第10話 演習試合

 いつもは殺風景な講堂だが、演習試合という一年の中でもビックイベントにあたる今日ばかりは華やかに飾り付けられている。棚の上の花瓶には見慣れたフォンマリーの花が挿されていた。この学校では、五角形の花びらをした青紫の花、国花フォンマリーを見かけることが多い。それは校章だったり、壁の装飾だったり様々だが、愛国心を煽る意図もあるのかもしれない。そんなことを考えながらアンネが列に並ぶと、しばらくしてソフィア校長が他の先生も引き連れて姿を現した。さっきまでざわついていた生徒たちの声が、小石の落ちた時の水面みなもの波紋のようにさぁっと静けさが広がったかと思うと消えていく。その場に現れるだけで空気を引き締めるようなそんな存在感がソフィア校長にはあった。


「ただいまより、第32回演習試合を開幕する!」


校長の毅然とした声に、アンネはお祭り感に浮ついていた気持ちが一気に引き締まる心地がした。今日の日のためにオズワルトの無茶な訓練にも耐えて、カウンター魔法を習得したのだと思うと、失敗することは出来ないという緊張感が全身を支配する。


「ルールは三つ。一つ、相手に危害を加えないこと。ただし、麻痺等は例外とする。二つ、相手が降参したらすぐ攻撃を止めること。三つ、戦闘ゾーンから出ないこと。この三つの内どれかを破った場合即時に失格とする。」


生徒たちは静かに校長の話を聞いていたが、アンネは無言の中にも彼らの燃え上がる闘志を全身に感じていた。それがわかったのはアンネもまた同じ気持ちだったからだ。


「開始時刻は九時。順番は事前に配ったプログラムに記載しているので、自分の番号が呼ばれた際に講堂にいない場合も失格とする。成績にも関係するので気をつけること。では解散。」


ソフィア校長が去ると、講堂の雰囲気は一気に弛緩して元の喧騒が戻ってくる。


「ネロの試合は何番?」


「52番。」


「私より先だね。観覧席から応援しておくよ。」


アンネの第一試合目の試合番号は107番。ネロの試合を見てからでも十分余裕がある。


「僕も先に観戦が良かったな。」


「緊張してるの?」


「してないわけないでしょ。アンネはしてないの?」


「やれることは全部やったからね。」


防衛魔法を覚えてから、流石に攻撃魔法を覚える暇はなかったので、アンネたちはスーザンにナイフを使った戦闘の基礎を少しだけ教えてもらった。あとは防御魔法に相手がどのくらい対応出来るかどうかだ。


「ちょっと試合前に体暖めとこうよ。」


アンネは中庭でウォーミングアップをすることを提案して、二人は講堂を出て、廊下を急いだ。



 試合番号52番 ネロ・ラグダス対マリー・キャンベル


無機質な文字列を見つめて、マリーは溜め息をついた。私と戦う人は運がいい。だって私はまだ入学してから一度も、魔法を使えたことがないのだから。

 

魔法因子摘発検査に引っかかる前日まで、マリーはピアノコンサートの練習に追われていた。幼い頃からピアノを習わせられて、初めてピアノコンクールに出ると最優勝を取り、神童と呼ばれるようになった。輝かしいその裏には毎日の血のにじむような努力があったが、見えないそれとは別にマリーへの周りからの期待はどんどんと大きくなっていった。


『マリーちゃん、今度の日曜日誕生日パーティーがあるんだけど来ない?』


小学校で仲が良い友達からの誘いも、断らなければいけなかった。


『ピアノの練習があるから行けない、ごめんね。』


しょんぼりとしている友達の横でマリーとはあんまり仲がよくない子が囁いていた。


『ほら、言ったじゃん、どうせ誘っても来れないって。』


 好きだからピアノを弾いているのか、それとも弾かされているのか自分でもわからなくなりながら練習をしていた日々はある日、唐突に終わりを告げた。ピアノをもう弾く必要はないのだと気付いた時、最初に込み上げた感情は安堵だったが、すぐに空虚感が追ってきた。子供時代を全部投げうってピアノをやってきたのに、突然もうやらなくていいと言われたら、自分には何が残るんだろうと考えだすと止まらなかった。少なくとも、魔法の才能よりピアノの才能の方がきっとあったはずだった。


今頃、きっと講堂では自分の名前が呼ばれていることだろうと、マリーは寮の部屋で一枚の封筒を握りながら考えていた。ここから逃げ出したい、そう考えるマリーにとってその封筒の中身は甘い蜜だった。


 

 ネロの一試合目の対戦相手は時間になっても講堂に現れなかった。ルールに則ってネロは不戦勝とされて二回戦に上がることとなった。


「なんか複雑な気分だな、二回戦目って少なくとも勝ち残った人と戦うわけでしょ?いきなり強い人と当たるのかぁ。」


溜め息をつくネロにアンネは首を捻る。


「なんで来なかったんだろう。」


その純粋な問いに明確に答えることが出来る者はいなかったが、きっと怖くなったのだろうということはアンネも察するところではあった。アンネもネロも、魔法の物覚えは良い方で居残り練習が必要になることはほとんどなかった。けれど、毎日居残りをしなければならないような人もまた存在する。自分たちのことだけで精一杯だから、そんなところに目を向ける暇はなかっただけで。何も魔法が使えない状態で、試合を迫られるのは残酷だ。震える声で、参りましたとだけ告げる恐怖。考えるだけで恐ろしいとアンネは身震いした。


 

 期せずして、ネロよりも先に試合をすることになってしまったアンネは番号を呼ばれると、静かに戦闘ゾーンに立った。向かいに悠々と歩いてきたのは、入学前から魔法を使えたと言われている魔法大臣の令嬢、ルイス・レイアーズだ。ルイスはつまらなそうな顔をして三年生の審判の生徒の方に催促するように目を向ける。


「それでは演習試合107番、アンネ・ストラディカ対ルイス・レイアーズの試合を始めます。用意、はじめ!」


ルイスは右手を地に向けると、小声で何かを詠唱し始める。真っ白だった床に薄い円が浮かび上がってくる。薄い水色だったそれは詠唱が進むうちに藍色へと染まって、複雑な幾何学な紋様を描き出す。アンネは、数秒の間ルイスの挙動に気を取られていたがすぐに自分も魔法陣の展開を始めた。カウンター魔法を使えるようになってから、アンネは何度も練習をして魔法陣を映し出す速度を速めたが流石に数日で五秒にするのには無理があった。レースのような縁をした鏡の紋様が端から映されていく。


金属音がして、アンネは目で追いかけて息を飲んだ。イスが大理石の床に描き出した魔法陣からは、銀の鎧の騎士が召喚されていた。授業の時、遠目には見かけていたから覚悟はしていた。だがそれでも、実際に敵として相対すると迫力が桁違いだった。魔法陣は描き終わっているのに何も行動を起こさないアンネを見てルイスは勝気に微笑む。


「私の召喚が整うまで待ってくれるなんて素晴らしい騎士道精神ね。でも、召喚されたらもう貴方の負けなんだから、わかってる?」


アンネはその問いには答えない。カウンター魔法は相手が仕掛けてこないと意味を為さない。相手が調子を崩したところを、一気に畳みかけたかった。


ふるきからの守り手よ、今ここにきたらん!」


ルイスの詠唱が終わり、遂に鎧騎士の全身が魔法陣から現れる。ガチャガチャと歩みを進めてくる鎧騎士にアンネはカウンター魔法の照準を合わせた。鎧騎士が首に向けて剣を振り上げてくる。


親愛Dearなるmymirror。」


詠唱でアンネの魔法陣が一層光を帯びる。剣は首には当たらず、頬をかすめた。そう、頬に掠めたのである。弾き返したわけではない。つまり、カウンター魔法が上手く作動していないということをアンネは理解して、焦ってしまい、次の攻撃に術式の照準を合わせるのが遅れる。照準のずれた術式は十分な効果を発揮しない。ルイスの操る鎧騎士の一撃は、痛烈にアンネの肩を殴打した。


「うぁっ」


うめき声をあげながらも、アンネは床を転がって追撃をかわす。


「無策で逃げるだけだったらただ疲れるだけ、さっさと降伏すれば?」


「なんで暴言は失格にならないのかな。」


嘲るような口ぶりのルイスを睨み返して、立ち上がる。距離を取ってから、術式を再構築する。


親愛Dearなるmymirror!」


今度こそは上手くいったはずだ。鏡の形をした紋様の照準を鎧騎士の剣先に合わせる。さっきから、ルイス自身は動いていない。ただ遠くに突っ立ったまま鎧騎士を操っている。舐められているとアンネは確信してかっと頬が熱くなる。魔法大臣だからなんだ、一番早く術式を手に入れられたからってなんだ、試合で全力を尽くさない人に負けてたまるか。


足音と鼓動が大きく響く。眼前に刃先が近づく。刃は鏡の紋様を貫いた。その時、ようやくアンネの術式は効果を発揮する。


バチッという鈍い音が鳴った後、鎧騎士の身体は床に弾き飛ばされた。






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