親友な幼馴染が僕とキスしてみたいと言ってきた件

久野真一

僕と親友

「ああいうのは、ほんっとあかんと思うんよー」


 赤ら顔になった里香りかは憤懣冷めやらぬといった表情。

 グラスには琥珀色の液体がなみなみと注がれている。

 スコッチウイスキーの20年ものだ。


「そういうのは陰湿だよね」


 里香の言葉に、僕、畠山宗介はたけやまそうすけは相槌を打つ。


「やろ?何したわけでもないのに、あの子の事、キョドるとかキモいとか言いたい放題!あいつら、一体何様のつもりやねん」


 ここは、里香が常連としている少しお洒落なバーだ。


「確かにぎこちない行動するのはいるけど、陰であざ笑うのはいただけないね」


 里香が愚痴っているのは、彼女が所属する、オタク系サークルにいる、ある陰キャメンバーについて、女子連中が陰口を叩きまくってる事についてだ。


「サークルの女子連中、そういう子を人として見てないんやろな。ムカつくわ!」


 里香は僕の昔馴染みだ。幼稚園の頃からずっと付き合いがある親友で、昔からとても正義感が強い。陰キャとか陽キャとかそんな事で人を差別しないし、悪いことをしたわけでも無い相手を叩く人間にはとても敏感だ。


「でも、そういう手合いは言って変わるものじゃないだろうね」


 キョドってるとかであざ笑うのはおかしいと言っても、聞くような連中なら最初から陰口を叩かない。陰口を叩くのが、ある意味彼女らのコミュニケーションの基本ですらあるだろう。


「あたしもそこがわからん程子どもやないけどな。やっぱおかしいと思うんよ」


 その陰キャメンバーと彼女はさして親しいわけでもない。

 なのに、真剣に怒ることが出来る彼女は本当にいい奴だと思おう。


「いっそのこと、もうそのサークルは抜けるとか?」


 長年の親友がこうして心を痛めるのはあまり見てたくない。


「でも、そしたら、あの子の事見捨てて行ったみたいで寝覚め悪いやん」

「でも、言ってもかわらなかったんでしょ?」

「それはそうやけどな。別にわかってはいるんよ」


 気がついたら、ワインを頼んでいたらしく、がぶがぶ飲んでいる。


「まあ、愚痴でよかったらいつでも聞くから」

「ありがとな。宗介にはいっつも愚痴聞いてもろて」

「いい加減付き合いも長いからね」


 僕と彼女は、大阪で生まれ育ち、別々の東京の大学に進学した間柄だ。

 僕は標準語と切り替えられるけど、彼女は大阪弁で通している。


「そろそろ、出よか」

「あ、いくらになる?」


 僕もいくらか飲んだし、その分を出そうとしたのだけど-


「ええよ、ええよ。ここは、あたしの奢り」

「いっつもバー行くと里香の奢りになってるでしょ」

「やって愚痴聞いてもらってるんやら、それくらいはせんとな」

「うーん、そうだね。ありがとう」

「そうそう。それでいいんや」


 こういう時に、意地でも奢るのだと彼女は頑固になる。

 あんまり割り勘を主張すると不機嫌になる可能性すらある。


「はー、ええ夜やー」

「まだ10月だからね。そろそろ寒くなって来そうだけど」


 ネオンが輝く繁華街を二人して歩く。


「あー、寒くなってきたわー。宗介、暖めてー」


 ふざけた声で、横合いから抱きついてくる。


「はいはい。酔っぱらい、酔っぱらい」

「あたしは酔っ払っとらんよ?」

「酔っぱらいはいつもそう言うんだよ」


 昔から、彼女は事あるごとにして、こうやってスキンシップを取ってくる。

 でも、僕は未だにその意図をはかりかねていた。

 好意があるのは確実。大学で会った友達なら、気があると思っていただろう。

 でも、彼女にとってのそれは友愛の延長線上なのかもしれない。

 男と女と意識する前から一緒だった、僕に対する。


「ほんと、里香は仕方ないんだから」

 

 そう言いながら、僕はそっと彼女の髪に触れて優しく撫で付ける。


「なんや宗介、また子ども扱いなんか?」

「そういうわけじゃないよ。癖だよ、癖」


 僕自身、未だに彼女への想いがよくわからない。

 間違いなく僕は男で彼女は女。

 彼女が僕を男と意識して、こうしているのも間違いない。

 僕が彼女を女として意識して、こうしるのも間違いない。


(僕は恋人になりたいのだろうか)


 そうである気もするし、そうじゃない気もする。

 だって、今があまりにも居心地が良すぎるから。


「なあ、宗介。今日、そっち泊まってて、ええか」

「明日の講義は?」

「午後からやから、大丈夫」

「わかった。じゃ、行こっか」


 飲んだ夜に、こうして僕の家に彼女が泊まりに来るのもいつものこと。

 いちいち、緊張を覚えることすらない。

 もっと彼女の態度が普段と変わっていれば違ったのかもしれない。

 でも、彼女はいつも通りといった風だ。


「お邪魔しまーす」

「はいはい。適当にくつろいでね」


 我が家は1LDK。

 家に入るなり、彼女はリビングに直行。


「はー、ちょい飲みすぎたわー」


 大の字になって寝る里香。

 その様子にうちの母親を思い出す。

 柔和な表情に豊満な胸、肉付きの良い身体。

 母性的と言ってもいいかもしれない。


 そんな彼女は、昔から、男子からの求愛が後を立たなかった。

 特に、正義感が強いものだから、気弱な男子からが多かった。

 その求愛の全てを彼女はお断りしていたのだけど。


「はい、水」


 ミネラルウォーターをコップに注いで、手渡す。


「ありがと。宗介はいっつも気が利くなー」

「まあ、もう慣れたよ」


 率直な感謝が少し照れくさくて、そう誤魔化す。


「ほんとに、いっつも感謝しとるんよ?」

「……」


 今度は、少し真剣な言葉。


「お互い様だよ。子どもの頃、里香が助けてくれたのは、今でも忘れてないから」


 彼女と仲良くなったきっかけは単純。

 当時、ひ弱だった僕はイジメにあっていた。

 そこを、彼女が正義感を発揮して僕を助けてくれたのだ。

 

 彼女のように誰かを助けられるように。

 あれ以来、ずっとそう思っている。


「もし、あの頃の事、ずっと気にしてるんやったら……」

「そんなわけないでしょ。今だって、助けられてる。例だよ、例」


 彼女の言葉の意味が嫌でもわかってしまうから、少し悩む。

 

「あたしは、全然、宗介にお返し出来てる気がせえへえんよ」


 ぽつりとつぶやく里香。

 義理と人情の世界に生きているというのだろうか。

 彼女は、受けた恩を返したいと素朴に思うところがある。


「僕も、友達少ない方だから、こうして居られて助かってるよ」


 それは僕の本音。

 東京の大学での友達は確かにいる。

 でも、果たして、本音を語り合える相手がいるだろうか。


「そんなの、全然釣り合ってへんよ」

「釣り合いとか考える仲じゃないでしょ」

「宗介とだからなんよ。釣り合いとか考えるんは」


 僕だから。果たして、その言葉はどんな意味なんだろう?


「……なあ、宗介。一つ聞きたいことがあるんやけど」

「なんでも、どうぞ」

「あたしは、宗介の事どう思ってるんやろ」


 その声はどこか苦しそうだった。


「それは、君が一番よく知ってるんじゃないの?」

「わからんから聞いとるの」


 少し子ども染みた言い方。


「友達、じゃないの?」

「もちろん、それもあるよ。大切な、友達。でも……」

「でも?」

「くっついていたい、ちゅうんは友達だからなんか?」


 気がついたら、後ろから抱きしめられていた。

 豊満な胸の膨らみに、柔らかな身体。そして、体温。

 それらを感じて、身体が熱くなってくる。


「ただの友達だとならんやろうね」


 気がついたら、に戻っていた。


「やろ?男として好いとるんは間違いないんよ」


 告白に等しい言葉。ただ、驚きはなかった。

 薄々、感じていた事だった。


「里香はどうなりたいんや?と」

「宗介はどうなりたいん?あたしと」

「質問に質問でかえすなや」

「ええから」

「……どうやろね。今が居心地ええし。でも、恋人言うんやったら、それでも」

「そんなどっちつかずな事言うのはイケズやで」

「本音やから。恋人を望んでくれるなら……でも、俺から望むのもちゃう気がする」

「それやったら、あたしも同じよ」


 しばし沈黙が部屋に満ちる。


「……思いついたんやけど、キス、してみいひん?」

「はああ?何言っとるんや、何トチ狂ったこといっとんねん」

「正気やよ。キスして嫌やなかったら、恋人になれるんやない?」


 わかる、わかるけど。


「それはさすがに、順番が逆やろ」

「順番なんかどっちでもええやろ。宗介は嫌なんか?」


 それを言われると困る。とても。


「ええよ。しよか、キス」

 

 里香の前に向き直る。彼女は何故か笑顔だった。


「なんや、全然緊張しとらんのやな」

「唇と唇くっつけるだけやろ?」

「世間のカップルに言ったら殴られそうやな」


 そう言っている俺自身、ちっとも緊張していない。

 本当に、なんでかわからないんだけど。


「でも、ずっとしたいと思っとったんやで?」

「いつも抱きついてるみたいにやればよかったやろ」

「アホ。さすがに、そこの分別くらいはついとるよ」


 言いつつ、やっぱり彼女は嬉しそうだった。


「ん……」


 目を閉じて、唇を突き出してくる。

 可愛いな、と自然と思う。


 俺も自然と顔を近づけて、そして……


「んぅ……」


 唇を合わせていた。

 どこかしっくり来るような感覚。

 ずっと、こうしたかったような。


「はぁ」


 唇を離した里香は相変わらず笑顔。

 でも、火照ったような表情。


「何、夢見心地みたいな表情してるねん」

「やって、気持ち良かったもん。宗介は違ったん?」

「まあ、少しは、気持ち良かった、かな」


 素直に認めるのが癪で、誤魔化す。


「素直に認めてもええやん、イケズ」


 里香は不満そうな顔。

 でも、そんな顔も可愛らしい。


「俺自身、ちょい戸惑っとるんや」


 いくら肌同士触れ合わせても、避けて来たこと。

 それが、こんなにも心を動かすなんて。


「やったら、あたしらは恋人同士でええんやない?」

「これで友達やったらどんだけふしだらやねんって話になりそうやし」

「そういう理屈っぽい事やなくて」

「ちょっと照れくさかっただけやっつうの、アホ」

「アホ言った方がアホなんやで」

「子どもの喧嘩か!」


 言い合った後、お互い笑い合う。


「それやったら……改めて、よろしくな、宗介」

「こちらこそ、里香」


 そう言って、握り拳を突き合わせる。

 そして、お互いニヤリと笑う。

 まるで、男同士でするような、挨拶。


 親友でもあって恋人でもある。

 どっちか片方ではなく、両方。

 そんなのが俺たちのしっくり来る形なのかもしれない。

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親友な幼馴染が僕とキスしてみたいと言ってきた件 久野真一 @kuno1234

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