胡琴を弾こう!

増田朋美

胡琴を弾こう!

胡琴を弾こう!

12月が近いと思われるのに、暖かい日が続いている。そういうわけだから、体調を崩したり、心に不調を起したりする人も多いのだが、逆に、こういう暖かさをチャンスにして、何か新しいことを始めたいという人もいるだろう。時折、そういうひとが、蘭の仕事場にも現れるときがあった。

その日、蘭が、下絵を描いていると、蘭のスマートフォンがなった。誰だろうと思ってスマートフォンをとると、全然見たことのない番号だった。これは、もしかしたら、新規の予約の方だと思って、蘭は急いで電話をとる。

「はい、伊能でございますが。」

「あの、すみません。わたくし、由井に住んでおります、久保田美一と申します。久はひさし、保は保つ、田は、田んぼの田、美は美しいに一は数字の一でございます。」

ずいぶん丁寧な自己紹介であった。

「ああ、そんな丁寧に自己紹介しなくてもいいですよ。久保田美一さんですね。それで、今日はどういったご用件でしょうか。」

「ええ、もちろん、刺青をお願いしたいんですけどね。どこに入れてもらおうとか、そういうことはまだ考えていないのですが、とりあえず入れてもらおうと思いまして。先生は、女性ばかりを扱ってきたと言われていますが、別に女性だけというわけではないですよね。」

と、電話の声はそういっているが、一寸男性にしてはキーの高い声である。蘭は、そのときは電話機の故障かなと思ってしまったので、別に気にならなかった。

「わかりました。希望する柄とか、そういうのはありますでしょうか?」

と、蘭が聞くと、

「そうですね、蓮の花とか、そういうものが良いですね。仏教にはずいぶん助けてもらいましたので。」

という彼。蘭は、たぶん、何か問題があって、仏教のサークルにでも入っていたのかな程度しか考えなかった。

「わかりました。じゃあ、いつ頃施術しましょうか?」

「えーと、明日の午前中が良いですね。午後は一寸、出かけなければならないところがありますので。」

蘭は、わかりましたと言って、メモ帳に、翌日の日付と、午前中、久保田さんと書き込んだ。

「じゃあ、明日、打ち合わせをして、彫る場所と彫る柄を決めましょう。よろしくお願いします。」

「はい、どうぞよろしくお願いします。先生がやってくれると言ってくださってうれしいです。」

そういう彼に、蘭は、ただ若い男性が、刺青をお願いしに来たのだということしか思わなかった。電話というものはそういうものである。じゃあよろしくと言って、男性は、電話を切った。蘭は、ああよかった、久しぶりに大作を彫るのかもしれないと、夕食時に妻のアリスにも話した。大変楽しみに彼の来訪を待っていた。でも、楽しみというものは、大体幻に終わってしまうことが多いのであるが。

翌日、インターフォンがなった。

「こんにちは、久保田美一です。」

やっぱり男性にしては声が高い人であるなと思うのであるが、取りあえず蘭は、どうぞお入りください、

と言った。おじゃまいたしますと言って、男性が、蘭の仕事場に入ってくる。

「失礼いたします。この度は、受け入れてくださって、ほんとうにありがとうございました。よろしくお願いいたします。」

と、言いながら入ってきたのは、蘭の車いすとほとんど変わらないほど背の低い人物だった。蘭は思わずえっと言ってしまう。その男性の身長は、小学校一年生の男の子くらいしかなかったからである。

「あの、失礼ですけど、身長は、」

と蘭が言いかけると、

「はい、127センチです。ああ、安心してください、先生。見た目はこうして子供さんに間違われますが、僕はれっきとした、45歳です。ちゃんと、身分証明書も持ってきましたからね。ほら、保険証です。これに、生年月日も書いておりますから。偽造じゃありませんよ。もし、よろしければ、市役所の市民課へ行って、聞いてみましょうか?」

と彼は答えるのだった。

「いやあ、そ、そこまでは、要求してはいませんが、、、。」

と蘭は、そういってしまう。

「じゃあ、そういうことなら、どこに入れようとか、そういう話をしてくれませんかね。僕は、ほかのひとにも言われるんですけど、背が小さいことを、馬鹿にされて仕事が長続きしないので、それではいかんということを戒めたくて、お願いに来たんです。お願いできませんでしょうか。」

という彼であるが、蘭は、お客さんに対し、電話で予約を取っていたことと、同じ気持ちで彼に接することはできなかった。そういう表情を彼は、すぐ読み取ってしまったらしい。

「先生もやはり、こういうひとに対しては、施術できないと思われるんですね。僕は、ただ背が低いだけで、ほかのひとと生活は何も変わりませんよ。車いすの先生だから、そういう偏見ないかなと思って、先生のところに電話したんですけど、大間違いだったかなあ。」

そういう彼に、蘭は、すぐに行動を切り替えなければと思ったが、すぐに態度を変えるということは

一寸できなかった。やっぱり、彼はいくら本人が45歳と主張しても、身分証明書が在ると主張しても、彼はやっぱり、小学校の一年生の少年に間違われてしまうことは確かだからだ。

「大間違いというか、あなたが不利になってしまうと思うんです。その身長で、刺青を入れているとなると、日本ではまだまだ、」

「でも、外国の有名な俳優では、このくらいの身長でも、入れている人はいっぱいいるじゃありませんか。僕は、そういうふうにあなたが不利になるとかそんなことは百もわかってますよ。もうそういう冷たい目は、たくさん経験していますから。そして、あなたが不利になりますよと、警告する人ほど偏見が強いのだという事だってたくさん知っていますよ。」

蘭がそう言いかけると、久保田さんはきっぱりといった。それでは蘭よりも上手というか、いろんな

ことを知っているということになる。確かに、そうかもしれないが、蘭は、それを余計に味合わせることはかわいそうというか、させたくない気持ちになってしまうのだった。

「僕はそんな意味で言っているんじゃありません。」

とりあえずそれだけ言うが、

「じゃあなんですか。蘭先生、僕たちは存在自体が不利というか、アウトローに近いものなっているのは、先生もご存じじゃありませんか。だからこそ、日本の伝統的な柄を体に入れて、強く生きようと思っているんですよ。日本の伝統って、無病息災とか、大願成就を願うものが多いのでしょう?それは、こういう人間だって、身に着けてはいけないなんていう、法律はどこにもないですよね。」

と、久保田さんは、しっかりとした口調でそういうのだった。確かに、障害があるということは、ある種のアウトローになるというのは間違いではない。それは蘭も知っている。でもできることなら、彼には本物のアウトローにはなってもらいたくない、蘭はそういう思いをしていた。

「先生。だって仕方ないじゃありませんか。僕も先生も、ほかのひととは違うんだっていう宿命背負って生きている人間なんですから、ほかのひとと違う印があったっていいでしょう。先生が彫ってこられた女性の方々はみんなそういうひとばかりだと、僕は聞きましたよ。だから、先生、お願いしますよ。僕にも、突いていただけませんか。」

と、久保田さんは言うのだが、蘭は、じゃあ、そうしようという気になれなかった。それは、なんだか久保田さんに余計にかわいそうな思いをさせてしまうというか、そういう気がしてたまらなかったのだ。蘭が困った顔をしていると、インターフォンがなった。

「伊能さん郵便です。印鑑をお願いします。」

こんな時に誰かと思ったら、郵便配達員だった。蘭は急いで玄関先にいって、その小包を受け取った。こんな時間に来ないでもらいたいなと言ったが、配達員は、時間指定しないのが悪いんでしょと言って、印鑑を受け取ると、すぐに出て行ってしまった。

「ああ、すみません。大事なお話をしていたのに。」

そういいながら蘭が仕事場に戻ってくると、久保田さんは、先生、後生ですから、蓮の花でも入れてもらえないかとお願いする。

「もう、偏見とか、そういうことはたくさん経験しました。自分が強くなるしか生き抜くすべはないということもわかりました。だからこそ先生、そのために、入れてください。」

という久保田さんに、蘭は、

「そうですが、僕は、あなたに施術することはできません。あなたが、これから生きていくにあたって、間違いなく不利になってしまうことは、間違いないんですから。」

と言って、彼にもう帰ってもらえないかといった。久保田さんは、そうですか、やっぱり先生のところでもだめですかと言って、しょんぼりした顔で玄関先へ歩いていったのだが、蘭が先ほど郵便配達員から受け取った、小さな箱に目をやって、

「ああ、先生は、楽器も嗜まれるんですか。」

と言った。確かに、箱の蓋に、和楽器店である、佐藤楽器と書いてあったので、それでわかったのだろう。

「ええ、まあ、一寸だけ、一絃琴をやっていた時期があって。」

蘭はこんな時に何で楽器屋から注文した楽譜が届くんだろうかと思ったが、注文したのは蘭なので届くのは当たり前の事なのであった。

「ああ、そうですか、一絃琴とは珍しい楽器ですね。実は僕もね、何か楽器をやってみたいなあと思っているんですけどね。この身長ですから、手が小さくてピアノも何も弾けないんですよ。日本人なら邦楽を嗜んでみたいなと思ったこともありましたが、やっぱり、どの楽器もみんな、僕には大きすぎます。」

久保田さんは、にこやかにそういうことを言うのであるが、蘭はこの時は、早く帰ってもらいたくて、とにかく今日のところは帰ってくださいとしか、いえなかったのであった。

「まあ、今日は帰りますが、先生、僕はあきらめませんよ。もう、自分がアウトローになったつもりで生きないといけないことは、ちゃんとわかっていますから、先生が彫ってくださるまで、僕はお願いに来ます。」

そういう蘭に久保田さんは、挑戦状をたたきつけるような言い方で、ぺこんと頭を下げて出ていくのであった。蘭は、あーあ、これでは一体どうしたらいいのだろうと思って、久保田さんが帰っていくのを見送った。多分身長が著しく低いので、車の運転免許も取れなかったのだろうか。足早に歩いていく彼を見て、蘭は、やっぱり余計にアウトローにさせてしまうのは、可愛そうな気がしてしまった。

そんなことを考えながら、蘭はショッピングモールの喫茶店で、一人でコーヒーを飲んでいた。時々、こういう悩みがあるとこの喫茶店に来たくなってしまう。そこへ来て何か解決するわけじゃないけど、蘭は、この店の隠れ家的な雰囲気がとても好きなのであった。一応、全国チェーンとなっているが、其れとは思わせない、落ち着いた雰囲気をしているのである。

「あれえ、蘭じゃないか。」

「ああ、そうですね。一体どうしたんですか?」

と、いつの間にかそういう声が聞こえてきて、蘭は、はっとして後ろを振り向いた。振り向くと、杉ちゃんとジョチさんが、二人そろって来店していたのである。

「なんだ、波布のくせに、こんなところまできて。お前には、こういうところより、中華料理屋のほうが合うのでは?」

と蘭は思わずジョチさんに憎まれ口をたたいたが、

「ええ、今日は、杉ちゃんにお願いされてこちらまで来させてもらいました。このショッピングモールで、長崎の物産展をやっていると聞いたものですから。」

と、ジョチさんは言った。

「このショッピングモールが、障碍者への配慮がないことは、お前さんも知っているだろうと思うので、一緒に来てもらっただけだよ。」

と、杉ちゃんは当然のようにいう。まあ確かにそれはそうなんだけど、杉ちゃんにそういわれると、何か違和感を持ってしまう蘭である。

「まあ確かに、そうですね。エレベーターを故障したまま放置しておくのはいかがなものかと。それより何か悩んでいることがおありですか。えらく深刻な顔して、考え込んでいらしたから。」

ジョチさんにそういわれて、波布に悩みを打ち明けることなど、嫌なことだと蘭は言ったが、杉ちゃんに悩んでいることは吐き出しちまえと言われて、先ほど自宅で起きたことを話した。

「そんなの簡単だ、彫ってやればよかったじゃないか。」

と、杉ちゃんはカラカラという。

「そうはいったってねえ。」

蘭は、大きなため息をついた。

「いや、僕もそう思いますね。だって世界的にも小人症の芸能人はたくさんいますよ。スターウォーズでR2をやった俳優だって、多大な偏見があったかもしれないけど、生き抜いたでしょ。おそらくその人だって、きっと身長が低いことでひどいことをたくさん言われてきたんでしょうし。其れに、そういうひとでなければ、蘭さんのところには来ないんじゃないかな。」

ジョチさんも杉ちゃんと同意見なようであったが、蘭は自分のしたことを改めようという気にはなれなかった。

「もし、蘭さんが彼のことをかわいそうと思って彫らないというのだったら、それはもっとすごい偏見なんじゃないですか?」

「そうだねえ、、、。」

と、蘭は、頭を抱えて考え込んだ。と、同時に、喫茶店の近くにあったイベントスペースから、司会者の女性のこんな声が聞こえてきた。

「それでは、演奏に移らせていただきます。本日の演奏は、珍しい、長崎に伝わる、伝統音楽、明清楽の演奏です。曲は、明清楽では代表的な音楽とされています、九連環です。」

「あ、演奏が始まっちゃう!行こうぜ!」

杉ちゃんとジョチさんは、これを楽しみにしていたらしく、急いでイベントスペースのほうへ移動してしまった。蘭は、おい、ちょっと待ってくれ、まだ話している最中なのに、と言いながら、二人の後を追いかける。と同時に、演奏が開始された。バンドリーダーと思われるお爺さんが横笛でメロディーを吹き鳴らし、それを追いかけるような感じでメンバーさんたちがほかの楽器を一斉に弾奏する。その楽器は何とも言えない奇妙なものばかりで、丸い胴体に絃を張った琴のような音色の楽器や、尺八のような音色の縦笛、オーボエによく似た音色の縦笛などもあって、何とも言えない奇妙な演奏だった。そのメンバーさんの中に、二胡によく似た、40センチくらいの大きさの楽器を弾いている人が居た。演奏者の男性は、なかなか体の大きな人で、その大きな体に比べると楽器はずいぶん小さなものであった。二胡と同様に、二絃の間に、弓を挟んで弾くようになっているようで、何とも言えない、不思議な音色を醸し出している。演奏は、四分ほどで終わった。

「はい、それでは、保存会の皆さんに、楽器の紹介をしていただきます。初めに、こちら、この丸い形をした、ギターのような楽器について教えていただきたいのですが。」

と、司会者が、バンドのメンバーさんにそういっている。その楽器は月琴といい、坂本龍馬の妻も愛好していたらしい。続いて、例の二胡のような小さな楽器の奏者にインタビューが行われた。

「えーと、こちらの楽器はですね、胡琴と申しまして、竿も胴も竹製の小さな楽器です。主にメロディーを演奏する楽器になります。」

と、奏者は司会者のインタビューに答えている。

「昔のひとは、小さな体だったからよかったのかもしれませんが、今のひとが弾くと、一寸、弾きにくくて、困っているんです。まあ、其れも奏者の宿命だと思いますがね。ははははは。」

と胡琴を弾く男性は、にこやかに笑っていた。確かに、二胡の大きさに比べると、半分くらいしかない小さな楽器で、現在の身長の男性では、一寸小さすぎるかもしれない。その時、ふっと蘭の頭の中に何かがひらめいた。あの、久保田さんが楽器をやってみたいという思い。127センチしかない彼であればあの胡琴という楽器はちょうどいい大きさなのではあるまいか!

「明清楽と言いますと、長崎に伝わる音楽と言われているそうですが、現在には、どんな形で伝承されているのですか?」

と司会者が、リーダーの男性にそういうと、

「はい、日本では長崎に伝わるのみになってしまった明清楽ですが、現代中国には、胡琴は京胡として現在に通じておりますし、清笛と呼ばれる楽器は、現代中国の笛子の祖先と言われております。音楽自体は消滅寸前と言われていますが、現在中国の楽器の祖となっていることは間違いありません。逆に言えば、今の中国楽器たちは、明清楽なしでは発展してこなかった。其れを私たちは、大事に演奏していきたいと思います。」

とリーダーがにこやかに答える。

「そうですか。それは、勉強になりました。それでは続いての曲の紹介をお願いできますか?」

「はい。続きましての曲は、これまた明清楽で代表的な曲になっています、茉莉花です。最近でも良く演奏されることが多い、長崎の民謡で、同時に中国でも古来から歌われてきた曲でもあります。」

司会者に言われて、リーダーはそう説明した。演奏者たちは楽器を構えた。リーダーが笛を吹くと、演奏者たちも演奏を開始する。どうやらこの音楽のルールとして、笛が必ず一節を吹き、そのあとでほかの楽器が演奏をするという決まりがあるらしいのだ。蘭はもう一度、胡琴奏者の演奏に注目する。確かに、大柄な男性には小さすぎる。絶対に、あの楽器は久保田さんに向いていると思った蘭は、胡琴という楽器は何処で入手できるか、スマートフォンを出して調べ始めた。

「おい、蘭、演奏中だぞ。そんなときに、スマートフォンをやるのは失礼ってもんがあるだろ?」

杉ちゃんに言われても蘭は気が付かなかった。ジョチさんが、蘭さんは、何か思いつくと、人のいうことは聞かない人ですからね、とにこやかに笑っていった。杉ちゃんもそうだなあと言って、二人は演奏に再び聞き入り始めた。蘭はとにかく、胡琴を販売している店を探し続け、まるで、演奏している音も聞こえなくなったようだ。

コンサートは、さらにスタンディングオベーションで盛り上がっていった。





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胡琴を弾こう! 増田朋美 @masubuchi4996

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