第2話 鈍感難聴系って言うのはね。
「鈍感難聴系でございますか?」
イリヤは考えるためなのか、目を瞑った。
僕はイリヤが見ていない事を分かりつつも、その薄い本をイリヤの前で音を立ててめくる。
イリヤはその紙をめくる音からも逃げるように、目を瞑ったまま顔を横に向けた。
「あ、あぁ、すまない。 気が散ってしまうね」
イリヤが僕にどう「鈍感難聴系」を説明するか考えてくれているのに、乱雑に紙をめくる音を立ててしまった事を詫びる。
「いえ、大丈夫でごさいます。それよりもヨツ様」
僕は格式ばっていて嫌なのだが、いくら言っても、イリヤは「様」付けを直そうとしない。
「説明の前に、そのぉ、その本を手に入れた、経緯を教えて下さいますか?」
イリヤは横を向いたまま、「その本」と言った時に、チラリと僕の手元にある本を見たが、どう説明したものか 考えるのに集中したいのであろう、またすぐに目を閉じた。
「通販だよ」
「なるほど、出かける労力を減らして、学ぶ事に時間を割いたのですね。流石でございます。けれど、
学友に、「お前は鈍感難聴系だ」と言われたからだが、そのまま真実を答えるのに抵抗があった。
素直に答えられるようになるには、まず、鈍感難聴系がなんなのかを知らなければならない。
鈍感難聴系が、あまりに酷い嘲りの言葉であるならば、それは僕としても自分が鈍感難聴系である事を認められそうにないし、何より、教育してくれているイリヤに申し訳ない。
一生懸命 教育してくれているのに、学友から鈍感難聴系だと評されてしまったのだ。
だが、その経緯を話さないと、鈍感難聴系が何なのか分からない。
(困ったことになったな)
私はどうしたら真実を話さずに、イリヤを納得させる事が出来るか考えようと、気を落ち着けるため、イリヤが持って来てくれた紅茶に口をつけて、唇についた甘味を舌でゆっくりと舐め取った。
それから、立っているイリヤを足から 頭までじっくりと、一通り見て。ずっと立たせてしまっていることに気がついた。
「イリヤ、ここへおいで」
体をずらし、座っていたソファにイリヤのスペースを作る。
イリヤは素直に僕の隣に座ったが、顔はソッポを向いたままだ。
先程の紅茶の置き方といい、今日のイリヤはどこか様子がおかしい。
「イリヤ?どうしたんだい? こっちを向いて、質問に答えてくれないか?」
「ですから、何故その本を——」
イリヤがやっと振り向いてくれた。
そのタイミングで僕は、イリヤの顔の前に手袋をはめた手を翳した。
貴族の男子は直接 女性に触れてはならない風習があった。それも もう廃れた慣わしだったが、僕は癖で今だに手袋をしてしまう。
その手でイリヤの言葉を遮る。
状況を打破する一言を思いついたからだ。
「質問したのは、僕が先だ。 質問に質問で応えてはいけないんだろう?」
僕は勝ち誇ったように言い、ついで 薄い本をイリヤの前に突き出して、
「さぁ、教えておくれよ。『鈍感難聴系』の意味を」
イリヤに迫った。
イリヤは顔を背ける。
そんなイリヤの態度が、僕を冷静にさせた。
「す、すまない。 少し昂ってしまったようだ」
様子がおかしのは実は僕もだった。
この薄い本を読んでから、何故か体が火照る。
「いえ、大丈夫です。ですが、ヨツ様は本当に庶民区域の文化について、知らないのですね」
「情けないけどね。でも、だから父は君を雇ったんだろう?」
このとき僕は、イリヤが自分から我が家の屋敷の門を叩いて、使用人として雇われに来た事を知らなかった。
イリヤは僕のその質問に答えてはくれなかったが、変わりに鈍感難聴系が何かについては、答える気になったようだ。
「分かりました、ご説明いたします。ですが、その前に少し、距離をお取りしてよろしいですか? 間違ってでも、ヨツ様に触れてしまってはご迷惑をお掛けてしてしまいます」
イリヤは僕の手袋を見ながら言った。
「ん? あぁ、コレかい? これは単なる癖だよ。特に意味は無い。今はほとんどの男性は手袋なんてしていないだろう?」
「そうですか。それでは…差し出がましいかも知れませんが、外されてしまってはどうですか? 今日は陽気がよろしいようですし…」
「ん?なんでだい?」
「いえ、気温が高く感じるので、外せば涼しくなるかと思いまして…」
確かに今日は気温が高かった。
「ん〜、でもキミは僕に直接 触られるのが、気になるのだろう? キミが嫌なら 僕は我慢するよ」
「そんな事ないですっ!———ありません。
……すいません」
イリヤは最初大きく否定し、最後 消え入りそうな声で否定した。
「そうなの? じゃぁ、触れても良いのかい?」
「いえ——はい。いえ」
今度は同じ大きさで否定して肯定し、最後に否定した。
どれか一つでも強調してくれれば、どちらが本心か分かるのだが、イリヤの答えはまるで平坦で、心が読めなかった。
「良く分からないけど……」
僕は手袋を外した。
滅多に外気にさらすことの無い手は、手袋を外した瞬間に、その新鮮な感触に軽く震えた。
自分の手を凝視してから、イリヤを見つめ、その感動をどうにかイリヤに伝えようとする。
「イリヤ、素手で触れる感触って凄いんだね。色んなものに触れてみたいよ」
「は、はい。——触ってみれば、よろしかと存じます」
イリヤが目をとじる。
「うん」
僕は薄い本を手に取って、紙の感触を楽しんだ。
紙の音を不審に思ったのだろう、イリヤが瞑っていた目をゆっくりと目を開ける。
その瞬間、僕は当初の質問を思いだした。
「そうだ、『鈍感難聴系』の意味を教えておくれよ」
そう言って、サッとイリヤの前に薄い本を出す。
イリヤはスッと顔をそむける。
「分かりました、分かりました。ご説明しますので、ひとまずその本を引いて下さい」
僕が本を引いて、イリヤが服の乱れを正しながら、2人があらたまって向かい合ったとき、
チリーン。
ベルの音が聞こえた。
残念だが鈍感難聴系の意味は、明日に持ち越しのようだ。
今日はもう、ディナーの時間だ。
(おしまい)
鈍感難聴系な僕にもわかるように、よくわからなかった言葉の意味を恥ずかしがりながらも丁寧に解説してくれるイリヤ 神帰 十一 @2o910
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