、君たちは黒の民かい?」


「ああ、そうか。闇の呪を使ったところを見られていたか」


「黒の民がこんなところに何の――」


 背後を取られたときの感覚がして、デリヤは慌てて飛び退った。着地し顔を上げてみれば、もう一人、黒い衣を纏った者が現れている。いつの間に。


「不意打ちかい? 卑怯な手を使うんだね。二人がかりというのも感心できないな」


「随分と甘いことを言うんだな。戦い方にその身なりからしてお貴族様か? 悪いがこっちは戦いには品性も礼節も必要ないと考えているものでな。卑怯な手も存分に使わせてもらう」


 先ほど剣を交えた男の方がまた向かってくる。もう一人がこの男と同じほどの使い手であれば、二人いれどさほど脅威ではない。しかし、後ろに控える方が右腕を掲げているのに気付いて、デリヤは焦った。呪を使うつもりだ。慌ててその奥の方に狙いを変えるが、手前の男がそう易々とは見逃してくれなかった。幾度も剣を振ってきて鬱陶うっとうしい。身をかわしながらじりじりと進んでどうにか距離を詰め切ったが、少ない残り時間では剣を振ることはできなかった。


 完成された闇の呪がデリヤを襲う。先ほど兵を無力化させたあの呪だ。逃れようとしたが間に合わない。追いつかれ、闇は絡みつくようにデリヤを覆い尽くした。意識が奪われていく中、デリヤの耳には半日前に聞いたセトの忠告が蘇っていた。真剣に聞いていればと、今さらの後悔をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る