ふくぼんっ!~手助けなんてするはずないじゃないですか~

くろねこどらごん

ふくぼん その5

「昨日はよくも恥をかかせてくれたわね!真吾なんて大っきらい!」




月曜日の朝のことだ。登校中の俺は幼馴染からそんなことを言われていた。




「はあっ!?なんだよ、いきなり!ちゃんと買い物には付き合ったじゃねーか!」




「だからってさっさと帰るやつがある!?なーにが見たいテレビがあるからよ!?私が一緒にいるっていうのに!あの後クラスの子に見つかってからかわれたんからね!」




「んなこと知るかよ!」




ぎゃあぎゃあと騒ぐ俺たちは、傍からみればきっとさぞ醜い争いをしていることだろう。


子供じみた売り言葉に買い言葉で、口喧嘩がヒートアップして止まることがない。




なんでこうなったのかといえば、俺こと仁科真吾にしなしんごは現在言い争いの真っ最中である幼馴染の瑠川莉奈るかわりなに先日買い物に付き合わされたことが事の発端だった。


どうせ暇なんでしょの一言から強引に駆り出され、散々こいつの服屋巡りに付き合わされた挙句、最後に観たくもない恋愛映画にまで付き合わされそうになったため、適当な理由をつけて逃げ出したわけである。




俺が帰った後、結局コイツはひとりで映画を観たらしいのだが、映画館を出る途中で彼氏連れの友人に見つかって散々からかわれたのだそうだ。


俺からすれば莉奈と恋人扱いされずにすんだわけだし、むしろ助かったんだけどな。九死に一生を得た気分だけど、莉奈からすると違うらしい。




プライドの高いこの幼馴染からすれば、俺と恋人扱いされるより、ひとりで映画を観るような寂しい女と思われるほうがどうやら傷ついたようだった。


男にとってはどうでもいいと思う話でも、女の世界は複雑怪奇。見栄とやらがよほど大事であるらしい。




とはいえそんなことは彼氏でもないただの幼馴染である俺に関係あるはずもなく、正直とんだとばっちりだ。


理不尽この上ない話だが、この幼馴染に正論など通じない。それは長年の経験で身に染みている。




案の定莉奈は烈火のごとく怒り狂い、現在はまさに手がつけられない状態である。


昨日の夜中に散々メッセージがきたことを無視したことも、どうやら火に油を注いだようだった。




こっちからすれば貴重な休日を費やしたというのに。


なにがそんなに不満なのかとうんざりして、早々にふて寝を決め込んだのが日曜日の全貌だ。


これで俺が悪いというなら、一生彼女なんていらないと、まどろみの中で思ったものである。








「この私とデ、デー…ううん、一緒の時間を過ごせるって、すごく幸運なことなのよ!?これでも男子にはかなりモテるんだからね!」




そんなわけで迎えた月曜日の朝。妹と一緒に学校に行こうとした通学路で待ち伏せされ、こうして口論になっているというわけだ。


スマホの履歴にある最後にメッセージのきた時間を考えると、間違いなく寝不足気味であるはずなのに、えらく元気のいいこった。きっと生涯低血圧とは無縁だろうな。羨ましいことこの上ない。




「ならそのお前を好きだっていうもの好きな男子といけば良かったじゃねぇか。きっと喜んで付き合ってくれただろうよ。人選ミスったお前が悪いっつーの」




「なんですってぇ!?」




とはいえ、これじゃあはっきり言ってキリがなかった。


いつまでもこんな言い争いをしていたら遅刻してしまうし、俺からすれば理不尽なことで遅れるなんて、やってられないにもほどがある。


だから一刻も早くこの場の空気を変えたかったのだけど、ここにきてようやっと救いの手が俺たちの間に差し伸べられたのだ。




「…………はぁ、兄さん達、もういい加減にしてください」




鈴のような綺麗な音に冷たい氷の色を乗せ、それは俺と莉奈の間を通り抜ける。


その声色を聞き取った瞬間、俺たちは同時に振り返るのだが、その先には綺麗な黒髪を軽く揺らしながらどこか呆れた顔をした、我が義妹の姿があった。




「あ、り、林檎りんご。これはだな…」




「御託はいいです。話はもう散々聞かせてもらいましたから。というか、私完全に忘れられてましたよね?そんなに存在感薄いんでしょうか」




取り繕ろうとした俺の言い訳を一蹴し、待ちぼうけを食らった子供のような拗ねた様子を見せる林檎。


明らかに機嫌を損ねた妹を見て、俺はさっきまで幼馴染と言い争っていたことなど一瞬で忘れて慌ててしまう。




「わ、悪い!そんなつもりなかったんだ!莉奈に突っかかれてついカッとなって…」




「なによ!私のせいにすんの!」




背後から莉奈の怒声が飛んできたが、グッと堪えて無視をする。


大事なのは妹であり、幼馴染は二の次だ。俺にとってこの義妹こそ、なにに変えても優先すべき対象だった。




「つーん」




「なぁ、機嫌直してくれよ林檎。頼むから…」




俺は必死に林檎の機嫌を取ろうとする。この妹に嫌われてしまっては、きっと生きてはいけないことだろう。


なんとしても林檎にはいつもの優しい笑顔を見せて欲しかった。ブラコンと言われようが知ったことか。




「りん…」




「私を無視すんなぁっー!」




「ぐふぅっ!」




未だ笑ってくれない妹になお話しかけようとしたところで、背中から襲ってきた衝撃に、俺は思わず仰け反ってしまう。


咄嗟に踏みとどまることに成功するも、正直いって滅茶苦茶痛い。林檎がいなかったらあまりの痛さに涙を流していたかもしれなかった。


いったいなんだと振り返ってみればそこにはローファーの底をこちらに向けたまま怒りの表情を見せる幼馴染の姿があった。


それを見て、俺は瞬時に理解する。




(こ、この野郎…!蹴りやがったな!)




なんてやつだ、そこまでするか!?




すぐさま俺は激昂し、罵声のひとつでも浴びせようとしたのだが…




「落ち着いてください、義兄さん…莉奈さんもやりすぎです」




ぺたりと、背中に当てられた小さな手で我に返った。




「林檎…」




「あーもう、跡がついてるじゃないですか…莉奈さん、ダメですよ暴力は。気持ちはわかりますけど、今はとりあえず落ち着いてください」




そう言って制服を払ってくれる林檎。柔らかい手で撫でられると、自然と気持ちが落ち着いていく。


莉奈も気まずそうに押し黙り、林檎のことを捨てられた子犬みたいな目つきで見つめていた。




「う…」




「ほら、後で話を聞いてあげますから」




この幼馴染は俺と違い、林檎とは仲がいいようだから、説得を無視することも出来ないのだろう。


渋々ながら小さく頷く莉奈を見て、林檎は満足そうな顔を見せた。




「じゃあ今度こそ学校に行きましょう。言っておきますけど、私がいる間は喧嘩なんてしちゃダメですからね!」




そう言うと林檎はくるりと身を翻し、俺たちの前をスタスタと歩き出した。


あっさりと場を取りまとめて颯爽と去っていく彼女の後ろ姿はなんとも頼もしい。見事に手玉に取られた形になり、俺は思わず苦笑した。




(こりゃ勝てそうにないなぁ…)




気恥ずかしさもあったが、それ以上にこんな妹をもてたことが誇らしい。


なんとなく晴れやかな気分になったのだが、その時ふとどこからか視線を感じて横を見ると、莉奈が何故か俺のほうをジッと見ていた。




「なんだよ」




「……別に。妹相手に鼻の下伸ばしてんじゃないわよ、スケベ」




指摘すると莉奈は小憎らしい捨て台詞を残して俺の横をズンズンと通り抜けていく。


結局蹴ったことを謝りもしないつもりのようだった。




(さ、最後まで可愛くないやつ…)




妹の手前、これ以上突っかかることもできないが、そうでなければきっと追いかけて肩を引っつかみ、また口喧嘩が再開していたことだろう。




「なんで俺、あんな幼馴染を持っちまったんだろ…」




妹はあんなに可愛いというのに。禍福糾える縄のごとしってやつだろうか。


バランスを取るならもう少しなんとかならなかったのかね、神様…




俺は大きくため息をつくと、ふたりの後を追うのだった。






























「はぁ…」




またやってしまった。なんで私、あんな接し方しかできないんだろう。


そんな後悔が襲うなか、私は学校近くの喫茶店で、ひとり項垂れているところだった。


待ち合わせ場所にちょうどいいからとここを選んだわけだけど、早くも失敗だったんじゃないかと、私は思い始めている。




周りの席を軽く見渡すと、そこらじゅうに制服を着た男女が顔を合わせて座っているからだ。


言うまでもなくカップルの姿である。彼らは皆一様に楽しそうな表情を浮かべており、私のように落ち込んだ顔をしている子なんてひとりもいない。今の自分との境遇のあまりの違いに泣きたくなった。




「うう…」




独り身の私には、はっきり言って場違いだ。無意識のうちに比べてしまい、自分を卑下してしまいそうになる。


今朝のことを思い出し、こんなところにいたくないと思ってしまうくらいにへこんでしまう自分がいた。






カランカラン






目尻に涙が浮かび始めたその時だった。入り口に備えられていた鐘の音が、私の耳に飛び込んでくる。その音に釣られるように、反射的に顔を上げた。




「あ、きた…」




そこにいたのは、私にとっての救い主だ。ようやく訪れた待ち人の登場に、私は密かに安堵する。


キョロキョロと辺りを見渡す彼女に分かるように手を上げながら、反対の手で素早く目尻を擦り上げた。




「林檎ー!こっちこっち」




「あ、そこにいたんですね莉奈さん」




私の声に気付いてこちらを振り向いたのは、アイツの妹である仁科林檎だった。


背中まで伸ばした黒髪をふわりと翻し、トコトコとこちらまで歩いてくる。




(相変わらず可愛いわね、アイツの妹とは思えないくらいだわ…)




人形のように整った端正な顔立ちに、見ていてほぅっとため息が出てしまう。


私だってそれなりに顔はいいほうだと思っているけど、この子には敵う気がしなかった。




「すみません、委員会の用事で遅れてしまって…」




「いいのいいの、全然気にしてないから。それを言うなら謝るのはこっちのほうよ。わざわざ来てもらって悪かったわね」




頭を下げてくる林檎に、私は軽く手を振った。気にしなくていいと伝えるためだ。


昔から周りに気を遣う子だけど、あまり他人行儀にして欲しくはない。将来のことを考えると、この子とはもっと距離を近づけたいと、前々から思っていたのだから。




「いえ、話を聞くと約束してましたしね。莉奈さんとの約束は守りますよ」




「そう言ってくれると嬉しいわ。さ、座って。なんでも頼んでいいからね」




着席を促すと、彼女はおずおずと椅子を引いて、ようやく席に座ってくれた。


そのことに、私は内心胸をなでおろす。一つ年下の幼馴染の女の子と、放課後にここで会う約束をしていたのだ。




(よしっと。これでようやく先に進めれるわね…)




今日はどうしても相談にのってもらいたい話があり、半ば強引に頼み込んだ形となったため、私が奢るつもりだった。相談の内容を考えるとこれでも安いくらいである。私はメニューを手渡すと、早速話を切り出した。




「じゃあ来てもらって早々に悪いんだけど、まずは今朝のことをまず謝らせて。ごめんね、あんなことになっちゃって。ああいう態度を取るつもりなんてなかったんだけど、どうしてもアイツの前だと感情的になっちゃうから…」




「いえ、大丈夫ですよ。いつものことですから。あ、ウインナーコーヒーを頼んでいいですか?」




「え、あ、うん。それはいいけど…」




「ありがとうございます。あ、店員さん。注文したいのですがよろしいでしょうか」




私の謝罪を聞き流しながら、林檎は駆けつけてきた店員さんにメニューを指差して注文する。


なんだろう、完全に相手にされていないこの感じ…少し居た堪れなくなるんだけど。




(この子、こういう図太いところがあるのよね…)




だから昔からりんごにはどうにも頭が上がらない。それは今でも続いており、いざという時頼りにするのはいつだって、この年下の幼馴染だった。




(でもいつものこと、か…うん、やっぱりそういう認識なのね、林檎にとっても)




なら、きっと真吾もそう思っているのだろう。それがなんだか悔しくて、スカートの裾をギュッと握り締めた。




わかってる。このままじゃダメなんだ。


だから今日はアイツとの関係を変えるためにここにきた。




(そのためにはどうしても、この子の力が欲しい…!)




私は決意を新たにすると、一度唇を噛み締め、覚悟を決めて本題を切り出すことにした。




「あのね、林檎。今日貴女を呼んだのは他でもない、真吾のことについてなの」




「まぁそうでしょうね。というか、それ改めて言うことなんですか?私を呼ぶんだから、兄さんに関することだと察しがつきますよ」




私なりに真剣に切り出したつもりだったけど、林檎は呆れた声を出した。


み、見抜かれてたんだ…なんだろう、いきなり出鼻をくじかれたような気分だ。


私、そんなわかりやすいのかな…なんかちょっとへこむんだけど。




(い、いけない…ダメよ。こんなくらいでへこられちゃ…)




だけどすぐに気を取り直し、私は今日一番の勇気をもって、自分の本当の気持ちを幼馴染に打ち明けることにした。




「そ、そう?なら話は早いわ。あのね、私いつもアイツにあんな態度しか取れてないけど…じ、実は真吾のことが好きなのよ」




「あ、それも知ってます。莉奈さんは昔から兄さんのことばかり見てましたもんね。なんというか、ご愁傷様です」




「…………え。き、気づいてたの?」




「気付いていないのは兄さんくらいだと思いますよ。昨日はわざわざ買い物にかこつけてデートに誘ったのに、残念でしたね」




あの鈍感さには困ったものですと、肩をすくめる林檎を見て、私は頬をひきつらせた。


一世一代の告白だったつもりなのだけど、そんなにバレバレだったとは。あまりの恥ずかしさから、顔から火が出そうだった。




「穴があったら入りたい…」




「まぁそう落ち込まずに。兄さんは鈍いですからね。これから少しづつ態度を改めて、まずは女性として意識させていけばいいのではないでしょうか…あ、店員さん、ありがとうございます。はい、伝票はまとめて。はい、どうも」




落ち込む私をスルーしながら、林檎は注文していたコーヒーを受け取っていた。


さり気なくアドバイスもしてくれていたけど、なんだか適当に流されている気がするのは気のせいだろうか。




「それしか、ないのかな…」




「焦りは厳禁ですよ、確実にいきましょう。それこそ高校卒業。あるいはもっと先を見据えた行動を取ったほうが無難かと思いますが…」




林檎はソーサーを音を立てずにテーブルに置くと、軽くスプーンでカップの中をかき混ぜていく。その仕草はどこか優雅で、余裕さえ感じられた。




「!!そ、それは嫌!そんなに待てないよ!私はもっと真吾と早く恋人になりたいの!」




だけど、私は真逆。林檎の言葉を聞いて、逆に焦りが生まれていく。




「…………恋人、ですか」




「そう!あのね、本当は今日林檎を呼んだのは、告白についてアドバイスをもらいたかったからなの!私だって、一応自分の性格くらいはわかってる。このままじゃ、きっとズルズルいってしまって、アイツにとってただの幼馴染で終わっちゃう!」




私は内にあった溢れんばかりの思いの丈を、一気にまくし立てていた。余裕がなかったのだろう。スッと表情を失くす林檎の様子に、私は気付くことがない。




「それは嫌なの。私、明日にでも真吾に告白するつもり。好きだって、ちゃんと伝える!」




危ないところだった。林檎のアドバイスは確かに正論で的確なものだったけど、それはあくまで一般論。彼女には悪いけど、私に通用するとは思えなかった。


鵜呑みにしたらきっといつも通り喧嘩を繰り返すだけの日常が過ぎて、恋人になるという未来が閉ざされる。そうならないためにも、私は一世一代の勝負に出る決意をもってここに来た。




「そのために今日は林檎をここに呼んだの。だから…!」




「私に手伝って欲しいと。そう言いたいわけですね、莉奈さん」




力強く頷く私を見て林檎は軽くため息をつくと、手に持ったカップを一口飲んだ。


こくりと彼女の白い喉が波打つのをじっと見届けて、カップから口を離すのを静かに待つ。


告白を成功させるには、林檎の協力が必要不可欠であると私は踏んでいる。


真吾はかなりのシスコンだし、林檎の言葉なら素直に聞き入れるからだ。




(お願い、林檎…)




これまでの数々の出来事は私の照れ隠しからのもので、全て好意の裏返しであったと伝えてくれれば、きっと素直に耳を傾けてくれるはず。


告白の成功率だって、グッと上がるはずだった。












永遠にも思えた時間。実際には一分にも満たなかっただろうけど、私は彼女からの答えをひたすら待ち続ける。




「ふぅ……」




私の願いを秘めた視線を受け止めながら、林檎はソーサーにカップをカシャリと置いて、小さく息を吐いた。




「――――話はわかりました。そういうことでしたら、協力致します」




「!!ほんと!?」




「ええ」




林檎の返事はまさに私の望んだものだった。小さく頷く彼女を見て、私の胸に歓喜の波がなだれ込む。




(やった…やったやったやった!)




林檎が協力してくれるというのなら、間違いなく上手くいく。


私と真吾はついに恋人同士になれるのだ。これまでずっと素直になれず、憎まれ口しか叩くことが出来なかったけど、付き合うことができたなら間違いなく私は変われる。もう友達にからかわれることもない。きっと理想のカップルにだってなれるはず!




「…………ああ、莉奈さん。浮かれているところ悪いのですが、ひとつ申し出があります。いいでしょうか?」




この時の私は既に告白が成功する未来しか見えておらず、完全に浮かれていた。


有頂天になっていたのだ。だから気付くことも出来なかった。




「え!?なに?なんでも言って!」




「はい。私から莉奈さんが兄さんをどう思っているか、伝えてもいいでしょうか?段取りを任せて欲しいのです。告白の待ち合わせ等に関しても、私に一存してもらいたいなと」




林檎の提案は私にとって、まさに願ったり叶ったりだ。


彼女に期待していた行動を全て取ってくれるという。ここからさらに頼む事をするのは正直心苦しいものがあったので、本当に助かるものだった。




「いいの!?」




「ええ、もちろん。大切な、幼馴染のためですから」




ああ、なんていい娘なんだろう。こんな幼馴染の親友を持てて、私は本当に恵まれている。


いつか彼女とも家族になれたなら、それはどんなに素敵なことなんだろう。


ううん、それはきっと夢じゃない。理想の未来は、もう目の前に広がっていた。




「ありがとう、本当にありがとう林檎!」




「いいんですよ、これくらいお安い御用です…それに、感謝もしているんですよ」






そう言って林檎はまたカップに口をつけた。少し傾けているためか、その表情は見えない。


見えていたとしても、きっと気にも止めはしなかっただろう。










―――だけどあるいは。この時の彼女の表情からなにかを気付けていれば。






もしかしたら、なにかが変わっていたのかもしれなかった。








幼馴染であり、大切な親友であるはずの彼女の瞳が、ずっと笑っていなかったことを






そしてその顔には、いっそ酷薄なまでのうすら寒い笑みが浮かんでいたことを






気付けていれば、きっと変わっていたはずだった






だけどそれはもしもの話。このおはなしには関係のない、可能性の話だ。






カップから口を離した林檎は、優しい顔でニッコリと微笑んだ。








「そんな大切なことを、私に教えてくれたんですから」
































次の日の放課後、私は授業が終わるとすぐに校舎裏へと向かっていた。


昼休みの時点で林檎からは真吾との待ち合わせ場所を指定されてはいたけど、それからはもうずっと緊張しっぱなし。


午後は授業どころではなく、記憶も綺麗サッパリ抜け落ちている有り様だ。


肝心なところで弱気の虫が顔を見せるのが、私の昔からの癖だったりする。正直いって逃げ出したい気持ちで一杯だった。




「だ、大丈夫。私には林檎がついているんだもん…」




それでも足を止めずに歩くことができているのは、やっぱり林檎の存在が大きかった。


好きな人の妹が味方についてくれている。自分を応援してくれていると思うだけで気の持ちようがまるで違うのだ。


不安な気持ちこそあれど、前に確実に進むことができる。それほど私は林檎のことを、無意識のうちに信頼していたのだろう。




一歩、二歩。震えながらも私はひたすら足を動かし、数分後には校舎裏へとようやく辿り着いていた。




(つ、疲れたぁ…)




この時点で疲労感が物凄い。告白場所が屋上じゃなくて良かったとつくづく思う。


平地でこれほど体力を消耗するなら、あの長い階段を登ることになっていたらと思うとゾッとする。いろんな意味で心臓が飛び出しかねなかった。




「真吾はもう来てるかしら…」




どちらかというと、まだ来ないでくれたほうが正直嬉しい。


心の準備はまだできていなかったし、待つほうが楽だ。告白すると決めたとはいえ、真吾の姿を見ながら歩き出すとか、緊張で死んでしまうんじゃないかしら…そんな益体もないことを、つい考えてしまう。




「あ、良かった。まだいないや…」




角を曲がって指定されていた場所についたのだが、幸いなことに真吾の姿はまだなかった。


ホッとする反面、少し残念だ。さっきから心がグチャグチャで、考えていることにまるで筋が通っていないことは理解している。


早くこの緊張から開放されたい自分と、失敗するのが怖いと思う自分。二律背反の想いがないまぜになって、私の心をかき乱していた。




「ふ、ぅ…」




大きく息を吸い、吐く。緊張をほぐすためだけの、ただの深呼吸。


さして効果を期待していたわけじゃなかったけど、意外と意味はあったみたい。


なんとなく楽になったような気がする。気休めでも構わない。今はどんな些細なことでも、プラスの効果があるなら有難かった。




「よし、これでいつ真吾が来ても…」




「待たせたな、莉奈」




「ひゃい!?」




もう大丈夫。そう思った次の瞬間話しかけられ、私は思わず変な声をあげてしまった。




「な、なによいきなり!びっくりするじゃない…って、真吾!?」




「おう、林檎に言われてな。来てやったぜ」




いつの間に現れたのか、そこには告白相手である幼馴染の真吾がいた。


深呼吸に集中していたためか、まるで気付かなかった…正直心臓が止まるかと思ったし。




(と、とりあえず誤魔化さないと…)




私はとりあえず一度軽く咳払いし、仕切り直すことにした。


こんな雰囲気で告白はしたくない。ロマンチックさのカケラもないのはゴメンだった。




「そ、そう…あ、ありがと。急に声かけられたからびっくりしたわよ、もう…」




急に声をかけられたせいでびっくりして気が動転しているせいか、未だ動悸が収まらない。もちろん単純に緊張しているのもあるんだろうけど、そう思ったほうが少しは自分を誤魔化せる。




「ああ、悪かったな。なにか考え事をしているのはわかったんだけど、声かけないほうが悪いかと思ってな」




「そういう時は待ちなさいよ。ほんとデリカシーないわね、アンタは」




だけど口から出てきたのは、いつもの憎まれ口だった。


言った直後、私は激しく後悔する。




(違うでしょ、私!何言ってんのよ…!)




意識するまでもなくスルリと辛辣な言葉が出てくる自分に愕然とした。


なんでこんなことだけはスラスラと吐き出すことができるんだろう。言いたいことは言えずにここまできたというのに、私はまた同じことを繰り返すつもりなのか。




(それは嫌…!)




そうだ、私は今日から変わるんだ。その決意を持ってここにきた。


真吾に告白して、恋人になって、もっと素直な自分になる。これまでひどいことをたくさん言ってきたぶんだけ、たくさん優しく接してあげる。


みんなが羨むような、最高のカップルに私達はなるんだと、そう思っていたじゃないの…!




「あー…わりぃ。だよな、だからお前は…」




「ご、ごめん!今のナシ!ちょっと言いすぎたわ!」




だから真吾が謝ろうとする前に、私の方から頭を下げた。


相変わらず素直にごめんなさいと言えない自分の性格が恨めしい。


そもそもが余計な一言だ。告白前にこんなやり取りをしてる時点で心象は最悪なものだろう。




(それでも…!)




希望は、ある。林檎から私の真吾に対する気持ちが伝わっているなら、こんなことを言ってしまうのも、好意の裏返しだって、きっとわかってもらえているはずだ。


嫌いな相手にそもそも突っかかるはずないもの。私なら絶対無視してそれで終わり。


だから、これまでの全部が全部、真吾を好きだったからやってしまったことなのよ。素直になれないから、あんなコミュニケーションしか取れなかった。




ほんとは朝は腕を組んでイチャイチャしながら登校したいし、映画だって一緒に観て、感想を言い合いたい。チャットだって夜遅くまでして、お互い寝不足になって、次の日は昨日遅くまで話しちゃったねって笑い合って…


そんな、ごく普通の恋人同士のやり取りを、私はずっとずっとしたかった。




でも出来なかったのは、好意を素直に伝えられなかった天邪鬼なこの性格が全部悪い。




そのことを、きっとわかってもらえているよね?




わかってもらえて、こんな私でもきっと真吾は受け入れてくれるよね?






そう期待を込めて、いざ告白するために私は頭を上げようとしたのだけど―――


















「いいよ、今さら取り繕わなくて。お前が俺を嫌いなんだってこと、もうわかってるからさ」








「……………………え?」






そんな予想だにしなかった言葉が、頭の上から降ってきた。
















「林檎から聞いたよ。お前、俺のことをずっと嫌いだったんだって?買い物に付き合わせたのも嫌がらせだったんだってな。さすがにちょっとひどくないか?」




「え、な、なにを…」




なに言ってるの?嫌い?え?




「別に俺はお前のこと嫌いじゃなかったんだけどさ、なんだかんだ幼馴染で付き合いも長かったし……でもそんなことわかったら、もうこれまでみたいに接するのは無理だわ。まぁお前が今日呼んだのはこれまでのネタばらしみたいだけど、そういうつもりならこっちにだって考えがあるぜ」




「ちょ、ちょっと待ってよ。なに、言って…」




真吾の口からは私の知らない話が次々と出てきて、まるで思考が追いつかない。


ネタばらし?なんの?そんなものはない。だって私は、今日真吾に告白するつもりで、これまで素直になれなくてゴメンって、そう言おうと―――






「俺はもう、お前に関わるのをやめる。もう話しかけてこないでくれ。そっちもそのつもりだったんだろうけどさ。これでいいだろ?嫌いだっていうんなら、そのほうがお互いのためだ」




じゃあなと、それだけ告げて真吾は私に背を向けた。


まるでもう私に興味を失ったみたいに。




「ま、待ってよ!!!」






私は咄嗟に真吾を引き止めた。そうしないと、彼が永久に離れていってしまう気がしたのだ。




「……なんだよ、まだなんかあんのか」




「う…ち、違うの。私、真吾を嫌ってるなんて、そんな!」




だけど振り向いた真吾の顔は明らかに嫌そうなものであり、そこから私に対する好意なんて、微塵も感じることが出来ない。


それでも引くわけにいかず、誤解を解こうとしたのだけど、真吾の口から出てきたのはあまりにも予想外の言葉だった。




「なんだよ、まだ嘘を言うのか。林檎が言ってたんだぜ?お前が俺のこと嫌ってるって。今日は嘘告白で俺を騙すつもりだからなにを言おうと信用するなって、そう言ってたよ」




「え……?」






林檎、が……?なんであの子の名前が出てくるの?




おかしい。それこそ嘘だ。だって、あの子は私の告白に協力してくれるって、そう言って―――


















「―――そういうことです、莉奈さん。悪いですが、貴女の思い通りにさせるわけにはいかなかったので、邪魔をさせてもらいましたよ」










その時だった。ますます混乱を深めていく私の耳に、彼女の声が響いたのは。










「り…」




「来たのか、林檎。来なくても良かったのに…」




「そういうわけにはいきませんよ。兄さんを騙そうとした人に、私も言いたいことがありますからね」






カツカツと、小さな靴音を鳴らしながら校舎の角から姿を現したのは、林檎だった。






「え、なに、林檎。どういうこと。騙すって、いったい…」




「それ以上喋らないでください。私を巻き込もうとしたその口で私の名前を言われると吐き気がします」




私の幼馴染で、真吾の妹。そして協力者であるはずの彼女が、今は何故か嫌悪を顕にした表情で、私を睨みつけている。


これまで見たこともない林檎のそんな表情に、私は思わず怯んでしまった。




「う…」




「ひどい人ですよね。私、莉奈さんをそんな方だと思っていませんでした。兄さんに嘘の告白をして、嘲笑おうだなんて…!あまつさえ、よくも私に協力させようなんてしましたね。兄さんを陥れるような手助けなんてするはずないじゃないですか。妹としても女としても、私は貴女のことを心底軽蔑します」




林檎はそんな私の弱気を見逃さず、畳み掛けるようにまくし立て、侮蔑の表情を見せた。


それは昨日見せた優しい笑顔とは、程遠いもの。私はこの時、林檎の言い知れぬ迫力に完全に呑まれてしまっていた。




「いきましょう、兄さん。もうこの人には絶対関わらないでください。私ももう話すこともしませんし、こんなひどい女のことは忘れましょう」




「あ、ああ…わかった」




それは真吾も同じようで、始めてみる妹の様子に明らかに戸惑っているようだ。


さり気なく抱きついてくる林檎をただ受け入れ、困惑しながらも林檎の言葉に頷いていた。




「そん、な…」




それを見て、私は絶望する。


なにもかもがわからない状況で、今は私も真吾もひたすら流されてるだけだということは肌で感じていた。この場を支配しているのは明らかに林檎であり、彼女の発言は真実として真吾のなかに落とし込まれているのだろう。




だけどそれでも、私を信じて欲しかった。




林檎の言葉に頷いてほしくなんてなかったのに。




あまりにも理想とはかけ離れた現実を認めたくなくて、今にも膝から崩れ落ちそうになっていた。






「そういうわけですので……さようなら、莉奈さん。もう二度と、私達兄妹に話しかけてこないでくださいね」






だからあまりに冷たい、決定的な決別の言葉を残してふたりが校舎裏から去っていくのを、私はただ見送るしかなく。




誰もいなくなったその場所でようやく、私は地面へと膝をついて倒れ込んだ。






「あ、あああああ……」






なんで?どうして?いったいなんでこうなったの?林檎はいったい、なにを考えてあんな―――






なにがなんだかわからない。だけどわかることはただひとつ。






私は、これまでずっと信頼していた、一番の親友に裏切られたんだ






そして告白するはずだった、ずっと昔から大好きだった人とも決定的な亀裂が生まれ、もう永遠に関わることもできないという、あまりにも辛すぎる未来が待ち受けているんだと、ようやく理解した時―――








「う、うあ…うああああああああああああああああ!!!!!」








気付けば私は、慟哭していた。






頭をかきむしり、涙を流しながら、その場にうずくまってただ涙を流し続けた。






誰もいなくなったその場所でずっと、ずっと―――――




















































「―――本当に馬鹿な人ですねぇ、莉奈さん」




ああ哀れ。ああ可哀想。だけど同情なんてしませんよ。


貴女が私になにも言わずに告白していたのなら、あるいはその痴態を晒していたのは私だったのかもしれないのですから。




貴女が私を信頼してくれていて、本当に助かりました。その性格にも感謝です。


ツンデレでしたっけ?もっと早く好意を表に出せていれば、あるいは違ったかもですね。




まぁそうなるようにしたのは私なんですけど。昔から仕込んできた甲斐があったというものです。


いやぁ、単純な人で本当に助かりました。そもそも私とあの人では兄さんから得ている信頼は雲泥の差。日頃の行いは大事です。




好きというだけで問題を乗り越えられるはずないじゃないですか。現実はドラマみたいに単純じゃないってこと、あの人は理解していなかったようですね。


たとえあそこで告白したところで、兄さんは私の言葉を信じていたことでしょう。


やはり運命は私の味方だったということです♪




「なにか言ったか?林檎」




「いえ、なんにも言ってませんよ兄さん。早く帰りましょう」




そう言って私は愛しい人の腕にギュッと抱きつきます。


これぞ妹の役得ですね。まぁそれ以上の関係にすぐに進展するのですけど。




「ああ、そうだな…疲れたよ、もう帰ろう」




「はい♪」




私を気遣っていても、兄さんが傷ついているのは、手に取るようにわかりますから。


その生まれた傷にちょっと私を刷り込めば。ほら、理想のカップルの出来上がり♪




きっかけをくれた莉奈さんには本当に感謝ですね。


まぁもう関わることはありませんが。あの人の役割はもう終わり。


私たちの未来には必要なく、むしろ邪魔な存在でしたからね。一石二鳥というやつです。




「ふふ…」




本当におばかさん。私が告白の協力なんてするとでも?


手助けなんてするはずないじゃないですか。












―――兄さんと幸せになるのは、この私なんですから












この人は私だけのもの


















他の薄汚い雌になんて、譲るものか


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