鈍感難聴系な僕にもわかるように、よくわからなかった言葉の意味を恥ずかしがりながらも丁寧に解説してくれるイリヤ

神帰 十一

第1話 鈍感難聴系ってなんだ?

 またイリヤに質問をせねばならないのか。

 僕は加込かごめイリヤの澄ました顔を見ながら、心の中でため息をついた。

 なぜ、「また」なのか。なぜ、質問をするだけでため息が出るのか。それにはまず、僕とイリヤの関係と、この世界の 世界観を話してしまうのが一番だと思う。

 しかし、◇から◇までは、読み飛ばしてしまっても差し支え無い。

 なんなら、◆まで飛ばしても構わない。


 


 僕はいわゆる貴族の跡取り息子で、イリヤは使用人だ。

 貴族といっても中流の貴族である。

 家には もうほとんど お金持ちの庶民と大差ないくらいの資産しかないはずだが、それでも戸籍の家柄の欄には【貴族】の2文字が記入されていて、はしていない。

 書類上は れっきとした貴族だ。


 数年前まで貴族と庶民は、貴族区域と庶民区域に分かれて生活しており、一部の者以外は、お互いがどのような生活をしているのか、全く分からなかった。

 

 貴族には、その強大な権利の代わりに厳しい戒律が背負わされていて、その戒律を破った者は権利を取りあげられるどころか、酷い時は一族 全ての命をもって償わなければならない事もあった。


 命をもって償うのは、さすがに遠い昔の話しだ。今や庶民との交流は進み、庶民の文化を知らないと時代に乗り遅れてしまう。


 僕も庶民の生活や文化には疎い。

そんなことでは、この家を任せられないと考えた父は、イリヤを雇い。僕はイリヤから庶民の文化を学ぶ事になった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 家柄なんて 若い世代のネオフロント民には、靴の裏についた土埃のように、気にもならないし、意味もないが、それでも生きて行く限りは一生ついて回る 鎖のついてない首輪のようなものだった。

 

 どんな家柄の出身であっても、公平に行政の恩恵を受け、法の許す限りの自由は約束されている。

 しかし、権力はいつでも誰にでも鎖をつけることは可能だ。

 貴族も庶民も、いつ鎖をつけられてもおかしくない。そんな意識の中で 日々を送っているのが この世界の常識だった。


 イリヤは庶民の出身で、戦争前なら貴族の屋敷に出入りできる身分ではない。

 しかし 戦争後は、家柄の格の違いによる交流を禁止した法律。俗に言う家別交禁法かべつこうきんほうが撤廃され、貴族でも庶民でも、自由に交流できるようになった。

「交流できるようになった」と言うよりは、交流しなければならなくなった。

 経済的な観点からすると、貴族と庶民が直接 取引きできた方が、遥かに市場しじょうは活性化する。

 貴族だからと言って、庶民との取引きを断ると罰せられるようになったのだ。


 家別交禁法の撤廃は、そう言った 政治や経済の制度としては、貴族と庶民の垣根を取り去り、人々は公平に豊かになり 争いごとは減ったので、ある程度の結果を出したと言える。

 しかし、生活レベルで 人々の意識をすぐに変えることは出来なかった。

 今も、戦争前の風習はいたる所に残っている。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 戦争前、使用人であっても 貴族の屋敷に出入りできるのは貴族だけであったので、基本的に使用人は格下の貴族の家から、適齢期の者を迎え入れていた。

 今は庶民の家からでも、迎え入れられることは可能だ。

 けれど感覚的に……特に歳の行った貴族は、その変化を受け入れる事が難しいようだった。


 庶民の家から使用人を雇うのに抵抗がある保守的な貴族と、どの家柄から迎え入れても良しとする、リベラルな貴族との摩擦を軽減するために、折衷案とも言える制度が出来た。


 貴族には上級、中級、下級とあるのだが、中級、下級貴族の家柄なら、買う事ができる制度が制定されたのだ。

 今は、当家のように困窮してしまって、貴族の名誉を資産に変えようとする者は多い。

 逆に身内を売ってでも、貴族の名誉を手に入れたい庶民もいる。

 そして、人には言えない理由で使用人を手に入れたい、上流階級の貴族もいる。

 

 三者三様のニーズが噛み合った。


 貴族になりたい庶民がいて、——理由は様々だが、庶民を使用人にしたい貴族がいる。その貴族は名誉を売りに出している貴族の家柄を買う。買った家柄を 使用人として雇う庶民に与える。


 この制度の特徴は2つ。


 1つ目は、家柄の権利が親族にまで及ぶ事。

 娘を使用人として差し出した庶民の親は、娘に貴族の家柄が与えられた時点で、親も貴族になるのだ。

 2つ目は、売りに出されている貴族側の価値に対して、支払いが行われる訳では無い所だ。

 あくまでも 使用人として雇われる者の価値に対して支払いが行われる。

 予め使用人の能力の価値が査定され、雇う側はそれに見合った家柄を、使用人に与えなければいけない。


 庶民の出自の者に貴族の家柄を与えて、使用人とする場合。使用人となる者と、売りに出されている貴族の家柄に対して 同時に査定が入り。それが 同等の価値でないと取引きが成立しない。つまり、使用人として雇えない。と言うことだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 細かいことはいい、要するに、貴族は公な理由を持って、体裁を整えることが出来るようになった。


「体裁を整えることは恥ずべきことではありません。むしろ、貴族としての嗜みです」


 政府のプロパガンダは成功し、今いる下級貴族の8割くらいは、そう言った買取貴族で占められている。

 制度が制定されてから、数年。今では出戻り貴族なる者もいる。——ややこしい時代だ。


 イリヤは完全な庶民の家柄の娘である。

 使用人になるとき、貴族の家柄を与えられる事も望まなかった。


 望まれなくて良かった。


 もしも イリヤが貴族としての家柄を望んだのなら、当家……いや。

 ——我が家はイリヤを使用人として雇うことを諦めねばならなかっただろう。


 家柄が欲しいか? イリヤに そう気持ちを聞いたとき、イリヤからは 家族もいないので、(普通 支度金として家族に支払われる)譲渡金はいらない。

 使用人として雇われるだけで、充分だと言う返答が返ってきた。


 けれども それでは申し訳ないと思った父は、イリヤに内緒でこっそりと査定を入れた。

 届いた結果を見ると、イリヤの能力の価値は、ウチの財力では到底 支払えることの出来ないほどの価値がついていた。



「何か難しいことを、お考えですか?」


 イリヤが紅茶を 私の前に置く。置く時にイリヤにしては珍しく、カチャリと音をたてた。

 私の前にはが置かれてあったのだが、その書類を見た時にイリヤの手がピクリとなったのだ。


「いや、とても分かり易い 明確な事実しか考えていなかったよ。 今日もイリヤは美しいと思っていた」


「ありがとうございます。けれどもわたくしに何か質問が、あったのでしょう?」


 これだ。イリヤの、この なんでも見透かしているような感じが苦手なのだ。イリヤのに関係しているのだろうか?

 むろん、イリヤの前で 露骨に ため息など付かないが、緊張して気疲れしてしまう。


「それに、わたくしに質問して頂かないと、お話しが進みません」


 そう、イリヤは僕の教育係担当の使用人として雇われたのだ。自然、質問の頻度も増える。


 

 冒頭の疑問に答えよう。

 

 なぜ、「また」なのか...... イリヤが教育係だからだ。

 なぜ、ため息が出るのか...... 一緒にいると緊張するからだ。


 しかし イリヤの言うとおり、イリヤに質問しないと話が進まない。

 僕は書類。書類では堅苦しい感じがする。……薄い本をめくりつつ


「鈍感難聴系ってなんだい?」


そう、イリヤに聞いた。


 


 

 

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